闇鍋町のモノとヒト

ちろ

闇鍋町での、とある一日『包丁くんと話そう!』

包丁くんと話そう!①

「僕さぁ、本当はフルーツナイフなんかに生まれたくはなかったわけよ。もっと立派な包丁に生まれたかったわけ。聞いてるぅ? イカくん」

「きいてる、きいてる……っていうか、俺はイカくんじゃないってば。人の名前を勝手に略すな」

「いいだろぉ。キミの名前、覚えにくいんだから。イカくんでいいじゃないか。それよりもさぁ——」

「はぁ……」


 名前くらいは覚えてくれ。

 俺は、五十山田いかいだだ。

 二度と間違えるなよ――と言いたかったが、舌が回らない。もう、まともに発声することすら難しいようだ。

 しかし、愚痴は続く。

 すでに時刻は深夜の三時を回ったが、包丁くんのお喋りが止まる様子はない。


 眠い。

 本当は、睡魔に誘われるがままに体を横にして、夢の世界へ旅立ってしまいたい。目が開かないし、呂律ろれつも回らなくなってきている。全身の細胞が「寝ろ」と言っている。

 だが……包丁くんの愚痴を最後まで聞くと約束した手前、眠ってしまうのは忍びない。一度話を聞くと言った以上、目をこじ開けてでも傾聴するのがマナーだろう。


「出刃包丁でも牛刀包丁でも三徳包丁でも、何でも良かったのに……なんでよりによってフルーツナイフなんだよ。あんまりじゃないか――ねぇ、聞いてるぅ?」

「きいてる、きいてふ……」


 ほっぺたを、両手で引き千切ちぎる。

 痛みで、少しだけ眠気が覚めた。

 ……あれ? 俺のほっぺたって、引き千切っていいんだっけ? 人間のほっぺたって、取れるものだっけ?

 あぁ……いや、違う違う、千切れていない。

 一瞬、片足だけ夢の世界に突っ込んでいた。

 今夜、こうして頬を虐めるのは、もう何度目だろう。鏡を見れば、僕の顔の両側には美味しそうなりんご飴がぶら下がっていた。かの有名なアンパンのヒーローも驚くほどの、真っ赤なほっぺたである。


 さて……あと何時間だ、

 朝まで、あとどのくらいだ。

 もはや時計を確認することさえ億劫おっくうで、俺はボーッと包丁くんを見つめた。小ぶりな刃をきらめかせながら、彼はマイペースに話し続けている。どうやら、まだまだ朝日は拝めそうにない。

 今夜は、鈍くて長い夜になりそうだ。

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