第14話 真逆のスライドSHOW(ショウ)

真逆のスライドSHOW(ショウ)

https://ncode.syosetu.com/n4269hs/14/


物事には、必ず真逆の対が存在します。

それをわたしは『龍と人間のハッピーセット』と呼んでいます。

絶望と同じだけ希望が存在し、悲しみと喜びはセットであるコト。

『遠ければ遠いほど、勝ち取る喜びはきっと大きいだろう』

※KAN『愛は勝つ』1990年作詞・作曲KAN

という歌詞のように、片割れの龍は、『真逆の対の世界』の存在を教えてくれます。


真逆の対で仲良しが龍と人間。

どんな絶望も希望がセットで、失えば得て、得れば失う。


〜大切な人との別れ〜


誰もが恐れ、不安の対象となることかもしれない。


『失った事を嘆き、悪しきもの』と、悲しみとして味わうコトも

『あった事を尊び、永遠の価値』と、喜びとして味わうコトも、


すべては同じ事象から。


どっちが良いという事ではなく、

答えは『本当はそうしたかったから』選んでいるのです。


常に真逆が存在し、龍と人間のハッピーセットは、最終的には幸せにつながっているコト(琴)の所以である。


『嫌なことをやっている』は、

『嫌なことなのにやっている』にも変換できる。


例えば、もしかしたら

『そこまでしてやりたい事』なのかもしれないと疑ってみる。


『生活のため、お金のために』というなら、その先に何があるのか。


お金に求めるものが、『安心感、優越感』だというのなら、その根底にある『不安と劣等感』のもとは何か。


そこに根源がある。


根源は、『不安と劣等感を癒すコト』


悪の根源とは?悪の根源は愛である。


愛するが故にある増悪。


陰と陽、光と影、男と女、悪魔と神。


『常に真逆の対が鏡となって』


進む方向を教えてくれる。映しだしてくれるスライドSHOW。


戦争も、殺戮も映画であるとも言える。

自作自演とも言える。常に真逆がセットになっているのだから。

生きるために死ぬ。

死ぬために生きる。

どちらも同時に存在する。


ここで、常に真逆が存在する『戦争』をテーマに、

『地球を創った魔法使いたち』(購入はコチラ)↓

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著者のトーマイタルさんのブログより引用いたします。


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※以下『戦いを終わらせた日』より抜粋


【愛と知恵の愛知】

愛知県半田市の「中島飛行機の工場」


ここでは、1400機もの世界最高水準を誇る戦闘機がつくられ、太平洋戦争初期、日本は快進撃をつづけていました。


特に、「疾風(はやて)」と呼ばれていたゼロ戦は、当時、世界一の飛行機で、たくさんのアメリカの戦闘機を、撃ち落としていたので、アメリカ軍の脅威になっていたという事です。


※月光仮面の歌の『ハヤテのように〜』モデルのようです。


しかし後に、アメリカの物量作戦にあい、戦局が不利になると、国は戦闘機の2.5倍の増産に踏み切ったのです。

熟練工が出陣するなか、学徒が全国から集められ半田に送られ、戦闘機の製造にあたりました。


「お国のために…」という思いで、学徒動員の生徒たちは、劣悪な労働環境の中、味噌汁と御飯だけという食事で、毎日12時間以上の長時間労働に従事したそうです。


これだけ優秀な戦闘機を製造していた工場ですから、アメリカ軍による凄まじい空襲も受けています。

アメリカからすれば、なんとしても潰したい場所だったのです。


そんな中、1944年年12月7日の夜、午後1時36分に、 M7.9という関東大震災に匹敵する地震が東海地方を襲ったのです。

最大の被害に遭ったのは、半田市の中島飛行機の工場でした。


当時の現場にいた人の証言によると、避難しようとした人々の上に、壁が崩れ落ちてきたそうです。


「 くるしい、たすけて、おかあさん…」生き埋めになった生徒たちの声が、あちらこちらから、聞こえてきたそうです。

とても凄惨な光景だったようです。

学徒96人を含む、153人が死亡。


ただし、この時の死者の数は、記録されていないだけで、実際には、もっとすごい数の人々が、この地震で亡くなったと言われています。

数万人という説もあります。


この大地震については、当時のアメリカ軍からの攻撃で、『人工地震』であったようです。


2011年8月には、NHKでも、この出来事がテレビで放映されていました。

「封印された大震災~愛知・半田」という番組名でした。

これは、「終戦記念日特集」ということで、NHKスペシャル番組が全国ネットで放映されたのです。


※このNHKの番組担当職員はのちに死亡しています。


よほど、この出来事は知られたくないようで、当時も箝口令が敷かれて、国民に隠されたみたいですが、現代でもあれ以来、これを報道するメディアは、ほとんどありません。


戦後、当時の中島飛行場の工場の生き残った技術者たちは、「自動車」の生産を始めたそうです。


GHQは、「日本人には、もう二度と戦闘機や戦艦などは、作らせないぞ…」との想いから、これらの製造を法律で禁止したのです。


日本人の技術者が飛行機を製造していたら、絶対に墜落しない飛行機を作っていたかもしません。しかし、それができなかったので仕方なく、自動車の製造に取り掛かったそうです。


