第14話 一筋の希望

「……。」

 一体どれだけの時が経ったのだろうか。

混濁したほの暗い意識の中、五感が麻痺しているのか何もわからず考える。

1時間?1日?1週間?1年?

自分は命を賭してデインを打ち破り竜となったのだろうか、それとも憎しみに駆られ破壊者となってしまったのか?

なにも出来ずにただ命を落としたのだろうか?

「……。」

 ゆっくりと思考を巡らせているうちに、意識がしっかりとしてくる。

右腕から尋常ではない痛みが伝わってくる。

まだ生きている、痛みによってそれを実感した。

では、どうなった?

「……。」

 目は開かない、開く程の余力はまだ取り戻せない。

しかし、聴覚が少しずつ戻ってきたようだ。

雨音、雷の落ちる音、そして何者かの高笑い。

いったい誰の声だっただろうと、ぼんやりとした思考の中で思い出そうとする。

「……。」

 次に戻ってきたのは嗅覚だった。

雨が降っている時の独特の湿気の匂いの中に、何か焦げ臭い匂いと鉄のような匂いが混じっている。

直前になにがあったか記憶が少しずつ戻ってくる。

 そういえば、爆発に巻き込まれた。

ならば、鉄のような匂いは自分の血液の匂いだろうか?

焦げ臭いのは爆発で周りのものに着火したから、だろうか。

「……。」

 他にもあった気がする。

爆発、血の匂い、子供達。

子供達?

「……?」

 次には視覚が呼び覚まされる。

うっすらと目を開けると、雨に濡らされた土が目に入った。

どんどんと蘇る痛覚により身体中が痛む中目線を緩慢な動作で動かすと、右腕の肘の手前から手にかけてがなくなっていた。

これは痛むだろうと、ディンは一人納得した。

「……。」

 最後に、身体を動かすという感覚がゆっくりと戻ってくる。

顔を動かしあたりを確認しようとすると、目の前で高笑いをするデインの姿が見えた。

剣を自らの目の前に刺し、両手を広げながら空を仰ぎ笑っている。

 高笑いの正体を知ったディンは、敗北の事実から苦しげに目を背けた。

「……?」

 しばらくあたりを見ていると、霞む視界にふと楕円形の物体が目に入った。

何か、黒い塊のようなものに全体の半分を覆われたもの。

残り半分は薄い橙色と赤色で、小さく白と黒が混じっている。

「……、……!」

 視界がはっきりとし、ディンはその物体が何かを認識した。いや、してしまったと言う方が正しいだろう。

「あ……、あぁ……。」

 声にならない声が溢れる。

その物体の正体が、強すぎる衝撃となって全身の痛みを消した。

それとともに、雨や血液とは違う、少ししょっぱい液体が頬を伝う。

「こ……。」

 雨に打たれた寒さでも、失血による体温低下でもなく身体が震える。

無造作に転がされているそれに、心臓を鷲掴みにされる。

 

