皿上の空論

紅りんご

 銀色のドームに蓋をされた白い床。その中心にぽつんと置かれた向かい合う二つの机。そこに二人の男が座っていた。二人はどちらも丸刈りで質素な服装。異なる点があるとすれば体型だけだった。やがて天井からブザーの音が鳴り、二人は佇まいを正した。


「始まりますね。」

「ええ。」


 やがて最初に口を開いた痩せぎすの男が手元の紙束を取り出した。それに合わせてもう一方の小太りの男も手元に書類を用意し始める。


「私は動物には権利があると思います。」

「僕は動物には権利がないと思います。」


 二人の主張が表明された所で、天井からタイマーがぶら下がってくる。そのタイマーは二人の間まで来ると、空中で静止した。表示されている時間は五分。ちょうど四分五九秒となった所で、痩せぎすの男は話を始めた。


「動物と人間に何か違いはあるのでしょうか?」


 答えは求めていないのか、尋ねてすぐに話を先に進める。


「考えてみても、二者の間に大きな違いはありません。そう考えると、人間に当てはまることが動物に当てはまらないわけがありません。ジョン・ロックは『市民政府二論』で『たとえ地とすべての下級の被造物が万人の共有のものであっても、しかし人は誰でも自分自身の一身については所有権をもっている。 』と述べています。私は彼が述べた通り、動物は動物自身に対して権利を持っていると考えるわけです。人間と動物の違いを明確に出来ない限り、私は動物の権利も認められるべきだと主張します。」


 ここでタイマーがけたたましく鳴り、痩せぎすの男は黙り込む。その額には大粒の汗が浮かんでいた。

 今度は小太りの男の番だった。男は軽く咳払いをしてから、乱暴な口調で話し始めた。


「動物と人間が同じ?そんなわけないでしょう。人間は動物よりも上位の存在なのであって、そこには明確な上下関係が存在しているのですよ。特に、飼育している動物ならば猶更のことです。これを見てください。」


 小太りの男が見せたのは数枚の紙。そこには宮沢賢治という名前と『フランドン農学校の豚』という題名が書かれている。


「私の言いたいことはここに全部書いてあります。これから言うのは、農学校の校長が食肉加工されることを拒む豚に放った言葉です。『厭だ? おい。あんまり勝手を云うんじゃない、その身体は全体みんな、学校のお陰で出来たんだ。』 この言葉にある通り、食肉加工されている豚は人間によって養われているのです。人間が豚の健康のために対価を支払っているのです。それならば、人間には豚を所有する権利があるのではないでしょうか。」


 またしてもタイマーが鳴る。今度はすぐに痩せぎすの男が話し出すことはなく、しばしの沈黙があった。二人の男は緊張した面持ちで天井に視線を向ける。

 そしてその沈黙を遮るように天井からブザー音が鳴り響いた。その音に合わせてタイマーも再始動し、両手を震わせた痩せぎすの男が話し始めた。


「人間が豚を所有している?そんなこと誰が決めたのでしょうか。「所有」という概念につきましては、先ほどのジョン・ロックの言葉を再び引用させて頂きます。『彼は自分の労働を混じりえたのであり、そうして彼自身のものである何物かをそれに付け加えたのであって、このようにしてそれは彼の所有となるのである。』 どうでしょうか。彼は所有の権利が生まれる過程について述べています。彼の言葉通りなら、労働する者は自身の労働によって自分を所有する権利を得られる筈です。貴方が引用した『フランドン農学校』に沿って主張させて頂くなら、養豚場の豚は言わば食肉になるという労働に従事していると言えるでしょう。人間から与えられる食糧は給料と捉えることができるでしょう。そうなのです、これは労働なのです。そう考えれば、豚が自分自身の労働の中に自分自身を所有する権利を見出すことは可能なのではないでしょうか。」


 痩せぎすの男が言い切った所でタイマーが鳴った。熱中して立ち上がっていた彼は汗だくのまま、椅子にもたれかかった。今度は小太りの男の番だった。


「豚が労働している?まったくもって馬鹿馬鹿しい。豚はあくまで食べられる側、人間によって育てられた以上、モノとして扱うのが正しいんじゃないですかね。貴方も豚肉を食べる時に豚肉の権利なんて考えないでしょう。実際、『フランドン農学校』の豚は言葉を理解し、人間の言葉を話しますが、人間と対等な立場には立つことができていません。貴方はこの物語の終わりを知っていますか?『とにかく豚はすぐあとで、からだを八つに分解されて、厩舎のうしろに積みあげられた。』分かりましたか?結局豚はバラバラにされて殺されてしまうんですよ。弱いものは強いものに食われる。そこに尊重や理解は必要ないんですよ。」


 タイマーが鳴り、小太りの男の番も終わる。二人が席についた所で、ブザーが鳴った。今度はその音に合わせて天井が持ち上げられていく。二人は何が起こるのか分かっているのか、椅子の上に縮こまり目を閉じて震えている。やがて、ぽっかりと開いた天井から蹄の付いた青色の手が降りてきて、小太りの男の襟を摘まんで持ち上げていく。

 手元で悲鳴にも満たない奇声を上げ続ける男を見ながら、白い皿の周りを囲んでいた二体の生物は口々に感想を口にする。


「なぁ、Pよぉ。毎回、この人間?とかいう奴に議論させて、何となく負けた気がする方を先に選んで食べてるけどよぉ。これって何か意味あるのかよぉ?」

「あるさ、G。これから自分が食べられる、となったら彼らもこれまで目を背けてきた議論に真剣に向き合うしかなくなるだろう?この皿の中の映像は世界に配信されているんだ。人間達は自分達がこれまで無視してきた問題に取り組むことができるし、我々は余興を楽しみつつ、美味しいごちそうにありつくことができる。WINWINの関係とはこのことじゃないか。」

「ほんとにそんなこと考えてたのかよぉ?」


 銀色の蓋を手に語るPに、小太りの男を持ったGが訝しげに尋ねる。その視線を受けたPはすぐに肩をすくませて笑った。


「まさか。後でどうせ勝った方も食うんだ。ただ、この余興が最高のスパイスになるんだよ。理屈をこねくり回せば、助かるかもしれない、そういう微かな希望が、な。」

「ははん。そういうことかよぉ。」

「こいつが言っていただろう。いつだって弱者は選択の余地がないまま、強者に食われるだけだ、ってさ。」


 先ほどまでのブザーと同じ音がPとGの腹から鳴った。その音が鳴り終わらない内に、Gが男の身体を半分にぽきりと折った。


「おい、半分やるよ。」

「頭の方が良かったんだけどな……じゃ、いつものやるか。」


 彼らはお互いに顔を合わせると、それぞれが男の身体を宙に投げた。そして自分達は手を合わせ、大きな口を開けて上を向く。そして、人間を食べる時の合言葉を口にした。


「「いっただきまーす。」」


 二つに裂かれた小太りの男が、巨躯の異星人たちの口の中へと吸い込まれていく。やがて小気味よく丸い鼻を鳴らした彼らは、地球上の生物で例えるなら豚によく似ていた。



【参考文献】

 ① ジョン・ロック『市民政府二論』岩波文庫

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皿上の空論 紅りんご @Kagamin0707

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