異世界から帰る

フィオー

第1話


 僕は大事にしまっておいた、この世界に来た時の服装を取り出し、着替えた。


 黒のTシャツに黒のジャージパンツ。ポケットには血と脂がこびりついたナイフと血がついた札のつまった財布が、当時のまま入っている。


「さて、行くか」


 地下の階段を下ると、魔法工学者のリースが、僕のために作ってくれたゲートの前で待って居た。


 リースの栗毛アフロともお別れか……。


 ゲートはまだ、魔鉱石でできた四角い枠だけだった。


 僕が来たのを見ると、リースが、何やら操作しだす。


 次の瞬間、ゲートが、甲高い音を出して作動した。


 枠の中で、青白い光が起こり枠いっぱいに広がる。


 燭台の光だけで薄暗かった地下室を明るく照らした。


「これで、元の世界に帰れるのか……」


 僕はリースの元へと歩いていく。


「文献通りなら」


 とリースが分厚い本を取り出した。


 タイトルに、『最新、魔法美容! 若返りに美肌効果、便秘や肩こり、冷え症なども解決!』と書かれている。


「おい、違う本だぞ、それ……」

「へ?」


 リースの顔が赤らみ、慌てて本を背中に隠した。


「コホンッ」


 とリースは咳をして、力強く言う。


「大丈夫よ。この町一番の魔法工学者よ、私は」

「ホントに、うっかりミスはないんだろうな。お前……入ったら事故死とかだけはやめてくれよ……」

「大丈夫よ」


 リースがムカムカしだした。


「前も、なんだかんだ言って大丈夫だったでしょ」

「危うく死にかけたのが7回あったぞ……」

「6回でしょ。もう、私を信じて!」

「……そうか……。じゃあな……5年間……振り返ればあっという間だった……」

「……これでさよならね、ナガタ……寂しくなるわ」


 リースが悲しそうに、僕を見つめていた目を逸らした。


「僕は、やはり、この世界の住人ではありませんから……」

「こちらの暮らしは、そんなに嫌だった?」


 リースが涙目で僕を見る。


 僕は首を振り、


「あっちには、妻も、子供もいるんです。僕は帰らないと」

「そう……あなたがいた5年間、この町は本当に見違えるようになった、私からも、感謝しかないわ」


 大学で学んだ土木工学、そして現場監督として、長年やって来た経験が生かせた。


 中世レベルのこの異世界。現代の技術を教えたら、この町のインフラは劇的に良くなった。


 後継も育ったし、僕のやることはもうない。


「……みんなに、別れも言わずに帰るなんて……」

「そう言うの苦手なんです。悲しくなるでしょ」


 リースは顔を俯けたまま、黙り込んだ。


「私、あなたに会えて、ホントに、良かったわ」


 しゃべりだした声が、涙声だった。


「初めて出会った時、ナガタ、森でモンスターに襲われて血だらけになってて、ホント、びっくりしたわ」

「あの時は、本当にありがとう。僕も、嬉しいです、こうしてあなたとも出会えたことが、なにより一番」

「ナガタッ」


 リースが僕に抱き着いてきた。


 僕は優しく抱きしめる。


 胸に顔をうずめるリースに、


「さよなら」


 と言って、僕はゲートへと歩き出した。


 青白い光が僕を包みこむ。


 その光は強さを増し、目が開けられなくなった。


 体に、強烈な違和感が起こる。


 ああ!


 ああああああああああ!


 息ができない!


 僕は体をうずめた。


 立っていられない!


 苦しい!


 あああああああああああああああああああああ!!


 ……。


 ……ああ……。


 ……あ……?


 急に、解放されたように体が楽になる。


 僕は目をゆっくり開けた。


 緑色の田んぼが目の前に広がっている。


 アスファルトの道路の上を、数台の車が走っていた。


 ずらりと並ぶ電柱。


 日本語の標識、看板。


 遠くに山脈が走っている。


 え? 帰ってきた?


 見上げると、陽光がキラキラと辺りを照らしている。


 そよ風が吹き、草をなびかせた。


 何度も首を振り、周りを眺める。


 そして確信した。間違いない、ここは日本だ……。


 僕は、帰って来たんだ!


 ……しかし、なんでだ?


 なんで急に帰ってこれた?


 たしかリースがゲートが完成させて、明日起動させて帰るはずだったのに……。


 寝て、起きたら帰って来てた……。


 ……どうなってんだ? ゲートいらなかったのか?


