古井論理各論

古井論理

2005~2010

 私は人と関わるのが嫌いで友達なんていらないと思っている四十代後半で結婚した両親が何を血迷ったか作ってしまった子供です。親は私を妊娠していることがわかった時点で新しい家を建て、私が生まれる直前からそこで暮らし始めました。私の父は電電公社からNTTドコモへとキャリアを重ねていた社員です。そんな父には、給料を預けていた母(私の祖母)と腎臓病の父(私の祖父)がいました。

私は生後九ヶ月ほどまでは順調に生育しました。そして一歳半の頃にはKUMONに通い始め、毎晩読み聞かせとスピッツのロビンソンを聞き、そうして成長していきました。私が二歳六ヶ月の頃、母が妹を出産しました。思えば私の人生の歯車は人と関わるのが大嫌いな親の元に生まれた瞬間から修正のしようもないほど狂っていたのだと思いますが、二回目に歯車の噛み合わせが狂ってしまったのがこの時でした。一年後、三歳六ヶ月になった私は一歳になった妹の世話をしようと思い立ちました。そして、一歳になった妹の子守を、自分のままごと遊びやぬいぐるみへの授業ごっこの代わりに始めました。外に出るのは買い物の時だけで、話し相手もほとんどいなかった私は、妹を楽しませようと必死で一緒に遊びました。この頃には私は近所で遊ぶことも同年代と話す方法を知る機会もないままでしたが、既に幼稚園に入っていました。そして、私は皆から仲間はずれにされ始めたのです。私は人と話す方法も関わる方法も、そもそも相手に何をしたら喜ばれ何をしたら悲しまれるのかもよくわかりませんでした。父や母は私が妹を楽しませていればそれで喜んでくれましたから、そんな方法は必要なかったのです。私の周りでは同い年の幼稚園児たちが楽しげに遊び、私はひとりぼっちで絵本や図鑑を読むのが日常でした。しかし、私は周りの同年代にも関わらず社交的に、楽しく過ごせている人々を羨ましいと思いました。でも、私は人と関わる方法を知りません。遊びに入れてもらえることはおろか話し相手ができることすらありませんでした。当時、皆は私を面倒臭いと思っていたようです。たしかに当時の自分は人との関わり方を知らず、話しかけては追い返され、それで腹を立てて幾度となく相手を殴ったり蹴ったり復讐目的で相手のおもちゃを奪ったりしていました。外遊びの時間には、石をぶつけられたことさえありました。そのとき怒った私は相手にこぶし大の石をぶつけ返しました。そうすると、相手は速やかに泣き出しました。まずいと思ったときには先生が駆けつけており、私はたっぷりとお説教を食らいました。私は先にぶつけられたのは自分だと言いましたが、皆はそれを嘘と決めつけて私を徹底的につるし上げました。またバレンタインデーの日、同じ組の全員にチョコレートを配ると言っていた人が私にだけ配ってくれなかったこともありました。私は人に必要とされるためにたくさん知識を蓄えました。好きなことも嫌いなことも区別なく頭の中に投げ込みました。それでも人は私を必用としてはくれませんでした。それどころかより意味不明な存在となった私を忌み嫌いました。はっきり言いましょう、私は人と関わることに憧れていました。しかし、その憧れは幾度となく踏みにじられ、その機会は奪われ続けてきました。そのせいで今もその馬鹿らしい憧れは強くなっています。もしかするとそのせいで私に関わることの難易度がどんどん上がって、悪循環が発生しているのかもしれません。私の親はそんな私をいつも「見えている世界が狭い」と言って嗤いました。それが私の幼少期でした。

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