守護者の物語
悠介
第1話 始まりの影
「続いてのニュースです。千葉県松戸市で起きた殺人未遂の容疑者は未だ見つからず、被害者の坂崎悠輔君は怪我の治療を終え退院したそうですが、警察関係者の警戒により取材等をできていない状況にあるとのことです。犯人の特徴は……。」
若い女性アナウンサーがニュースを読み上げている途中、テレビは電源を切られ沈黙した。
消えたテレビに反射する広すぎるリビングには、朝食を取りながら眉間に皺を寄せている坊主頭で体の大きめな少年が一人。
少年はため息を吐くとトーストを一気に口にいれ、珈琲で流し込みながら立ち上がる。
6月のジメジメした陽気にイライラしているのか乱暴にワイシャツに袖を通した少年は、もう一度ため息を吐くと玄関口に向かう。
そして靴を履こうとしてふと左腕を見ると、包帯を巻くのを忘れていた事に気づく。
少年は左腕に怪我をしているわけではなかった。
しかし、包帯を巻かなければならない理由があった。
「まったく…。1ヶ月くらいしか経ってねえってのに……。」
苛立ちを隠さない、まだ少し高めの声。
見た目とのギャップに驚かれる事の多いその声は、しかし苛立ちで威圧感を漂わせる。
「普通殺されかけて1ヶ月で学校なんぞ行くか?村瀬さんも頭おかしいんじゃねえの?」
他に声を上げる者がいない広い家の中をドスドス音を立てて歩く少年、その脳裏には村瀬という刑事の言葉が浮かんでいた。
(坂崎くん、君は学校に行きなさい、道中は警察が警戒しているし学校の方が安全なのだから。)
刑事は真顔でそう言ってのけた。
それが少年を苛立たせている原因の一つである事は間違いないだろう。
「転校初日からざわつかれんのも嫌だけど、哀れんでくる奴がいたらぶん殴ってやる。」
忌々しげに左腕に包帯を巻きながら、少年は独り言をブツブツと言い続ける。
ぐるぐると巻かれ隠されていく素肌には、少年が物心付いた時からある「アザ」があった。
不思議な形の、刺青でも掘ったようにくっきりと形の浮かんでいるアザが。
「包帯取れって言われてもぶん殴る。さぁ、行かないと……。」
3度目のため息をより深く吐き出し、少年はジメジメと湿った空気へと足を踏み出した。
「さて、ちょっと時期はずれなんだけれど今日からみんなと一緒に学ぶ転校生が来てくれました。坂崎君、入ってきて頂戴。」
松戸市の中学校の1年の教室で、HRを始める前にとふくよかな女性の担任がドアを開いた。
「どうも、坂崎悠輔って言います。」
時期はずれの転校生という話題にざわつくクラスの中に入った悠輔は、無表情のまま挨拶をする。
坊主頭に高身長、筋肉質な体と中々に威圧感があるが、目は丸みを帯びていて、本来は優しい瞳をしているのだろうと思える。
「諸事情あって転校してきました、よろしく。」
「坂崎くんは色々と複雑な事情があるので、無理に聞こうとしたりしないように。じゃあ……、綾野君の隣でいいかしらね、一番はしっこがいいんでしょう?」
「はい。」
無愛想極まりない口調でざわつくクラスの中を歩いていき、窓側の端一番奥の席に座る悠輔。
右隣には興味津々といった風の坊主の男子が悠輔の方を向いており、前の席は空いていた。
(こいつらも俺と関わったら……)
心の中でどす黒い気持ちが沸き起こる。
双子の兄も弟も、母とも離れて生活を初めて一週間、ずっとそればかりがぐるぐると回っているのに未だ。
「あ、俺綾野源太。よろしくな坂崎!」
「……。」
HRが終わってすぐ、隣の男子が話しかけてきた。
源太は手を差し出して握手をと求めるが、悠輔は頬づえをついて校庭を興味なさげに眺めていた。
「あ、あのさぁ。」
「……。」
少し怒ったような声に反応し悠輔は源太を一瞥するが、やはり興味がないかのように視線を外す。
「おい!無視すんなよ!」
「……。綾野源太、ね。んで、なんか用?」
「はぁ!?挨拶してんだから無視すんなよ!」
キレ気味に声を荒げると、悠輔はチラリと源太の方を向きながら苦々しげに笑う。
「はぁ、なんでわざわざ挨拶しなきゃいけねんだよ。忠告しとくけどお前、俺と関わると殺されるかもよ?」
悠輔は怒りを顕にしている源太を鼻で笑い、ゆっくりと立ち上がってそのまま教室を出て行ってしまう。
「な、なんだよあいつ…。」
不完全燃焼で残された源太は眉間に皺を寄せながら呟く。
するとそこに小さめの男子がよってきて、源太に声を掛ける。
「ねえ源太、坂崎ってあの殺人未遂の被害者じゃない?」
「あー近所で起きたっていうあの…。じゃああいつ、避難の為に?」
