第11話 真実

 俺は、蔦が複雑に絡まった門の前にバイクを止めた。

 結局信一に追い付く事は出来なかったが、途中で各務さんを拾い、廃墟の前までやって来た。

「やっぱり、ここに逃げ込んだのかな」

 後ろに座る各務さんが言った。僅かに開いている門が、まるで手招きしているように感じる。

「一本道だったから、途中で森の中に入らない限りはそうだろうね」

 もし信一が途中で道をそれていたなら、後ろから襲われる事にもなりかねない。

「ねぇ、あそこ。見て」

 各務さんが身を乗り出し、門を指差した。黒く艶やかで柔らかい髪が頬に触れ、甘いシャンプーの香りが鼻孔をくすぐる。俺は高鳴る心臓に戸惑いを感じた。しかし、今はそれどころではない。目を凝らして各務さんが指差した方を見ると、蔦の一部が赤く染まっている。

「あれ、血だよね?」

 俺達はバイクを降り、ゆっくりと門へ近づく。

「まだ、乾いてない」

 蔦に付着した血液は、太陽に照らされつやつやと光っている。そのことから、付着してからそれほどの時間が経過していないのが分かる。信一がここに逃げ込んだ可能性は充分高いだろう。そこで、俺達は丸腰であることに気付く。急いで信一を追いかけたため、武器は洋館に置いてきてしまった。

 しかし、ここで往生してても仕方ない。

「とにかく、中に入ろう」

「そうだね。今度は絶対に逃がさないんだから」

 各務さんが気合いを入れた。俺はまだ迷っている。中に入って、信一を見つけたとして、俺はどうしたいのだろう。俺は気持ちが定まらないまま、廃墟の敷地内へ足を踏み入れた。

 門を抜けると、すぐ目の前に今は動いていない自動ドアが待っていた。人が一人通れるぐらいの隙間が開いている。俺が先に廃墟に入ることにする。信一が待ち構えているかも知れないし、そんな場所に各務さんを先に行かせる訳にはいかない。

 薄暗い建物内に足を踏み入れる。

 この建物は放置されてから久しいのか、床のひび割れた部分からたくましく雑草が生えていた。そこら辺には、虫の死骸や鳥のふん、ガラスの破片等が散乱している。

 それらを踏みつけ真っ直ぐ進むと、正面にエレベーターのドアがあった。上を見上げると、地下は五階から地上は十階まであることが確認出来た。試しにボタンを押してみるが反応は無い。

 左右を見渡すと、それぞれ奥に階段が見える。左が上階へ行く階段で、右が階下への階段だ。

「ねぇ、どっちに行く?」

 各務さんが左右を見渡しながらつぶやいた。俺は悩んだ。効率で言えばそれぞれ別行動するのが一番だが、この状況での単独行動は危険すぎる。

「ドラマとかだと、大概追われる人って上に行くよな」

 俺は今まで気になっていたことを口にした。本能的になのか、それともドラマの演出上なのか、追われている人の大半が上へ上へと逃げている印象がある。

「言われてみれば確かに。屋上とか行っても逃げ場無いだろうし、サスペンスだと断崖絶壁だもんね」

 各務さんは冗談が言えるほど余裕があるようだ。俺は、本音を言えば信一と遭遇したくない。殺されるかも知れないという恐怖もあるが、いざとなれば殺さなければならないかもしれないからだ。俺にはまだその覚悟が出来ていなかった。

「右に行こう」

 地下は地下で逃げ道があるとは思えないが、怪我をしていた場合、階段を登るより降りる方が楽な気がしたからだ。

「うん、分かった」

 各務さんは、異を述べることなく頷いた。

 階段へ続く薄暗い廊下をゆっくりと歩き、埃にまみれた手すりを掴みながら、一段また一段と降りて行く。いつ、踊り場の陰から信一が襲って来るか分からない。非常灯がぼんやりと光る階段を、踏み外しそうになりながら降りる。

