魔法の国ではシンデレラ

@nokopipi

第1話 出会いは突然、恋になる


 先生との出会いは、思いもよらず突然だった。


「まあまあ」

 殺されると思って身をすくめた私の耳に、なだめようと努める男の声が聞こえた。うっすらと目を開けて確認すると、白衣を着た男が、私とマドリ教授の間に立っていた。

「どんな理由があれ、生徒を相手に魔法を使うのはどうでしょう」

 白衣の男は私に背を向けているため表情まではわからないが、激昂する教授とは対照的に、穏やかな声音だ。教授はこれみよがしに短く息を吐いた。

「セイレン先生。貴方に何がわかるんですか?素行の悪い人間は、性根から叩き直さないといけないんです。たとえ今は理不尽と思っても、将来的には生徒のためになるはずです」

「嘘つき!」

 私は叫んでいた。

「どうせ選ばれた才能しか育て甲斐がないって思ってるんでしょ!隠してるつもりかもしれないけど、見え透いてるから。だったらお望み通り今すぐ出て行ってやる」

「セイレン先生、どきなさい!」

 マドリ教授が足を踏み込むと同時に、教授の長い節だった指先から小さな閃光が迸る。目を逸らしたら胸の内の恐怖を悟られてしまいそうで、私は意地でも逃げ出すそぶりを見せなかった。

 一触即発の緊張感漂う場面で、またしても男は落ち着いた声で遮った。

「それよりマドリ先生、腕」

 白衣の男に促され、マドリ教授は苛立った様子で自分の腕を見た。

 白いシャツの袖元が一直線に破れ、血が滴っている。故意的に傷つけたわけではなかったが、おそらく数分前の揉み合いが原因だろう。そうだとすれば、犯人は私だ。

「ここは私が何とかしますから、マドリ先生は治療に向かってください」

「いや。彼女の三者面談の時間が迫っている」

「流血したまま保護者に会うつもりですか」

 マドリ教授は床に倒れたままの私を一瞥した。

「ありのままの真実だ。仕方ないだろう」

 白衣の男は、マドリ教授の片腕から書類の束を抜き取ると、ひらひらと目の前で降った。

「これはお預かりします」

「しかし……」

 ……今だ。

 教師二人の注意が自分自身へ向いていないタイミングで、私は素早く立ち上がり、背中を向けて廊下を走った。

 背の高い窓から差し込む陽光が、階段のように廊下に続いている。

 

                 ✳︎


 どれほど走り続けたのか、急に両足が鉛のように重く感じて私は立ち止まり、呼吸を整えた。ハイソックス越しに足を触ると、先ほどまで走っていた筋肉とは思えないほど、足の芯から冷たくなっている。

「大丈夫ですか」

 背後から降ってきた声に驚いて前のめりに傾いた体は、転倒する前に白衣の男の片腕に収められた。咄嗟に男の腕を両手で掴んでしまったことにきまりの悪さを覚えながら、私は叫ぶ。

「私に魔法使ったでしょ!」

 男は悪びれもせず微笑んだ。

「ええ。私魔法使いですから」

「……生徒には使わないって言ったのに!」

「ああ、私は別です」

 男は私の両脚が動かないのを良いことに、軽々と体を持ち上げて肩に担いだ。

「降ろして!ていうか触るな!」

 男は嫌ですよ、と朗らかに拒否をする。

「"マドリ教授"の約束を破ると怖いこと、知っているでしょう?」


               ✳︎


 夕日の朱に染まった教室で、私は四角いテーブルを囲む椅子の一つに強制的に降ろされた。今すぐ逃げ出したいが、足がまだ言うことを聞いてくれない。

 白衣の男、先生は窓枠に寄りかかりながら紙の束に目を落としている。ページをめくる音が止む。

「君の資料を読ませてもらいました。両親を亡くしてから今まで、母方の叔母に身を寄せていたそうですね。魔法の才能を摘み取ったりせず、進学の費用まで負担してくれるなんて、良心的な方じゃないですか」

