雨と猫
水武九朗
雨と猫
今年は早めの梅雨入りという事らしく、5月の末だけど天気予報は雨天一色だ。
4月から通い出した高校は自宅から徒歩圏内なので、余程の雨風じゃないと僕の溢れる帰宅愛の障害にはならない。
学校を出て10分程で家に着いた。
自宅の一階は骨董店をやっていて、住居用の玄関は裏に回った階段を上がって2階にある。
雨が降り続く中、2階にある玄関に続く階段を上っている時、雨音に混じった鈴の音が聞こえた。
「風鈴の季節にはまだ早いだろうに」
とツッコミながら階段を上っていくと、鈴の音は玄関の方から鳴っていた。
玄関に鈴?と思いながらドア前に行くと、ドアの前に猫がいた。
白地に黒い模様で、雨に濡れたようで震えている。
首輪をしていて鈴がつけられているので、どこかの飼い猫だろう。
だけど、うちのドアを開けろと言わんばかりに右前足で掻いている。
「こらこら、ここはお前の家じゃぁないだろう?」
と傘を畳みながら鍵を開け、猫をドア前からそっと手で離しながらドアを開けたとたん、猫は回り込んで玄関に入っていった。
中に入っても、
僕より先に家に入ったのは無遠慮だけど、
タオルを持って玄関に戻ったけど、猫はまだ
「おまえ、よく解ってるなぁ。ほら、濡れたままは家に上がらない」
と猫の体を拭きながら僕は呟く。
んなぁ~
と猫が返す。
僕には、肯定か否定か、それとも「解ってる、バカにするな!!」という抗議なのか、猫の言葉は解らなかった。
タオルで拭いてると、猫の体温がかなり下がっているのか震えているのが分かった。
「寒いか。じゃぁ風呂だね」
タオルに包んだ猫を抱えて、浴室に向かって洗面器にお湯を張る。手で温度を計るけど、猫って人と同じ位の温度で大丈夫なんだろうか?猫を飼った事ないけど、取り合えず今冷えてる体を温める方が先決だろう。お湯は少しぬるめの温度にしてそっと猫を浸けてみる。
暴れると思って体は引き気味だったけど、猫は大人しくお湯に浸かっている。
「ふぃ~、暴れるかと思ったよ。しっかしお前ほんとに大人しいな」
とお湯に浸かった猫の体を揉む。どうやら震えは収まってきたようだ。
お湯の中で猫の体を撫でてると、玄関のドアが開く音がする。
「あれ、ひさくん帰ってきてるの?お風呂?」
どうやら母が店から上がってきたみたいだ。母は僕の「
僕をこう呼ぶのは母だけだ。
と洗面に入った所で、風呂の入り口に座り込んでいる僕の上から中を覗き込んでくる。
「あら?そちらはどこのどなたさん?」
「家の前で雨に濡れて震えてたんで温めてる。そういや、まだ首輪見てなかったな」
と猫の首輪に付いてるタグを見ると、電話番号と名前?があった。
『XXX-XXX-XXXX 十時 トノ』
「電話番号と名前がある。10時?殿?」
と僕は猫を湯から上げて、新しいタオルで拭いた。その間に、母は猫の食べれそうな物をネットを見ながら探しているようだ。
「へぇ~、牛乳駄目なんだ。あ、無調整豆乳あるからレンチンして・・・、キャベツとささみがあるから茹でちゃおう」
とノリノリで猫のごはんの準備をしてくれている。
「あ、ひさくん。ドライヤーで顔に当てないように乾かしてあげてね~」
へぇ~、拭くだけじゃダメなんだ。と一通りタオルで拭いた後、一度洗面の床に置いてドライヤーを取ろうとしたときに、首だけぶるぶる振るわせた。
背中から撫でながらドライヤーの温風をかけてやると、気持ちよさそうに目を細める。
♪♪♪♪~~~
レンジの温めが終る音がする。
猫はドライヤーはもう良い、と言わんばかりに洗面から台所の方にゆっくりと向かっていった。
洗面から出る時に「苦しゅうない」とでも言わんばかりにしっぽを軽く揺らしていった。
ドライヤーの電源を切り、僕も台所に向かうと、既に母さんから出された豆乳を美味しそうに舐めていた。
「この子お利口ね~。友達で飼ってる子は、お風呂いれるの大変って言ってたけど、この子なんだか淡々としてるわね。なんだかひさくんみたい」
はい、という訳でご紹介に預かりました猫のそっくりさんです。と一心不乱に豆乳に夢中の猫の背中を撫でる。
うぉぉ、毛が柔らかくて撫でるのが気持ちいい。これが猫の魔力か。
母さんはお湯が沸いたのでささみとキャベツを細かく刻んで茹でている。
「そういえば、名前なんて書いてあるって言った~?