「どうなんだろう?でも、殺されるかもって事はそうなのかもよ?」
メガネの奥から臆病そうな目を覗かせ少し機嫌をとるようにして話す男子を尻目に、源太は悶々と頭を悩ませていた。
「だから学校なんて…。意味ないですよ村瀬さん、あいつら狙われたらどうするんです?」
「それは問題ないよ坂崎君、学校にまで来るならどこにだって現れて君を殺しているはずだ。」
校門の前まで歩いて来た悠輔は、スーツを来た痩身の男性村瀬に声を掛ける。
村瀬は悠輔が来るのがわかっていたようで、さあ待ちくたびれたよとばかりに近寄り、悠輔の頭を撫でてみせた。
「だからあいつは言ったんですよ、俺は殺さないって。」
「ならば平気だろう?」
そういうことじゃないと悠輔はイライラする。
誰にも話をしていないが、襲われた時犯人に言われた言葉がどうしても頭に浮かんでしまう。
「君は殺さないよ、君はね。」
犯人は痛みに呻く悠輔の耳元にねっとりとした言葉を残し消えてしまった。
なぜそんな事になったのかは検討がつかないが、悠輔はその言葉を周りの人間を殺すといっている風に聞こえた。
だからこそ、ろくに入院もせずに病院を出て、母に頼み込み一人で暮らす事にしたのだ。
母は最初は驚き否定したが悠輔のあまりの必死さに首を縦に振り、幼少時に亡くなった父親が建てそのうち引っ越す予定だったという豪邸に悠輔一人で暮らす事を許した。
誰かと仲良くなればその人が狙われる、ならば一人でいれば誰も狙われない。
悠輔の出した結論はそこにあった。
「坂崎くん、そういえば気持ちのほうはどうだい?」
イライラを隠さず黙る悠輔に対し、村瀬は対して気にかけていない風に疑問を投げかける。
「薬飲んだって何も変わりません、相変わらずですよ。」
無愛想に答える悠輔。
悠輔は幼少の頃より、不思議な現象に悩まされていた。
それは、自分以外の記憶が突然頭の中に浮かんできて、不思議な声がするというものだった。
声は赤ん坊か女性のもので、記憶は決まって女性に抱かれて眠りにつく場面だった。
それとは別に、何かのうめき声が聞こえることもある。
怨嗟の声というのが正しいのだろうか、ホラー映画でゾンビや幽霊が出すうめき声のような音が時々聴こえてくるのだ。
「では今度別の病院に……。」
「行きません!俺のこれはどうしようもない!」
病院、という単語に思わず大声を上げる悠輔。
自分は病気じゃない、精神なんて狂ってないとずっと言い聞かせて生きてきたのに、それを簡単に否定されたような気がして。
「そんな事は…。」
「行かねえっつってんだろ!父親でもねえんだから黙っててくれよ!」
食い下がって来る村瀬に思わず怒鳴り声を上げる。
もうずっと聞こえてきているものだし、そもそも病院でも原因は分かっていない。
精神疾患かなにかだと安定剤を処方されてこそいるが、それでも聞こえてくるのを知ってからは薬を飲んですらいない。
「俺は精神病なんかじゃねえ!どいつもこいつも分かりもしねえで知った口聞くな!」
「坂崎君…。」
吐き捨てるように怒鳴って中に戻る悠輔。
そんな悠輔を、村瀬は複雑そうな顔で見つめるが、追おうとはしなかった。
「……。」
昇降口で一人拳を握り締め息を荒くする悠輔。
何回も同じ事を言われてきて、何回も哀れに思われはれもの扱いされ、すさんでしまった心を癒してくれる家族とも距離を置いてしまった。
「もう俺は……。」
一人でやっていかなければならない。
もう帰ろう、一人であの家で過ごしていこうと悲しげに心の中で呟く。
「なあ、坂崎!」
「……?」
「あ、あのさ…。」
教室に戻りさっさと荷物を持った悠輔、そんな悠輔を廊下に出てから呼びとめる声。
悠輔が気だるそうに振り向くと、そこには目をそらし気まずそうにしている源太の姿が。
「なに?」
「あの……、その……。」
「言わねえなら行くけど?」
なにが言いたいかわかったような気がした悠輔。もういいよと首を振りながら振り返り、歩き出す。
「ま、まってくれよ!」
「……。」
「ごめん!俺、お前がどんな思いしてきたのかなんも考えてなくて!」
歩き出した悠輔を走って追いかけ、左腕を掴んで大声を出す源太。
顔から耳から真っ赤にしている所から、恥ずかしさや申し訳なさを堪えてなんとか言葉を絞り出したことが伺える。
「……。あのさ、謝ることじゃねえよ?」
「そ、そんなこと…。」
「俺は一人でいなきゃいけない人間なんだ。それなのにこんなとこにきてお前ら危険にさらして、挙句の果てに逆ギレしただけなんだからさ。綾野が謝ることじゃねえし、俺はもう来ねえから安心してくれよ。」
