第2話 Tutorial

 ―――<DIVA>というオンライン・ゲームがある。

 いわゆる、大規模多人数同時参加MMORPG型だ。

 中央ヨーロッパのとある国で開発されたという触れ込みで、宇宙を舞台にしている。

 私が存在を知った約八年前には、まだ日本語版はリリースされていなかった。

 たいへんプレイヤーの自由度が高く、戦闘はもちろんのこと、採掘や生産、商売、調査探検、エトセトラ、etcと何でもやれた。

 単独で動くことも可能ならば、仲間を集めることも、他のMMOで言うところのギルドに相当する「商会」を組むことも、更にはより大規模な「協定」を結ぶことも可能である―――

 ゲームレビューをやっている情報サイトで目に留まり、強く興味をそそられた。

 世間のことなどまるで分かっていない、甘ったれた餓鬼だった私は、ディスプレイのなかの疑似世界に飛び込むことにした。

「英語の勉強にもなるかもしれない」

 などと思ったように記憶しているが、言い訳に近い。

 本当は「世界で一つのサーバーを使っている」という点に、惹かれたのだ。

 宇宙を舞台にしているところも、魅力的だった。無限の広がりを感じた。

 私はまだ高校一年だった当時、ちょっとした事情により同居する家族はもうおらず、子供から大人になる過程に特有の捻くれた感情を持て余していて、世間に閉塞感を感じていた。何か目新しいことをやってみたかったのである。

 かなり長い時間をかけてインストールを終えると、私は早速、<DIVA>を始めた。

 最初は、一体何から手をつけていいか迷うほど、自由度は高かった。いまではチュートリアルモードがあるそうだが、当時はそんなものすら無かったのだ。

 ―――別の人生を歩んでいるかのように、何をするのも自由。

 それが謳い文句だった。

 戸惑いを乗り越えると、私は仮想の宇宙空間にのめり込んでいった。

 丁寧に、丹念に、驚くほど細部まで創り込まれた設定。

 一万を超える星系。大きく分けて二つの勢力。

 本物の学者が研究分析に使うほど現実世界に近い、プレイヤー主体の自主経済。

 宇宙船に基本となる型や大小はあったが、軍艦も商船もモジュール構成で性能が決まるため、プレイスタイルに合わせた広範なカスタマイズが可能。

 世界中から参加するプレイヤーたちと付き合っていくうちに、確かに私の英語能力は伸びた。特にリーディングとライティング、語彙表現は。

 だが、現実世界における学校成績は、下位に陥ってしまった。

 のめり込み過ぎたのだ。

 毎日、寝不足。

 授業など、上の空。

 帰宅するなり、深夜まで仮想の宇宙に乗り出した結果である。

 <DIVA>世界の、用意周到な準備がしっかりと結果に繋がるという点―――

 そこが私の嗜好に合致しすぎてしまったのだ。

 お蔭で、短期的には少しばかり弱ったことになり。

 長期的には、ちょっと信じられない体験をさせてもらうことになった。



「おつかれ、ジギー」

「お疲れ様、雅人・・・ どうしてアロハなの?」

 西暦二六七九年二月一一日。銀河ギャラクティック標準時・グリニッジ午前一一時半。

 惑星パルティア軌道上、宇宙港。

「私の時代の日本は、夏真っ盛りなんだよ。今年は暑い」

 時間跳躍を終え、艦長室に到着した私は、応えた。

 五次元を経由して六〇〇年以上を跳び、三次元に戻るという作業は、毎回冷や冷やする。

 光ではなく、重力を利用することで相対性理論を乗り越える技術を生み出した<連邦>は、完全に安全だと保障しているが。

 毎度、自宅の一室に置いた<転送装置トランスポーター>に作り出される、透明なジェル状の時空の歪みに飛び込む瞬間、

 ―――このまま、二度と戻って来られず。辿り着くことも出来ず。多次元のなかを彷徨い続けるのではないか。

 などと、鳩尾から股間の辺りがヒュンとする。

 おかげで、思い出したくもない若気の至りまで回想してしまった。

「早く、着替えてらっしゃいな」

「うん」

 宇宙艦艇の内部は―――とくに<艦橋>は、艦内機器の保護やPAIの能力発揮のため、うんと低く室温が保たれている。まるで真冬だ。

 公室と私室に分かれる艦長室のうち、私室へ。

 木目調のクロークを開け、海軍や船員と言えば誰もが想像する濃紺の袖章付きジャケットとズボンに着替える。素材は羅紗のようだが、実際にはあれこれと最新の科学技術を用いた、耐寒性と耐炎性もあるものだ。

 姿見を確認した。

 アイドルのように優顔とまではいかないものの、まあそれほど悪い方でもないだろうと己では判断している、身長一七〇センチほどの、二〇代半ばの男がいた。外見や年齢的価値観については、二一世紀の、日本の基準でだが。

