第5話 大賢者vs大催眠術師(後編)


 そして始まる、異例とも言える本日二度目の催眠術タイム──。


「あなたはだんだん眠くなーる。眠くなーるー。眠くなーるぅー」


 先ほどのようなズルはなしで、冷房の効いた室内でステップワンからスタート。


 環奈は真剣な眼差しで、紐で吊るした五円玉を振り子のように揺らす。


 普段ならおっぱいに視界と思考が引き寄せられている場面。しかし大賢者である今の俺は、しっかりと五円玉を見ることができる。


「だんだんと意識は遠のき、自分が何者なのか、さらには名前さえも思い出せなくなります。大丈夫です。大催眠術師である、わたしがついています。怯えずに意識を委ねてください。眠くなーる。眠くなーるー。眠くなーるぅー……──」


 俺と環奈の催眠術が始まって以来、初めて真面目に五円玉を見続けられているが、やはり──。催眠術に掛かる気配はない。


 でも大丈夫。お前の催眠術は今日、必ず成功する!


 そのためのオペレーション『パンイッチ』だ! お膳立ては済んでいる!


 だから俺は──。次第に心ここに在らずな虚ろな目を作り、催眠状態に入っている感じを醸し出す。


「んんんっ?」


 すると環奈は普段とは明らかに違う様子に気づき、目をパチクリさせた。


「んん〜?」


 そして食い入るように俺の目を見てきた。


「ん〜……」


 こればかりは仕方がない。一年やって初めて、それっぽい感じになったんだ。

 でもさすがに近過ぎるだろ……。今にも唇が触れてしまいそうだし、生温かな鼻息が顔に当たってムズムズする……。


 ……だが、今の俺は大賢者。男の子あるあるは静寂を保てている。


 このままでじっとして耐えるんだ。

 虚ろな目で心ここにあらずを続けるんだ!


 さすれば環奈は動きだす! お前の歩みはここで止まったりはしない!


 次のステップに進むまで、俺は何時間でも待ち続ける!


「んん〜…………はっ!」


 想いが届いたのか、環奈はすぐにハッとして催眠術を再開をさせた。


「ここは大催眠術師カンナの部屋。冷房は効いておらず、とても熱い! 外は灼熱の炎天下。閉め切りの室内は暑くて熱くて、サウナ状態! もうだめ! 迸る汗が止まらない! このままでは熱中症は避けられない!」


 なるほど。深層心理とやらのトラウマを掘り起こしにきたか。失敗を逆手に取ってくるとはな。


 さすがは大催眠術師を自称するだけのことはある。


 ならば、暑そうに呼吸を乱すのがオペレーション『パンイッチ』!


「……はぁ……はぁ……はぁ……」


「おぉー!」


 いや、驚いてどうする! ……つーか、いちいち止まるな! 大催眠術師の名が廃るぞ!


 まぁ仕方ない。一年だ。一年だからな?


 いきなりトントン拍子に事が運んだら驚きが先行しちまうよな。


 だったら俺が、最短距離で導いてやらないとな!


 ってことで、ワイシャツのボタンをひとつ外す!


「……はぁ……はぁ……はぁ……」


 ほら、環奈? いつものだぞ? 驚いてないで続きをやるんだ!

 

「……はっ! 熱くて熱くてたまらない! これはもうワイシャツのボタンをひとつ外したくらいでは治らない!」


 よし。いいぞ! その調子だ!


 来いよ! もっともっと来いよ!

 すべて受け止めてやるから、俺をパンイチにさせてみろ!


「あぁ~もうだめっ! あらゆるボタンを外したくて仕方がない! ワイシャツのボタンからズボンのチャックに至るまで、外したくて外したくて仕方がない!!」


 来た! ……大丈夫。男の子あるあるは未だ静寂を保てている。


 俺の中の男の子が暴れていないのであれば、パンイチくらいどうということはない。これしきのことで恥ずかしがっていては、海パンになるときどないするっちゅーねんって話だ。


 よしっ! ワイシャツのボタンをすべて外して、チャック全開! 社会の窓フルオープン!


「おっ、おおー!!」


 だから驚いて止まるな!!


 進め、環奈! この先へと進めぇぇえええええ!


「……おおぉ」


 いや。本当に早くしろよ?

 

 半脱げ状態で止めるな?!


「……はっ! 洋服が邪魔! 今すぐ脱ぎたくて仕方がない! 脱いだ服で脇汗を拭き拭きしたくて仕方がない! たまらないたまらない! もう我慢できない!」


 よし来た! ついに来た!


 オーダーを承認。オペレーション『パンイッチ』最終段階へ移行!


 ズボンを下ろせ。ワイシャツを脱げ!