振り返ることなく、言葉を返す間を与えずにそう言い切る悠輔。
覆る事のない拒絶、しかし何故かどこかに温かみを感じる言葉。それに源太は気づいてしまった。
言いたくていっているわけではない、そう言わなければならない理由がある、と。
「坂崎、もしかして……。」
「なあ綾野、お前を信用して話をする。だからこっちこい。」
「お、おい坂崎!」
振り向きもせず、戸惑い手を離した源太の腕を逆に掴んでぐいっと引っ張る悠輔。
そのまま外に出ると、複雑そうな顔をしている村瀬に目でついてきたら許さないと訴え、学校近くの茂みまで源太を連れ込んだ。
「な、なんだよこんなとこで……。」
「なあ綾野、さっき信用するとか言っといて変なこと聞くけど、俺はお前を信じてもいいか?会って間もないお前を、でも俺を受け入れようとしてくれたお前を?」
「お、おう……。」
茂みの中で源太の肩をがっしりと掴み、真剣そのものといった目で源太をじっと見つめる悠輔。
源太はその眼差しにタジタジになりながら、しかしその質問に是と答えた。
「俺が1ヶ月前に何をしてたかは知ってるな?」
「おう……。襲われたって、」
「そう、襲われた。犯人は俺を殺せたんだ、右腕をナイフで切られて俺は痛みで動けなくなってたから。でも殺さなかった、なんでだと思う?」
「殺す気が、なかったから、か?」
まくし立てるように言葉を放つ悠輔。
なるべく早く伝えて源太を戻さなければと焦っているような、それとも元々なのか。
「そうだ、あいつは俺を殺す気がなかったんだ。それであいつはいなくなる前にこういった、君は殺さないと。俺はそれを俺の回りの人たちの事は殺すっていう宣言だって思った、だから一人にならなきゃいけなかった。学校には警察に言われてきたけど、学校で仲良くなった全員に警察が貼り付けるわけがねえんだ。」
「え、ちょ、ちょっと待ってくれよ!?」
荒波のように押し寄せる言葉に理解が追いつかない様子の源太、目を白黒させてストップを掛ける。
「わりい、できるだけ短くしてえんだ。」
「えーっと、坂崎は命を狙われてるわけじゃなくて、坂崎と仲良くなったやつが命狙われる可能性があるって、そういうことだよな?なんでだ?」
「それは俺にもわかんねえ…。心当たりはあっけど、これだっていう理由がねえんだ。だから一人で過ごすのが一番……。」
「でもそうしたらいつか坂崎が殺される可能性だってあるだろ!?」
行き着く一つの可能性。
あったばかりとはいえ、正義感の強い源太にはその可能性が示唆されること自体が許されないようだ。
例えそれが想像や妄想の類だったとしても、しかしそれが現実になってしまうような気がしてしまう。
「それは……。俺はそれで誰も殺されないならそれでいいんだ。それで本当に大事な人が守れるなら、どうせ殺されるならそれくらいはしたい。」
「そんな……、坂崎が死んだからって手をとめるとは限らないじゃんか!」
「そりゃそうだけど、なんとなくそんな気がするんだ。俺を殺さずに回りに手をだすって事は、俺が死んだらなんかしらの計画みたいなものがダメになるんじゃないか、ってさ。」
悠輔は寂しく笑って見せる。
12歳の考える孤独や誰かを守るという事は軽いことかもしれない、中身のない漠然としたものかも知れない。
しかし1度命の危機に陥った悠輔の言葉には、嘘偽りない信念のようなものが感じられた。
「そ、そんな……。」
「ごめんな綾野、誰かに話して自分の決めた事から逃げないようにしたかったんだ。村瀬さんなんかに言ったってあっさり聞き流されるだけだしさ。」
同じ年のはずなのに、同じ程度の子供のはずなのに、見えているものが違いすぎる。
源太は衝撃とともに何か嫉妬心のようなものが心に滲んでいる事に気づき、それを恥じた。
「じゃあな綾野、お前は今日聞いた事忘れろ。そうすりゃ平和に生きられる。」
「……。なあ、坂崎……。」
「なんだ?」
少し時間がたって、場所は昇降口。
結局話が発展することはなく、悠輔が終息を告げ2人は戻ってきた。そして悠輔は村瀬に帰る事を伝え、改めて荷造りをしたのだった。
「あの、さ。こんなこと、いうのは、あれだけど……。」
「なんだよ、歯切れわりいな。」
「あの、その……。犯人、捕まったらさ。事件、終わったらさ。お祝い、させてくれよ!俺、お前が無事に生きてるの、願ってっからさ!」
源太の申し出に目を丸くして驚き、ハハと笑う悠輔。
「綾野……。ありがとな源太、また会おう。」
「え?お、おう!死ぬなよ、悠輔!」
何故か信じていい気がした、初めてあったはずなのに。だからその証として、名を呼ぶ。