夢中で豆乳を飲む猫から、首輪にぶら下がってるタグをそっと見せてもらおうとすると、邪魔をするな、と言わんばかりに伸ばした手をはたかれる。
でも爪は立ってなかったので、柔らかい何かが当たった閑職しかない。
首輪を回して、タグが見えるようにすると、手を離す。
猫はまだ豆乳を舐め続ける。
「そう。漢数字の十に、時間の時。あとカタカナでトノって書いてある」
母さんは茹で上がったささみとキャベツをざるにあげて流水で冷やす。
「それ、『じゅーじ』さんじゃなくて『ととき』さんていうの。ご近所さんよ。たしか娘さんが忠良さんの同級生で、結婚しておうちは出てたと思う。同じ町内だから、会うとご挨拶するもの。でも、いつも『
そんな苗字読めないよ普通。でも逆に知ってる人はすぐ解るのは良いことなんだろう。そうなると、こいつはそこから逃げ出してきたのかな。
「電話してみたら?近所の
と水を切った茹でたささみとキャベツの皿を、猫の前に置くと、豆乳そっちのけで今度はささみにかぶりついた。
はいはい、ちょっとゴメンよ、とタグの電話番号をスマホに打ち込む。
……………………
電話に出ないようだ。取り合えず留守番電話に名前と猫が迷い込んできてたので預かってます、と残しておく。
猫は一通り食べ終わったようで、薄いキャベツが数枚皿に見えるだけだった。満足したと言わんばかりに、なぜかソファーに座っている僕のひさの上に乗って来た。
「お前、なんでうちに来たんだ?」
と背中を撫でても、猫は何も答えなかった。
それからもう一度電話を掛けなおしたけど、変わらず留守番電話になったので、母さんから
ペットのキャリーケースなんて物は家にはないので、タオルを敷いたトートバッグで運ぶ事にした。
「でも、この子本当にお利口さんね。ペットって濡れるの嫌がったり、初対面のひさくんの膝に乗ったり。どこかで隠れて飼ってた訳じゃないよね?」
「そんな訳ないよ。名前のタグだってあるし、
「そうよね~。でもペットってこんなにお利口さんなら、家でもペット飼うのも良いかもね。可愛いし」
と母さんがバックから顔を出している猫の肉球をフニフニしている。
「そういうのは命の責任を考えて、って子供に教える所だよ」
「ひさくんがそういう事解ってるから言ってるんじゃない」
「はいはい、わかりましたよ。じゃぁ、この猫返してくるね」
え~、と母さんは名残惜しそうにまだ肉球をぷにぷにしているのを引き剥がし、バックに詰め込んで、雨の中僕は家を出た。
家を出てすぐの道に出ると、黄色いビニールがウロウロしていた。
「ほら、
「だって~、帰ってくる時にそこにねこさんが居たの~。まだ近くにねこさんいるはずなの~」
隣の家に、今年小学校にあがった女の子が住んでいる。それが
なぜか僕には上から目線でくる、ちょっと面倒な、いやおませな女の子が、猫が猫がと騒いでいる。
その女の子が、母親が止めているにも関わらず、黄色いレインコートを着て雨の中家の前をうろうろしている。
嫌な予感がする。
もしかしてお前、あの子から逃げてうちに来たのか……
「あら貴久君、こんばんわ」
「あー、タカヒサ!!近くでねこさん見なかった?しろいの。で少し黒いの」
その猫はカバンに居ますよ、と言えるはずもなく。
「猫?この雨の中だったら、どこか雨宿りできる所に居るんじゃないかな?多分。猫って水に濡れるの嫌いだから」
「そうなんだ~、ふぅ~ん。でもなんだか普段持ってないカバンもってるよね?何入ってるの?」
家から出た所で「ちょっと何持ってか出してみ」と、受けたことは無いけど、職質にあったようだ。
いくら頻繁に職質を受ける人でも、自宅を出てすぐにはあるまい。そんな事は、逮捕される時くらいだろう。
「え?なんで見せなきゃいけないんだよ。あ、そういえば、雨に濡れると駄目な物が入ってるから見せられないんだ」
つい『そういえば』って言ってしまった。誤魔化すにしても、もう少し綺麗に誤魔化せないものか。
