第2章 ただいまーっ!

02-01

 商店街の裏道にある小さな建物の前に、高塚香奈は立っている。

 建物正面の大部分をシャッターが占めており、現在、完全に閉まっている状態だ。


 ここは、酒屋の倉庫である。

 最近はほとんど使われていないはずだ。お客もどんどん減少して、もう商品在庫をわざわざ店舗と別の場所に置く必要もない、という理由で。


 この裏道は通り抜けが出来ないため、ここらに用がある者しか通らない道であり、現在も周囲には誰もいない。

 静か、ではあるが、二十メートルも離れていないところに車通りの激しい道路があるため、息遣いや小さな物音などは、さあーっという騒音にかき消されて聞こえない。


 用のある者しか通らないはずの小道に、どうして香奈がいるのかというと、三人の後を追ったらこの倉庫へと辿り着いたのだ。


 三人の、

 上下黒皮の、

 顔面白塗りの、

 ぶっ飛んだ格好をした老人たちを。


 彼らが誰であるのか、もう香奈にはおおかたの想像はついている。

 背格好や顔の輪郭などから考えて、せんべい屋のそとゆたかさん、コンビニのなかかずさん、本屋のとくしげひでさん、おそらく間違いないだろう。


 香奈が何故ここに来たのか、については以上の理由であるが、

 では何故ここでこうして一人途方にくれているのかというと、なんのことはない。背中へ声をかけるのを躊躇っているうちに、建物の中へと入られてしまったからだ。

 本当に顔見知りの老人たちなのか確証がなかったため、躊躇してしまったのだ。

 盆栽やゲートボールや縁側で将棋が似合いそうな普段の雰囲気から、あまりに想像もつかない服装であったから。顔もどこぞの悪魔みたく白く塗ってるし。


「秀夫さん、本屋にいないなと思ったら、こんなとこで。中で、なにをしてんだろう」


 取り残されたような虚しさを、独り言でごまかしてみる。


「演劇でも、やるのかなあ」


 真っ黒上下に装飾ジャラジャラ。顔は分厚い白塗り。まるで一昔前のヘビメタバンドだが、とはいえあの三人がエレキギターなど演奏するとも思えない。

 でも格好はヘビメタバンド。

 だから、そういう役の演劇でもやるのかと思ったのだ。老人会かなにかで。


 中の声や音が聞こえれば、なにをしているのか分かるかも知れない。

 と、香奈は呼吸をとめて耳を澄ませてみる。

 周囲は、静かな感じはするものの、実際には商店街の喧騒や自動車の走行音など様々な騒音に包まれており、いざ耳を澄ませてみると聞こえるのはサアーッとかコーーとかいう雑音ばかり。建物の中の音など、聞こえるはずもない。


 いや、

 なにかが、漏れてきているような気もする。

 音がどうかは分からない。振動、かも知れない。

 低い音が、空気だか地面だかを振動させて、その振動が身体へと伝わってきている、とか。

 そんな気がする。


 近くの大通りはトラックの量も多いけれど、そういう振動ではないし。

 なんだろう。

 なにをやっているんだ、この中で。


 香奈はそうした興味から無意識に歩を進め敷地に入り、倉庫建物へと近づいていた。

 微かながらも、はっきりとした音が聞こえてきた。

 やっぱり振動は、この建物の中からだった。


 分かった。

 これは、楽器の音だ。

 バイオリンとか、笛とか、琴とか、三味線とか、そういう類のものではない。

 そう、これは、


「エレキギターだ」


 ギターや、ベースの音。

 ドラムのような音も聞こえる。

 パンクとかヘビメタとか、よくは知らないけど、とにかくそういうジャンルの楽器から放出される荒々しい音が、空気を、壁を、床を、地面を震わせ、そして香奈の足元から肉体を震わせているのだ。


 なにかの曲を演奏しているのか、単に音を発しているだけなのか、よく分からない。判別つくほどに、音が外に漏れていない。

 派手で激しい曲、を演奏しようとはしているのだけど手がそこまで上手に動かない。と、そんな気もする。


 これはやはり、商店街の老人たちが演奏しているということなのだろうか。

 普通に考えれば、そうなのだろう。

 ここに入っていくのを見たし。

 関係のない他人が、こんなところで練習をしているのも考えにくい。

 商店街と関係があっても考えにくいが、であればなおさらのことここで弾いているのは先ほどの老人たちだろう。


「うーん」


 香奈は、人差し指で頭のてっぺんを掻いた。

 なんだか、後ろめたい気持ちになっていた。

 他人の、知ってはいけない秘密を知ってしまった気がして。


 女装とか、鉛筆の先を舐めるのが好きとか、そういう類の趣味を知ってしまった気まずさとでもいおうか。

 やましい、というと少し違うが、とにかく香奈はそんな後ろめたい気持ちになっていたものだから、


「なにしてんの?」


 背後からベースのように低い声を掛けられた瞬間、驚き飛び上がっていた。高跳び記録を自己更新したのではないかというくらいに、高く。


「す、すみませんっ!」


 着地と同時に、片方の踵を軸にくるりん振り返って、深々と頭を下げた。なんだか昔の木製からくり人形のような、一連の動作である。


 からくり人形は、おずおずとした上目遣いのまま、そおーっと頭を上げた。


 目の前に立っているのは、

 背の高い、

 黒皮の上下に、

 白塗り顔の、

 おそらく、老人。


 倉庫内で楽器を弾いているヘビメタ老人たちの仲間で、練習に遅れてきた、というところであろうか。

 顔が白塗りで目のところに翼を広げたコウモリが描き込まれているため、誰だかよく分からないが、商店街の老人ということに間違いないのだとすると、


「ひょっとして金物屋の、しよう、さん?」

「ご名答」


 長身の老人、おくしようさんは白塗りの奥にやわらかな笑みを浮かべながら、ピッと右の親指を立てた。

 彼は、香奈のそばを抜けてそのまま倉庫へと近寄ると、しっかり降りているシャッターを強く拳で叩いた。普通の金属製シャッターよりも相当に分厚いのか、あまり響かない鈍い音が鳴った。


