サイボーグ:俺
洶浬淙 濃淡
第1話
春というのは、面白い季節だ。
出会い、別れ、両方を一度に経験することのできる季節だ。
それは、ある意味、終わりも始まりも無いということなのだろうか。いや、待てよ、始まりがあるから終わるのか?いや、終わるから始まりがあるのか?考え始めたらきりがなさそうだ。こんなことを考えさせられたのは、やはり春だからだろうか。
二年目の春。高校生活とやらにもようやく慣れ、あるいは大学受験という名の戦争前の宴とでもいおうか、若者たちを縛り付けるものは無く、不羈奔放、自由な日常を満喫することのできる期間。それが今始まろうとしている。
今日は始業式だ。「はじめが肝心」とはよく言うが、いかにしてこの自由世界の扉を開けてやろう。まずは手始めに、教員たちの退屈な長話をこの俺の学校改革案で遮り、体育館中の全校生徒を沸かし、ひいては新入生からの信頼や羨望をかっさらってやろうか。
そんなことを考えていると、自転車のペダルをこぐ足に自然と力が入った。この坂を上って、またすぐ下る。坂が終わる少し手前で左に曲がった先の踏切をわたって、まっすぐ行けば学校だ。春風が横顔をなでる。いや、これは春風といってよいのだろうか。なぜなら、浜のかおりが混じっているからだ。いつの季節でも、右からやってくる潮風は不思議と心地よい。生物が海から誕生したからだろうか。
気が付くと、もう踏切の前まできていた。
電車の通過を警告するサイレンが声高に鳴っている。いつもは気にも留めないが、今日だけはファンファーレのように聞こえなくもない。だが、そんな浮かれた気持ちを撥ね飛ばすかのような光景が目に入ってきた。腰の曲がった老人が、徐々に下がる遮断機の向こうへとトコトコと進んでいくではないか。耳が聞こえないのか?いや、それともボケているのか?この踏切は幅は広くないが、あの老人の足取りではギリギリ渡れるかどうかだ。引き戻したほうがまだ確実かもしれない。
「おじいさん!電車来てるよ!」
へんじがない ただのしかばねのようだ
―なんて言ってる場合じゃねえ!聞こえてないのか?
なおもトコトコと進んでいく老人。少し遠くで電車が吠えたのが聞こえた。まだ時間は少しある!乗っていた自転車を道路わきに投げ倒し、下がりきったバーの下をくぐって迫る危険に飛び込んだ。
「おじいさん!電車来てるって!」
「あ?」
ふぬけた声が返ってきた。
しゃあねえ!
「いくよ!」
そう言って俺はじいさんを抱えてみようとした。してみたがびくともしない。戻るならどうだと、引っ張ってみても動かない。
なんだこれは?じいさんの下にも線路があって、その通りに踏切をわたっているのか?
そう錯覚するくらい、変わらぬ足並みで悠長に、だが確実に踏切の反対側に向かう。
もう電車がすぐそばで轟音でうなりながら近づいてくるのが、地面を伝って分かった。
いままでに出したことのない力を出そうと、脚が不規則に震えるくらい踏ん張ったところで、二回電車が悲鳴を上げた。悲鳴を上げたのは自分かもしれない。体が軽くなった。さっきまでの力はどこへ行ったのだろうか。踏ん張りすぎて飛んでしまったのか?
ああ、疲れた。目も開けてられないな...