「雨に濡れたら困るのに、どうして上が空いているカバンなの?」
どう言われると、僕は何も返せない。
恐らく、僕は気まずい顔をしてたのだろう、僕の態度を怪しんだのか、
「あ、ねこちゃん!!」
猫が僕の顔を見る。『やってしまった、どうしよう』と言わんばかりに。
「タカヒサ、なんでねこちゃん隠してたの!!」
仕方ないので、雨の
「えぇ~、ねこちゃん帰っちゃうの?もう会えないの?」
「ご近所さんだから、会えない事は無いと思うけど。でも今回逃げ出してきたみたいだから、これからは家から出さないようにされるかもね」
むぅ~~、と膨れた雪南はご不満なようだ。
「じゃぁ、
また面倒な事を言い出した。隣の高山さんは雑貨屋さんをやってるので、お母さんは店番で離れられない。
それはつまり……
「私はお店があるし。ゴメンね貴久君、
という事で、日も落ちて薄暗くなった雨の中、黄色い幼女と猫を連れた男子高校生のお散歩だ。
途中に交番があるけど大丈夫か?職質されたりしないだろうか?
いくら僕を見ても、済まないけど助けてやれない。
さほど時間もかからずに
表札にも『十時』の字があった。
呼び鈴を鳴らす。電話と同じように反応はなかった。
「留守か、それともお前を探しに行ってるのかな?」
とトートバッグの中の猫を見ると、猫は
「あ、ねこさん……」
雪南が寂しそうに言うと、猫は門扉の中に入って、玄関の前で一度、こちらを振り返った。
雨の中、しばらく僕たちを見た後、玄関から家の横の方に回り込んでいった。
そういえば、もう日が暮れていて街灯も点いているのに、門扉の明かりが点いていない。猫を探しに出たのなら、明かりは点けて出ていくのじゃないか?
なにか、おかしい。
もう一度、携帯から電話を掛けてみる。家の中で電話が鳴っているのが解るけど、中で人が動いている気配が無い。
着信音が続く中「ねこちゃーん、どこいったのー」と雪南が猫を追って門扉を開けて中に入ってしまった。
これは、僕も追っていかないといけない流れだろうな。放っておいて素直に戻ってくる
それに、違和感を感じている。
人が外出しているなら門灯を点けているだろうし、人が中にいるには電話に応答がないし静か過ぎる。
いやな想像が当たらないといいが。
「先に行くんじゃない雪南!ちょっと待ってろ」
と僕も門扉を通って家の脇を抜けた。
そこは中庭のようになっていて、幾つもの鉢植えが置いてあった。
その中庭に雪南はいて、窓から家の中を見つめていた。
「
と雪南の所にいくと、
そこから雪南が見つめる窓をみると、窓は少し空いているようで、猫はどうやらそこから外にでたみたいだ。それが、今家の中に戻って鳴いていた。
ナァ~~、ナァ~~~~~
何かを訴えるような、誰かに知らせたいような、そんな鳴き声だった。
窓からは中の様子が解らなかったので、スマホの明かりを窓から照らして見ると、窓の側にあるソファーに誰かが座っているようだった。
暗闇の中、それはとても穏やかに眠るような、老婦人がそこに座っていた。
僕はスマホの明かりを消して、電話を掛ける。
「………あ、もしもし、警察ですか。どうやら人が亡くなっているようです。はい。はい……」
電話を終えると、
「あのお婆さん、眠ってるの?ねこちゃんが鳴いても起きないの……」
「……そうだね。きっと疲れてるんだろう」
僕は「中で人が亡くなっているのが庭から見えます」と事情を話すと、警官の一人が庭の方へ回り込んで入っていった。もう一人の警官に、僕と
そこから、暫くの間警官にこの家に来た事情を説明していると、警察の増援も駆けつけてきて、結構な騒ぎになっていた。
その間、またどこかに行かないように雪南の手をつないていたが、どうやら眠くなったようで、うつらうつらとしだした。警官に一旦雪南を送っていく、という事を伝えた時には、もう
猫がいつの間にか戻ってきて、バックの中に入っていた。
飛び出したのも勝手だけど、飛び込むのも勝手か!