 何もわかってないくせに。

 先生は手元の資料から顔を上げると、私の敵意を含んだ視線を真っ向から受け止めた。

 私の腹のなかの言葉の続きを促すような、長い沈黙が続く。

 誰かに助けを求めるつもりはない。半ば自暴自棄になって、私は頬杖をつき、机の上の一点を見つめて話し始めた。

「それがあの人のやり方なの。世間体は良い人を装って、私の能力を認めている体だけど、魔法学校へ通うことは私の意思じゃない。払ってやった分はきっちり返してねって、それがあの人の口癖。そのくせ、私を育てるのにかかった費用を帳面につけたりしない。なんでだかわかる?私を高級官吏にさせて、死ぬまでたかるつもりだから」

「……なるほど」

 異例の三者面談の経緯を察した先生は、間を置いて尋ねる。

「良いんですか?このままだと入学して一ヶ月足らずで」

 最後まで待たずに、私は言う。

「私を退学にして、今すぐ。それが私の望み」

「ここから出たところで、身寄りのない君はあの家に戻るより他ないでしょう」

「結婚して嫁に行く。養ってもらっている身分の私に金を無心できるわけないし、よその家の人間になった私に余計な手出しできないでしょ」

「相手がいるんですか?」

「それは……」私は先生から目を逸らして、聞き流してくれるように祈りながら小さな声で答える「これから学園を出て探す」

「……これからって、そう言いました?」

 先生の声が小刻みに震える。

「笑うな!」

「まさか。笑えない冗談です」

 先生は腹を抱えるふりをしながら、独り言のように低い声で呟いた。


「君も存外人間らしいですね」


 どういう意味かを問う前に、先生は教壇の上で披露するような完璧な微笑みを作って、私の真横の椅子を引き寄せて座った。

「反抗の仕方をお教えしましょうか?」

「はぁ?」

「君にいま必要な授業でしょう」

「要らない。反抗なら、現在形でしてるから」

「子供だなぁ。それは不幸の成り方っていう」

 先生が半身を乗り出したぶんだけ近づいた顔には、今までの笑みとは異なる笑顔が広がっていた。

「まず従順になることです。相手をとことん見くびらせることが肝要です。そのためには、相手が手綱を引いた方向に自分の体を動かさなくちゃならない。右に行けと言ったら尾を振りながら右へ歩き、左で踊れと言われたら狂ったように踊る。相手が侮蔑の言葉を向けてきたら悲しむふりをする。あるいは、虚勢を張って睨んでみても、相手を喜ばせるかもしれません」

「何の話よ……」

「ある夜、君を侮って油断したその人は、醜く肥えた腹を天に向け、君の目の前で寝息を立てるでしょう。その時、君は歓喜の震えが止まらなくなる。あとは、君の好きなようにすれば良い」

「それ……反抗じゃなくて、復讐って言うんじゃないの?」

 私が指摘すると、先生は元の作り物のような笑顔に戻った。

「君の本当の望みは、こちらでしょう」

「……教師のくせに」


 扉を隔てて靴音が近づく。

「さて、これから君の叔母さんを交えて話をするわけですが」

 私は無意識に険しい顔をしていたようで、先生は手の甲を伸ばし、前髪越しに私の眉根にそっと触れた。私は驚きで目を見開いた。

「大丈夫ですよ。私がいれば、嘘つきの手伝いくらいは出来ます」

 交錯した視線の先、私を見つめる先生の目は、どこか遠いところを眺めていて、遠いところにいる誰かを偲んでいるようだった。


 クラス、いや学園中の女子が口にしている噂を思い出す。学園に馴染めていない私ですら、耳にしたのは一度や二度にとどまらない。


 ーー優しいのにときどき意地悪で、絵に描いたような端正な顔立ちなのに、笑うと歳の近い少年のような気さくさがあってーーこんなの、好きにならないわけがないよねーー


 思わず後ずさった私の純情をからかうように、先生は口を開けて笑った。

 先生の肩が揺れるたびに、銀色の髪がはらり、はらりと前髪へ落ちる。濃淡のある黄色の瞳が、宙を切って私に留まるたびに、呼吸が一秒止まる。


「ユーミ・エリアグラム」


 先生が私の名前を口にする。

 あの頃からそうだった。先生の言葉は、私の心の中にすうっと入っていって、どんな嵐にも負けない永遠の道標になる。


「この学校を出たかったら、まず学びなさい。そして自分の力で抜け出しなさい」







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