それが、現在の「富士重工」という会社だそうです。

「スバル」という自動車で有名ですね。

「昴」、つまり、「プレアデス」という名前の会社です。


この会社以外にも、当時の技術者たちは、

「トヨタ自動車」、「本田技研」、「ヤマハ発動機」などに、就職したそうです。

だから、日本の自動車産業は、東海地方のあたりで盛んだったんですね。


ここで特筆すべきは、家族や友人などを、アメリカに殺された、この技術者たちが仕返しをしなかったということです。


とても悔しくて、頭に血がのぼっていたとは思いますが、

「あれは、戦争だったから、仕方ないかもしれない…」

こういう冷静で、客観的な視点もあったのだと思います。

これは、愛知県半田市だけじゃなく、当時の日本全体が、そういう複雑な気持ちを抱えたまま、終戦記念日を迎えたのです。


軍事的な仕返しを、やらなかったということです。

復讐すれば、その憎しみの連鎖は、永遠に続くということを、心の奥底で知っていたのだと思います。


では、何をしたのかというと、それが前述したように、「自動車の生産」だったということです。


「日本人の優秀さを、世界中に見せつけてやるぞ!」

戦闘機が作れなくなった技術者たちが、夜寝るのを忘れるくらい、猛烈に働いたのです。


それが、日本の「高度経済成長」に繋がったのです。

1980年代後半には、世界第2位の経済大国になりました。

ある計算によると、瞬間的には、世界第1位になったこともあったそうです。

これが、どういう意味か、わかりますか? 

「戦争で負けても、世界一豊かな国になることができる!」

こういう姿を、世界中に見せつけたということです。


世界史上最高の国の姿を、日本は、世界中に見せつけたとうことです!

「負けて勝つ!」こういう高等な戦略を、世界史上初めて、地球上で体現して見せた国が、

「日本」なのです。


第二次世界大戦において、日本の戦いは、1945年に一度負けて、1980年代に世界経済で、トップになるところまでの大計画だったということです。


おそらく、そのために、わざと負けたのだと思います。

もしかしたら、

「プロジェクト フェニックス(不死鳥)」というような名前の計画だったのかもしれません。


「日本軍」は、「アメリカ軍」や「連合国軍」なんぞ、眼中になかったということです。


もっと壮大で、地球規模の高次元の戦いをやっていたのです。

日本は、「戦争」という名の本当の悪魔と、戦っていたのです。

そして、地球の歴史が始まって以来初めて、その戦いに勝ったのです!


数千年~数万年間の世界の歴史の中では、「戦争に勝った国が豊かになれる。

戦争に負けた国は、皆殺しにされるか奴隷にされ、永遠に貧乏なままになる」これが常識だったのです。

それを長い歴史の中で、日本が初めて、その流れを変えたのです。


要するに、「戦争で勝つことには、意味がない」これを教訓として、世界中の人に教えたのです。

「戦争」を無力化したのです。


これが、「愛」です。

そして、「知恵」です。

そして、それが始まったのが、日本の「愛知」という土地だったということです。

「自分を傷つけた相手に、復讐するエネルギーがあったら、もっと別のことに、労力を注ごう! 日本中、そして、世界中の人を豊かにするために働こう!」

これが、戦後の日本人の精神だったのです。

何千年も、

『やられたらやり返す』宗教戦争をやっている国々とは違うのです。

これが、「本当の愛」だと思います。


「第二次世界大戦では、日本は負けていない」という解釈もあるそうです。

というのは、日本の第二次世界大戦において、そもそもの「戦争目的」は、「欧米列強から、アジアの国々を解放する」というのが、目的だったわけで、そのために、「大東亜共栄圏」という構想を、計画しています。


そして、戦後アジアは、欧米諸国の植民地から、解放された状態になったわけだから、日本の戦争目的は、達成されたということなのです。

だから、「負けた」というのは、あくまでも、「アメリカなどの国に負けた」というだけの話で、日本は、「自国が掲げた戦争目的は果たした。だから、あの戦争は成功だった」という解釈もできるのです。


繰り返します。「戦争というのは、戦争目的を達成すれば、戦争に勝ったことになる」ということです。

だから、日本は、戦争には勝っているのです。

ただ単に、アメリカに負けたというだけの話です。

だから、8月15日は、「敗戦記念日」と言わずに、「終戦記念日」という名前になっているのだそうです。


「戦いを終わらせた日」これが、1945年の8月15日なのです。

世界史の中で、初めて、「戦うことに、意味がない」という流れをつくった、歴史的にも、素晴らしい日なのです。

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