 まぁなんでも良いか……。


 ……リースにも、さよならを言わずに帰ることになったか……なんか、心残りだけど……。


 いや、良いんだ。帰れたんならなんだって。


 僕は気をとりなおし顔を上げた。


 道路を目で追っていくと、右方に町が見える。


 とりあえず、警察に行こう。


 助けを求めないと。


 道路を歩いていく。


 どこだろう、ここ。僕の知ってる場所ではないな。


 でも日本であるし、すぐに家族と出会えるだろう。


 僕の足は、大股になった。


 町の入り口には、ガソリンスタンドがある。


 その横の空き地で、子供たちが遊んでいた。


 みんな、顔つきがアジア人! Tシャツだったりの服装! 凄い!


 僕は興奮して、笑い声をあげた。


 あの子らに交番の場所を聞こう。


 僕は雑草が生える地面を走って、子供たちの元へ向かった。


「おーい!」


 僕は、僕に気付いた子供たちに向かって手を振る。


 子供たちは、目を見開いて僕を見つめた。


 あれ? なんか怖がってる?


 しまったな、不審者と思われたか?


「ごめん! ちょっと聞きたいんだけど、交番の場所を聞きたいんだ!」


 僕は優しい口調で言った。


 子供たちは、真っ青な顔になって目を凝らし、僕を見つめている。


 ……どうしたんだ? 


 いきなり身をひるがえし、子供たちが町へと逃げ出した。


「おい、待って! 待って!」


 いったいぜんたい、なんなんだよ……。


 僕はあっけにとられたように、たたずむ。


 首をひねりながら、僕は道路に戻った。


 その時、自転車に乗った若者が前からやって来る。


 その若者は、僕を見るとひどく慌てて逃げ出した。


 呆然として、僕は立ちこぎで去って行く若者の後姿を望む。


 どうしたってんだ?


 道を行くと、ガリンスタンドの店員が、金切り声を上げ建物の中へかけていった。


 僕は町を歩いて行く。


 小さな郊外の町だ。


 たまに通る車は、僕の前で止まったとおもうとUターンして走り去っていく。


 人通りも少ない。


 たまに見かけた人達は、例外なく、僕に気付くと逃げていった。


 商店街を見つけ、入ってみる。


 真っ直ぐな道の向こうに駅が見えたし、交番もありそうだったからだ。


 商店街には買い物客がいた。


 が、老若男女かかわらず、店にいた人達は飛び出し、通りにいる人含め、蜘蛛の子を散らすように逃げ去っていく。


 波が引くように、たちまちのうちに通りに人気がなくなった。


 なんなんだ……?