心が、絶望の底へと沈んでいく。


「こうすけぇ!」

 大量出血で死にかけているとは思えないような声が空気を揺らした。

それと同時に、ディンは力の入らない身体を無理やり動かし、何度も転びそうになりながら立ち上がり、走る。

 そして、デインなど目に入らないと横を素通りし、ちょうどその物体の目の前で崩れ落ちるように転んだ。

「なんで……、なんでだよ!どうしてだよ!?」

 這いずるようにその物体に近づき、それを左手で引き寄せながら叫ぶ。

もう答えてくれないとわかっていた、もう笑いかけてくれないとわかっていながら。

ディンは、爆発で吹き飛んだのであろう浩輔の頭を抱きよせ叫んだ。

「どうしてみんなが……!どうしてこんなことに……!」

 その付近の地面は抉れ、円状のくぼみになっていた。

その中に四散している血と肉片、かろうじて形を残していた身体。

「うわああぁぁ!」

 浩輔を浩輔たらしめるものは首から上しか残っていなかった。

祐治を祐治たらしめるものは上半身、大志は右半身、大樹は左半身、陽介は下半身しか残っていなかった。

 時はほとんど経っていなかった、爆発が起きてからわずか1分。

ディンはもはやなにも見えていなかったが、結界は破壊されていた。

「……!」

 ディンは声にならない叫びを上げながら、浩輔の頭をキツく抱きしめながら泣いた。

 体育館は崩壊して鉄くずの塊となり、校舎はコンクリートの瓦礫と成り果て。

半径一キロ圏内の建物全てが崩壊し、半径五キロ圏内の人間はデインの呪いの力に犯され命尽きていた。

 そんな爆発の中、それに直接晒されていた子供達が断片とはいえ形を残していたのは、悠輔の魂の欠片の加護の力によるものだった。

ディンが生きているのも、竜神としての守護の力だけではなく、悠輔の魂の加護があったからだった。

 もしも悠輔の魂の欠片を分けず、一つにしていたら。

それでも死ぬことに変わりはなかったろう。

それほどにデインの放った魔力は膨大で、デインの呪いの力は強大だった。


「……。」

 ディンはもう声を出すこともやめてしまった。

声を出すということを忘れてしまったかのように、そもそもそんなものを持っていなかったかのように。

壊れた人形は、涙をひたすら流し続ける。

「さあ、別れの挨拶は済んだか?哀れな守護者よ。」

「……。」

「最早答える気力すら残っておらぬとはな。」

 悦に入り高笑いしていたデインは、人形のように動かなくなったディンに嘲笑を浮かべながら近づく。

「貴様も彼奴らの元へ送ってやろう。さあ、この忌まわしき世界へ別れを告げるが良い。」

「……。」

 嘲笑を浮かべたままディンの耳元で囁き、デインは暗黒に染まったその剣を振りかぶり、一瞬待った。

もう言葉を発する事もないであろうディンへの、最後の哀れみと言わんばかりに。

しかし……。

「‥…れ……。」

「ほう、まだ言葉を発する気力が残っておったか。」

 消え入りそうなディンの声。

デインには聞き取れなかったが、それで満足したのは剣を振り下ろす。

 ディンの竜の誇りと同じ形をした剣が、填っている宝玉と刀身が黒く澱んだその剣が、ディンの首を捉えようとした、その瞬間。

「黙れぇ!」

「!?」

 周囲の空気を割らんばかりの声が、ひどく冷たいディンの声が響いた。

「ぐっ!?」

 デインが振り下ろした剣が、どこからともなく現れたディンの剣によってはじかれ、そのまま握っていた右腕を消し飛ばした。

「ばか……な……!?」

 そして、竜の誇りがデインを一直線に通り抜けた。

光を纏い、闇のみを消し去るその剣が。

誰かを守る為に振るおうとディンが誓ったその剣が。

デインを、真っ二つに切り裂いた。

 切り裂かれたデインは、一瞬笑みを浮かべたように見えた。

ディンにその顔は見えていなかったが、まるで開放されたことを喜ぶような笑みを。

そして、最後に口がこう動いたように見えた。

ありがとう、と。

 そして、消えた。

「……、ごめん……。」

 ディンの涙はいつの間にか止まっていた。

涙などなんの意味も成さない、いくら泣こうと何も変わらないのだから、と。


 しばらくして。

 ディンは浩輔の頭を地面に置くと、止血だけをして兄弟達の欠片を集めだした。

浩輔の頭を中心に並べ、兄弟達の欠片が集まると今度は体育館の方へ。

