第140話 「その呪いからは脱却したんですよ」


 空気を読まずにぶちギレるアイザックを、ダンカンとゼファーが抑える。


「落ち着けアイザック! 今はお前のハゲについて議論している暇はねぇだろ!!」


「!?」


「ハゲと言われてキレるのは止めなさいと何度も言ったでしょう。あの程度でキレていては、君の倅の思う壺ですよ、アイザック」


「!!?」


 怒りに目を吊り上げていたアイザックは、二人の言葉に何とか理性を取り戻す。


「ぶしゅるるるるる……ッ!!」


「そうですよ父上。あんまり怒るとハゲが進行しちゃいますよ?」


「――うがぁあああああああああああッ!!」


 しかし、ノアの度重なる口撃に耐えかねたアイザックは、ストレージ・リングから一瞬で長杖を取り出すと、魔力を込めて振るった。


 空間魔法――【空間断裂刃】


 空間ごと対象を切り裂く魔法の刃が、ノアたちを襲う。


 対し、飛来する刃に向けてノアは杖を翳した。


 空間魔法――【空間障壁】


 ノアたちの眼前に展開された障壁に魔法の刃は衝突し――パキンッ、と軽い音を立てて、刃が砕け散った。一方、薄板のような障壁にはヒビ一つない。


「むっ!?」


 この結果に、アイザックもさすがに正気を取り戻す。


【空間障壁】は防御用空間魔法の中でも、最も初歩の魔法だ。それゆえに、より上位の空間魔法ならば打ち破るのは難しくない。……本来であれば。


 すなわち、この結果は術師としての力量が、アイザックよりもノアの方が優れていることを残酷にも示していた。


「おいおい、アイザックよぉ……お前、鈍ったか?」


「まさか、息子だからと手加減したわけではありませんよね?」


 ダンカンとゼファーがリングから長杖を取り出して構えながら、アイザックに問う。


 問われたアイザックは苦い顔をしながらも、はっきりと答えた。


「馬鹿を言うな……殺すつもりで放ったぞ」


 アイザックの言葉に、ノアはわざとらしく悲しげな表情を作る。


「酷いなぁ。実の息子を殺そうとするなんて……髪の毛と一緒に人としての優しさまで失くしてしまったんですか、父上?」


「ノア……お前は愚かだ」


 だが、今度の言葉にアイザックは激昂しなかった。


 明確な間違いを正す教師のような顔で、息子に告げる。


「髪のことをからかえば、容易く私が激昂するとでも思ったか?」


「いや、さっきしただろ」


 ダンカンの突っ込みをアイザックは黙殺した。


「それに、私の髪の毛が若干薄いことを嘲笑の種にするのは、自らを蔑むのに等しい行為だ」


「若干……?」


 ゼファーの呟きをアイザックは黙殺した。


「お前の祖父も曾祖父も、皆、こうだった。すなわち、私の今の姿は、未来のお前の姿でもあるのだよ……!! 所詮、お前もこうなる運命なのだ! 私のことを笑っていられるのも、三十路を過ぎるまでだぞ、ノアッ!!」


 絶望的な破壊力を誇る口撃。


 未来に絶望して戦意を喪失してもおかしくはない威力だ。


 そんなアイザックの予想とは裏腹に――しかし、ノアはなぜかくつくつと笑い出した。


「どうした……? 絶望して気でも狂ったか?」


「ふふっ、ふふふふっ……!! いやいや、父上……お言葉ですがねぇ、僕はもう、その呪いからは脱却したんですよ」


「な、に……ッ!? どういう意味だッ!?」


 ノアは勝ち誇るような笑みを満面に浮かべた。


「まあ、契約で詳しいことは喋れないのですが……とある細胞を移植しましてね。その副産物として、肉体の再生能力なんかを強化することに成功したんですよ。つまり……僕はもう禿げない」


「なん、だと…………ッ!?」


 アイザックに衝撃が走る。


 愕然と目を見開き硬直する彼に、ダンカンとゼファーから突っ込みが入った。


「おい、あっち側に寝返るとか言うんじゃねぇぞ?」


「もしそんなことを言ったら、寝返る前に私がお前の毛根を一つ残らず殺しますよ?」


「……………………当たり前だ。私を見くびるな」


 だが当然、アイザックがその程度のことで寝返るなどあり得ない。


 視線を険しくして杖を構え直すアイザックに、ノアはやれやれと首を振って――、


「まあ、茶番はこれくらいにしておきましょうかね」


 ドンッ、と杖で床を突いた。


 瞬間、杖を起点に魔力が走り、ガシャーンッ! と何かが割れるような音が鳴り響く。


 ノアとアイザックが会話をしている間に、ダンカンとゼファーが【空間閉鎖】を密かに展開していたのだ。ノアたちをこの場から逃がさないために。


 しかし、かなり強固に張ったはずの【空間閉鎖】が、あまりにも容易く打ち破られて、ダンカンたちは思わず顔をひきつらせた。


「おいおい、アイザック……お前の倅、マジでバケモンじゃねぇか」


「私たちの魔法があっさり破壊されたんだが?」


「むぅ……ッ!!」


 三人ともが険しい顔でノアを睨む。彼らの知っているノア・キルケーは、幼い頃から天才として知られていたが、ここまでの非常識な力は持っていないはずだった。


(まずい……!! マジで息子に殺されそうな件……!!)


