第48話 「貴方の命が、私を生かすでしょう」


 幼い彼女が7歳になった頃、それは起こった。


 隣国――ネクロニア周辺三国の一つ、ウルムット帝国からアーバルハイト王国へと、盗賊団が流れて来たのだ。


 その遠因となるのが、この2年前に帝国領で発生した大規模なスタンピードだった。


 地上に現存する数少ない「龍」――その内の一体である老龍ウルプストラが寿命で死んだ。


 ウルプストラの死骸を喰らった魔物が何体も異常進化を遂げ、やがて巨大な群を構築する。それは特異個体のオークたちに率いられた群で、瞬く間に数を増やしていった。


 とある山と森において食物連鎖の頂点に立ったオークたちは、他の生物種たちを喰い尽くしていく。山と森からは多くの動植物が姿を消し、餓えたオークたちは森を出て人間の生存圏へと雪崩れ込んで来た。


 その数は少なくとも5万以上とみられ、近年では最大のスタンピード災害として記録されている。


 スタンピード自体は探索者、辺境領軍、帝国軍の連合によって鎮圧することに成功したが、被害は想像を絶するものとなった。11の村と4つの町が滅び、一つの都市が半壊に至った。犠牲者の総数は2万人を超えるとも言われている。


 これにより、帝国辺境は深刻な飢饉と混乱に見舞われる。


 治安は悪化し、多くの者たちが盗賊に身を落とした。だが、復興が進むに従って治安は徐々に回復する。領軍はスタンピードから2年が経った頃、ようやく盗賊団の排除に乗り出した。


 小集団を幾つも併合することで、巨大な集団を築いた盗賊団があったのだ。領軍の動員はこれを殲滅するためのものであったが、大盗賊団に属さない、比較的小さな盗賊団も震え上がった。


 ウォルロック騎士爵領へと流れて来たのは、そんな小集団の一つだった。


 人数としては30人を少し超えるくらいだろう。だが、騎士爵領の戦力からすれば決して侮ることはできない数だ。事実、すでに隣領において村が一つ襲われ、壊滅的な被害を受けたという報告があった。


 そしてウォルロック領へと盗賊たちが逃げて来たのだ。


 盗賊たちは警戒しているためか街道を使わず、森の中を移動してきた。ウォルロック領の領主であるクリフにとっては、不幸中の幸いだったろう。盗賊たちが来るよりも先に、盗賊たちの情報を掴むことができ、迎撃のための体勢を整えることができたのだから。


 クリフは貴族としての寄り親であるレーマン子爵に救援を依頼した。


 しかし、救援が辿り着くまでは時間が掛かるだろう。実際のところは自分たちで対応するしかないのが実情だ。自分の領地である2村から戦力をかき集め編成する。人数は60人近くとなった。


 盗賊団と比べれば倍近い戦力だが、単純に人数だけでは有利と言い切ることはできない。もしも盗賊団に中級から上級の戦闘ジョブの持ち主がいれば、それだけで被害は甚大なものになってしまうだろう。


 さすがに固有ジョブの持ち主が盗賊などやっているわけはないだろうが、中級ジョブならば可能性はある。そして人格的にマトモには生きられない者なら、たとえ上級ジョブでも盗賊になっている可能性もあった。


 考えれば不安の種は尽きない。


 それでもやるしかなかった。


 クリフは15歳になったばかりの息子と共に、領民たちを率いて盗賊団討伐のために出発する。


 その直前、家を出ようとした父と兄を引き留めたようとしたのが彼女だ。


「おとーさん! にーに! いっちゃだめぇっ!!」


 幼い彼女は火が着いたような勢いで泣きわめき、何とか二人を引き留めようとした。


 クリフたちは大人たちの深刻な様子に娘が不安がっているだけだろうと思った。だから優しく頭を撫で、安心させるように、だが断固とした口調で言う。


「心配してくれるのかい? でも大丈夫だから、安心しなさい。お父さんたちの方がずっと人数は多いからね。きっと無事に帰ってくるさ」


「いっちゃだめなのぉっ!!」


「そういうわけにはいかないよ。お父さんは領主だから、皆を守らないといけないんだ」


「心配しすぎだよ、フィー。すぐに帰って来るから、良い子で待っていて?」


 父と兄のどんな言葉にも、彼女は泣き止まなかった。


 それでも二人が指揮をとらないわけにはいかない。領主が逃げ出したとあれば領民からの信頼を失うし、何より指揮官がいなければ数だけ多くても烏合の衆と化してしまうだろう。そうなれば村は盗賊団に蹂躙されてしまう。