源太や雄也、そして自分を受け入れてくれた人達の屍を集めだした。

 傍から見れば異様な光景だろう。

しかし、声をかけるものはいない。

 通報を受けやっとの思いでその場に駆けつけた村瀬は、ディンの姿を見つけて声を掛けようとし、やめた

否、出来なかった。

 あまりに凄惨な光景に、そしてディンの姿に。

「……。」

 ディンは村瀬が来ていることなど気づかず、手作業で屍を集めていく。

身体の痛みは尋常ではなかったが、それを気にする心が残っていないかのように。

魔力を使わずに、一人一人。

「ごめん……、みんな……。」

 全ての屍を回収し終わった頃には、すっかり陽は沈んでいた。

太陽が沈み、新月で何にも照らされる事のないどんよりとした暗闇の中。

 ディンが魔力で灯した炎だけが、あたりを暖かく照らすだけの世界。

今のディンにとって、炎に包まれた世界だけが全てだった。

「みんな……。」

 全てを終え、再度屍達を見つめるディン。

兄弟達の屍の上に、悠輔の魂の欠片を乗せた。

「ほんとにごめん……。」

 そう呟くと、ディンは左手を目の前に翳した。

もう流すまいと、もう流れまいと思っていた涙が、止めどなく頬を流れていく。

「完全開放……。竜神王術・真竜炎!」

 叫ぶようにディンは唱えた。

魔法陣が屍を囲うように形成されると、あたりを照らしている炎とは比べ物にならない程の蒼い火柱がたちのぼり、屍を焼いていく。

 ディンの腕の刻印はその炎を伸ばし、左腕を超え左半身全体を覆った。

「……。」

 流れる涙が炎で乾いていく。

ディンの目には、もうゆく兄弟達が写っていた。

決して目を背けまい、決してこの光景を忘れまい。

そう誓うディンの頬を、涙が流れては乾きゆく。

「……、みんな……。」

 炎が消えると、そこには手のひら大の淡く輝く宝玉が一つ。

ディンの手に包まれる小さな光は、魂の宝玉。

真竜炎によって肉体を焼かれた者達の生きた証。

それを特別な術式で一つに纏めた魂の結晶。

「……。俺は戦うよ、今度こそみんなを守る為に。だから、今はごめん。」

 魂の結晶を握りディンは誓う。

それは、新たなる苦悩と絶望への道。

そして、一筋の希望と幸せを照らす道。

一人で行かなければならない、孤独の道。

「俺の意思が弱かったから……。俺がもっと、覚悟をしてれば……。」

 許して欲しいわけではない。

この言葉は、自らへの戒めなのだ。

 決して。

決して意思を揺るがす事無く、決して同じ過ちを繰り返さないための。

「竜神王術・時空超越」

 そう唱えると、ディンを眩い光が包み、消えた。

それと同時に、この世界のこの時間軸は、終息を迎えた。

 世界はもう一度同じ時を繰り返すだろう。

しかし、そこにディンアストレフは存在しない。

坂崎悠輔も存在しない。

 ディンは選んだ。

自分が過去に戻り、未来を変えることを。

それによって孤独になろうと、それによって絶望しようと。

全てを守り通すという、途方もない決意を実現するために。

 それはとても苦しいものだろう。

自らが慕い愛したもの達は、ディンの存在を知らない。

この世界の結末も、そこに生きた人々の証も。

 孤独。

しかし、それは己に課した罪と罰。

2度目の時空超越は使えない。

使えたとしても、ディンはその選択を選ぶことはない。

 例え孤独でも。

愛する人を守り、傍にいたい。

それがディンの唯一であり一番の願いなのだから…。


……。

……、……。

 ほの暗い意識という空間の中、一筋の光がとある場所を照らす。

そこには一人の少年が眠っていた。

 それは意識という世界の主ではなく、その中にいるもう一つの魂だった。

坊主頭の少年は丸まって眠っていたが、光が射しているのに気づくとびくりと身体を震わせ目を開ける。

 そして、緩慢な動作で身体を起こし胡座をかいて座ると、ほの暗い空間の先に目を向け笑う。

「なあディン、お前はそれで良かったのか?」

 少年……、悠輔は笑いながら語りかけると、よいしょとつぶやき立ち上がる。

悠輔は裸だったが、この空間の中は熱くも寒くもなかった。

「お前は一人で頑張りすぎなんだよ……。」

 笑いながら歩き、ある場所で止まる。

悠輔の足元には、また別の少年が眠っていた。