 そして──。脱いだワイシャツで脇汗を拭けぇぇぇえええ!


「……はぁ……はぁ……はぁ……(ゴシゴシフキフキ)」


 すると環奈の表情はたちまち笑顔に包まれて──。


「え⁈ もしかして成功しちゃった?! ねえ、どうなの?! 成功してるよねっ?!」


 やれやれ。それを俺に聞くのは間違っているだろ? とは思うも、虚ろな目のまま、脱いだワイシャツで脇をゴシフキしながらコクリと頷く。


「あぁーもぉっ! やっっっと掛かってくれた!! 渡のバカーッ!! 一年も経っちゃったじゃん! バカバカバカーッ!」


 本当にそのとおりだな。俺は大馬鹿野郎だ。

 もっと早くに、こうしてやれていれば済んだ話だからな。


 待たせて悪かったな、環奈。


 嘘には二種類ある。

 人を傷つける嘘と優しい嘘。


 今回は後者だと思うが、嘘が許される道理はどこにもない。

 

 ごめんな。事の顛末は墓場まで持っていくからさ。それで勘弁してくれよな。


「もぉお! バカバカバカーッ! 渡のバカーッ!」


 それでも──。催眠術が成功したことで嬉しそうにする姿を見ると、ホッコリした気持ちになってしまうのだから困ったものだ。


 終わりよければ全てよしとするには、真っ当な道ではなかった。


 オッ◯ブに通い続けた一年間があったからこそ、大賢者である今を紡いでいるのだから──。


 今ならわかる。俺たちの時間に間違いはなかった。


 だって今のお前、俺が知っている中で最高の笑顔をしてる!!



 さぁて、念願の催眠術が成功したわけだが、いったいなにをさせるつもりなのかな?


 パンツ一丁で裸踊りかな? それをスマホで撮影して暫くは笑いの種にされちまうとかか?


 あぁ、いいぜ。なんだっていいぜ! 


 おっ○ぶの代金分はパンツ一丁で払ってやらぁ!


「あぁもぉ! バカーーーーッ!!!!』




 有頂天だった。だから気づかなかった。普段ならなんのことなしに避けているであろう、右ストレートに──。俺は気付く事ができなかったんだ。




 ──デュデュデュデュクシ!


 視界を満天のお星様がくるくるまわって二秒後。生まれてこの方感じたことのない激痛に襲われる。


「ぎぃやぁぁあああああ痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛いあぁぁああ」


 なんだ? え、なんで? どういうこと?!


 な、殴られた?!


「あっ。やばっ! ……はいはーい。痛くなーい! 痛くなーい! はーい五円玉見てー!」


 ……は?


「痛いの痛いの~飛んでけー! ほらほらもう痛くなーい! あなたはいま、催眠状態にありまーす!」


 こ、こいつ……。催眠術でなかったことにしようとしているのか……?


「わぁ! 痛いの痛いの消えちゃったぁ! すごーい! ってことで、スッポンポンまでのスリーカウントを開始します! 靴下とパンツも脱いでしまいましょー! スリーツーワン、ゴー!」


 そのまさかだった。しかも約束はパンイチだった。それをこの女は迷うことなくスッポンポンと言っている。笑顔で、嬉しそうに……言いやがった。


 脳裏を過ぎるのは、床ぺろスローライフのキャッチコピー。


 『バレやしねえぜ! 催眠術にさえ掛けちまえばバレやしねえぜ! バレやしねえぜ!』


 ……あぁ。環奈、お前……。


 バレなきゃ俺になにをしてもいいって、思っているのか……。


 百年の恋も冷めるなんて、生易しい話じゃなかった。


 切なさと悲しさで包まれた俺の心は──。ただただ、暗闇の底に落ちていくだけ……かに、思えた。


 額に感じる、生まれてこのかた感じたことのない激痛が『この女を許すな』と生存本能に語りかけてくる。


 ム……カ……ムカムカ。


 そしてすぐに、はらわたが煮えくり返る──。

 

「ふ、ふ、ふっざけんな!!」


「あれぇ……? 中途覚醒的な感じかなぁ? 大丈夫です。大催眠術師カンナに意識を委ねてください。わたしの言葉は心地が良くて気持ちいい。大丈夫、大丈夫です。さぁあ!」


 こ、こいつ……。この期に及んで、まだ!


