異世界メンタルクリニック

水嶋 穂太郎

第1話 戦士さん、よくがんばりましたね。

『119番の方、窓口までおこしください』


 優しげな声が木造一階建ての冒険者ギルドに広がった。

 椅子に腰掛けていた何名かが、自分の手のひらを見つめる。


「……」


 無言で力なく立ち上がった男の手には【119】という記号が透明な水色の文字。

 魔法で描かれたものが浮かびあがっていた。

 男は、よろけながらカウンターの前までやってきた。


「はい。どのクエストを受けますか」

「……」

「どういたしました?」


 顔色が悪い男とは対照的に、にこやかな笑顔で迎える。

 30代半ばか。20代でも通るくらい少し若く見える女性。

 冒険者が着るものとは違う、薄手の白い外套を身にまとっていた。この世界の窓口嬢の標準お仕着せ服だ。

 彼女のことは冒険者の間で噂になっており、いつしか『センセー』と呼ばれるようになっていた。『センセー』の意味は男も知らないが。


 男には、窓から差し込んでくる陽光が少しうっとうしく感じられた。

 目の前のセンセーと向き合う気がしてこない。


「あら? このギルドは初めての方ですね?」


 センセーが聞いてくる。


「はい。いえ実は……。その……肉体を、モンスターに晒すのが……怖くて……」

「重そうな鎧と兜ですね。屈強な身体をしてらっしゃるようですが」

「そのせいで……、そのせい、で……」


 男は、たどたどしく返答した。

 もはや他人と言葉を交わすのも疲れる。

 すがる思いで訪れたとはいえ、家に帰りたくなった。


 家の自室にこもっていたい。

 もう隣町の近くで見つかった洞窟に潜って、危険なモンスターと戦うなんてしたくない。


「カウンターを移りましょう。他の人から聞こえないよう、端にどうぞ」

「……すみません」

 

 センセーは男の様子からなんとなく事情を察していた。


 センセー……立花不二美(たちばなふじみ)は元々この世界の住人ではない。2020年代の日本で生きていたヒューマン。彼女はそこで、うつ病を患い、20年近く闘病していたのだ。

 異世界に転移してからもそれは変わらなかったが、冒険者ギルドの経営者に拾われ、経緯を説明したところ、この世界にはメンタルケアの文化がないということがわかった。そして、今まで自分が受けてきた治療の経験を活かして専用の窓口を担当することになった。


 著名な冒険者から広まった評判は上々で、王都から離れた中規模の町だというのに、相談相手を求めたお客がやってきている……。


 センセーは変わらない笑顔で男に問う。


「ご職業は?」

「戦士です」


 男にとって簡単な質問だったので、するりと言葉が出てきた。


「戦士ですか。モンスターたちから町の平和を守るなんて大変でしょう」

「あ、はい」


 男にとって大変なことは大変だった。

 しかし……。

 また気分が沈む。


「…………」


 男は黙り込む。

 もう駄目だ、人と関わるなんてもう自分には無理なんだ。

 そう諦めかけた時だった。


「大丈夫です。ゆっくり、ゆっくりでいいですから」


 センセーが語りかけてきた。


「落ち着いてください。深呼吸をしてみましょうか」

「わかりました」


 すーはー、すーはー。

 男は息を吸って吐いてを繰り返してみた。

 若干だが、気分が上向いたと思えた。


「どうですか?」

「……少し、……楽に、……なりました」

「それはよかった」


 するとセンセーは表情を変えず、いよいよ踏み込んだ話をしてきた。


「仕事が上手くいっていないのですか?」

「はい……。実は、戦士は…………」

「ゆっくりでいいですよ」

「せ、戦士は肉壁なんだからパーティに攻撃を一発も当てさせるんじゃねえ! 攻撃役じゃねえんだよてめえは。てめえがやるのは守り。わかるか? あ、脳が筋肉でできてる馬鹿には無理な相談だったな、ぎゃはは!」


 男は先日までパーティを組んでいた仲間に言われたことの一部を再現した。

 つらい記憶だ。

 だが、言葉にしてみると、意外と悪くない気がした。毒気が少し抜けたというか。

 きっとセンセーなら「それはひどい」とか「そんなパーティ抜けて正解だ」と言ってくれるに違いない。

 しかし、センセーは一言。



「がんばりましたね」



 そう言った。

 その瞬間、どこかで何かが崩れたような音がした。

 男の目からは涙が止まることなく流れ続ける。


「な、涙が……あれ? あれ? すみません。なんかこれ止まらなくて」


 男の様子を見たセンセーは、やはり笑顔のままで。


「いいんですよ。本当のことです。あなたは充分にがんばった」

「ううっ……!」


 人にちゃんと理解されることが、こんなにも嬉しいことだと、男はこの時に初めて知った。

 センセーの問いは続いた。


「夜は眠れていますか?」

「それがほとんど……」

「食事は摂れていますか?」

「食欲もまったく……」


 センセーは、机の上に置いてあった藁半紙に見える何かに指を走らせ、さらさらと何かを書いていった。

 内容が気になったが、男は今の気分を変えたくなかったので、特に聞かずにセンセーが書き終わるのを眺めて。そしてセンセーが筆を置いた。


「つらいところお疲れさまでした。処方箋を出しておきますので待合室でお待ちください」

「処方箋?」


 気分がすっきりした男だったが、それだけに聞き慣れない単語が出たので、耳と脳が反応した。


「専用に調合したポーションをお渡しするための指示書、みたいなものです。詳しくは受けつけでお聞きください。ギルド入り口のすぐそばにありますので」

「わかりました。今日は本当にありがとうございました」

「お大事に」


 センセーに挨拶を済ませると、男はカウンターから離れた。

 ギルドの隅、人の通らない場所でぼーっと立ち尽くす。


「『死ぬ前に立ち寄るべき場所』っていうのは単なる噂じゃなかったんだ……」


 いつの間にか男の胸のうちは、晴れていた。

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