〝人間が怖い〟

 ――――――ドォォォンッ



 俺の叫び声がとどろくと同時に、激しい音が外でも響く。

 そのことを理解できないまま、俺は半狂乱で家を飛び出した。



 外は、激しい雷雨だった。



 先ほどまで晴れていたはずの空には雲が暗く立ち込め、身を煽るくらいの風が吹き荒れている。



 しばらくは、森の中を縦横無尽に走り回った。



 逃げないと。



 頭の中はぐちゃぐちゃで、ただただ本能のままに逃げ回った。

 そして走る体力もなくなり、泣きながら歩みを止めた時。



「こっち……」



 叩きつける雨音の中に微かな、それでもはっきりとした声が響いた。

 次に、ひんやりとした水の感触が手を包む。



 俺は抵抗せずに、手が引かれる方へ歩いた。

 辿り着いた先では、イルシュエーレや精霊たちが待っていた。



「イルシュ……」



 近付くと、イルシュエーレは優しく肩を支えてくれた。



 それにいくらかの安堵は覚えるものの、先ほど経験した恐怖は依然として強烈な勢力を保って、己の身の内で荒れ狂っていた。



「大丈夫。落ち着いて。力の暴走を少しずつやわらげて。これ以上、森の力を荒らしてはだめよ。このままでは、あなたも危ないわ。」



 イルシュエーレは優しくなだめようとしてくれたが、俺は訳も分からずに首を振るしかなかった。



「やだ……やだよ…。どうしよう……俺、頑張ってたけど、全然足りなかった。隠れてても、殺されちゃうんだ…。どうしよう……もっと力をつけなきゃ………俺……怖い……怖いよ……」



 心のどこかで、まだ大丈夫だと甘んじている自分がいた。

 ここで暮らしていれば、平穏無事に日々が過ぎると思っていた。



 ―――でも、違うんだ。



 ここにいたって、魔の手は迫ってくる。

 そしてその手は、確実に自分を殺そうとする。

 この世界に、自分の安全地帯なんてなかったのだ。



 だけど、俺にはそれに抵抗できるだけの力がない。

 足りないのだ。

 圧倒的に。



 その事実が、とてつもなく怖かった。



「う……あ……あああああっ!!」



 たまらず叫ぶと、稲光と雷鳴が森中にとどろく。

 これが自分のせいだと、そう思い至るまでの理性はなかった。



 体の内側が、灼熱を噴いたように熱い。

 何も考えられない思考の奥で、本能が訴える。



 もっと、もっと力をと。



「しっかりして! 自分を見失わないで!」

「やだっ……やだやだ! 嫌だあぁっ!!」



 もう、何がなんだか分からない。

 恐怖と緊迫感が、身も心も支配していた。



 雷が落ちる。

 風はさらに荒れ、横殴りの雨が地面を激しく打ち鳴らす。



 それはまるで、自分の心を示しているかのようだった。



「怖い……人間が怖い……怖いよっ!!」



 錯乱していた俺には分からなかった。

 俺の叫びを聞いたイルシュエーレの表情が、ひどく悲しそうに歪んだのを。



「―――っ」



 突然温かいものに包まれて、俺は思わず言葉を引っ込めて暴れるのをやめた。



 イルシュエーレが、俺を抱き締めていた。



 今まで手を握るくらいだったイルシュエーレが、強く力を込めて、その胸に俺を包んでいたのだ。



 俺の驚愕に影響されてか、嵐が嘘のようにやわらぐ。



「大丈夫だから。」



 イルシュエーレは、俺を抱き締める力を表すような強い口調でそう言った。



「私が……私たちが、あなたを守るわ。人間に愛されないなら、人間の何倍も私たちがあなたを愛するわ。誰にも手出しさせない。誰にも殺させない。だから、絶対に大丈夫。あなたは、ここにいていいのよ。」



 イルシュエーレの言葉は、外界を拒絶していた俺の耳に不思議と深く染み込んでいった。



 体の灼熱が引いていく。

 豪雨は徐々に勢いをなくし、しとしとと降る小雨に変わる。



「……イルシュ?」



 呟くと、イルシュエーレは俺の顔を覗き込んで、柔らかく微笑んだ。



「もう大丈夫よ。怖かったでしょう? 一人でよく頑張ったわね。」



 いたわるように、イルシュエーレは何度も頭をなでてくれた。

 それに、今度こそ全身の力が抜ける。



 イルシュエーレの胸で、俺は赤ん坊のように大声で泣いた。





 そのまま気絶してしまい、後のことは覚えていない―――




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