三・二
見知った同性との食事ほど気楽なものはない。初対面の人や異性にはどうしても気を遣わなければならない場面が少なからず存在するが、同性の友人にはその手のものは不要だ。だから僕は、放課後に仲間とファミレスに居座るこの時間が好きだった。
「んであいつさ、この前予備校の模試から帰る時に新幹線使ったらしいんだよ」
「マジで? 一駅なのに? イカレてんじゃねえの最高かよ」
「模試で死んだからヤケクソだったんだと」
「あー腹痛てえ」
ボックスシートを四人で囲んで笑いあった。注文は全員店で一番コスパのいい三百円のドリアと二百円のドリンクバー。いかにも金欠高校生らしいものである。学生という生物は、いつだって金をかけずに遊ぶ天才だ。
「そうだ雨宮、お前最近はどんなネタ仕入れたんだ?」
正面に座った伊藤が僕の横の雨宮に尋ねた。ネタというのは恋愛ネタのことだ。この雨宮という男は、級友や教師の恋愛事情に目がない、いわゆる情報通というやつである。
「ふふん。それがだな、聞いて驚くなかれ。どうやら小宮と菊池がヤッたらしい」
「へえ、あの二人が。そういえば二人は付き合っていたな」
「高校で卒業かー。あーうらやまし」
「安心しろ、どうせお前は大学行ってもドーテーだ」
「んだと、こら」
「ああ、それとも風俗で卒業か」
「違いないな」
「んにゃろ、お前らだって人のこと言えないかもしれないだろ」
「俺らはしっかり彼女作ってヤるからな、なあ?」
「当然だ」
「なら俺だって」
「お前は無理だ」
「ナンデ!」
「顔が悪い」
「性格が悪い」
「死ね」
「ひどくないか!」
斜め前の田渕への容赦ないイジリに僕らは爆笑した。この日もバカ話には花が咲いた。くだらない、何の生産性もない、単なる浪費でしかない、大人になればそう切り捨ててしまうのかもしれない、そんな一時。
けれどそれを心の底から楽しめることこそが若者の特権で、その時間の積み重ねこそ青春の本質。時間を忘れるこの空間の、何と心地良いことだろう。
嗚呼、輝かしき青春の光。
「そういえばさ、押井は確か古賀ってやつが好きなんだっけ?」
——その一言で、全てが壊れた。
「……え?」
近くのドリンクバーでコーラを注いでいたその時、耳を疑うような発言が僕の耳に飛び込んできた。
押井が栞のことを好きだと?
「そーそ。かなりぞっこんみたいだぜ」
そんな、馬鹿な。
「古賀ってあれか、あのエグ可愛い一年か。そういやそんな話もあったな。あれも雨宮のスクープだっけか」
「ったりめえよ。この雨宮様にかかれば、あの押井の秘めたる恋心さえ白日の下にさらしあげて……おい、お前大丈夫か?」
「へ?」
「へってお前、コーラ」
「え、あっ」
言われて気がついた。話に気を取られていたせいで、ドリンクーのボタンが押しっぱなしのままだった。表面張力の限界を超えたコーラがコップの外を伝って流れている。僕はすぐに指を離すと、手がべたつくのも顧みずコップを掴んで一目散に元のテーブルへと帰った。
「なあ雨宮。押井と古賀の話、もっと詳しく教えてくれ」
「おう、別に構わないがところでどうした。随分切羽詰まった顔じゃねえか」
「今はそんなことどうでもいい。それより押井が栞を好きだってのは本当なのか?」
「そうだな。まあ、少なくとも今ここで百パー事実と断定できるわけじゃねえってのは確かだ。ただ軽音部のやつからのタレコミだからな。信憑性はあるだろ、だいぶ」
何てことだ。
まさか彼も栞を好きだなんて。
親友という立場から考えれば、これは大変喜ばしいことなのだろう。何せ我が親愛なる友が恋をしたのだ。嬉しくないわけがない。彼の幸せのために、ぜひとも応援したり手を回してやったりしたいものである。
だがこれに限ってはそうはいかない。
今回ばかりは相手が悪かった。よりによって栞だ。僕と同じだ。友としての僕が喜んだところで、男としての僕はそうもいかないのが実情である。これで押井は僕の恋敵ということにになった。彼は強敵だ。それは僕が一番知っている。彼は顔がよく、話が上手くて性格がいい。頑固で偏屈な僕とは比べ物にならないほど良い男だ。彼が本気で栞を狙いにきたなら、僕に勝ち目など……。
ああ、そうか。
きっとこれが、嫉妬というやつなのだ。
僕は。
僕は。
どうすれば。
その時、僕の頭では情報と感情とが洪水を起こしていた。絶望を思い知った気でいた。
本当の絶望は、これからだった。
「あ、そうだ。その話で思い出した。実はその古賀に関するネタも仕入れてんだったよ。聞くか?」
雨宮がテーブルに体を寄せていく。
「おう、もちろん」
「俺その娘あんま知らんのだが」
田渕と伊藤も雨宮に呼応するように身を乗り出した。
「まあ聞けって。実は一年の女子から聞いた話なんだけどよ、どうやら古賀にも好きな人がいるらしくてな」
栞に好きな人だと?
誰だ? 一体誰なんだ?
「ほう、てことは押井無念の敗北か?」
心臓の鼓動が早まるのが分かる。聞きたいという思いと同時に、聞きたくないという思いもこみ上げてくる。嫌だ。知りたくない。それを知ってしまったら、もう後には引けなくなる。
けれどここで耳をふさげるほど、僕は大人ではなかった。
「それがな、世の中世知辛いもんで、なんと相手は押井なんだとさ」
——心の奥底で、何かが砕ける音がした。
「何だ、結局はただのソーシソーアイかよ」
「そう、そうなんだよ。まったく羨ましいったらありゃしない。あーあ、俺ももうちょっと顔がよけりゃあんなべっぴんさんとよお……」
「ん、おい、お前どうした? 顔色わりいぞ」
「ホントだ。真っ青だわ」
田淵と伊藤が心配そうな表情で僕の顔を覗き込んでくる。どうやら僕の顔はインディゴブルーに染まっているらしい。だがそんなこと気にかけていられなかった。
まさか、栞まで、押井のことを——。
「そういやお前、古賀とは幼馴染みらしいな。実はお前もその娘のこと狙ってたりして?」
「ばっか、そしたら押井との三角関係じゃねえか」
「しかも相手は押井のことが好き。まさに修羅場だな」
伊藤と田渕の笑い声が遠く聞こえた。心臓の鼓動が早まるのが分かった。
そんな。
まさか。
本当に。
つまり押井は栞のことが好きで僕も栞のことが好きで三角関係でも栞も押井のことが好きでじゃあ僕の恋心はどうなる届かない届くわけがない僕は外様だ僕はゲームに負けた僕は敗者だ終わった僕は終わった僕は僕は僕はぐるぐるぐるぐるクソったれ!
「おい。お前ホントに大丈夫か?」
ついには雨宮までもが本気の心配顔を向けてきた。どうやら僕は、一目見ただけで分かるくらいには動揺しているらしい。実際僕はパニックに陥っていた。驚愕と恨みと嫉妬が心の中で混ざり合いぐちゃぐちゃになっていた。頭がどうにかなってしまいそうだった。そんな当時の僕が求めたのはただ一つ。それは孤独だった。
「悪い、僕はもう帰る」
急いで荷物をかき集めてテーブルに五百円玉を叩きつけた。
「じゃあ」
「お、おい! お前まさかマジで……」
心配の声を上げる優しき友人たちを尻目に、僕は逃げるように店を出た。
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