 そして、一番下まで降りてみたが、信一と遭遇することは無かった。それに、これといって、目ぼしい武器も見つからなかった。

「行き止まり、だね」

 階段を降りきり、少し先を左に行った所で道が途切れていた。

 しかし、よくみると正面にはセキュリティロックがされていそうな綺麗なドアがある。ドアのすぐ横にはカードリーダーがあり、緑色のランプが点っている。

「行ってみよう」

 もしかしたらと思い、俺はドアに近づく。するとセンサーが感知したのか、ドアは簡単に開いた。やはり、ロックは解錠されていたようだ。

 そして俺は、ドアの先から溢れる光に目を覆った。

 蛍光灯は煌々と光り、白い壁やリノリウムの床にはひび割れはなく、ゴミ等も落ちてい無かった。

「全然、廃墟って感じじゃ無いね」

 隣に並んだ各務さんがポツリと言う。

「うん。ここはまだ、使われているのかも知れない」

 しかし誰が、何のために。

 煌々と光る廊下を奥へ進む。左右にはガラス張りの部屋がいくつも並んでいる。部屋の中には、名も分からない実験器具達がズラリと並んでいる。

「ホルマリン漬けとか、人体模型とか有るのかな?」

 各務さんが嬉々と目を輝かせ、辺りを見回す。

「新薬の開発をしてたらしいからね。動物実験とかもやってただろうし、もしかしたらあるかも知れないよ」

「そうだよね。なんかワクワクする」

 俺はいつ何が起こるか分からない恐怖を感じていたが、各務さんは少し楽しんでいるように見える。

 突き当たりを右に曲がると、自動扉が見えた。扉に近づくと、中から何か音が漏れてきている。

「誰か、いるのかな?」

 各務さんの囁き声が耳をくすぐる。

「分からない。でも、行くしかない」

 俺達は足音を殺し、ゆっくりと近づく。丸腰なのはこころもと無いが、ここで引き返す訳には行かない。

 更に扉に近づき、扉の上部に取り付けられたセンサーの範囲内に入る。するとスライド式の扉は開いた。

 恐る恐る部屋を見渡す。どうやらモニタールームの様だ。正面には同じサイズのモニターがズラリと並んでいる。しかし、写し出されている画像は全て違う様だ。

 俺達がテントを建てたビーチ、トイレ、シャワー小屋。そして、洋館の内部。島のありとあらゆる場所が写っていた。

 モニター群の下部に操作するためと思われるコンソールがあり、その手前にはキャスター付きの椅子があった。そこに誰か座っている。

「誰だ! そこにいるのは」

 俺達は身構えた。座っている人物は信一かもしれないし、仮に信一でなくとも急に襲って来る可能性もある。

「やぁ、よく来たね。ただ、ここには絶対近寄らないように言ってあったんだけどね」

 俺にはその声に聞き覚えがあった。クルリと椅子が反転し、足を組んで座っている人物と目が合った。

「雄二……さん?」

 まさかの人物だった。雄二さんは俺達をこの島に運んだ後、仕事のために帰ったはずだ。なのに、なぜここにいるのだろう。

「なかなか、今回のは面白いよ」

 そう言うと、おじさんはにっこり笑った。

「どうして、あなたがここにいるんですか?」

「ここは二階堂グループの島だ。俺がいちゃ悪いのかい?」

 雄二さんは、なおもニコニコと笑っている。

「いや、そういうことじゃなくて、仕事に戻ったんじゃ無いんですか?」

「そうだよ。とても大切な仕事にね」

 組んでいた足を組み替え、更に続ける。

「今回の実験は、なかなか良いデータが録れたよ。素材が良かったのかな?」