「んなわけねぇだろ! ふっっざけんな!」


 だめだ。まじで痛い……。とりあえず氷で冷やさないとまずいやつだ。


 俺は大急ぎで脱いだズボンを履き、ワイシャツの袖にも手を通す。


 環奈は首を傾げながら見ていた。しかし服を着終えると、事の次第に気づいたのか、俺の腕を掴んで来た。


「あっ──。ちょっと渡! 催眠状態のまま帰ったら大変だよ!」


「馬鹿野郎! んなもん痛さで吹っ飛んでんだよ! 殴りやがってからに! ざけんな!!」


 言いながら振り払うも、環奈は引き下がらない。


「だ、だめだって! 危ないよ!! そんな簡単に催眠状態は解けないから!!」


「んなもんハナから掛かっちゃいねぇんだよ!」

「ちょっと渡! 落ち着いて! そんなのは当たり前でしょ? 催眠状態は記憶がないんだから!」


 だめだこの女……。完全に床ぺろスローライフの主人公だ。


「うるせぇっ! 俺はもう帰るんだよ! 邪魔だからあっちいけ!」


 環奈をベッドの上に突き飛ばしてやった。


「ひゃんっ」


 するとスカートがめくれて、パステルブルーの水玉模様が露見した。


 ──ドクンッ。


 高鳴る鼓動とともに、俺の中で何かがパリンッと割れる音がした──。


「み、見た?」

「ああ、見たよ。パステルブルーの水玉模様だろ? バッチリ目に焼き付けてやったよ!! 脳内メモリに保存済みだ!! 二度と忘れねえからな! 毎晩思い出しては脳内で悪さしてやるよ!! けちょんけちょんのけっちょんけっちょんだ! ざまぁみろ!!」


「ば、ば、バカーッ!」


 言いながら再度、飛び出すグーパンチ。けれども俺はスルリと交わして、帰りのドアを開ける。


「今日のところはパンチラに免じて勘弁してやる。でもな、もう二度と催眠術になんか付き合わねえからな! じゃーな! パステルブルーの水玉模様!」


 俺の怒りはこんなんじゃ治らない。はずなのに──。長年に渡り愛を囁き合った三代目と対を成すブツだと思うと、思春期の性欲が先んじて言葉が走ってしまう。


 しかも男の子あるある再発の兆しまで現れやがった。


 なんと愚かしくも浅ましい。

 これでは思春期モンスター……。


 そうか。先ほどのパリィンは大賢者モード終了の合図……。

 

 わかっている。大賢者でなければ俺はクソ野郎だ。……あぁ、だからチャラにしてやるよ。


 所詮、俺は! 招かれざるオッ〇ブ通いの覗き男だからな!


 殴られたって仕方がねえよな?!


 しかし、そんな気持ちは瞬時に打ちひしがれる──。


 環奈はパンツを見られたことがよほどショックだったのか、枕に顔を埋めたまま動かなくなっていた。


 謝りもせずに、顔面パンチしたことをすっかり忘れてしまっている姿に『真理』を見た。


 ──サディスティック。



 俺は大きな誤解をしていた。


 環奈が催眠術を掛けたい理由は可愛げのあるものだとばかり思っていた。

 裸踊りをさせるだとか、三回まわってワンッと吠えさせるだとか、猫じゃらしを振り回してにゃんにゃにゃーんとか……。


 情けない俺の姿を見て「ふっふっふっー!」とドヤ顔満点に楽しむ程度のものだと思っていた。


 でも違った。


 答えはグーパンチ。


 思えば、口よりも先に手が出る女だった。けれども俺はスルリと交わし続けた。──だから気づかなかった。


 そのパンチは常に、殺意に満ちていた。


 とんでもなく痛いのが確たる証拠。可愛げのない、ガチパンチ。


 ……ちくしょう。


 環奈のグーパンチを避け続けて十余年。

 こいつは俺に一発食らわせたかっただけだったんだ。


 俺のことを殴りたくて殴りたくて仕方がなかったんだ……。


 なんだよ、これ。なんなんだよ!


 これぇぇええええ!!!!


「うぁああああああああああああああ」


 環奈の部屋を飛び出すとこれまでの記憶が駆け巡る──。


 Aカップ。Bカップ。Cカップ。Dカップ。Eカップ。Fカップ。


 そして、Gカップ。


 これがおっ○ぶに通い続けた男の末路だとするならば、慈悲の欠片もない惨劇。自分が哀れで滑稽でたまらない。


 ああ。そんなのは些細なことだ! 俺はお前のことがずっと好きだった! ずっとずっと大大大好きだったんだ!!


 腐れ縁だと思ってた!! でもそんなものは幻想で、お前はただ俺をぶん殴りたかっただけぇぇええ!


「あああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ」


 



 この日、十余年に渡り続いた俺の初恋は──。完膚なきまでに叩き潰された。



 そして新たに宿るのは、復讐の業火。



 無……ヵ……着火。ファイア。


 差詰環奈。許す、まじ────。

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