源太は心底嬉しそうに笑い、しかし泣きそうになりながらそれに応えた。
「じゃあ坂崎君、帰ろうか。」
「歩いて帰ります、ついて来るなら後追いでもしてください。」
「それはいけない……。」
「一人にさせてくれ!」
昇降口を出てすぐに村瀬が声をかけてくるが、それを拒絶してさっさと歩き始める悠輔。
「村瀬警部、あんな子供のわがままに……。」
「いや、構わないよ。彼はあの年で辛い思いをたくさんしているんだ、わがままの一つ聞き入れながらでも守るのが私達の役目だろう。」
「はぁ……。」
さっさと歩き去る悠輔を横目に見つつ、パトカーから出てきて苦言を呈する後輩をたしなめる村瀬。
その目にはわがままを言われたという憤りは欠片も感じられず、ただ哀れみや非想を思わせる何かがあった。
(家族に引き止められても強引に決めたのに、なんで今日あったやつに気持ち動いてんだよ……)
一人歩きながら心の中の揺らぎに戸惑う。
15メートル後方に村瀬がいる事に気づいてはいたが、気に留める気にもなれないようだ。
(俺は一人で……)
生きていき、そしていつか殺されて全てを終わらせる。
そう決意したはずなのに、簡単に揺らいでしまうのはやはり子供だから、なのだろうか。
そもそも源太がいうように、自分が死ねば全てが終わるかどうかすら定かではない。なんの確証もない憶測で殺され、その後に守りたい人たちが殺されてしまっては意味がない。
(一人で……?一人で生きて、それでも誰かが殺されたら……?俺は身を張って守らなきゃいけないんじゃないのか……?)
暖かい心を拒絶する苦しみ、孤独になる事への恐怖、孤独になってからの虚無、犯人への憤り、色々な感情が悠輔の決意を曇らせ、揺らがせる。
「はぁ……。」
トボトボと、まだ覚えたばかりの通学路を一人、肩を落として気だるげに歩く。
今日からまた一人だとため息をついていると、持っていた携帯電話のバイブレーションに気づいた。
「ん?母ちゃん?」
着信は母からのようだった。
一人になってから1度もかけてこなかった母、暫く落ち着くまでは待って欲しいという言葉を受け入れてくれたはずの母からの着信に、何か嫌な予感を感じる。
胸がざわつくような、虫の知らせを受け取ったような。
「もしもし?」
「……。」
「もしもし?母ちゃん?」
電話に出て母を呼ぶも、向こうからは何故か乱れている吐息だけが聞こえてくる。
運動でもしていたのだろうか?しかし運動直後に電話をかけてくる理由があるのだろうか?
嫌な予感が的中した気がした、何か漠然とした焦りに心臓を鷲掴みにされ脈が早くなる。
「母ちゃん!返事してくれ!」
「……。ゆう、ちゃん……。」
「母ちゃん!どうした!」
電話口に怒鳴ると、やっと返ってきた言葉はやはり普通ではなかった。
苦しげな途切れ途切れの声、聞いた事もないような悲痛な呻き。
「母ちゃん!」
「ゆう、ちゃん……。こう、ちゃんたち、を……。」
「母ちゃん!今すぐいく!」
「だめ……。来ては、いけない……。」
「嫌だ!」
息も絶え絶えに言葉を絞り出す母の声を聞き、いてもたってもいられなくなる悠輔。
後ろの村瀬に頼れば良かったものをそのことに気づく気配も見せず、携帯を通話状態のまま握り締め走り出した。
「さ、坂崎君!」
そんな悠輔を後方から監視していた村瀬は、走り出した悠輔を呼び止めるもその声は届かない。
更に後ろからゆっくりと追いかけてきているパトカーに向い走り、すぐに乗り込んだ。
「入栄君!彼を追うんだ!」
「はぁ、またなぜ?」
「母親の事を怒鳴るように呼んでいた、恐らく彼の母親に何かがあったんだろう。」
「なる程……。サイレンは出しますか?」
間延びした声を出す警官にいらつく村瀬。
それに応える事もなく、さっさとサイレンをいれ赤色灯を点灯させた。
「早く!彼はああ見えて陸上選手並みの速さで走るらしい、どこかで見失えばおおごとになりかねない!」
「りょ、了解しました。」
冷製沈着と言われる村瀬が声を荒らげた事に驚きつつ、入栄は急いでアクセルを踏み、悠輔を追い始めた。
しかし道が入り組んでいるためスピードを出せず、あっという間に悠輔を見失ってしまった…。
「はぁ、はぁ。」
走り出して7分ほどで家に着いた悠輔は、本来操縦など出来るはずのない車のキーを取り出し、ワゴン車のエンジンをかけた。
「まさか、こんなとこで、役立つなんてな。」
悠輔は運転の仕方を知っていた。
母親が何故か悠輔に運転を教え、田舎に帰っては小学6年生から運転を仕込んでいたからだ。
(母ちゃん、もしかして?)
