猫の証人

砂藪

猫「大将」

 上手かみて川の橋をちょいと渡り、項垂れた柳を暖簾を押すように通った井戸の近くには「大将」と呼ばれる三毛猫がいた。雌か雄かは知らないが、かぎ尻尾にちょいと折れた右耳の先で、その猫が「大将」だと誰もが分かる。


 この猫をより一層可愛がっていたのは豆腐屋の一人娘のおみつだ。


 お満は街の誰もが認める器量よしの娘で、豆腐屋の主人はいつも鼻を高くしていた。看板娘のお満がよく働くため、豆腐屋も安泰だった。そのため、お満はいつも小さな魚をわざわざ砕いて「大将」のところまで持っていったのだ。


「美味しいかい?」

 にゃあ。


 お満が「大将」に差し出した皿が空っぽになるのを確認して、豆腐屋へと戻ると、そこに柴田幸之助しばたこうのすけがやってきた。


 腰に帯刀しているこの若い男は父親が役人をしている武家の家系の男である。しかし、こんな街に武士様が用事もなくやってくるのは珍しい。しかし、日も落ちてきた夕方のことであったため、誰も幸之助のことを気にも留めない。


「おう、大将。今日もお満に飯をもろうたか。ええのう。ええのう。お前は猫だから、お満に世話を焼いてもらえるんじゃ」


 幸之助が「大将」の頭を撫でても「大将」は鳴き声一つあげなかった。

 ご飯を与えてくれるお満や街の子どもらには猫らしい声を一つあげて甘えて見せる「大将」も武士のくせに飯一つも寄越さずに愚痴を寄越してくる幸之助を好ましく思っていなかったのだ。


 幸之助はお満が「大将」に餌をやり終えた後にやってきて、愚痴を寄越していく。

 それはこの夏の話だった。


 秋に差し掛かり、お満が小さな半纏を作ってやろうと「大将」に約束をした数日後。


 項垂れた柳を押して、井戸の近くにやってきたのは、同心の木村新之丞きむらしんのじょうと岡っ引きの久兵衛きゅうべえだった。


「旦那。きっとお満は自分から川に身を投げたんですぜ。なにせ、お満が死んだのは夜中だ。器量よしと言われている娘が夜に出歩くはずもねぇ」


「待て、九兵衛。そう急ぐな。自分で川に入ったにしてはどうもおかしい。あれは殺しだ」


 物騒な同心と岡っ引きの話ではお満が死んでいた。


 ふと、新之丞が井戸の近くにちょこんと座り込んでいる「大将」を見つける。目が合った新之丞と「大将」が数秒見つめ合っていると久兵衛が口を挟む。


「ああ、その猫は死んだお満が大層可愛がっていた猫で、大将って呼ばれてたらしいですぜ」


「ほぉ、そうか。なぁ、大将。お前さん、なにか知らねぇかい?」


 にゃあ?


 新之丞が「大将」の前に屈む。大将の前足が濡れていたが、猫の前足が濡れることなど日常茶飯事だ。水の中で死んだお満となんの関係があろうか。新之丞は肩を竦めて立ち上がり、九兵衛を連れて、豆腐屋へと向かった。


 その数日後。

 同心・新之丞と岡っ引き・久兵衛はまた井戸の前へとやってきた。


「また夜中に。しかも今度は柴田の家の幸之助様が亡くなられたときた。なんてこったなんてこった」


「久兵衛、あまり大きな声で言うもんじゃない」


「しかも、今回は絶対に殺しですぜ、旦那。なにしろ、幸之助様の首元が抉れてたんだ。俺はしばらくの間、口にはなにも通らねぇぜ」


 ふと、座り込んでいる「大将」と新之丞の目が合う。


「それにしても、旦那。残念でしたねぇ。幸之助様がお満殺しの犯人だなんて旦那が言い出した矢先に肝心の幸之助様が殺されちまうなんて。しかも、お満が死んでいた場所と同じ場所で!」


 新之丞は「大将」の前に屈んだ。ちろりと出した舌で「大将」が自分の前足を舐めているのを見て、新之丞は尋ねた。


「お前さん、なにか知らないかい?」

 にゃあ?


「旦那ぁ、いくらなんでも猫に聞いてもなにも出やせん」

「お前も幸之助様の首を見ただろう? なんだか、獣に噛み千切られたような喉の痕……」

「まさか、大将がやったって言うんですかい?」

「……さぁな」


 にゃあ?


 ぺろりと満足したように舌なめずりをする「大将」を置いて、新之丞と久兵衛は井戸の前から去っていった。

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猫の証人 砂藪 @sunayabu

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