第18話 脱走と支配と
おかしい。
どう考えてもおかしい。
ベルッティは
アーカードに買われて二日目のことである。
ベルッティたちにあてがわれたのは食堂の
梁と梁の間に渡された板によって簡易的な屋根裏部屋になっている。
板の上にはボロ布が引かれているので、寝転がるだけで十分に眠れるし。冷えた時を想定しているのか、かけ布まで用意されている。
しかし、ベルッティも他の奴隷たちも特にかけ布を使うことはなかった。
真下に食堂があるからか、いつも温かいし。
しょっちゅう旨そうなにおいが立ちのぼってくるのだ。
地下牢のような奴隷部屋で、腐った死体の臭気に耐えながら息を殺して居た頃を考えると雲泥の差である。
「わたし、ずっとここにいる!!」
ミーシャに至ってはアーカードのことを完全に信用してしまっている。
ゼゲルよりはずっといいとは思うが、そんなに簡単に信用していいものだろうか。
何かとても恐ろしいことをされるのではないか。
そう思えてならない。
「そうかそうか、それがいい。ずーっとここにいろ! 毎日飯もでるしの!」
イリスがシルクのような銀髪を揺らして、調子のいいことを言った。
元々アーカードの奴隷だったのが、出戻ってきたらしい。
そういえば、初めて会った時は8歳くらいだったのに、今ではもう少しお姉さんに見える。見間違えだったか?
「あ、わしお前らを監視するよう言われてるんじゃが、流石にもう暇での。ちょっと出かけてくる、アーカードには内緒にじゃぞ!」
そう言って、イリスはするすると屋根裏から降りて外へと走り出す。
「×××!! ×××――!!」
すごく爽やかに淫語を叫んでいた。
あいつ頭がおかしい、何かの病気なのだろうか。
いや、待て。
ふと気づいて、屋根裏から階下を見渡す。
食堂には誰も居ない。
だからイリスは外に出たのだろう。
「ぶようじんすぎる。」
奴隷が逃げたらどうするつもりなのだ。
試しに自分も階下へ降りて、食堂の外に出てみる。
空が高い。
風で草が揺れている。
こっこっこっこ、と。
どこかで鶏が鳴いていた。
近くにいくつか建物があるが、見張りもいなかった。
「おれたちがにげだしたら、どうするんだ。」
いくらなんでも隙だらけじゃないか。
ベルッティはすぐに屋根裏に戻ると、今のうちに逃げようと提案した。
今なら誰にも気づかれずに、ここから出られる。
ここから出て、それで。
「それで、どうするの?」
ベルッティはミーシャの言葉に何も返せなくなった。
「ここに居れば、毎日ごはんも出るし、寝るところもあるんだよ。」
「それでいいじゃん。」
ハガネを見ると横になっていた。
この待遇に特に不満はないらしい。
ベルッティとしても不満はない。
不満はないけれど、何となく逃げたかったのだ。
なぜ逃げたいのか、その理由をベルッティは言葉にすることができない。
一人で逃げたとして、生きていけるだろうか。
教会に助けを求めようにも、そもそもベルッティは教会との取引でアーカードの奴隷になっている。連れ戻されるだけだろう。
9歳の少女がいきなり世間に出て自立できるわけもない。
この土地で知り合いと呼べるのは元主人のゼゲルくらいだが、幼女売春を繰り返したクソ野郎の所に戻るという選択肢などありえない。
というか、ここから出てゼゲルに捕まりでもしたら、それこそ最悪の事態になるのではないか。そのまま憂さ晴らしに強姦されそうな気もする。
ここに居た方が安全だ。
「しかたない、ここにいよう。めしもでるし。」
そう、ベルッティはひとりごちる。
なんだか自慢げにミーシャが絵本を開くので、いらだって奪ってみたが、読めなかった。開いて、読んでいるかのようなフリをしてみる。
気の弱いミーシャは抗議することもできずに、他の本を開いていた。
(くそ、なんであいつが字をよめて。おれがよめないんだ。)
ベルッティはいらだちを隠して、ページをめくる。
挿絵には騎士が悪を倒し、お姫様を救い出す一幕が描かれていた。
オレがルーニーと共に視察に出向いていると、珍妙なものを見つけた。
「ひ、ひぃぃ!!」
「×××――!! ×××をだせーーー!!」
浅黒く筋肉質なグルンドが銀髪幼女のイリスに追い回されている。
足ならグルンドの方が速いから捕まることはないだろう。
「あ、イリス! あいつベルッティたちを見張るよう言われていたのに。」
お付き奴隷のルーニーが歯がみして、イリスを怒鳴りつけた。
「こら! イリス!! 役目を放棄するな!!」
「へへーん。ちょっとした息抜きも、人生には必要なんじゃ!」
調子のいいことを言ったイリスがオレを見て固まる。
「あ、アーカード。えっと、これは。これはじゃなあ。」
汗がだらだら出ている。
また売り飛ばされると思っているのだろう。
「息抜きに強姦するな。戻れ。」
オレが短く咎めると、イリスが渋々戻って行く。
まったく、少し目を離すとこれだ。
やはり、リスクは無視できない。
「イリスめ、何を考えているんだ。新しく買った奴隷が逃げるかもしれないのに。」
「そうだな。」
口では同意しておくが、実際の所ベルッティが逃げ出すことはないだろう。
確かに、脱走は恐ろしいことだ。
400万から300万セレスもする奴隷という商品には足が生えているし、頭もついている。
そこそこ高価な指輪が走って逃げていくところを想像して欲しい。
勝手に脱走し、そのまま逃げられては大損だ。
奴隷刻印があるとはいえ、万能ではない。
脱走されても拷問呪文を繰り返せば殺せるが、せっかく買った奴隷を殺してしまっては意味が無い。1セレスにもならない。
死体処理の手間を考えるとむしろマイナスである。
だから、ルーニーが心配する気持ちもわかるが、今回は問題ない。
あの三人には飯を十分に食わせ、寝床を与えておけば脱走することはない。
仮に脱走しても、戻ってくる。
他に行き場がないからだ。
選択肢がないというのは恐ろしいことだ、自分の未来を自分で選ぶことができない。
全て他人に選択されてしまう。
こうした弱みにつけ込むことも、支配には有効だ。
「これからあの子たちをどうされるんですか?」
ルーニーの言葉にオレは笑った。
そんなことは決まっている。
「奴隷としての価値を高めてから、売る。」
「まずは食わせて太らせないとな、あれじゃ痩せすぎだと買い叩かれてしまう。このまま転売しても200万にもならんだろうからな。」
オレは人道支援者でもなければ、慈善事業をやっているわけでもない。
ただの奴隷商人だ。
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