4.分岐点
――運命の金曜日。
俺が部屋を出る前に朱莉はレイーシャモードで話す。
「今日の飲み会終了後、高確率で蓮本さんを家に送るイベントが発生します。ですが絶対にセックスしてはいけません。たとえ相手が誘ってきてもです。ここを乗り切らなければ未来は変わらないでしょう」
「蓮本さんは亮さんに惹かれ始めているように見受けられますが、きちんと付き合っているならまだしも、付き合っていない酔った女性とのセックスはトラブルの元です。我慢してください」
「ああ、分かってる。今日は絶対に我慢するよ」
俺が意志を込めて返事をすると、口調が朱莉モードに変わる。
「ちゃんとできたら、ご褒美に亮君のして欲しいこと全部してあげるよ♡ 頑張って来てね!」
「お、おう」
正直、色々難しいことを考えなくても朱莉となら最高の夜を過ごせる。蓮本さんを無理して口説かなくてもいいかも、と俺の脳裏をよぎるが、今日のこのイベントだけはきちんとこなしておかないと、朱莉を送ってくれた未来の俺に申し訳ない。
必ずうまくやって見せると決心し、俺は会社に向かうのだった。
会社で蓮本さんと顔を合わす。俺は気まずいなと思ってビクビクしていたが、蓮本さんは普段と特に変わった様子もなく、普通に挨拶を交わした。
その後も全く普段と変わらない様子で仕事をこなしていた。こうも変化が無いと、昨日の出来事は蓮本さんにとっては、何ということも無かったのではないかと少し不安になってしまうよな。
* * *
仕事が終わり、俺の人生を左右する飲み会が始まった。
会社と駅の間にある居酒屋の一室を貸し切りにしている。ベテラン社員から若手社員まで入り混じった参加者数は20名ほどの2カ月に一度の会社の懇親会だ。
いつもなら意地でも蓮本さんの近くに席を取ろうとするが、今日はあえて離れて座った。離れたところから観察してると、蓮本さんに若い男性社員が数名近づく。
蓮本さんは若い男性社員どもに酒を勧められ、苦笑いをしながらも飲んでいる。若い男性社員どもの顔ときたら……、鼻の下を伸ばしてみっともない。いや、いつもなら俺もあの中に混じって蓮本さんに酒を勧めていたか。
蓮本さんはチラリと俺に視線を向けたような気がした。俺はウーロン茶の瓶とまだ使われていないグラスを持って蓮本さんの隣に行った。
蓮本さんの持っているビールがなみなみと注がれたグラスを取り上げて、飲み干してやった。そして持って行ったグラスを持たせてウーロン茶を注いだ。
「蓮本さん、大丈夫ですか? ちょっと飲みすぎですよ」
蓮本さんのグラスにビールを注いだ男性社員は、俺に邪魔されたことに腹を立てて抗議する。
「おいおい、しらける事するなよー」
「蓮本さんを泥酔させて、いやらしいことでもする気じゃないんですか?」
「そんなことするわけ無いだろ!」
「分かってますよ。ただ、そういう風に見える。と言っただけです」
「っ、何言ってる? 意味わかんねー」
悪態をつきながらも他の女子社員に絡みに行った。やれやれだ。
蓮本さんは俺の注いだウーロン茶を一口飲むと俺に「アリガト」と呟いた。
飲み会が終わり店の外まで出てきた。蓮本さんはかなり酔っているようで、足元がふらついている。何人かの男どもがニタニタ笑いながら送って行こうか? と声を掛けている。このままではお持ち帰りされてしまいそうだ。
ベテラン女性社員がその状況を見て俺を呼ぶ。
「荒川君、蓮本さんを家まで送ってあげて。タクシーは呼んでおいたから」
「はい、わかりました」
* * *
蓮本さんのマンションに着きタクシーから降りる。
ふらついている蓮本さんが俺に寄りかかってくる。
