第12話 脱出

 通路を走りながら後ろを見たが、あの生物が追ってくる様子はない。

 途中の十字路を曲がり、更に進む。階段をのぼり、地下と一階の間に有る踊り場にたどり着いた時、何かにぶつかりそうになった。

「っと危ねえ」

 少し驚いた顔の晃が立っていた。

「晃、早く逃げるぞ!」

「何をそんなに急いでるんだよ」

「話は後。まずはこの島を出る事が先決よ」

 各務さんが晃を急かす。

「わ、分かった」

 いまいち状況が飲み込めていない様であったが、晃は頷いた。俺達は階段をかけあがり、一階へ出る。

「ところで秋人、逃げるったってどこに行くんだ?」

「雄二さんのクルーザーがどこかにあるはずなんだ。それで脱出する」

「クルーザー? それならさっき見たぜ?」

「ちょっと、それなら早く言いなさいよ!」

「いや、お前らがあまりにも急いでるからよ」

「んで、どこにあるのよ」

「地下一階だったな。その奥にあった」

「とんだ無駄足だったわね」

 俺達は今登ってきた階段を再び降りる。晃の案内でクルーザーにたどり着き、乗り込む。

「で、誰が運転するんだ?」

「僕は運転出来ないよ。石川君なら出来るんじゃない? バイク運転できるし」

「いやいや、バイクと船じゃ全然違うよ。晃は?」

「親や雄二さんが操縦しているのを見たことはあるが、俺自身は運転したこと無いぜ」

「そんなの気合いで何とかしなさいよ! 近くで見てたんでしょ!?」

「無茶言いやがるぜ。でも、運転したくても鍵が無いぜ?」

「鍵ってこれの事?」

 そう言うと各務さんは鍵を晃に向かって投げた。いつの間にてにいれていたのだろうか。

 鍵をキャッチした晃は、鍵を差し込み回した。

「よし、かかった」

 船体がエンジンの駆動に合わせて揺れる。

「しっかり捕まってろよ。本当に見よう見まねだからな!」

 クルーザーはドックから離れ旋回する。大きく船体が傾いた。

「ちょっと、もう少し丁寧に運転しなさいよ。そんなんだから唯に振り向いてもらえなかったのよ」

 確かに晃の女に対する接し方は丁寧では無かったが、流石にそれは言い過ぎだろうと思った。

 晃は特に反論する事もなく舵をとっている。

 やがてクルーザーは洞穴を抜け、外に出た。

「これでひとまず安心だな」

 海に出てしまえば雄二さんも追ってこれないだろう。俺は安堵のため息をついた。

「なぁ、そろそろ何があったか話してくれても良いだろう?」

 舵を握りながら晃が言った。しかし、何から話したら良いのか。俺が迷っていると、各務さんが説明してくれた。

 信一がどうしてああなったか、それを仕組んだのが晃の叔父である雄二さんだという事。そして、あの生物の事。

「俺に、その話を信じろってのか?」

 晃は困惑していた。むしろそれは当然だろう。目の前で見た俺でさえ、今もあれが現実であったと信じがたい。

 しかし、全て現実に起こった事なのだ。

「仮にそれが本当の話だとして、その生物やおじさんは生きてるんだろう? だったら、同じ事がこれから先も起こるじゃないか」

 晃が言った事は正論だ。しかし、今の俺達ではどうしようもない。

「だから、応援を呼ぶのよ」

「応援って何だよ。警察に言ったってまともに話を聞いてくれるとは思えない。おじさんが仕組んだんであれば、俺の親も咬んでる可能性がある」

 確かにそうだ。警察がこんな話を信じるとは思えないし、逆に俺達が疑われる事になるかも知れない。それに、今回の実験は二階堂グループ全体が関与している可能性が否定出来ない。

「それについては、僕が何とかするよ」

 各務さんの意味深な発言。そして、各務さんに残る謎。

「各務さん、君は一体何者何だ? 色々と知っていた様だけど……」

 それにあの目にも止まらぬ早業。とても人間わざとは思えない。

「言ったら、嫌われちゃうかな」

 各務さんはそう言うと、俯いた。やはり、言いづらい事なのだろうか。

「いや、言いたく無いなら無理しなくて良い。ただ一人で抱え込むのは良くないと思うんだ」

 各務さんは顔を上げると笑顔を作った。

「有り難う。やっぱり石川君は優しいね」

 一瞬、躊躇したような顔をしたが、各務さんは静かに語りだした。

「僕が孤児院で育ったっていうのは知ってるよね?」

 俺は無言で頷く。昨日、浜辺で星を見ながら話していた時に聞いた。

「その時から、自分は周りと違うって事に気づいてた。筋力や動体視力が人より優れていたし、傷が治るのも異常に早かったの。初めは皆同じだって思ってたけど、段々自分だけが違うんだって気づいて、孤児院では一人孤立するようになった。そして、ある日里親になってくれる人が現れた。それが今の両親よ。最初は自分の力を隠していたけど、ある日それがバレちゃってね。でも、非難することなく僕を愛してくれた。そして、両親はある組織の一員だった」

「ある組織?」

「そう。この社会には表沙汰にならない様な不正や悪が蔓延っているの。それを調査し、公表しようとしているのが両親のいる組織。そして、僕も所属している」

 所属と言っても、中学生が所属するクラブとは比べ物にならないだろう。

「不正や悪って言われても、いまいちピンと来ないよ」

「そりゃそうよ、ほとんどの物は公表されないもの。仮にされたとしても、それはほんの一部にしか過ぎないわ。麻薬、ギャンブル、風俗や芸能スキャンダル。政治家の天下りや癒着、政治献金問題。数え上げればキリが無いわ」

