つらいのかな…?

「あー、疲れた……」



 部屋に戻った実は、一直線にベッドを目指してそこに身を投げた。



 はしゃいだ精霊たちの相手は、予想以上に大変だった。



 何度もチーム替えをして、最終的にはチームなんか関係なく全員で自分に向かってくる始末だ。



 幼い頃のようにやられたりはしなかったが、遊びとはいえ魔力を使いすぎた気がする。



 おかげで、体がなまりのように重い。



「だめよ。」



 一緒に部屋に入ってきたイルシュエーレが、困ったように笑いながら近付いてくる。

 何がだめなのか訊こうと頭をもたげた時、ちょうど頭の上から布が被せられた。



「まだ髪が濡れてるわ。」



 そのまま優しく髪を拭き始めたイルシュエーレに、実は慌てて起き上がる。



「いいって。自分でできるから。」



 ひったくるように布を奪って、実は髪を掻き回す。

 ここまで成長しているくせに誰かに髪を拭いてもらうなんて、かなり恥ずかしい。



 実の心境が分かっているのか、イルシュエーレはほのかに微笑んで、赤らんだ実の顔を見つめていた。



「疲れた?」



「まあ……ちょっとばかりやりすぎたかな。限界ってわけじゃないけど、結構疲れたよ。」



「そう。でも、本当に強くなったわね。あの子たちにあそこまで付き合うなんて、私もびっくりしたわ。」



 イルシュエーレの言葉を聞いて、実はどこか寂しげな笑みを浮かべる。



「強くなった、か…。まあ、強くならなきゃいけなかったからなぁ……」



 実の声に滲む空虚さを感じたイルシュエーレが、瞬く間に表情を曇らせた。



「……つらかったでしょう?」

「どうなんだろ…?」



 実は虚空を見つめる。



「ここを出て、色々あったよ。もちろん、いいことばかりじゃなかった。でも、つらかったかって言われると……よく分からないや。別に、悪いことばかりってわけでもなかったし。」



 返答に困ったので、ごまかすように苦笑をたたえる。

 すると。



 ―――ふわり、と。



 柔らかく、イルシュエーレが自分を抱き締めてきた。



「無理しないで。」



 母親のように、イルシュエーレは実の頭をなでた。



「顔を見れば分かるわ。たくさん、つらいことがあったんでしょう? 大丈夫、分かってるわ。だから、無理してこらえなくてもいいのよ。」



 イルシュエーレの言葉が、心地よく耳に染み込んでいく。



 色々あった。

 地球に行って、記憶と魔力を封じて、また取り戻して。

 時間の早さが分からなくなるくらい、たくさんのことがあった。



 自分は、つらかったのだろうか?



 つらいと感じたことが全くないと言えば、それは嘘になる。

 でも、つらいという感情を意識していたら、その度に立ち止まってしまう。



 だから、どうしようもなくつらくなっても見ないふりをして、その感情から逃げることにしていた。



 それは、つらいのを我慢していたことになるのだろうか…?



(俺は……無理してたのかなぁ…?)



 無理をするなと、イルシュエーレはそう言うけれど。

 自分が無理をしていたのかが分からない。



 つらいという感情と向き合う余裕はなかったから、意識しないようにした。

 結果としてそれは、つらさを我慢していることになるのかもしれない。



 だがそれは、無理をしていることになるのだろうか。

 それは、つらいことなのだろうか。



(俺は、本当につらいのかな…?)



 目を閉じて、自分の心を覗いてみる。

 だけど……



「………やっぱ、よく分かんないや。」



 笑いを交えてイルシュエーレを見ると、彼女は何故かひどく悲しそうな顔をした。



 不思議な気分だ。



 イルシュエーレのことではないのに、彼女は自分以上に、自分に関することで悲しそうな仕草を見せる。



 自分のことを自分以上に悲しまれるのはどこか不思議で、そして複雑だ。



「そんな顔しないでよ。俺は平気なんだし。」



 明るく笑い飛ばしたはずだったのだが、イルシュエーレはさらに表情を暗くしてしまう。



 その反応に、実は困惑するしかない。



 何故だろう。

 自分が笑って話を片付けようとすると、皆がいい表情をしない。

 イルシュエーレに限らず、拓也や尚希だってそうだ。



「あ……そうだ。」



 拓也や尚希の顔が浮かんだことで、はたと思い至る。



「そういえば、外ではどのくらい時間が経ってるの? ここ、時間が分からなくてさ。」

「いいの。」



 その瞬間、イルシュエーレがこちらの言葉を遮るように口を挟んできた。

 先ほどまでの気弱な雰囲気が一転して、頑なな拒絶が声に滲む。



「イルシュ…?」



 きょとんとした実が名を呼ぶが、実の頭に顔をうずめるイルシュエーレの表情は、実からは全く見えなかった。



「いいの。今は外のことを忘れて、ここでゆっくりしていれば……それで、大丈夫だから。」



 その言葉を聞いた瞬間、実の顔から表情が消える。



 薄々、勘付いてはいたのだ。





 ―――イルシュエーレたちに、自分を外に帰す気がないということに。





 彼女たちの態度は、昔と寸分の違いもない。



 彼女たちはとても優しくて、純粋に自分を受け入れてくれて、心の底から自分のことを好いてくれている。



 だがその優しさで、彼女たちは自分をここに閉じ込めようとしている。



 もっと一緒にいたいから。

 そんな安直な理由ではないはずだ。



「………」



 実は頭上を仰ぐ。



 ガラスの向こうには、青の向こうからほのかに差し込む太陽の光が。



 ここは精霊たちが支配する、湖底の小さな国。



 彼女たちの導きがなければ決して辿り着くことはできないし、逆に帰ることもできない。



 ここにいて、自分ができることはほとんどないのだ。



「イルシュ…。泣かないでよ……」



 耳元で微かに響くすすり泣く声に、実は眉を下げた。



 こうなると、さすがにお手上げだ。

 何をすれば最良なのか、全く分からない。



(とりあえず……何事もなく丸く収まればいいんだけど…)



 実はそっと、溜め息をついた。


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