「あ、これがさっき話した猫です」
と、それを見ていた警官に説明する。
猫は、雨に濡れた所を中のタオルで拭いているようにバックの中でゴソゴソと動き回っている。
「……この猫、君にとても懐いてるみたいだけど、君が飼ってる猫じゃないんだよね?」
警官が訪ねてくるので、カバンの中に手を入れて猫の首輪のタグを警官に見せる。
こら、あばれるな。
「タグも
警官も理解はしてくれたようで、この猫はひとまず今夜は家で預かることになった。
5分程の帰り道を、半分眠っている
まだ降っている雨で傘もさしてるので、立って歩くだけで精一杯だ。
「……お前は何でうちに来たんだ?僕なら飼い主さんを見つけてくれるとでも思ったのか?」
カバンの中に話しかける。
な~~
「猫の言葉は解からないんだよ。僕に解る言葉で言ってくれ」
首筋に
子供でもまだ眠るには少し早い時間だ。
「
す~、と答えが寝息で返ってくる。
雨は変わらず降り続いていた。
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十時さんの家に行ってから3日後、警察から現状の連絡があった。
どうやら亡くなっていたのは『十時うね』さん87歳。死後3日程経過していて死因は老衰。自宅の窓は空いていたけど、猫と僕達以外に侵入された形跡はなく、今の所警察は自然死とみていて、事件性は無いとの事だった。
父さんと同級生だった娘さんは親子関係が疎遠だった事もなく、連絡を受けた翌日には嫁ぎ先から帰ってきてうちにも挨拶にきた。いわゆる人の良いおばさん、な印象の人だった。
「母さんを見つけてくれて、ありがとうね」
それまで明るく話していたおばさんが、僕にお礼を言った時不意に寂しそうな表情が印象に残った。
うねさんは長らく猫を飼っていて、先代の猫が亡くなった時の落ち込んでいたそうだ。娘さんが家で飼っていた猫がちょうど子供を生んだので、見かねた娘さんがその中の一匹を母にと譲ったらしい。先代を無くした喪失感が、その子猫を育てる事で薄らいだと安心していたそうだ。それが2年前の事らしく、「トノが母を2年長く活かしてくれた」と言っていた。
ちなみに、トノは体の模様の「モノトーン」の中をとってひっくり返したらしい。
トノは娘さんが引き取って帰る、と話がでると、トノは僕の背中に回って僕が来ていたパーカーのフードの中に入ってしまった。
「あらあら、トノはちの子達にも懐いてないのに。……トノも懐いているようですし、よかったら……」
という流れで、
これに反対したのは雪南で「タカヒサだけねこちゃんと一緒でずるい」となり、時折うちに雪南がトノに会いにくる。
当のトノはとういと、雪南がくると雪南の手の届かない、なるべく高い所に逃げるようになる。
のぼる所が無い時は、僕の頭にのぼってくる。
それを見上げる
ジト目で僕を見つめるトノ。
やっと抱っこできた
悪かったよ。
つい出来心だったんだよ。
その翌日の朝、トノが僕の靴の中に居座った事で、徒歩10分の学校に遅刻しかける羽目にあった。
僕は帰りに仕入れたチュールを献上することで、何とかトノのお怒りを鎮めてもらう事に成功した。
雨と猫 水武九朗 @tarapon923
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