こうなる事をわかってたんじゃないだろうか、そんな疑問が頭をよぎる。
幼い頃から武道を学ばされ、小学生からは家事を一通り覚えさせられ、高学年には車の運転を教わり。
それが変だとは気づいていたが、将来役にたつからという母親の言葉をあまり深く考えずに受け入れていた。
(とにかく今は急がないと……!)
今はそんなことを思い出してる暇はない。
手際よく所作を終え、急発進で車を走らせる。
その直後にパトカーが到着し、ワゴン車に悠輔がのっていると直感的に察した村瀬が入栄に車を追うように怒鳴りつけ、中学生と警官のカーチェイスが始まった。
「坂崎君!止まりなさい!」
パトカーのスピーカーから村瀬の必死の声が響き渡る。
速度違反ぶっちぎりのワゴン車の後ろをサイレンを鳴らしたパトカーが追いかける構図、誰がどう見てもワゴン車を止めようとしているのがわかる。
「坂崎君!止まりなさい!止まって状況を説明してくれ!」
(ごめん村瀬さん……。でも今止まったら!)
取り返しがつかない事になってしまう気がする。
だから止まれないんだと、悠輔は心の中で村瀬に謝罪をした。
「止まる気配ないどころかどんどん危険運転になってます!」
「そんなことはわかってる!しかし彼が何もなくそんなことをするとは思えない、きっと何か急がなければいけない理由が……。」
「しかしこれでは!」
「それもわかっている!だから私達が止めて彼を目的地まで連れて行かないと!」
パトカーの中で怒鳴り合う2人の刑事。
前方を信号も何もかも無視して突っ走るワゴン車を見つめ、焦燥に駆られながら追いかける。
村瀬は悠輔をよく知っているわけではない。
しかし、家族のためと自分を犠牲にするような少年が、意味もなく暴走するとはとてもではないが思えなかった。
「入栄君!彼の実家へ先回りできないか!」
「恐らく出来ます!」
「ならば頼む!彼はきっと母親のところに向かっている!」
「はい!」
追いつくための手段に気づいた村瀬は、入栄に指示を出し目を瞑る。
悠輔をそこまで駆り立てる緊急事態とはなんなのか、そもそもなぜ12歳の少年があんな運転技術を持っているのか。
頭をよぎる1ヶ月前の出来事と、今回の悠輔の暴走。
結びつけるのは容易なことだった。
「母ちゃん!」
10分もかけずに母と兄弟が住んでいる家にたどり着いた悠輔は、不自然に空いていた玄関から飛び込むように入り、違和感に気づいて叫ぶ。
何か異様な気配がする、そして嗅ぎなれない異臭が漂う。
第六感が緊急事態を告げ、行動と思考を止めないようにとアドレナリンが分泌される。
「かあ、ちゃん……!?」
まずはここからと飛び込んだリビングで、悠輔は母親を見つけた。
「どうして…、どうしてこんなことに…!」
「……。」
血にまみれ、地に伏す母親の姿を。
そしてあたりに飛び散った異様な量の血痕を。
「母ちゃん!」
「……。ゆう、ちゃん……?」
「母ちゃん!なんで!どうしてこんなことに!」
悠輔は条件反射的に母親の元に駆け寄り、抱き上げる。
母親は辛うじて意識が残っていたのか、うっすらと目を開け悠輔の名を呼んだ。
「ゆう、ちゃん……。あの、絵の、裏……。」
「しゃべんな!今村瀬さんたちが追いついて来るから!だから、だから!」
「ゆうちゃ、ん。ごめんね……?ゆ、うちゃ、んに、ぜん、ぶ……。」
「しゃべんな!今、いま血ぃ止めるから!」
刑事ドラマで見るセリフを吐き、腹部に深々と空いた穴を片手で抑える。
本来ならパニックに陥っていただろう、いやパニックに陥っているのだろう。
しかし、ここで思考を止めれば母が死ぬ、それが分かっているから止まる事は出来ない。
「ゆうちゃん……、あな、たの……。おか、あさん、で、いれ、て、よか……。」
「母ちゃん!大丈夫だいま村瀬さんが!」
母親は最後の力を振り絞り、悠輔の頬に手を添え笑う。
そして。
「……。」
「母ちゃん!死んじゃやだ!かあちゃあん!」
「……。」
だらりと垂れる手、力を失い落ちる首。
中学生にもなれば理解できる、死という現実。
「うわああぁぁぁっぁぁぁぁぁ!」
「坂崎君!?」
やっと辿り着いた村瀬と入栄が見たものは、無残にも変わり果てた暖かい家庭を築いていたのであろうリビングと、その真ん中で泣き叫ぶ悠輔。