 実験、素材。この人は何を言っているのだろうか。

「君達も見るかい? なかなか、見応えがあるぞ」

 おじさんはそう言うと、椅子ごと横に移動した。おじさんが指差したモニターには、ある映像が流れていた。

「――なっ」

 俺は息を飲んだ。その映像は、信一が夏希を襲っている映像だった。

 込み上げる不快感。

 怒り、悲しみ、言葉では的確に表せない感情が体を支配する。

「止めろ! 今すぐその映像を消してくれ!」

 俺は叫んでいた。これ以上、夏希を侮辱されたくない。そう思った。夏希だって、見られたくない。そう思ってるはずだ。

「ははは。子供にはちょっと刺激が強すぎたかな」

 それでも、おじさんは映像を止めない。

「これは貴重な実験映像なんだ。簡単に消す訳には行かないんだよ」

「お願いです。もう、止めてっ――」

 涙が溢れ、後半は言葉にならなかった。夏希や唯の亡骸を見ても、涙は流れなかったのに、今になって突然溢れ出てきた。

「うっ――ううっ――」

 俺は、膝から泣き崩れた。もう、頭が考える事を拒否している。

「秋人君は、もっと男らしいと思ったんだけどな。どうやら見込み違いだったようだ」

 雄二さんの呆れた様な言葉が聞こえた。

「あんたに石川君の何が分かるんだか」

 各務さんがポツリと呟いた。

「なに?」

「それより、今回の出来事はあなたが仕組んだの?」

「あぁ、そうだよ。新薬の実験でね」

「新薬?」

「そうさ。この薬が完成すれば、二階堂製薬が更に繁栄するんだよ」

 雄二さんはジャケットのポケットに手を入れた。

「この、薬がね」

 ポケットから出てきたのは、小さいポリ袋だった。袋の中には赤い錠剤が二つ入っている。

「動物実験では成功してるんだ。後は本格的な人体実験だけだ。今までは失敗続きだったが、今回は概ね成功だよ」

「……その薬を、飲むとどうなるんです?」

 俺は何とか冷静さを取り戻し尋ねる。今は泣いている場合ではない。

「君達も見ただろ? あの友達みたいになるんだよ」

 雄二さんはくくくっと笑った。

「本能だけで行動する生き物になるんだ。筋肉は従来の何倍にもなり、恐怖は感じなくなる」

「一体何のためにそんなことを? 信一はどうなるんです」

「そんなこと? これは素晴らしい物だ。完成した薬を服用すれば、神に近づけるんだぞ」

 俺には雄二さんが何を言っているのかさっぱり理解できなかった。

「ふん、神だなんておこがましいわね」

「そんなことはないさ。死を恐れない鬼神になるんだ。この薬を服用した者を戦場に送り込めば、負ける事は無いだろう。死を恐れず、力は人を凌駕し、人を喰うから食糧物資はいらない。正に最強さ。ただ、欠点がある」

「欠点?」

「そうさ、本能のあまり敵味方区別なく襲うんだよ。だが、今回は結構理性を保ってる様だな」

 あれで、理性があると言っても良いのだろうか。人を殺すことになんら躊躇いを持たない。そんな状態が理性的だと言うのだろうか。

「君達のお陰で、完成に近づいたよ」

「ふざけないで下さい! 俺達は協力した覚えはないです!」

「君達自身に覚えが無くても、協力した事になるんだよ」

「二階堂も、共犯だったわけ?」

「晃君か? あぁ、彼は知らないよ。後を継ぐ資格が無いからね。何も知らされていないよ。ただ今回は、俺が利用させてもらったんだよ。君たちがこの島に遊びに行きたいと言うからね、これは実験に丁度良い。そう思ったんだよ」