 このまま戦いになれば、確実に負けるだろうとアイザックが確信した時、


「――ご無事ですか当主様!?」

「申し訳ありません! 遅れました!!」


 その場に、新たに何人もの者たちが転移してやって来た。


 現れたのはキルケー、グリダヴォル、アロンの家門から合計十二人の術者たちだ。ノアによって【空間閉鎖】が解かれたことで、転移してきた彼らは、すぐにアイザックたちと対峙するノアたちに対して臨戦態勢を取る。


 自分たちは腐っても【封神四家】当主。外法に手を染めて力を増したとはいえ、ノア一人や本家の人間でもない者たちに負けるわけがないと、初めは【空間閉鎖】を優先していたのだ。


 しかし、予想以上にノアたちが手強いと知って、アイザックは柔軟に考えを改めた。


「ふふっ、ふははははははッ!! 残念だったなノア! これで私たちの勝利だ!!」


 数で上回った瞬間、途端に余裕を見せるアイザック。


 だが、ノアは微塵も怯む様子はなく、残念な父親に蔑みの目を向けた。


「残念も何も、元々あなた方の相手は僕じゃないですよ。僕はこう見えても忙しいのでね。あなた方の相手はこちらの五人で務めさせていただきます」


 と、五人の部下たちが前に出る。


「たった五人で何ができる!?」


「五人で十分です。彼らも強化していますからね」


 つまらなそうに返して、ノアは部下たちに命じた。


「第一目標は時間稼ぎだが、殺せるようなら殺して良い。当主の代わりなど幾らでもいるからね」


「「「ハッ!!」」」


「待てノアッ!!」


 そうして転移しようとするノアへ、アイザックが叫ぶ。


「【神骸】の封印を解くのはやめろ!! アレは利用できるようなものではないと、なぜ分からんッ!?」


「ふぅ……いつまでもおめでたい人だ。もはやそんなことを言っていられる時間はないんですよ」


「――!? ッ、だとしてもだ!! 世界を滅ぼすつもりかッ!?」


「世界ぃ? おぇっ、気持ち悪っ!! さすが、娘を生贄に差し出そうという人は、言うことが違いますね!!」


 その言葉に、アイザックは僅かに怯んだ。


 そこへ冷笑を浮かべて、ノアは続ける。


「世界なんてどうでも良いし興味もない。だけど、消極的な対応ばかりで何一つ有効な手を打てないあなた方に、僕らを責める資格なんてない。――僕はもう行かせてもらいますよ。あなた方はここで死んでいてください」


「ノアアアアアアアアッ!!」


 アイザックの叫びも虚しく、次の瞬間、ノアの姿は消えた――。



 ●◯●



 伸ばした手の先で、息子は転移して消えた。


 数瞬、その場を静寂が支配する。そして――、


「ふむ、行ったか……」


「「「!?」」」


 アイザックは数秒前までの激情が嘘だったのかと思うほどあっさりと、平静を取り戻した。その変わりように、この場に残ったノアの部下たちが僅かに目を見開いてアイザックを見る。


「転移先まで追えるか?」


 動揺のないダンカンの問いに、アイザックは「馬鹿を言え」と答えた。


「間違いなく、ノアが転移したのは迷宮最奥だろう。我々は座標を登録していないのだから、追えるわけがない」


「そうすると、君の倅が何かをする前に、私たちは【封神殿】を再起動しなければならないわけだね」


 ゼファーの確認に、「そうだ」と頷く。


「今のノアが相手では百パーセント勝ち目はなかったからな。この場からいなくなってくれて助かった。あのままノアと戦うよりは、こちらの五人を相手にした方が、我々が生き残る可能性も、再起動が間に合う可能性も高いだろう」


 堂々とした態度で実に情けない発言をするアイザックは、対峙する五人に向き直ると――【封神四家】の当主に相応しい風格を醸し出して、王者のように睥睨した。


「さて、あまり強くないと良いが……」


 心から、彼らが実は弱いという展開を期待しながら――。



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る