そして、その腕に抱かれて静かに眠っている母親の姿。
「坂崎君!何があったんだ!」
「むらせ、さん……!母ちゃんが……、母ちゃんがぁ!」
「……。落ち着くんだ悠輔君、君がたどり着いたときお母さんはもう今の状態だったかい?」
「ひっぐ、まだ、生きてて……。それで、俺……。」
村瀬が悠輔の肩を掴み、問いかける。
悠輔は泣きながらも問いに答え、また涙で言葉がでなくなってしまう。
「悠輔君、いま苦しいのはわかる。でも、お母さんは何か言っていなかったか?君に何かを伝えなかったか?」
「母ちゃん、俺のせいで、俺のせいでぇ!」
優しく問いかけるも答えられない悠輔。
当然だろう、母親が惨殺され息を引き取る瞬間を見てしまったのだから。
そしてなにより、自分が命を狙われたことと関係がある事を分かってしまっているのだから。
「悠輔君……。」
村瀬は迷う。
もしも悠輔が犯人の特徴を聞いていたり目撃していれば、すぐに捜査に回り2次被害を食い止めれらる可能性がある。
しかし、目の前で泣き叫ぶ子供にそれを伝えるほどの冷静さがあるのか、冷静にしてしまっていいのか、と。
「……。」
そして、一つの答えに辿りついた。
「悠輔君!いま君が泣いていたら、また大切な人が殺されてしまうぞ!お母さんが息を引き取る前に伝えたかったことは、これ以上誰も死なぬようにと振り絞って話した言葉じゃないのか!君はお母さんを無駄死にさせるつもりか!」
こんな言葉を吐く権利がないことくらいわかっている。
家族にも警備をつけていれば防げていた、助けられていた。
しかし、今はこうなってしまった以上次の犠牲者を出さないように行動するしかない。
「……。そうだ、これ以上、誰も、殺させやしない……。」
そういって悠輔は母を床に寝かせてからフラフラと立ち上がり、リビングに飾ってあったどこか古風な城のような建物が描かれている大きな絵を持ち上げ、外した。
「母ちゃんが言ってた、絵の裏って。だから、そこになんかが、ある。」
大きな絵を投げ捨てその裏を見ると、金庫のような小さい隠し扉が。
悠輔が取っ手に手を掛け思い切り引っ張ると、木製の扉は簡単に開いた。
「これは……。」
中には何通かの封筒。
読む順番や誰に読ませるべきかまで表に書いてあり、一通だけ誰にも読ませないようにと書かれているものもあった。
「村瀬さん、これ……。」
「私に、かい?」
何通かのうちの一つには、警察関係者へと書かれていた。
悠輔はそれを村瀬に渡すと、誰にも読ませないようにと書かれた封筒を学ランの中に隠し、1番目と書かれた封筒を開けた。
「……。悠輔君、まさか……。」
「ごめん村瀬さん、俺行きます。」
「ダメだ!これ以上君を危険にさらすわけには!」
「いかなきゃいけないんです!村瀬さんは他の家を!」
村瀬の静止を怒鳴り声でかき消す悠輔。
母の身体に触れていたことで付着した血に濡れた便箋には、こう書かれていた。
坂崎、荒井、河野、佐野妻の子供達を守れ。
子供達をあの屋敷に。
と。
「ごめんなさい、後でいくらでも説教聞くから!」
「坂崎君!」
「村瀬警部!止めなければ!」
「…。いや、私達は私達のやるべきことをやろう。入栄君、今すぐ本庁に連絡し人員を。これは予期されていた連続殺人事件だ。」
「は、はい!?」
「いいから早く!警官を向かわせ次第我々は坂崎君を追う!」
村瀬は便箋を握りつぶしながら怒鳴る。
そこには、今日この時間に自分が殺される事、そしてその他に殺される人間と生き残る人間の名前が書かれていた。
「なぜ分かっていたのに……。くそ、今はそれを考えている暇はないかっ!」
まるで予言されていて、それを受け入れていたかのように眠る悠輔の母の姿を怒りを顕にして睨む村瀬。
入栄が本庁に連絡をいれた事を確認し、急いでパトカーに乗り込んだ。
「みんな、無事でいてくれっ!」
一方の悠輔。
泣くことも悲しむことも忘れてしまったかのようにその目は見開いており、ワゴン車を飛ばして近所の中学校へと向かっていた。
傍らには先ほどの便箋、4つの家族の子供たちを守れと書いてあるものが。
そこには名前の指定まで入っていて、何故か悠輔はそれ以外の家族は殺されていると考えた。
(急がないと!)
