第9話 命の恩人
目を開けると目の前に虎の顔があった。
大きく開かれたつぶらな瞳には、獲物を見つけた肉食獣のそれではなく、好奇心が浮かんでいるような気がしないでもない。うん、きっとそうだ。私は食べてもおいしくないだろうしね。
現実逃避をすべく首を右方向へとゆっくりと動かしていく。建付けの悪い扉が開くときの音が聞こえそうな様子でなんとか首を回したけど、そっちにも虎の顔があった。
「ひいぃぃ……」
だけど思ったよりも声が出ない。
なんだか視界がぐるぐる回ってるし、体もうまく動かせない。
『相当衰弱しているようだな。今すぐに栄養摂取しないと本当に死ぬぞ』
「ぇぇぇ……」
キースの声がどこからともなく聞こえてきたが、その内容は端的に今の私を表しているようだった。
一気に目の前にいる虎のことなどどうでもよくなった。うつろな目で周囲を見回すが、相変わらず森の中にいるということくらいしかわからない。
ふと目の前の虎が視界からいなくなる。
なんとかしないといけないとは思うけど、どうすればいいのかもよくわからない。だんだんと頭も回らなくなってきた。
もうすぐ死んでしまうのかと漠然と考えだした時、目の前に虎が戻ってきたかと思えば口元が何かで濡れた。
――甘い。
必死になって口元に注がれる甘い液体を嚥下する。
徐々にクリアになっていく視界の中に、虎が咥えている果物から果汁が自分に向かって滴っている様子が見えた。
「お前……」
ゆっくりと手を伸ばすと虎が顔を寄せてくる。
「グフフフ」
果物を咥えながら発した声は変な声だった。
「はは……、ありがとうな」
わしゃわしゃと顔を撫でると虎は嬉しそうに目を細める。
そのまま果物を受け取るとゆっくりと味わうようにして食べる。直径15センチくらいもある大きな果物だ。ピンクか黄色が混ざったような色でとても甘くておいしい。そして柔らかい。
半分も食べないうちにお腹いっぱいになった私は、再び意識を失うようにして眠りについた。
目が覚めると隣に虎が寝ていた。
びっくりしたけどもう怖くはない。私を助けてくれた、命の恩人だ。
上半身を起こして虎の全身を観察してみるが、私の身長より大きい。
空を見上げてみれば星が瞬いており、すでに夜の
そういえば二匹いたなと思い周囲を見回してみると、すぐ後ろで寝そべっているもう一匹の虎を発見した。なんというか、隣で寝ている虎の2~3倍はある大きさだ。もしかして親子なんだろうか。
『ようやく気が付いたか。ひとまず、衰弱からは脱したようで安心した』
「うん。なんとか生きてるよ。あのときはいっしゅんでも、死をかくごしたけどね……」
『こんなところで貴重なサンプルが失われるのかと思ったぞ』
「さいですか」
虎のお腹をやさしく撫でながら適当に返事をする。
「そういえば最初に虎に出会ったとき、なんで大丈夫だろうってわかったの?」
『アイリスには魔物友好因子を多めに注入してあるのだ』
「なにそれ」
魔物友好? 魔物と仲良くなれるってこと?
『文字通り魔物に好かれる因子だ。主にテイマー系の職業に就く者が多く持つ因子でもある。ばったり出会った魔物にいきなり殺されでもしたらもったいない』
とはいえそれでも友好的になってくれない魔物もいるらしい。もともと知力の低い魔物や、アンデッドなどがそうらしい。
「へぇ」
『しばらくはこのあたりでホワイトキングタイガーと療養でもしておくのがいいだろう』
「この虎ってホワイトキングタイガーって言うんだ」
聞いたことのない名前の魔物だな。ラルターク皇国には生息していないんだろうか。
ふと虎の反対側に食べかけの果物が残っていたので手に取って口にする。
うん、とても甘くておいしい。
食べ終わると真ん中に大きい種が一つ残った。何となく残しておきたくて辺りをキョロキョロすると、背負っていた鞄を見つけたので取りに行こうと立ち上がる。
「おっと……」
何とかふらつきながらも立ち上がったが、改めて手を見てみると果汁でべとべとだ。
『川なら向こうにあるぞ』
キースの指す方向に目を向けると、木々の向こう側は暗闇が続いている。じっと目と耳を凝らしていると、川のせせらぎが聞こえてきた気がした。
「ちょっと行ってくる」
よたよたと歩いて行くとぼんやりと川が見えてきた。川幅は二メートルくらいだろうか。穏やかに流れていて川底が見えるくらいに浅い。多少深いところもあるが、それでも私の太ももくらいだ。
手と口元を
『この川の水は飲めるようだな』
後ろをついてきたキースが川の水へと光を照射してそんなことを言う。
「へぇ、じゃあ水筒に汲んでおくか」
またもよたよたとホワイトキングタイガーの親子の元へと戻ると、小さい方の虎が起きてこっちに歩いてきているところだった。私を見つけて小走りで近づいてきたので身構えたが、突進してくることなく私の手前で止まると顔を舐められた。
「うわっぷ。はは……、ありがとな」
高い位置にある顔を撫でてやると、この子虎の顔も果汁でべったりだった。
もう一度川に戻って顔を洗ってやることにした。
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