 僕はうろたえてしまい、立ち止まる。


 僕から、逃げてるっ。


 始めは何かの間違いだと思ったけど、もう間違いない。


 声をかける暇もない。


 近くにあった古着屋に入って、姿見で自分の姿を確認した。


 さっぱりわからない。


 僕の恰好は普通だ。


 髪の毛も、服も、来た時の姿だ。


 何もついてない。


 顔を手の平で覆う。


 ……警察を頼ろう。


 警官なら、逃げないはずだ。


 何で逃げ出すのか、聞こう……。


 僕は店から出る。


 と、


「ありがたい」


 僕は通りをゆっくり走るパトカーに向かって手を振った。


 パトカーは僕に気付くと、こっちにやってきて目の前で停車する。


 制服姿の20代と40代くらいの警官が2人、飛び降りるように車を降り険しい表情で僕を囲んだ。


「……永田恵一さん、なんですか?」


 40代くらいの警官が尋ねてくる。


 その声が、真剣みを帯びていた。


「はい、そうです。……何で知ってるんですか……」


 若い方の警官はずっと緊張した顔で僕の、体を触り始める。


「何をするんです!」


 僕は驚いて声を上げた。


「落ち着いて、身体検査です」


 若い方の警官は、僕のポケットからナイフと財布を取り出す。


「これ、だけですね」


 僕の足首までペタペタ触って確かめ、尋ねてきた。


「はい、そうです」

「こちらで預かります。そして一応、検査して本人かも調べます、よろしいですね」

「……はぁ……」

「では一緒に警察署に来てください」

「……はい。あの、色々話さないといけないことがありまして……僕は実は今まで――」

「把握しておりますから。すぐに一緒に来てください」


 僕の話を遮って、命令口調で言ってきた。


「はい、わかりました」


 僕は2人の警官に監視されながら、後部座席に座る。


 車内はずっと沈黙が支配していた。


 僕は、何で僕の事を知っているのかとか早く知りたかった。町のみんなが逃げる理由も、ここ5年で日本がどうなったかとか、何が流行ってるかとかも、聞きたかった。


 でも、とてもしゃべれる雰囲気じゃない。


 重々しい空気だった。


 ……なんでだ……? 何が起こってるんだ……。


 警察署に着くと、綿棒で頬の裏をこすられ、ドラマで見たようなテーブルひとつの取調室に入らされる。


「ここで待って居てください」


 警官に言われ、待こと2時間、スーツ姿の男が2人ドタドタと入ってきた。


「公安の田中です」

「同じく西村です」


 どちらも中年の体の大きな怖そうな人だった。


「あなたには記憶がないので、説明します。どうか気持ちを落ち着けて聞いてください」


 田中さんがきびきびした口調で、よそよそしく言ってくる。


「あなたは、妻の瞳さんとお子さんの卓也君を殺害しています。そしてその後、逃亡し、民家で強盗殺人を5件働いたのち、ホテルに泊まっていたところ、次元の狭間に落ち、あの異世界へと飛ばされました」

「待った! 待ってくれ、なんだって!? 殺害した!?」


 僕は叫んだ。


「質問は後だ」


 西村っていう方が立ち上がり、僕の体を大きな手で押さえつける。


「だって! なんだよ、どういうことだよ!?」

「あなたの持っていたナイフ、奪ったお金から、被害者のDNAが検出されましたし、監視カメラ等の映像から間違いありません。動機は、あなたが覚えておいででないのでこちらの推測ですが、あなたはリストラされ借金も1億近くありますね、妻とはケンカが絶えず、子供には虐待の跡がありました」

「待った! 待ってくれ!」


 押さえつける大きな手から逃れようと、体を暴れさせながら叫んだ。


「おとなしくしろ」


 しかし、簡単に関節を決められ、頭をテーブルに押し付けられる。


 横顔を大きな手で押さえつけられて、口か半開きのまま閉じることもできなくなった。


「異世界の事は、こちらでも確認済みです。あちらの世界政府との会合で不可侵条約が締結されました。そちらでは情報統制されているようで、知らなかったみたいですね。次元を超える際に行き来する者の近い記憶が、直近から最大1週間ほどの記憶が無くなる症状でます。そのせいであなたは記憶がないのでしょう」


 きびきびした口調で、よそよそしく話し始める。


「永田恵一さん、あなたはすでにこの世界に帰ってきて、妻子殺しの罪で死刑判決を受けています。しかし、その後、再び永田恵一さん、あなたが世界に現れました。DNA検査でも同一人物という結果ですから間違いありません」


 僕は顔をしかめた。


 押さえつけながら、目だけ動かし話す田中さんの顔をじっと見る。


 何を言っているかわからない。


 血の付いたお金とナイフって、あれは、異世界に来てすぐにモンスターに襲われて時ついたやつじゃないのか?


 でも質問なんてできない。


 困惑の表情で、続けて話すのを聞いた。


「そして、しばらく経つとまた、あなたが現れました。そしてあなたは、この世界に来た25人目の永田恵一です。なぜあなたが複数体、日本各地に送られてくるのか、あちらの世界政府も理由はわからないそうで、只今調べている最中です」

「ちょっと待った! あなたが何を言ってるのか、もう訳が分からない! ちゃんと、もっとちゃんと説明してく――」


 大きな手に力がググッと加わった。


「あなたも明日移送され、他の永田恵一氏とともに収監され死刑を待つことになります。25番がこれからあなたを指す名前になりますので覚えてください」


 それだけ言い終わると、田中さんは一呼吸おいて、


「以上です」


 と言って立ち上がり、ドアを開ける。


「では終わりましたので、後をお願いします」


 外にいた警官が中に入ってきた。


 大きな手の力が緩む。


 代わりに、警官ふたりの腕が僕の両腕をがっちり掴んだ。


 僕の目から、涙がこぼれ落ちる。


 ……何が起こってるんだ……一体何が……?


   ◇


 リースは、ゲートに入って、すぐに永田の姿が消えたのを見て、こぼれる涙をぬぐった。


「行っちゃったか……ああ……成功してよかった……」


 安堵の声を漏らす。


 ゲートの光はすぐに消えた。


 もう使用はできなくなる。


 リースは後ろ手に隠した、間違って持ってきた文献を見た。


 そして、きょろきょろと辺りを見渡し始めた。


「あっ、あんなところにっ」


 ゲートの制作方法の記された古代の文献が、壁側にひとつあるテーブルの上に乗っているのを見つける。


「まったく、おんなじ分厚さだなんて紛らわしい。ゲート作成中も、取り間違えちゃってた……」


 ここでリースは、急に、なんとなく悪い予感がした。


 テーブルの上に乗っている古代の文献まで行って、本を開く。


 ゲートのページを、なんとなく読み直して見た。


「……あれ、なんか……間違ったかも……」


 リースはひとり、眉を顰める。

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