自分がつい最近まで通っていた中学校へとたどり着いた悠輔は、血濡れのまま驚異的な速度で自分がいたクラスへとたどり着いた。
「浩輔!今すぐこい!」
「え!?ゆ、ゆう!?」
「悠輔、どうしたんだ!?」
「いいからこい!話は後でだ!」
そこには双子の兄浩輔や元クラスメイトがいて、突然血濡れで現れた悠輔に驚く。
しかしそんなことを意に返さず、悠輔は浩輔の手を掴み思い切り引っ張って教室から連れ出した。
「ゆ、ゆう!どうしたの!?」
「母ちゃんが……。母ちゃんが殺された……!」
「え…!?」
「母ちゃんが殺された!だからお前たちを安全なところまで連れて行かなきゃならない!」
廊下を思い切り走りながら怒鳴る悠輔、理解できずに思考を停止したままなすがままにされる浩輔。
学校を出てすぐのところに止めてあるワゴン車に浩輔を無理やり乗せ、運転席に座り急発進で車を出す悠輔。
「ね、ねえゆう、母ちゃんが、殺された……?」
「そうだ…。今から裕治と、昔っから仲良かったチビ達も乗っける。」
「そんな……、嘘、だよね?」
「嘘じゃない。……、ごめん、浩輔……。全部、俺のせいなんだ……。」
「そん、な……!」
悠輔は悲しむ事を忘れたように淡々と語る。
否、悲しみに暮れてしまったら終わりだと理解している。だからその部分の思考をやめ、やるべきことだけを考えている。
「なんで……、どうして……。」
「……。」
隣で泣く浩輔を横目に見て、一瞬苦しみに支配されそうになる。
しかし、いまそうなってしまっては全てが手遅れになる。だから今は、行かなければならない。
「裕治!大志と大樹連れて今すぐ校門にこい!」
「え!?悠にぃなんでここに!?」
「話は後だ!今すぐ連れてこい!」
「う、うん!」
中学校からほど近い小学校にたどり着いた2人。
浩輔は茫然自失とした様子だった為悠輔は一人で2つ下の弟の裕治の教室まで直行し、裕治を廊下に引っ張り出し廊下を駆け抜けた。
裕治は理解がまったく追いつかず目を白黒させながら、しかし悠輔のあまりの剣幕に指示通り2人を連れ出し、教師の制止を振り切って校門まで走った。
「陽介!いるか!」
「ふぇ?悠輔にいちゃ?」
「陽介!俺とこい!」
「ええぇ?わあぁ!」
1年生のクラスへと駆け込んだ悠輔は、ぼんやりとしていた陽介を呼び出すと肩に担ぎ、そのまま出て行った。
「あのお兄さん、誰?」
「わかんない、なんか赤いの付いてたよね???」
他の一年生が茫然としている中、陽介の驚きの声とともに嵐は過ぎ去っていった。
「ねえ悠にぃ、どういうこと!?」
「なんで僕達まで!?」
「……。いいかみんな、よく聞いてくれ。みんなの家族が…、殺された。」
全員をワゴン車に詰め込み、暫くの沈黙の後。
裕治の問いただしに対して、少しの沈黙の後口を開く悠輔。
隠していてもすぐにバレてしまうことだし、それにこんな状況下で適当な事をいっても疑われてしまうだけだ、と真実を語る。
「そんな……、うそだよね?母ちゃん達が死んじゃったなんてうそだよね?」
「悠輔にいちゃ、嘘はいけないんだよぉ?」
「嘘じゃ、ねえんだ。母ちゃんから電話があって、急いで向かったら母ちゃんは…。それで、みんなの家族も同じことにって……。」
慌てて否定する裕治と嘘という言葉に反応する陽介。
大志と大樹はそれが真実だと分かってしまい涙をこぼさずにはいられないようだ。
かくいう悠輔もハンドルこそ握っているが、涙で顔をぐちゃぐちゃにしながら運転している。
浩輔は茫然と抜け殻のようになってしまっていて、助手席で一人泣いていた。
「そんな……。なんでそんなことに……!」
「わかんねぇ……。俺だって聞きてえよぉ……!」
悠輔の声色から嘘ではないと気づく裕治。
10年間ともに過ごしてきた兄が嘘をつくときの癖はよくわかっている、そして嘘ではないという時の癖も。
だからこそ、分かってしまった。
「そんなことって……。」
裕治も涙を流す。
それに釣られ陽介も泣き出し、車内には6つの嗚咽が重なり響き渡った。
「みんな、今日からここに住むんだ……。とりあえず、リビングで待っててくれ……。」
「…。」
悠輔が現在住んでいる家に辿り着いた時には、皆泣きつかれて声も出せずにいた。
ただ現実に顔を思い切り殴られ、消耗しきって声に従った。
