親愛なる精霊師どの②


 腰まであるサラサラの銀髪。

 長い睫毛に縁どられた紫の瞳。

 すっと整った鼻筋に、なめらかな肌を持った麗人が歩いてくる。


 容姿は女性的な美しさだが、背が高く、しっかりとした喉仏や肩幅によって男性であると認識できた。世が世なら傾国の美女、いや美男として名を遺したかもしれない。


 そして彼の側にはいくつもの光の玉がふよふよと漂っている。


(なに、あれ……)


 現実離れした光景から、オリビアははじめ霊が現れたのかと思った。

 だが、ドアマンも受付も――唇を突き出したままの幽霊男までも、銀髪の男性の姿をぼけっとした顔で見つめている。


(二人にも見えているからこの人は霊じゃないはず。……それにしても、なんて綺麗な人なの? 男性に綺麗という誉め言葉は嬉しくないかもしれないけれど、一度出会ったら絶対に忘れられないような容貌だわ)


「――部屋は、空いているか?」


 彼のハキハキとした声に、その場にいた者の目が、は、と覚めた。


(お、お客様相手に挨拶を忘れるなんて!)


 ホテルマンたちが揃いも揃って茫然と……。間抜けすぎる。

 フロント係のトニーも目の前でシャボン玉を割られた子どものような顔をしていた。

 慌てて取り繕ったように「ようこそヴォート城へ。ご予約のお名前を頂戴できますか」とぎこちなく微笑んでいる。


「名前はルイス・ラインフェルト。予約はしていない」


「ラインフェルト様ですね。当ホテルは完全予約制となっておりまして、ご予約なしでご来館されたお客様の場合、前金として二倍の宿泊費をお預かりさせていただき、チェックアウト時に差額をお返しするシステムをとらせてもらっております」


「予約しないとダメだったのか」


「大変申し訳ございません」


 トニーは恐縮したように頭を下げた。


 どんな客に対しても同じように頭を下げただろうが、心なしか普段よりもお辞儀の角度が深く見える。麗人の眉間に皺を刻んでしまうなど罪深い。


 しかし、ルイスと名乗った男は気にしたふうもなく薄く笑った。


「それは知らなかった。『一番上の部屋はいつでも開けてある』と伺っていたものだから、急に訪ねて行っても良いものだと勘違いしていた。……ジョージ・クライスラー殿を呼んでいただけるだろうか?」


 ジョージ・クライスラー。

 オリビアの祖父の名前だ。


 無意識にこちらに視線を向けたトニーと目が合い、オリビアはコンシェルジュデスクから受付へと回った。


「ジョージ・クライスラーは一年前に他界しました。……初めまして、ラインフェルト様。わたしはジョージの孫娘のオリビアと申します」


 丁寧に腰を折った後、「祖父のお知り合いの方でしょうか?」と尋ねた。


 彼は二十代半ばのように見えるし、祖父の友人には見えないが……。例えば世話になった知人の息子などで「いつでも泊まりにおいで」などという気前の良い約束でもしていたのかもしれない。


 ルイスはじっとオリビアを見つめる。


「……なるほど、きみがオリビアか」

「わたしのことをご存じなのですか?」

「これはきみの祖父が生前に遺した手紙だ。そしてこの手紙の通りなら、俺はいつでも古城ホテルに滞在していいことになっている」


 ルイスは懐から手紙を取り出した。

 男性的な骨ばった大きな手だ。

 美しい顔にばかり意識が向いていたが、彼の着ている服は先ほどのナンパ男の霊といい勝負の古風な服だ。野暮ったそうな灰色のインバネスから覗く袖口にはヒラヒラがたくさんついている。


 差し出された封筒の表書きは『親愛なる精霊師どの』。


 受け取ったオリビアは、既に一度開けられている封筒から便箋を取り出すと慎重に折り目を開いた。


『この鍵をきみに預ける。

 我が古城ホテル最上階の客室の鍵だ、いつでも訪ねてきて欲しい。

 そして、もしも私の身に何かあった時。身勝手な頼みだと言うことは分かっているが、どうか、オリビアのことをよろしく頼みたい』


 字が右上がりになる癖字は間違いなく祖父の筆跡だ。懐かしさに胸がぎゅっとなったが、それはそれとして……。


(わたしのことをよろしく頼みたいって……)


 この人に? どういう意図で?


 季節の挨拶すら書かれていない短い手紙から読み取れる情報はほとんどない。


 封筒の中には真鍮製の鍵も入っていた。


 この古城ホテルで使われている鍵だ。どの客室もお客様にお預けする鍵が一本、掃除やベッドメイキングで入室するとき用にスタッフ共有の鍵が一本、……そして、マスターキーは支配人であるハワードが持っている。


 現在、お客様用の鍵がない部屋は。


「……そちらは『精霊の間』の鍵ですね」

「ハワード」


 総支配人室から出てきたらしいハワードがいつの間にかロビーに来ていた。


「先代から話は伺っております。あの部屋は先代の友人のための部屋だと。……当ホテルへようこそ、ラインフェルト様。私は現在、支配人を務めているハワード・オルセンと申します。お部屋にご案内いたしますのでこちらへどうぞ」


 恭しく頭を下げるハワードに、ルイスは「よろしく頼む」と返す。


(どういうこと? ハワードは彼を知っているの? それに、おじいさまから話を聞いていたって、いったい……)


 総支配人であるハワード自ら案内するつもりらしいが、ルイスはオリビアの方を振り返った。


「オリビア、一緒においで」

「え」


 何故わたしも?

 というか、会っていきなり呼び捨て?


 困惑するオリビアをルイスは不思議そうに見つめる。


「……強引に迫られて困っているように見えたんだけど。……違った?」


(この人、見えてるんだ!)


 どきっとしたオリビアは頷き、小走りでルイスの側に駆け寄った。


『おいおーい。行っちゃうのかい、スゥイートハニー』


 残念がる幽霊男を見ないようにして逃げる。

 この男のスイートなハニーになった覚えなどないし、再びキスを迫られるのは勘弁してほしい。


 一緒にロビーにいた受付とドアマンが怪訝な顔をしているだろうことは分かったが、オリビアの頭の中では祖父の手紙の内容が何度も反芻されていた。


〝どうか、オリビアのことをよろしく頼みたい〟


 もしかしたら、祖父は心霊現象に悩まされている孫娘のために、生前、この男に助けを求めてくれていたのかもしれない。

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