 西暦二七世紀の、その気になれば脳の老化まで止めてしまうアンチエイジング技術を、プレイヤー特典として本格的に使い始めるなら、そろそろだ―――

 そんなことを考えてから、ジギーから報告を聞いた。

 艦は―――我が愛しの<畝傍>は、パルティアの宇宙港ですっかり補給を終えていた。

 整備や修理を要するような箇所も無い。通常航行時の高視認性表示と、戦闘航行時の低視認性表示を切り替える素子の幾つかが怪しかったから、交換は済ませたという。

 砲も、船体も、核融合炉の主機や補機も万全。

「うん、ありがとう」

「どういたしまして」

 いつもながら、ジギーの仕事ぶりは完璧だった。

 彼女ジークリンデとは、もう七年の付き合いになる。

 私はジギーとともに、がどれほど素晴らしい空間か知り、また彼女からは「女」について教わった。それはもう、色々と。下着の脱がせ方から、情交の魅力、愛する者が機嫌を損ねた場合の扱いの難しさまで。

 ―――まったく、世間は驚きに満ちている。

 あの<DIVA>が、六五〇年も未来の世界の、スカウト用プログラムだったとは。

 高校二年の半ばを過ぎたころ、毎夜の習慣で向かい合っていたゲーミングディスプレイが歪み、透明なジェル状の塊とも表現すべき次元の歪みがやってときは本当に驚いた。

 てっきりゲームのやりすぎで、私自身がおかしくなったのかと。

 以来、私―――朝比奈雅人は、二七世紀の宇宙空間と、二一世紀の地球とを行ったり来たりしている。

 まあ、いままで色々あった。

 小さな駆逐艦から始めて、金と経験を貯め、昨年末<畝傍>に乗り換えたところだ(こちらの昨年末である)。

 いままでほぼ一匹狼的に過ごしてきたのと、何事も慎重に進める質のお蔭で、プレイヤーの乗り換えとしては、ちょっと遅い。

 全てを確認し終えたところで、昼食にした。

 この日、ジギーが用意してくれたのは中華料理だった。

 私の艦では、毎週火曜の昼を中華と決めている。本格中華というより、いわゆる街中華的なやつだ。

 曜日感覚を失わないように―――ではない。

 単に私が、美味いものに目がないから。

 この日のメニューは、餡のとろみも素晴らしい天津飯、焼売シューマイと春巻、中華スープ、ザーサイの小鉢だった。

「うん、美味い」

「そりゃあもう、色々と仕込まれましたから」

 ジギーは、くすくすと笑う。

 実際、立派なものだった。私の時代で、中華料理屋が開けそうだ。

 まず、天津飯が良い。餡は薄くもなく、濃すぎもしない。卵はふわふわだ。最後まで飽きることなく食べ尽くせる天津飯を作れる腕を持つ者には、世界平和に寄与するものとしてノーベル賞が贈られるべきだ。

 そして焼売。

 美味い焼売の秘訣は、三つあると私は思っている。

 シイタケ、海老、豚の脂身である。

 玉葱はどこでも使うが、椎茸を細かく細かくし、混ぜ込むと旨味が増す。もちろん豚の脂身にも同様の効果がある。

 グリーンピースは、まあ、あってもなくてもよろしい。

 そうして蒸したて、熱々のところを、ハフハフとやる。

 最初の一つはそのまま。次にお好みで、タレ、練り辛子。

 ―――最高だ。

 二七世紀の宇宙が、合成蛋白のカツレツやら、あるいは「これが一番の贅沢だぜ」的な宇宙食のみだったら弱っていたところだ。

 何世紀か前、地球人類が約八〇〇〇もの星系に進出したとき、植物の種子や動物の受精卵を植民可能な星々に持ち込み、まるで地球と同じように作り替えていこうと決断したという指導者たちに感謝である。

 いまやパルティアのような、テラフォーミングが完全ではない惑星でさえ、小麦は獲れるし、家畜の類も育てられている。

 ジギー曰く、椎茸は流石に調達出来なかったそうで、これは<畝傍>の食糧保存庫からだ。

 なにしろ我が<畝傍>で言えば、全長八〇〇メートルほどの艦に、乗員は私とジギーだけだ。

 余裕容量はたっぷりとあり、保存技術は信じられないほど発展していて、おまけに<畝傍>には野菜育成室まで存在した。水耕栽培などではなく、栄養分豊富な本物の黒土を敷いて、人工照明とスプリンクラーによる水分散布、小型の自律型ロボットを用いた施肥や収穫で葉物野菜などを育てている。