「それじゃ今回の事も?」

「そうね。恐らく闇に葬られるでしょうね。だけど、僕はそれを許さない」

 各務さんの瞳は真っ直ぐで、それが本気であることを物語っていた。

「それで、各務は今回の件とどう関係するんだ?」

「さっきも言った通り、僕は孤児なの。だから、組織に入ってまず行った事は、自分の身辺調査だったわ。両親からは禁止されていたけど、どうしても知りたくてこっそり調査したのよ」

「それで、何が分かったの?」

「僕の本当の父親は、二階堂製薬の研究員だった。そして何かのプロジェクトの主任だったって事までしか分からなかった。けど、途中で謎の変死を遂げたの」

「変死?」

「そう。暫く家には帰らず研究所に籠りっきりだったらしいの。けど、ある日突然家に帰り、会社には行かずそのまま行方不明になった。その三日後、森の中で発見されたらしいわ、死んだ状態で。そして、不思議な事に脳味噌は空っぽだった」

「今回の信一の状態と似てるな」

「そうなの。そして、母親はその後妊娠したらしいの。けど、僕を産んですぐ他界したそうよ。妊娠した日を逆算すると、父親が突然帰ってきた日とほぼ一致するの」

「そう、なんだ」

 俺はなんて言葉をかけて良いか分からない。各務さんは生まれながらにして本当の両親を知らない。俺にはとても想像出来ない事だった。

「母親は、最後に父親とあった時の事を周りにこう言っていたそうなの。疲れていた様だけど、興奮してたのか、体が火照って赤く見えたって」

 各務さんはうっすらと笑いを浮かべた。

「その話を聞く限り、各務の本当の父親は、あの生物に寄生されていたとしか思えないな」

「そんな! あれに寄生されたら人を襲って喰うはずだろう」

「あいつが言うには、確かにそうね。けど、母親は無事だった。詳しい理由は解らないけどね」

「でも、でもだからといって寄生されていた事も確かじゃ無いだろう? 家に帰ってきた後に寄生されたかも知れないじゃないか」

「それじゃあ、僕のこの体はどう説明するのさ!」

「そ、それは……」

「人より力は強くて、少しの傷ならすぐ治ってしまうこの体は。明らかに普通の人とは違うんだよ? そんな僕をどう説明するのよ! まるで……まるで鬼になった時の信一みたいじゃない!」

 彼女は目に涙を浮かべていた。確かに、どう説明すれば良いか分からない。明らかにあの速さは普通の人の筋力を凌駕している。

混合種ハイブリッド、だな」

 晃が、ぽつりと呟く。

混合種ハイブリッド? それはどういうことだよ」

「そのまんまの意味だよ。各務は、人間とあの生き物の混合種ハイブリッドだ」

「そんな。じゃあ各務さんは……」

「正確に人間とは言えないな。けど、寄生された化物でもない。恐らく、寄生されるとDNAも変化するんだろう」

 晃は何やら一人頷いている。

「晃。お前、何でそんなこと知ってるんだよ」

「俺も、混合種ハイブリッドだからさ」

 晃は自嘲気味に笑った。

 俺は晃の言葉に耳を疑った。晃も各務さん同様、人の筋力を凌駕しているのだろうか。

「まぁ、俺は失敗作だけどな」

「失敗作? どういう意味だよ」

「彼は、人工的に作られたのよ」

 うなだれていた各務さんは、いつもの冷静さを取り戻した様で、落ち着いた様子で言った。

「そう、俺はあの生物のDNAを使って人工的に作られたんだ」

「そんな、嘘だろう?」

「いいえ、本当よ。彼は十四年前、実験によって作られた。まさか、二階堂本人が知ってるとは思わなかったけどね」

「俺は知らない振りをしていただけさ。こっそり研究資料を見たときは驚いたよ。まわりにいた執事達は皆研究員だ。ずっと俺を観察していたんだよ」

 俺は話しについていけない。

「けど、俺には何の力も無かった。だから、家族からは疎まれ、見放された」

 晃は俯くと、拳を握りしめた。

「俺は必要とされない人間、いや、生き物だ。ずっとそう思って来た。けど、その考えを変えてくれたのがお前達、そして唯だ。その唯を殺した信一は許せないが、その原因を作った叔父はもっと許せない」

 晃は唇を噛みしめ、ブルブルと拳を震わせた。

「なら、僕に協力してくれない? 二階堂グループの中に潜り込むのは難しいのよ。仲間が何人も犠牲になったわ」

「もしかして、各務さんはそのために晃に近づいたのか?」

「目的があって近づいたのはそうだけど、別に仲間に引き込むためじゃ無かったわ。それより、石川君に興味があったの」

 各務さんの言う目的とは、恐らく二階堂グループの情報を探るために近づいたのだろう。しかし、俺に興味があったとはどういう事だろうか。

「俺に断る理由は無いな」

 晃は頷いた。

 その時、突然船体が大きく揺れた。俺は近くの手すりにつかまる。

「なんだ? どうした?」

 晃は慌てて舵を握りしめた。

「前方に何かある訳じゃなさそうだ」

「何かにぶつかったのかな?」

 各務さんの言う通り、船体が何かにぶつかった様な揺れ方だった気がする。

「ちょっと後ろを見てくる」

 俺は船尾に向かった。デッキの上は特に異変は無い。手すりから身を乗り出し船体を確認するが、特に傷なども無い。

「一体何だったんだろう」

 船内に戻ろうと振り向いた瞬間、俺の体は硬直した。ブリッジの上に人が立っていたからだ。

「お前達は逃がさないぞ」

 

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