陽介は途中泣きつかれてしまった為浩輔がおんぶしてリビングまで運び、悠輔は一人玄関の外で待機していた村瀬の元に足を運んだ。
「村瀬さん……。」
「すまない悠輔君、やはり皆の家族は……。」
「謝らないでください……。」
子供達の手前なんとか気を保っていた悠輔、しかし村瀬に声を掛けると同時に耐え切れなくなったのか、抜け殻のようになってしまう。
「君のお母さんが残した手紙によると、何か違法な事をして子供達が君の保護下に置かれるようになっていた。しかも、その件について役所に問いただしてもナシのつぶてと来た。それにここの権利証には君の名前、しかも全財産が生前分与で君の所に……。お母さんは恐らくこうなる事をわかっていたんだろう、しかしそれを拒もうとしなかった……。」
「……。俺もそう思います、母ちゃんは全部わかってるみたいだった、手紙読んでそう思った。だから運転教えられたりしたんだなって。」
「そうか、お母さんから運転を学んでいたのか……。警察として今回の件は慎重に調べなければならないが、君は何か……。いや、今聞くことではないな。」
まずは状況確認をと村瀬が一通りしゃべると、悠輔は合点がいったという風な口ぶりで村瀬に言葉を返す。
何も知らなかった、しかし今この瞬間全てがつながった、というように。、
「いいんです、どうせいつ話をしたって一緒ですから。恐らくみんなの家族全員が殺されて残ったのは今ここにいる子達だけ。母ちゃんが俺を保護者にしたのは守ってほしいから、役所にいっても無駄なのはきっともっと大きな所で物事が進んでいるから……。」
「悠輔君、君は……。」
「想像ですけど、俺が殺されかけた事も全部ひっくるめて一つの事件になってる。だからあの時あいつは俺を殺さないっていった。きっと俺に何か重要な秘密があってそのために……。だから俺は一人になって……。」
無表情のまま抑揚のない声で語る悠輔。
壊れてしまいそうだった、壊れてしまった。
だからもう、真実を突き止めて犯人に復讐する以外に考えはない。
それが唯一、母の意思を継ぐ方法だと確信して。
「……。そうだ悠輔君、君が見つけた手紙はあれで全部だったのかな?」
「……、はい。」
「そうか…。では、今日からまだここの警備を務めさせて欲しい。せめて君たちだけでも守らせてくれ…。」
「はい、お願いします……。」
暫く沈黙が場を支配した後、村瀬が思い出したように問いかける。
悠輔は一瞬ポケットにいれた手紙の事を言うかどうか悩んだが、しかし誰にも見せるなと書いた母の気持ちを汲み取り話すことはなかった。
「……。」
その日の晩。
ふさぎ込んだまま寝てしまった子供達のすぐそばで、悠輔はぼーっと封筒を眺めていた。
封筒には一人で見ること、誰にも見られてはいけないとだけ書かれており、中身がなんなのかは予想がつかない。
「……。開ける、か。」
村瀬と話を終えたあと、悠輔は必死に感情を押さえ込んで子供達を慰め、なんとか寝かしつけた。
そこで初めて自分が血まみれだった事に気づき、シャワーを浴びてから封筒を眺めるに至る。
「……。」
意を決して封筒を開けると、中には古い黄ばんだ羊皮紙が入っていた。
紙でないことを疑問に思いつつ中身を見ようとすると、そこには見たこともない記号の配列が書かれていた。
「なんだよ……、これ……!」
しかし、悠輔にはそれがなんなのかわかった。
というよりも、悠輔の「目」がそれを理解してしまっているようだった。
「頭が……、痛いっ……!」
自分の意思とは関係なく記号を読み取っていく。そして最後の一文を理解した瞬間、頭が割れんばかりの痛みを悠輔に打ち込み始めた。
「うぅぅ……。俺、なにが……!」
めまい、吐き気、頭痛。
ぐるぐると痛みが頭を支配していく中、何かが自分の中から出てくるような感覚を覚える。
自分の中に眠っていた何かが目を覚まそうとしている、悠輔は本能的な恐怖の中で悟った。
「なに……、が……!ぐうぅぅぅ!」
そしてそれは目を覚ました。
悠輔の中にずっと眠っていた「ナニか」は、手紙の最後の一文に呼び覚まされた。
そこにはこう書かれていた。
我が愛する末裔、ディン・L・アストレフ
と。
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