三・九
ショックのあまり、目を覚ましたようなものだった。
銃声を聞いた鳥のように飛び起きた僕の頭は大いなる混乱の最中にあった。
何だ。
一体何が起こった。
——栞は?
慌ててスマホを取り出し電話をかける。無機質な発信音が鳴る度に鼓動が跳ね上がった。
「もしもし?」
スマホ越しに馴染み深い声が聞こえた。
すぐに電話を切る。
よかった。栞は生きている。
「……なんだ、そういうことか」
要は単なる夢だったと。さっきのは、栞を目の前で失い錯乱した僕の見たやたらとリアルな夢だったと。つまりはそういうことなのだろう。
——あれ?
僕は前にもこんなことを経験してないか?
そうだ。
まただ。
また同じ展開だ。
栞が死んで、僕が絶望して、そして霊安室で意識を失う。そして目覚めて夢だったと納得する。
細部は違えど骨組みは同じ。
また同じ夢を僕は——。
違う。
夢なものか。
あの惨状が、あの悲しみが、あの辛さが夢であるはずがない。
ふざけるな。
あの涙が夢であってたまるものか!
これは夢でもデジャヴでもない。
現実だ。
ならば早く何とかしなければ。
このままでは栞がまた——。
死ぬ。
僕は布団を跳ねのけ一挙動で立ち上がり、すぐさま階段を駆け下りた。
きっとこれは慈悲深い神とやらが僕にかけてくれた情けに違いない。何のご利益かは知らないが、このチャンスを活用しない手はなかろう。二度も失敗したのだ。今度こそ守って見せる。
もう栞は死なせない——。
僕は寝巻きのジャージ姿のまま住宅街を駆け抜けた。そしてある家の前で足を止めた。
「あれ、こーちゃん? どうしたの? なんかさっきも電話来てたけど」
インターホンを鳴らすと、しばらくして栞が出てきた。今度は先輩と言い直さないのか、などと関係ないことが一瞬頭に浮かんだが、すぐにそんな考えはすぐに吹き飛んだ。
驚くべきことに、栞はセーラー服を着ていた。
僕らの通っている私立高校は男女共にブレザーで、セーラー服など無かったはずだ。それなのにどうして栞はセーラー服を着ているのだ。
そうか。
一体何を言っているのだ僕は。
彼女は公立高校に行ったんじゃないか。
クソったれ。やはりデジャヴのようだ。またあの気味の悪い感覚がする。まるで他人の記憶が移植されたかのような感覚が。
ええい、今はそんなことどうだっていい。
今優先すべきは栞をここから連れ出すことだ。
「栞、今すぐ僕と来てくれ」
「へ? どこに?」
「さあな、僕にも分からない」
連れ出すといっても、どこか明確に行くべき場所があるわけではなかった。あの時は気が動転していて目的地を決める余裕などなかった。ただここにいてはいけないということだけが分かっていた。
「え、いや、ホントに何言ってるの? さすがにわけ分かんないよ?」
「分からなくていい。ただついて来てくれればいいんだ」
「や、無理だよ。そんな急に言われても……」
「栞!」
焦っていたせいか、柄にもなく怒鳴ってしまった。驚く彼女に申し訳ない感情が浮かんできたが、押し殺して強気に出た。
「無茶な申し出だってのは分かってる。確かにこんな朝っぱらからこんな意味不明なこと言われたって困るだろう。けど! けど、ここにいたら駄目なんだ。このままじゃ駄目なんだ。飯ぐらい奢ってやる。何だろうが後で好きなもの何でも買ってやる。お前の望みなら何でも叶えてやる。だから頼む。今日だけは俺の言うことに従ってくれないか……?」
僕の異様な態度を心配したのか、あるいは何かを感じ取ったのか。栞は少しだけ考え込むと、やがて小さく、分かった、とだけ呟いた。
それから僕らは駅へ向かった。未だ目的地は決まっていなかった。ただこの街から離れたかった。事故が起きたのは前回、前々回とも夕方。ならばそれまでにどこか安全な場所に逃げ込めば、あるいは守り切れるかもしれない。それが足りない頭で土壇場に考え出した僕のプランだった。
今思えば、そんな甘い策が通用するはずがなかった。
駅前は朝の通勤ラッシュで混雑していた。いつも通りの見慣れた光景だったが、その時は無性に恐ろしくてたまらなかった。この群衆に車が突っ込んできたりしないか。いきなり屋根が崩壊したりしないか。この中に通り魔でもいるんじゃないか。そんなどうしようもない不安でいっぱいだった。
厄介なことに、最後の不安は的中した。
はぐれてしまわないように、僕は彼女の手を握っていた。学校とは反対方向の電車に乗ろうと改札に向かった、その時だ。
一瞬のことだった。
人混みに揉まれて手が離れた。
すぐに手を伸ばした。
その手は届かなかった。
真っ白な夏服を赤く染めて、彼女はその場に倒れ込んだ。
後ろで男が奇声を発しながら通行人に切りかかっているのが見えた。
ああ、まただ。
またこうなるのか。
右手に青い光輪が現れる。
待ってろ栞。
今度こそ、必ず——。
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