 倉庫の中からかすかに漏れ聞こえていた楽器の音が、ぴたり止まった。

 かわりに、なにやらガタゴトとせわしなく物を動かしたりする、音というか振動というか。それから数秒後、キュルキュルという音とともに、シャッターが上がり始めた。


 外から勝手に開けると演奏音が漏れてしまうから、合図して中から開けるという決まりにでもなっているのだろう。


 ここは現在は酒屋の倉庫だが、元々は金属加工の工房として作られたものであり、かなりの防音性があるらしい。とはいえ、演奏中に開けてしまっては防音もへったくれもないのだから。


 香奈、そして正二さんの前で、なおもシャッターはキュルキュル上がり続け、蛍光灯に照らされている内部が見えてきた。

 酒屋倉庫だが酒はまったく置かれておらず、あるのは端に置かれた脚立などの器具。

 と、中央にはドラムセット。

 トランクのようなでっかいスピーカー。確か、アンプとかいったか。

 そして、楽器を肩から下げ抱えている、白塗り顔面の老人たち。


 やはり倉庫の中にいたのは、先ほどの老人たちであった。

 まあ、シャッターを開いてこの中へと入っていくところを見ていたわけで、当然といえば当然だが。


「あれ、高塚さんとこの……香奈ちゃんか?」


 悪魔のような白塗り顔をきょとんとさせているのは、ギターを持ったボサボサライオン頭の老人。

 おそらくは、本屋のとくしげひでさんだ。


 その隣、ベースを持っているのが、コンビニのなかかずさんか。正ニさん以上の長身で、白髪の坊主頭のはずだが今は長髪金髪のカツラをかぶっている。


 ということは、ドラムセットのところに座っているのが、せんべい店のそとゆたかさんか。


「あれっ?」


 さらに脇へと目をやると、よく知った顔があった。

 香奈の幼馴染であるけんが、隅っこの資材に腰をおろして、ばれちゃったかといったような苦笑を浮かべている。


「謙斗くん。どうして……」


 といいかけて、香奈は口を閉ざした。


 思い出したからである。

 ここでこのような光景を目撃することになるに至った、そのきっかけを。


 ヘビメタルックになる前の、普段の姿の老人たちと、謙斗とが、一緒に歩いているのを見て、取り合わせの妙に好奇心を抱いた。それがきっかけだったのだから、ここにいてもおかしくない。

 ヘビメタルックがあまりに衝撃的すぎて、すっかり忘れていた。


「よく分かったじゃんか。フラ……正二さんに教えてもらったの?」


 謙斗が尋ねる。


「いやあ、秀夫さんたちがそんな格好してるもんだから、なんだろうって後をついてきちゃって。本人かどうか分かんないから、声を掛けられずに離れたとこから見てたら、中に入られちゃって。なんなんだあ、って突っ立っていたら、正二さんに声を掛けられた」


 香奈は、まだなんだか分からないながらも、頭を掻いて、へへえと笑った。


「で、みなさんこんなところでなにをやってるんですかあ?」

「なにをやっていると思う?」


 シャッターの「閉」ボタンを押しながら、正二さんが尋ねる。真っ白厚塗りの、目の周りにコウモリの書かれた顔で。


「バンド」

「ご名答」


 正二さんは、右の親指をピッと立てた。


 そういや正二さんって前々から親指立てる癖あるよなあ、などと思っていると、ボサボサライオン頭の秀夫さんが、


「演奏でも聞いてくかい? 香奈ちゃん」

「バンドの演技、ではなく、本当にバンドやってたんですね。……演奏、聞いてみたいです」


 香奈がいい終えるが早いか、正二さんは右腕をぶんと振り上げた。


「いくぜっ、みなの衆っ。曲は、ええと、とりあえず『ブラックスコーピオン』!」


 正二さんの弾けるような大声に、残りの三人は頷くと、よれよれとした手つきでそれぞれの楽器を構える。

 外間豊さんがドラムの縁をスティックでカチカチ叩く。


「ワン、ツー、ワンツースリーフォー!」


 三人の老人たちは、演奏を開始した。

 がしゃがしゃと、激しいリズムの曲。


 香奈はすっかり唖然としてしまっていた。


 ごくり。

 唾を飲み、そのまま立ち尽くしていた。


 耳に、皮膚に、脳に、じわじわとした、衝撃を受けていた。

 衝撃というのは瞬発的なものなのに。でも、それ以外に、なんて思えばいいんだ。自分の感覚を。

 なんていえばいいんだ。これ。この演奏は。

 どう捉えればいいんだ。このリズムを。

 これは、なんだ。

 なんなんだ。


 すっかりと混乱してしまっていた。


 好みや感性の違い、では擁護出来ないくらいに、ヘタクソだったのである。

 彼らの演奏は。

 それはもう神がかり的なレベルで。

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