真ん中から端に向かって、徐々に白が視界を覆っていった。
黒。
目は開かない。
一定のリズムで電子音が聞こえる。それに嗅いだことのないにおい。
これが死後の世界なのか。みんな理想を抱きすぎてたな。そんなに良いところじゃなさそうだ。
「―意識が戻ったようです。」
少しピッチの高い、だがそれでいて落ち着く声が聞こえた。
「おーし、反応テストいくよお。」
別の声が喋った。そして続ける。
「二宮ケンジくーん、聞こえますかあ。聞こえたら手ぇあげてねえ。」
なんで俺の名前を知っているんだ?起き上がろうとしたが、まったく力が入らなかった。
「上体への運動信号確認。」
さきほどの高い声が報告した。
「あげるのは手だけでよかったんだけど...まあいっか!耳も聞こえてるみたいだし!」
なんだかこの声を聞いていると不愉快な気持ちになる。
「それじゃあ、あとは軽く説明するねぇ。」
そう言いながら、視界に強い光が入ってきた。
「瞳孔も反応良しと― あ、それで説明なんだけど、まあなんだろな、改造したから!」
「説明として情報が不足しているように思われますが」
「そうなんだけどさ!それは、おいおいだよ、おいおい。」
改造?さっぱりわからない。悪の組織でもあるまいし。何を言ってるんだこいつは。そもそもなんだこれは。どこだここは。現実なのか?妄想の世界に迷い込んでしまったのか?
「まあ今は何言ってるか分かんないと思うけど、徐々につかんでいってくれるかなあ?」
はあ?なんだそれは。仮にほんとに改造されていたとしてそんな無責任なことがあるのか?いらだちのレンガが積みあがって、壁になろうとしていた。
「―れだ」
「―だれだ」
声にならないかすかな漏れ息のような音で必死にしゃべろうとした。
「あ、んた、―だ、れだ」
「声帯に反応あり」
「聞こえてるよお!おーもうしゃべれるか。じゃあもう都合いい場所に送っといてあげよう。サービス、よさげな場所さがしてくれるか?」
「かしこまりました。それでは、朝倉高校2-2の教室へ」
「―ぉぃ、ま、て。ふざけ―」
また白が、しかし今度は勢いよく、弾けるように視界を広がっていった。
「ふざけてるのはお前だろう二宮。」
笑い声がどっと、俺を囲むようにしてあふれた。気が付くと、教室にいた。見慣れた教室ではないが、どこか似た景色。俺の通う朝倉高校のいち教室だ。
「おまえ、始業日から居眠りとは。昨日は興奮して眠れなかったのか?」
今度はクスクスと、小動物の鳴き声みたいな笑い声が両端のほうからかすかに聞こえた。
去年とは違う担任教師だ。一年の時、化学を教えていた人か。話好きでジョークもよく飛ばす。何度授業が脱線したか。生徒からは結構人気が高い。俺も嫌いではない。
「ちがうっすよ。話が退屈だっただけっすよ。」
「お、じゃあおまえが面白い話を学期はじめにしてくれるんだな!」
「遠慮しまーす。トイレ行ってきます。」
「逃げたな二宮ぁ。」
再び笑い声であふれる教室を扉で遮断し、ひとり廊下を歩き始めた。逃げる口実に使
ったわけではない。尿意があったのは事実だ。
全部夢だったのだろうか。あの踏切のことも、老人も、変な声とそれが話した非現実的な内容も?だが、いつから学校にいたんだろうか。少なくとも、あの担任やクラスメイトのなかでは、おれはずっと教室で寝ていたことになっている。まだこれも夢か?
あれこれ考えていたら、トイレについていた。
ひとまず蛇口から水を出し顔を洗った。鏡に映る自分を眺め、頬をつねってみたりもした。
ゆめじゃねえ、のか...?
確認がおわったところで、便器の前に立ち、用をたしについた。
チャックを開ける。
ウィーン
ウィーン?なんだ?
うちの学校には電動で便座が上がるものがある。だがここではない。ましてや、今正面にあるものは小便器だ。
音は自分の股間のあたりから聞こえたような気がした。
気のせいではなかった。
下のほうからメタリックな棒状のものが―そう、ちょうどウォシュレットの水が出てくる部分のようなものが―せりあがってきていた。そして、便器に向かって水を鋭く噴き出し始めた。
ナニコレ。
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