「一体、いつですか」

「何がだい?」

「いつ信一にその薬を飲ませたんです?」

「彼が船酔いでダウンしてる時さ。良く効く薬だよって言ったら、なんのためらいも無く飲んだよ」

 信一が船内に入ったあの時か。

「ずっと、監視していたんですか?」

「あぁそうさ、貴重な人体実験だからね。帰るふりをしてここに来たんだ」

 浜辺で見た人影は雄二さんだったと言うことだろうか。

「少し、お喋りが過ぎたようだね」

 後で扉が開く気配がした。振り向くと頭を抱えた信一が立っていた。

「ううぅ、ぐぐぅぅぅ」

 目が血走り、低い唸り声をあげている。

「ふむ。今回はなかなか持ったな」

 雄二さんは納得したように頷いた。

「ぐふふ、げひっげひっ」

 信一は各務さんの方を向くと、下劣な笑い声をあげた。

「これは運が良い。捕食シーンが生で観られるぞ」

 雄二さんは興奮した声をあげた。ふざけるな。俺はそんなもの見たくは無い。

 ジリジリと各務さんに近づく信一。それに合わせ各務さんは後退する。

「信一、止めろ!」

 しかし、俺の声は信一には届いていない様だ。

「喰うんなら俺を喰え! 俺の事が憎いんだろ? だったら、俺を喰えよ!」

 それでも俺は構わず叫んだ。だが、信一の目には各務さんしか写っていないようだ。

 これはもう力づくで止めるしかない。そう思って足を一歩踏み出した時だ。

「貴重なシーンを邪魔するんじゃない!」

 雄二さんを見ると、手には拳銃が握られていた。そしてその銃口がこちらを向いている。

「そこから動くんじゃない。分かったな?」

 しかし俺は走り、信一の前に立ちはだかる。

 銃で撃たれて死ぬとしても、最終的には信一に殺されるだろう。なら何もしないで立ち尽くしているより、各務さんをかばいたかった。

「目を冷ましてくれよ信一! お前はこんなことが出来る人間じゃないはずだ!」

「う……うぅぅぅぅ」

 信一は全身を細かく震わせ唸りだした。

「……知った風…………たす……な……けて…口を聞く……秋人……んじゃねぇ」

 信一は頭を抱えながら膝をついた。

「……まゆっち……たす……………けて」

 信一は床に倒れると、激しくのたうちまわり始めた。

「見ろ! お前が邪魔をするから捕食前に羽化が始まったじゃ無いか!」

 信一はビクンビクンと体を痙攣させ苦しんでいる。

「何? 何が起きてるの!?」

 信一の額のこぶがうごめき、突起がせり上がって来ている。痙攣が一際激しくなり、大きくのけぞると信一の動きが止まった。すると、額からズルリと何かが這い出てきた。

 信一の額から出てきたのは、昆虫の様な生物だった。しかも人の頭ほどの大きさだ。

 鬼の角だと思われた部分はその生物の頭頂部分で、体は血や体液でヌメヌメと光っている。腹の部分は蜘蛛の様にプックリと膨れている。

 俺は、そのおぞましい生き物に恐怖を覚えた。まだ体が上手く動いていない様だが、それも時間の問題だろう。

 くそ、どうしたらいい。今なら、簡単には踏み潰せそうだ。

「おっと、動くなよ。君達にはもっと実験の役に立ってもらわないとな。貴重なシーンを邪魔した罪だ」

 銃口がこちらをにらんでいる。

「これは、一体何なんですか?」

「それが、鬼の正体だよ」

「鬼の、正体?」

「そうさ、これはこいつの卵でな」

 雄二さんは再び、錠剤の入った袋を持ち上げる。

「人の体内に入ると、まず血管を通り脳に向かうんだ。そして、前頭葉の部分で成長する。その影響で寄生された人間は理性を制御され、本来制限されている筋力を発揮出来るんだよ。そして一部のDNAが書き換えられ、身体機能が向上する」

「そんな、じゃあ信一はこいつに寄生されてたって事なのか?」

 寄生されている間、苦しみは無かったのだろうか。

「そうさ、こいつは主に人間の血を餌にしている。だから、脳に寄生し、人を操り人を襲わせる」

「そんな、じゃあ、一度寄生されたら……」

「そうだ、先は無い。こいつが羽化するまで人を襲い続けるのさ」

「羽化したこの生き物はどうなるんです?」

「人に卵を産み付けるんだよ。そいつの腹にはいま、彼の脳みそがたっぷり入っている。それを養分として卵を育てているんだよ」

 蜘蛛と蜂が合わさったようなその生物は、すでに羽が乾き始めていて、腹を蠢かせている。その禍々しさは吐き気すら覚える。

 鬼の正体はキキキッと鳴き声の様な音を発すると、羽を広げ宙に浮いた。天井すれすれまで上昇すると、ぐるぐると部屋を回り始めた。俺たちを見下ろし、卵を産み付ける相手を吟味しているのだろうか。

「さぁ、一体誰にするんだろうな」

 雄二さんは笑みを浮かべている。

「同じように、一体何人の命を奪ったの?」

「さぁ、覚えていないな」

「身寄りの無いものを拉致したり、旅行中の事故に見せかけたり、かなりの人数で実験してるはずよね?」

 各務さんのその言葉を聞き、雄二さんの顔が険しくなる。

「なぜ、知っている?」

「怪しいとは思っていたけど、まさかこんな実験をしているなんてね。自分の謎が解けたわ」

「お前、一体何者だ?」

「僕の事は別にどうでも良いよ」

 各務さんは肩をすくめた。俺は二人の話しについていけない。

「まぁいい、どのみち君達は生きてここから出られないのだから」

 その時だ、モニターの一つが警告音を発した。

「やれやれ、晃君まで来たか」

 モニターには、門の前で車を降りる晃が映っていた。

 そして、モニターに視線を移した雄二さんの隙を逃さずに、各務さんが前方に跳躍した。

 いや、跳躍したかに見えた瞬間、すでに雄二さんの手に握られている拳銃を叩き落としていた。そして、目にも止まらぬ速さで雄二さんの鳩尾に拳を叩き込み気絶させた。

「さぁ、行くよ」

「えっ? えっ?」

 俺は何も理解出来ないまま腕を引っ張られた。部屋を出る時、ちらりと上を見上げるとおぞましい生物は天井に張り付いていた。

 

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