 大昔の軍艦は、装甲の内側に防禦構造の一環として石炭庫を置いたそうだが、いまや宇宙艦船の一部外郭内は食糧庫なのだ。

「ジギー、お疲れ様。少し休むといい。飲むかい?」

「・・・ありがたく」

 にっこりと微笑む彼女は、この七年の間に酒も覚えた。

 私はジギーに教わってばかりだけれど、料理と酒に関して言えば私が覚えさせた。

 多くのプレイヤーが選択しているように、いずれこの世界に、完全に移住しようと思っている。

 まあ、御礼のようなものだ。

 PAIを奴隷のように扱う連中もいるが、私には同意できない。少なくとも彼女は、まるで人間と変わりがない。

 互いに補佐しあって、ここまで来た。

 ―――彼女は、私の大事なパートナーだ。公私ともに。



「いよう、ルイ」

「やあ、ラリー。よく来たな」

 ギブソン・アンド・バーナッチ商会カンパニーに所属する、戦艦<キアサージ>。

 同艦を率いるラリー・オブライエンは、ホロビューに浮かび上がった友人を見つめた。

 戦艦<デヴァスタシオン>のルイ・デュヴァルだ。

「銀河の正反対から呼び寄せておいて、“よく来たな”はないだろう、この野郎」

 アフリカ系、身長ニメートル近い巨躯である彼は、太い腕を組み、偏光サングラスを帯びた厳ついところのある顔立ちで、軽く友を睨む。

 ラリーの<キアサージ>は、パルティア星系に到着したばかりだ。

「まあ、いいじゃないか。商会は大集合をかけた」

 他に巡洋艦が三隻、駆逐艦が六隻来るという。

 それに一隻、有望な奴をスカウトした、と。

「―――こいつが、お前さんの言う期待の新人か」

「ああ」

 手元に届けられた、模擬戦闘の解析を眺める。

「・・・俄には信じられんな。ルイが後ろを取られるとは」

「私にも、だよ」

 ホロビューの中の友は、くっくと笑う。

「・・・この動き。おまけに防禦力場と射撃の切り替えが異様に早いな・・・ いったい、どうやってるんだ?」

「まるで分からん。パルティアの会戦にはソロで参加して、二隻喰っている」

「・・・火事場泥棒か?」

 ラリーは少し警戒した。

 大規模な艦隊戦には、そんな奴もいる。

 商会艦隊の群れの中に紛れ込んで、お零れを狙うハイエナのような真似。

「いやあ、激戦のど真ん中も、ど真ん中だ。ちゃんと任務は正規に受諾していたし。おまけに、うちの<ロックハンプトン>を助けてくれた。だから声をかけたんだ」

「・・・ふむ」  

「経歴は少し調べさせてもらった」

 届けられたデータを眺める。

 艦船データベースである<ジェーン>にアクセスすれば、各プレイヤーの概ねの経歴は分かる。そんなものも記録されるからだ。今回のように付き合いにも利用されるから、偽造も不可能である。

「採掘技術。深淵調査資格。サルベージ許可。運送業許可。要人輸送資格。私掠免許・・・“何でも屋”か」

 だが、“小手先ジャック・オブ・貧乏オール・トレーズ”というわけでは無さそうだ。

 スキルレベルはどれも高い。

 大手調査会社の依頼を受けたこともあれば、要人輸送を果たしたこともあり、過去に何度も戦闘参加した経験も―――

「・・・おい、なんだこれは?」

 ラリーは片眉を上げた。

 彼が目に留めたのは、一年ほど前に記録されていた戦闘経験だ。

「こいつ、あのヴェナーリアBZニ六の船団護衛にいたのか?」

「ああ―――」

 お前も気づいたか、そんな顔をルイは浮かべた。

 界隈で、有名になったほどの戦闘だ。

 酷い戦いだったらしい。

 詐欺師の集団に近い連中が、船団護衛任務を途中放棄し、残された者たちは大変な目に遭ったと。船団は二〇隻近くいて、三隻ほどしか残らなかったと聞いた。

「そいつは―――マサトの奴は、現地組みで参加して、最後まで辿り着いたらしい」

「・・・・・・」

 現地組みというのは、ソロプレイに近いスタイル。

 どこの商会にも所属していないプレイヤーが、各星系などで任務を請け負い、同じ任務を受けた者たちと臨時の艦隊を組むことだ。

「言っておくが、だ。護衛側だぞ」

「・・・信じられん」

 本当だとすれば、よく今まで何処からも勧誘されなかったものだ。

 何か問題があるのか。

 ―――いや、それは無いか。

 ルイの奴が目をつけたのなら、為人もそれなりに信頼を置ける奴に違いない。

「・・・“星回り”が悪かったんだな」

 ラリーは溜息をついた。

 この世界のプレイヤー間で用いられている、「運が悪かった」という意味のスラングだ。

 こいつは―――このアサヒナとやらは、おそらく好んでソロを選んできたのだろう。

 商会に属さない奴は、大勢いる。

 プレイヤー間のサポートを受けにくいが、何物にも縛られず、能力のある奴なら稼ぎも大きい。

 そもそも箸にも棒にもかからない奴を、<連邦>はスカウトしたりしない。

 俺たちと同じように、<DIVA>から引っこ抜かれた奴だ・・・

 それでもラリーは慎重だった。

 彼は、個人的に少しばかり日本に思い入れがあったが、個人の感情は判断に影響させない。

 <DIVA>は、個々の人格までは見抜けないからだ。

 この自由極まる世界にスカウトされたあと、犯罪者のようになった奴、相手勢力に寝返った奴、無法地帯で海賊になった奴もいる―――

「・・・ともかく、組んでみなければ分からんな。様子を見たい」

「ああ。だが機会はある。お前さんを呼んだ理由でもある」

「うん?」

「<連邦>任務。パルティア内から、<同盟>勢力を一掃する作戦を請け負った」

 ラリーは呻いた。



(続)

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