「立っているのも辛い……。悪いけど、部屋まで連れて行って」
俺にもたれるように腕に抱き着く。蓮本さんの感触をもろに感じてしまい心拍数が急上昇する。
ずっと俺に密着している蓮本さんを気遣いながら、ゆっくりと歩いて部屋の前まで移動した。蓮本さんがドアを開錠して二人で部屋の中に入る。
「じゃあ、俺はここで失礼します」
蓮本さんは俺の腕を捕まえてギュっと握る。
「少しだけ、上がって行きなさいよ」
蓮本さんの色香に当てられて俺の心音は高鳴りっぱなしだ。我慢できなくなる前に帰らないと、と思いながらも俺は頷いてしまった。
よろける蓮本さんを支えながらリビングのソファーに座らせると、蓮本さんはぐったりと無防備に横になり話し出した。
「いつもは私の隣に座って、他の男の子達を追い払ってくれてたのに、今日は離れて座ってたよね。おかげで沢山お酒を飲まされちゃった」
確かに、俺はいつも蓮本さんに近寄ろうとする男達に割り込んで邪魔していた。もちろん蓮本さんの為ではなく、俺が蓮本さんの気を引くためだ。
蓮本さんは火照った顔で小さく呟く。
「ねぇ、荒川君。私の事好きなんでしょ? 私も荒川君の事が好き。だから今夜は一緒にいて」
憧れの人の口から出てきた好きという言葉が俺の脳を揺さぶる。俺はつい抱き締めそうになるが、朱莉が繰り返し我慢しろと言っていたのを思い出して、すんでのところで踏みとどまることが出来た。
「その言葉、蓮本さんがしらふの時に聞きたいです。今日はここで失礼します。おやすみなさい」
「帰っちゃうの? 残念だなぁ……。今なら亮君に何されてもいいんだけどなぁ」
俺の腕を両手でつかんで引き寄せながらそう言う蓮本さん。俺の脳内で何かが弾けた。
「蓮本さん!!」
俺が抱き着こうと手を伸ばすと、蓮本さんは顔を青くして「うっ」と口を押さえ出した。俺はあわてて蓮本さんをトイレまで連れて行き、事なきを得た。
いくら憧れの人だとしても、苦しそうに吐いているのを見ればスケベ心も引っ込むというもの。我に返った俺は蓮本さんに手を出さずに部屋を出ることが出来た。
マンションから出ると朱莉がいた。レイーシャモードの口調で俺に声を掛ける。
「亮さん、お疲れ様でした。よく我慢できましたね」
「朱莉のおかげだよ。正直、かなり危なかった……」
* * *
二人で俺の部屋に戻ると、朱莉が俺の頭を撫でつつ言う。
「亮君、本当にお疲れ様。ご褒美に今夜は蓮本さんの姿でイイコトしてあげようか?」
「いや、それは罪悪感が半端ないからやめておくよ。それに今日はなんか疲れたからもう寝ようかな……」
「ふふっ、了解。今日は一人で寝る?」
「……添い寝はして欲しい」
「うん♡」
二人で並んで横になり、俺は朱莉の手を握った。
「45年後の俺の人生は変わったんだろうか?」
「いいえ、私が元居た時間軸とは私がここに来た時点で分岐しています。私が元居た時間軸の未来の亮さんはきっと何も変わってはいないでしょう」
「それじゃあ無駄じゃないか」
「未来の亮さんは自分の過ちに深く後悔をなさっていました。異なる人生があったのではないかと。たとえ今の自分の人生が変わらなかったとしても違った人生を歩む自分の姿を夢見ているのでしょう」
「だから、今ここにいる亮さんが幸せになってください。私はそのための手伝いを何でもします」
ここ数日間、朱莉のおかげで有り得ないくらいに幸せだ。これからも俺を助けてくれるならとても心強いな。
朱莉を送ってくれた未来の俺の事や、今日の出来事を思い返しながら微睡んでいった。
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