 父と兄は泣き止まない彼女を残して、出発した。


 そして盗賊団の討伐は成功する。



 ●◯●



 クリフたちの奮戦により、盗賊団の半分以上を討ち取ることに成功した。


 残った盗賊たちは森の奥へと逃げたようだ。レーマン子爵からの救援が到着すれば、改めて残党を狩ることになるだろう。


 だが、盗賊団の首領は上級の戦闘ジョブだった。


 他は大したことのない戦力であったが、首領を討ち取るためにクリフたちにも大きな被害が出てしまったのだ。集めた領民のおよそ30人近くが死亡し、ウォルロック家の嫡子であった兄は、物言わぬ遺体となって戻ってきた。


 クリフは生きたまま帰ってきたが、それも無事とは言い難い状態であった。


「……ダメです、村にあるポーションでは、これ以上は……」


「治癒術で、どうにかならないのですか!?」


「申し訳ありません、私の腕では……ここまで内臓に損傷があると……」


「そんな……っ!! あなたっ!!」


 屋敷のベッドで血塗れの父が横たわっている。


 ウォルロック領で唯一の治癒術師が沈痛な面持ちで首を振り、母は父が横たわるベッドにすがりついて泣き出した。


 効果の高い治癒ポーションは貴重だ。それも傷ついた内臓を癒すほどの物になると、貴族とはいえ貧乏な騎士爵家では常備しておくことなど到底できない。ポーションには使用期限もあるからだ。


 かといって治癒術師に頼ろうにも、高位の治癒術を使える者が辺境の村に常駐しているはずもなかった。村にいる治癒術師では、軽傷を癒すのが精々だ。骨を繋いだり傷ついた内臓を癒すようなことはできない。


 レーマン子爵の領都ならばクリフの傷を癒すことができる治癒術師もいるだろうが、今から呼んでいては到底間に合うはずがなかった。


 幼い彼女はその光景を前に、小さな体を震わせ、はらはらと涙を流しながら眺めていたが、何処か薄い膜が一枚かかっているように、現実のものだとは思えなかった。もしかしたら、そうすることで無意識に壊れそうになる心を守っていたのかもしれない。


「アリサ……すまない」


 その時、意識を失っていた父が目覚めた。


 ベッドにすがりつく母に向かって、弱々しく声を発する。


「あなたっ!」


「ラウルを、無事に……帰すことが、できなかった……」


 父が後悔を滲ませた声で呟くように言う。いつもの父とは違う弱々しい声音に、彼女はどうして良いか分からなくなった。ただ、嫌だ、と思う。こんな現実は嫌だ、と。だが、それがもはやどうにもならないことであると、幼いながらに薄々と理解していた。


「フィー……そばに……」


「おとー、しゃん……」


 彼女はベッドの横に立った。


 ちょうど同じくらいの高さにある父の顔が、こちらを向く。


 憔悴した顔で、父は微笑んだ。


「無事に、帰って来ると言ったのに……ごめんな……」


「おとーしゃん……っ、しなないでぇ……っ!!」


 くしゃりと顔を歪めて、懇願するように彼女は言った。


 これからはずっと良い子にしますから、どうかお父さんを助けてくださいと神様に願った。嫌いなものだって食べるし勉強だってするしお手伝いもする。何か捧げ物が必要なら、自分の一生分のおやつを神様に捧げたって構わなかった。


 しかし、神様が父の傷を癒してくれることはなかった。


 父が最後の力を振り絞るようにして、腕を動かした。傍らに立つ娘の胸の中央、心臓の上に手のひらを当てた。


「おとー、しゃん……?」


「私の、命が……貴女を、生かし、ます、ように……」


「……ッ!!」


 彼女は震えた。


 もうこの現実が覆ることはないのだと、理解してしまったから。


 父はすでに焦点を失っている瞳を彼女に向けながら、続ける。


「私の、命は……貴女と、共に」


「ひぃぅっ……ぐぅっ」


 父の手を小さな手で掴んだ。嗚咽が止まらない。だが、それでも、今、言わなければならないと理解していたから、彼女は全身全霊の力を振り絞って――応えた。


「あなたのっ、いのちが、わたしをっ、いかす、でしょー……っ! あなたのいのちは、わたしと、ともにっ!!」


「……ありがとう、フィー」


 父は、安心したように微笑んで。


 ――息を引き取った。



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