ベリト、嘘を吐かないで

きょうじゅ

ベリト、嘘を吐かないで

前章

砂の惑星

 その日わたしは町から少し離れたところにある、桃色サボテンの群生地にひとり足を延ばしていた。こんな砂の惑星にもたくましく生きている動物やら植物やらそれなりにいるし、桃色サボテンの頂に生る実はとても美味で、だから高く売れる。うちの宿の名物料理にも使われる。


 わたしの名はシェディム。オアシスの町ハルザでいちばん大きな宿屋の娘。そしていま、運の悪いことに天使と遭遇し、人生で過去最悪のピンチに陥っている。天使とは何かって? 空の彼方からやってくる、正体不明の敵性存在。言語は解さない。もし仮に分かるのだとしても少なくとも口を利くことはなく、この地上に生きる者たちとコミュニケーションを取るつもりはなさそうだ。天使たちは神出鬼没で、突然空から現れては、生きとし生けるものを無差別に蹂躙してまた去っていく。


 つまり、この世界は天使によって滅ぼされようとしている。


 こいつらがこの地上に姿を見せるようになってから幾星霜、この大地は見渡す限りすっかり砂漠と化してしまった。らしい。わたしが生まれたのは世界がそのような姿になった後、具体的には十と数年そこら前のことだから、そのようになる以前、まだ文明というものが存在していた時代がかつてあったということは、話としてしか分からないが。


 いま、この世界の人類は砂漠の中に点在するオアシスに身を寄せ合い、天使の脅威に怯えながら、おおむねひっそりと這うように暮らしている。わたしの暮らすハルザの町もそう。


 いまこの地上で、正面から天使に対抗できるだけの力を持っているのはデューンライダーだけだ。デューンライダーたちは特定の町には拠らず砂漠を放浪し、天使を狩る。こんな荒れ果てた世界で宿屋などというものが軒を構えていられるのもデューンライダーたちのおかげ。だからわたしは決して町の一部の人間がするように彼らを「スナワタリ」とは呼ばないし、職業上の誇りにかけて精一杯のもてなしをする。それが商売だから、というだけのことではなくて。ええ、決してそれが商売だからというだけのことではなくて。


「誰か……お願い、誰か気付いて……!」


 町にはいちおう、天使を追い払う程度の威力は持つ防衛兵器がある。しかし、それに付随する索敵機能はたかが知れているし、いまわたしがここにいることを知る者は誰もいない。護身用の銃を抜く。このサンドガンはジャイアントワームやスナオオカミを想定して持っているものであって、目の前にいるのは単独行動のはぐれ個体とはいえ天使と戦うことのできる武装ではないのだが、無抵抗のまま八つ裂きにされるくらいならせめて銃把じゅうはに手をかけていたかった。


 その天使は青く、金属のような光沢のある身体を持っている。もう少し複雑ではあるが、超巨大な甲虫をベースに作られた機械生命体のようで、そんな呑気な感想を述べていてもいいのなら『美しい』と言ってもいいかもしれない。天使にもいろいろなのがいるが、共通点としてはどれも機械と生物を融合させたような姿をしていて、それから宙に浮いている。


 その天使はまだわたしに気付いてはいないようだ。しかし、大声を出したり、あるいは逃げるために走ったりすれば当然攻撃されるだろう。天使の現れる時期や方角などの法則は完全には解明されていないがある程度までの経験則はあって、それを頼りにして町から離れたところでひとり歩きなどしていたのだが、やめておけばよかった。


「レニーズ、わたしまだ死にたくないよ……」


 見習いのデューンライダーで、このあたりでは一番大きな馬幇キャラバンに属している幼なじみの少年の名を、小さな声で呼んでみた。レニーズのいるキャラバンがハルザにやってくるのは予定では次の収穫の季節のはずだが、都合よく今彼らがここに姿を現すなどというような奇跡が起こらないものだろうか。


 と。


 わたしの耳に入ったのはバギーの飛翔音だった。バギーは低空を飛ぶ乗用機械で、デューンライダーが使う、デューンライダーの象徴と言うべき代物である。わたしは一瞬、本当に奇跡が起こってレニーズが来てくれたのかと思った。数秒後、違うということに気付いた。そのバギーは超高速でこちらに向かって飛来した。赤かった。真っ赤な車体のバギー。レニーズのキャラバンじゃない。初めて見る車体だし、赤いバギーを使うデューンライダーがいるなんて噂にも聞いたことがない。いやそんなことはいい。味方であることに変わりはないだろう。しかしそれより。


 まずい。


 天の助けといえばそうだけど、おそらくここに私がいることにあのバギーの主は気付いていない。ということは、ぼやぼやしていると攻撃の巻き添えを喰らうということだ。


 そのバギーが猛スピードで真上を通り抜けながら例の天使を吹き飛ばし、そしてUターンして戻ってきたとき、わたしは命からがらといったていで砂の中から這い出し、着衣から砂を払っていた。バギーが止まり、運転者が降りてくる。


「ありがとう」


 と声をかけると、バギーの主はぴくりと動きを止めた。本人も赤かった。赤い服……いや、プロテクター……? とにかく、真っ赤な何かを全身に纏っている。すごい派手だ。デューンライダーはオアシスに暮らす一般人とは違うとはいえ、ここまで常識から逸脱した美意識の持ち主は珍しい。


「近くのオアシスの者です。偶然あの天使に出くわして、困っていたのですけど、助かりました。勇敢なる砂漠の戦士に、心からの感謝を」


 すると、真っ赤な人はこう言った。顔も何も隠れていて見えないが、声からすると男だ。上背は……そんなに高くない。身に着けているものの構造がよく分からないから正確なことは言えないが、それにしても、どう見積もっても多分、大人の男にしては小柄なんだと思う。


「おれは戦士じゃない。勇敢でもない」

「そうですか? まあ、いいです。オアシスは近くですが、よければご案内しましょうか」

「そうだな。故郷から丸一日ばかり旅をしてきたところだ。そろそろ休みたい」


 何を言っているんだろう、この人は。バギーがあるとはいえ、それでも隣の町まで最短距離を走ったとして三日はかかるんだが。まあ、それはいい。とりあえず、隣に乗せてもらって、オアシスの方角へ先導する。


「わたしはシェディム。あなたは?」

「シェディム?」

「名前ですよ。わたしの。あなたのお名前は?」


 言ってる通り名前を聞いただけなのだが、真っ赤な人は考え込んでいるようだった。なぜ。何を悩む必要があるんだ。


「おれのことを呼ぶなら、ベリトと呼んでくれ」

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