ツンツンに尖った癖のある茶色の短髪の少年は、度重なる疲労で倒れたのか無造作に捨てられたかのように眠る。

「なあ、ディン……。」

 悠輔はディンの横であぐらをかき、ディンの頭を撫でる。

ディンは血と汚れに塗れ、右腕がなくなっていた。

なにがあったのかはわからない、しかしなにが起きたのか想像はつく。

「頑張ったな……。」

 優しく語りかける悠輔。

頭を撫でていた手を頬に添え、微笑みながら口を開く。

「ほんとは休んで欲しいんだけどな、それじゃ納得できねえんだよな?」

 心なしか言葉に悲しみが滲む。

本当は戦ってなど欲しくない、これ以上傷ついて欲しくない。

でも、ディンはきっと戦うことをやめない。

それがよくわかっているから、悠輔は止めようとはしない。

「みんなのこと守ってくれるって、俺は信じてるからな。」

 悲しそうに呟く悠輔。

知っている。

ディンが時間を逆行してまで叶えたい願いを。

 そして、それを達成してしまえば、自分の存在を知るものは誰もいなくなってしまうことも。

無論、ディンは覚えていてはくれるだろうが。

最愛の弟達の中から、自分の存在は消えてしまう。

「俺は別に消えてもいい、それでみんなが幸せになれるなら……。」

 悠輔の頬を涙が伝う。

本当は辛い。でも、悠輔の決意は硬かった。

 きっとまたディンとともに、弟達に出会うだろう。

そしてその時には、自分ではない誰かが自分の立ち位置にいるのだろう。

 本当は嫌だ。

でも、その叫びは届かない。

「だから……。」

 非想に胸を締め付けられ、言葉がでなくなる。

自分の希望が、自分の願いが、ディンを苦しめてしまうと知っているから。

その願いが、多くの苦悩を生み出してしまうことを知っているから。

「だから、幸せになってくれ……。」

 しかし、願わずにはいられなかった。

「お願いだ……、みんなで……。」

 嗚咽を含む声でそう言うと、悠輔はディンにキスをした。

「……。」

 ずっとこのままでいたいという想いを胸の中に押し込み、悠輔は唇を離した。

そして静かに微笑むと、最後に一筋の涙を零す。

「……。」

 体から力が抜けていき、瞼が重くなる。

欠片になってしまった魂では、これくらいの事しかできない。

 悠輔はディンの隣で眠る。

涙の跡を残し、微笑みながら。


 ……。

混濁していた意識が少しずつ覚醒し、ディンは静かに目を開けた。

 しかし、まだモヤがかかっている。

寝起きの時のような、そんな感じに。

「……。」

 しばらく動かずにいると、意識がはっきりとしてきた。

ここがどこなのかを理解し、自分がどうしてここにいるかを思い出す。

「悠輔……。」

 隣で眠る悠輔の寝息を聞くと、ディンは身体を起こしてその方向を向いた。

「こんなところで寝やがって、風邪ひいても知らねえぞ?」

 そう笑いながら、ディンは目をとじて想像した。

暖かい日の入る綺麗な部屋を。

「……、よし。」

 目を開けると、そこは白を基調とした綺麗な部屋だった。

窓からは淡い日差しが入り、柔らかいシーツを引いた白いベッドがある。

「……。」

 ディンはそこに悠輔を寝かせると、掛け布団をかけてから悠輔の頭を撫で、涙の跡を拭いた。

「ありがとな。」

 そして、悠輔にそっとキスをした。

意識を失っている間のことを覚えていたわけではない。

しかし、そうしたかった。

「……。俺、頑張るからな。」

 静かに唇を離すと、ディンは一言つぶやき、光となって消えていった。


 ここはディンアストレフの意識の世界。

主であるディンは、肉体が意識ある時にはここに来ることはできなかった。

 しかし、今なら。

悠輔に会う為に、いつでも来ることが出来るだろう。

ここは、2人だけが知り、2人だけが訪れることが出来る場所。

 そして、ディンがその気になればいくらでも居られる場所。

それは、ディンの心一つ次第なのだから…。


 守護者の物語 ―完―

そして、物語は継承者へと受け継がれる。

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守護者の物語 悠介 @yusuke1994

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