おかず横丁の悲劇

三上夏一郎

第1話 おかず横丁に立つ男

その年のある夏の日、僕はおかず横丁に立っていた。


あれは1996年のことだった。N県のM町では、原発建設の可否を決める住民投票が行われようとしていた。

建設推進派の中心は、電力会社である。東北地方の電気に関わる事業を独占するその電力会社は、潤沢な資金を注ぎ込み、一大キャンペーンを展開した。原発建設推進派と反対派の分断を図ったのだ。もちろん目的は推進派が勝利をおさめることである。電力会社は東京の大手広告代理店に業務を発注した。


おかず横丁は東京都台東区鳥越にある商店街だ。文字通り惣菜を売る小さな店がずらりと軒を連ねる通りだった。夕方になるとその日の夕食のおかずを買う主婦や勤め人でごった返した。かつては。少なくともその頃まではそうだった。昭和の香りを残す、極めて商店街らしい商店街だったのである。僕がそこにいたのは、あるCMの撮影のためである。

それは原発推進キャンペーンの中核となるテレビCMだった。

東北地方とN県のみで放映されるCMで、その割には巨額の費用が投じられていた。何人かの有名タレント、文化人と呼ばれるテレビ芸人が起用され、カメラ(つまり視聴者)に向かってさりげなく原子力発電の必要性を訴えるという内容である。しょせん、内容は嘘八百だった。そのような嘘八百をそれらしく見せるために僕たちプロフェッショナル技術集団が雇われる。

その頃僕はCMディレクターとしてめしを食っていた。自分でいうのも何だがあまり腕のいいディレクターとはいえなかった。業界では二流、いや三流以下の評価だったと思う。だからあのような仕事が回ってきたのだ。


原発推進のCMなど誰が進んでやりたがるものか。


それから二十数年後……

僕は再びおかず横丁を訪れた。今度は下町の人気ラーメン店を紹介する番組のロケハンのためだった。とうにCMの世界からは身を引いていた。あのCMを仕上げた後、番組系のディレクターへと転身したのである。すっかりCMに嫌気がさしてしまったのだ。そしておかず横丁を歩いていて僕は突然あの日の記憶を思い出した。ロケハンで訪れた横丁に残る古い漬物屋で買い物をしていた時のことだった。

(ああ、あれはやはりここだったのだ)

僕はそのことを確信した。あやふやだった記憶が、やがて確かなものとなった。

僕とあの人はあの時、確かにこの横丁に立っていたのだ。あの人とは、自殺した俳優Fである。

俳優Fもまた、そのCMの出演者の一人だった。彼が出演するCMのコンテンツはこんな感じだ。


彼は、下町に住んでいる(何故か彼はバンカラなイメージを持たれていた、根拠は無い)。夕方、近所の銭湯に出かける(本当はそんな筈は無い)。タオル一本を肩にかけ、下駄をつっかけて(更にそんな筈は無いのだ)。暮れ泥む、下町の平和な商店街をぶらぶらと歩きながらふと漏らした本音がメッセージとなる(おいおい、まともに考えたら全くあり得ない話じゃないか!)。

CMの演出家は(もしくはCMディレクターともいうが)いつの頃からかCMの内容に関する権限をほとんど失った。それを担当するのは広告代理店のクリエィティブディレクターでありコピーライターである。かつてはCMディレクターが全てを支配する時代もあった。しかし広告の媒体、そして取り扱う費用の総額が増加するにつれ、とてもCMディレクターごときやくざな連中に全てを任せることはできないという空気が醸し出され、いつしかそういう流れとなっていったのだ。それでは内容に口をはさめないCMディレクターが何をするかといえば、ディテールを担当するのである。つまりこの場合は舞台、背景となる商店街を探し出し、出演者の衣装イメージを決め、CMであるからエキストラの人数、役割を決め、撮影の時間帯を決める、そんな感じだった。こうして振り返ってみてもあまり楽しそうな仕事とはいえない。僕がCMの世界から身を引いたのにはそういう背景もあったのだ。

そんな訳で、僕はこの仕事に関して取り組む体温がとても低かった。いや、まったくやる気がないといってよかった。

なにしろ原発推進など基本的には反対だった(このCMに関わった人で、本気で原発に賛成している人間は一人もいなかったと思う、出演者である俳優Fを含めて)。スリーマイル島、チェルノブイリの原発事故がその後どれ程の災禍を周囲にばらまいたかは知っていたし、広瀬隆氏の著作「東京に原発を!」だって読んでいた。しかしスタッフの民度は総じて低かった。CMの世界は、フリーランスが多いという事情もある。つまりギャラさえ貰ればどんな仕事だって引き受ける。プライドなどないのだ。皆「カントク、なんでそんなにカリカリしてるんですかー?」てな調子だった。

僕は制作会社の社員ディレクターであったゆえ、そういうフリースタッフとは多少立場が違った。ギャラでは割り切れない、精神の葛藤を抱えていたのだ。なら断ればいいじゃないかというむきもあるだろう。しかしこの時は欲に負けた。社員ディレクターであるから、金銭欲ではない。この作品(CMを作品と呼ぶのは本当は嫌なのだ、おこがましい)は、フィルムで撮影される予定だった。しかも35ミリフィルムである。同録、つまり撮影しながら出演者の声も録音するという現場になることから、カメラはパナフレックスを使ってもよい、とプロデューサーから示唆されていた(後から思えば、これは僕に対する罠、というかエサだった)。

パナフレックス。それはアメリカ製の、ムービーフィルム業界最強のカメラである。ハリウッドの大作映画はほとんどこのカメラで撮影されていた。カメラフェチの僕にとって、それはたまらなく魅力的なエサだったのだ。

「え、パナで撮ってもいいんですか?」

プロデューサーから、機材の話を聞かされた時に、僕の体温は一気に上昇したものだった。

「そうだね。Fさんは大物だし、本編もたくさん出ていらっしゃるから、カメラはパナがいいんじゃないですか」

プロデューサーは、僕の耳に甘い言葉を囁いた。悪魔の囁きとはああいうことをいうのだろう。

彼は〔クレイジー〕と渾名される男だった。「お客様が」「何しろお客様が」というのが口癖で、広告主(クライアント)や広告代理店を神のように崇めていた。もしくはそのように装っていた。「お客様」の言う事には絶対服従で、立場の弱いスタッフには強権を発動した(嫌な奴だ)。パナフレックスの使用も、今にして思えばお客様、広告代理店あたりの意向だったのかもしれない。

しかし僕は舞い上がった(未熟者め!)。原発推進の仕事であることには、片目をつぶろうと思った。何しろ当時の僕はCMディレクターとはいえ、メインの仕事はテレビショッピング程度のディレクターだったのだ。もちろん野心はあった。

(CMを足がかりに、いつかは映画を)

そんなことを思っていた。エイリアンを撮ったリドリー・スコットをはじめとして、CMから映画へ、世界ではそういう潮流ができつつあった。その流れはやがて日本にもくるだろう、そんなことを考えていた。恐れ多くも畏くも。

原発は人の野心や欲望につけ入ってくる。





  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る