第66話 お泊り会②

『茉那ってぶりっ子で気持ち悪いよね』

『あいつクラスの子の彼氏取ったって聞いたけど』

『ヤバっ、普通に引くわ』

お手洗いの前を通った時にクラスの中心グループの子たちが言っていたのを聞いて、視界が揺れて、地面が沈むように感じられたあの感覚がこみあげてくる。


「茉那さん……?」


いつの間にか不安そうに美紗兎が顔を覗き込んできているのに気が付いた。茉那は俯きながら震えていた。


「わたし、取ってないよ……。放課後呼び出されて逃げたの……。彼女がいるって知ってたから……。あの男子のこと好きでもなかったし、喋ったこともほとんどなかったもん……」


「そんなこと答えなくてもいいですって! わたしはただちょっと中学時代に会えなかったことが寂しくて言っちゃっただけなんですから!」


きっと美紗兎の耳にも茉那の嫌な噂は届いていただろう。中学時代、茉那がクラスの中心グループの子の彼氏を誑かせたという噂。年上の子に可愛がられやすい美紗兎のことだから、きっとどこかで先輩から軽い雑談みたいな感覚で聞いているはずだ。


息が荒れて、呼吸が速くなる茉那のことを美紗兎がギュッと抱きしめた。


「もう何も言わなくていいですよ。茉那さんが言いたくないことは聞きたくないです」


美紗兎が茉那のことを抱きしめる力が強くなる。美紗兎の優しい気持ちに身を委ねる。茉那が力を抜いて美紗兎の方に体を預けた。一気に体全体に安心感が押し寄せてきて、茉那の呼吸も次第に落ち着いてくる。


「ねえ、みーちゃん。そのままギュッとしてもらってても良い?」


「もちろんですよ」


ゆっくりと茉那は呼吸を落ち着かせてから話し出す。


「みーちゃんは……、わたしが人の彼氏取ってないってこと……、信じてくれる?」


時々鼻を啜りながら言葉を発していく。茉那は自分で思っていたよりも甘えたような声になってしまっていた。


「当たり前ですし、そんなこと答えるまでもないですよ。もうこれ以上、そんな話はやめましょうよ」


「みーちゃんは優しいね」


茉那はそっと美紗兎の髪の毛を撫でた。美紗兎のサラサラとしたポニーテールは本物の動物のしっぽみたいに気持ち良くて、心も落ち着いてくる。


中学時代、茉那のイメージは悪かったから、美紗兎と一緒にいると美紗兎のイメージまで悪くなってしまうかもしれないと思った。だから、意図的に美紗兎と距離を取ったのだ。


小学生まではあれだけ仲が良かったのに、中学時代にはほとんど顔はあわさなかった。同じマンションだけど、美紗兎が家を出る時間も、帰る時間もよく知っていたから、意図的に会わない時間に帰ったりもしたし、姿を見つけたときには慌てて物陰に隠れてやりすごしたりもした。


美紗兎のことだから、きっと茉那の変な噂を聞いても気にせず仲良くしてくれただろうけど、それで美紗兎まで一緒に嫌な思いをしてしまうことだけは避けたかった。


暫くして、茉那の心が落ち着いて涙もやんだ頃に美紗兎が茉那の身体からゆっくりと離れる。


「落ち着きましたか?」


茉那が目を擦りながら小さく頷ずくと、美紗兎がクスクスと笑った。


「傘忘れた時みたいにビシャビシャになってますよ。お風呂入った方が良いんじゃないですか?」


「そうだね」


顔を濡らし、目を充血させて、鼻の頭を真っ赤にしながら、茉那も笑った。


涙で顔中を濡らしてしまった茉那は、たしかにお風呂に入りたかった。だから、立ち上がってお風呂場へ向かおうとする。


「行こっか」


茉那が座ったままの美紗兎の手を握って、引っ張ろうとする。


「行くってどこに?」


美紗兎の要領を得ない回答に茉那が首を傾げた。


「どこって……。お風呂に入ろうって言い出したのはみーちゃんの方じゃないの……?」


美紗兎は、要領の得ない茉那の回答を聞いて少しの間キョトンとした後、意図を理解して目を見開いた。


「……一緒に入るってことですか!?」


「え、うん。そうだよ」


茉那は美紗兎がどうして驚いたような表情をしているのかがわからなかった。いつも茉那の家でお泊りをしたときには一緒に入っていたのに、どうして今日は拒むのだろうか。


「もしかしてわたしと一緒だと嫌だった……?」


茉那が恐る恐る尋ねてみたら美紗兎が慌てて首を横に振った。


「い、嫌じゃないです! 入ります! ちょっと着換えの準備するんで先に入っててください。脱衣所に2人一緒だと狭いでしょうし」


茉那はうん、と頷いてから先にお風呂に向かった。

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