表現者のためのアパート『夢』

亜祈惑

一人目 小説家 佐藤蓮司

「はぁ…」

不動産屋から出てきた俺は、ため息をついてしまった

それも仕方がないだろう、良い物件がないのだから

俺は今、引越しを考えている

だが、新学期の時期と重なったこともあり、全くもっていい物件が見つからない

俺は、小説家だ

それもとてもマイナーで、零細で、吹けば飛ぶような末端の小説家

常に金に困ってるような人間だ

そんな俺が借りれるような安い物件は軒並み満室だ

今日はもうあきらめて帰ろうか、そう考えていた時、ふとそのポスターが目に入った

「入居者募集中…」

そこは少し古びたアパートだった

中の様子は分からないが、駅からも近いし、この古い感じのアパートだったらそう高くもないだろうと思った

そのポスターに貼ってある電話をした

『はい、もしもし、大橋です』

「あ、はじめまして、佐藤と申すものです

今お時間よろしいでしょうか」

『ああ、どうぞ』

「入居者募集のポスターを見たのですが…」

『あー…注意書きまで読みましたか?』

少し困ったようにそう言った

「注意書き…?」

『この時期は多いんですよね、そういう方

うちは表現者のためのアパートです

表現者ではない方はお断りさせていただいています』

「表現者、というと?」

自身も表現者に入るかもしれない

その一縷の望みにかけてそれを聞いた

『小説家、デザイナー、作曲家など、自分の世界を表現することを生業としている方々のことを私たちはそう呼んでいます』

「俺は、一応小説家です」

『へえ、それはそれは…

一度、お会いしてもよろしいですか?』

「もちろんです」

『いつならお会いできるでしょうか』

「しばらくは用事はないですが…」

「『ならば、今お会いしましょう』」

電話越しの声と、現実の声が重なった

その声は後ろから気も得た

振り向くと、後ろに一人の若い綺麗な男性が居た

両手に大きなビニール袋を持ちながら、その美しい顔で笑っていた

その顔に、俺は確実に見覚えがあった

「大橋先生!?」

書影で何度も見た、美しい顔だった

「おや、私のこと知っておいでで?」

「そりゃもちろん!23歳という若さで芥川賞を受賞された超有名な作家さんですから!俺も、昔からファンで、既刊はほとんど全部_」

大橋先生は俺のそのさまを見て、楽しそうに、柔らかく笑った

「あ、す、すみません…」

ご本人の前でそうやって語っていたのが恥ずかしくなった

「いえいえ、ファンの方にそう言っていただけるのは嬉しい限りです

とりあえず、中に入りましょうか

私も荷物を持ったままお話しするわけにもいきませんので」

「あ、は、はい」


内装は、外装からは想像できないほど古いけれど、良いものだった

何といえばいいだろうか、古き良き古民家のような、柔らかくて温かみのある、そんな内装だ

中に入ってすぐ、大広間と言えばいいのだろうか、今では少し珍しくなっている畳の部屋があった

多分、共有スペースのようなものなのだろうか

明らかに大橋先生の物ではない者が置いてあった

「そこに座っていてください」

「あ、失礼します」

大橋先生は一度どこかへ行ってしまった

今俺は、大橋先生の家にお邪魔している

そう思うだけで緊張してしまった

そわそわしていると大橋先生がお茶と紙をもって戻ってきた

「どうぞ」

「ありがとうございます」

お茶と一枚の紙を渡された

その紙には、間取りや家賃が書いてあった

「安!?」

想像の倍くらい安かった

今日見てきた物件の中で一番安いかもしれない

「どういたしますか?」

「契約します!!」

「ふふ、ありがとうございます

では、こちらの書類にご記入をお願いします」

書類に諸々書いていった

「ありがとうございます

…小説家の佐藤蓮司さん、でよろしいですね

改めまして、私はここの大家の大橋勉です

よろしくお願いします、佐藤さん」

「よろしくお願いします、大橋先生」

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