肆ー九



「そういえば自己紹介がまだでしたね。私の名前は狭間蔵之介、後ろにいる長髪の男は八尺はっしゃくという名の妖怪です」

「蔵之介、ホテルに戻ったら新しいワイシャツを用意して欲しい」


 八尺と呼ばれる妖怪の問いかけに頷いた蔵之介。


 彼が自己紹介を終えた直後、散布者の叫び声と共に血飛沫が宙に舞い上がった。


 散布者が背負っていた荷が破壊されたお陰なのか、商店街に漂っていた煙が晴れていく。


 凍てついた空気が消えていき、代わりに蒸し暑い風が俺や楢野葵、狭間蔵之介の体をすり抜けていった。


「お怪我はありませんか?」


 尻餅をついた俺に手をさしのべる狭間蔵之介。彼の手のひらを握ろうとした瞬間、何者かによって手のひらを叩かれた。

 手のひらを叩いた白い手を目で追っていき、その腕を包み込んでいた白い袖を目で辿っていく。


 そこには、赤いタイトなスラックスを履きこなし、白いワイシャツの肩にサスペンダーを掛けた高身長の妖怪が存在していた。


「うん。尻餅をついただけだよ。別に怪我なんてしてない」

「そうですか。見たところ目立つような怪我はしていないようですね」


 狭間蔵之介に再び差し出された手のひらを握り、高身長の男を睨みつけながら立ち上がる。


 彼の背後に佇む『八尺はっしゃく』という妖怪。彼は何度か溜め息をついたかと思えば、一人で商店街の出口へと向かっていった。


「一人で行っちゃいましたよ。放って置いていいの?」

ハチさんに嫌われたようですね。別に構いませんよ。彼は信用できる妖怪ですから」


 俺は蔵之介や葵に案内してもらい、八尺が向かった商店街の出口へと向かう。


 どうやら俺が思い描いていた『八尺様』というイメージは、空想上のものでしかなかったようだ。


 昔、日本の各所に出回る妖怪を調べたことがある。ある都市伝説によると、八尺様という妖怪のイメージは、三メートルはあるだろう高身長と腰まで延びた長髪の化け物。膝まで伸びる真っ白なワンピースを着こなし、ツバの大きい帽子を被った不気味な女性であったはず。


 十歳未満の童子の前に現れ、その美貌に魅入られた童子たちを呪い殺すという噂を聞いたことがある。


「どうしたんですか?」


 声のする方へと振り向き、楢野葵の顔をじっと見つめる。

 何度か視線の先にいる八尺様を凝視した後、葵に問いかけた。


「ねえ葵、貴方には八尺様が見えてるの?」

「ええ、見えてますよ。蔵之介様ほどではありませんが、僕も旧家の生まれですからね。妖怪や怪異、化け物や霊的存在を視認することなど朝飯まえですよ」


 葵は見覚えのある四色ボールペンを館内着の袖から取りだし、自慢げに霊縛術の一種を発動した。

 霊縛術が施された四色ボールペン。現実世界で披露した程ではなかったが、彼が霊力を注ぎ込んだボールペンは小刀に変化していく。


 散布者という妖怪が視えるのだ。楢野葵が八尺様を視えるのは当たり前なのだろう。


 それにしても八尺様か。厄介な妖怪だな。声や身なりから判断すると、視線の先にいる長髪の妖怪は男性で間違いない。


 だとしても、中身が俺の知っている八尺様と解釈が一致しているのであれば、葵の身が心配だ。


 彼を主従関係においた蔵之介ならともかく、知り合い程度の関係しかないはずの葵が八尺様に狙われるのは予想できた。


 俺が知る限り、八尺様という妖怪は”幼気いたいけな少年の体を玩具の様に扱う変態妖怪”だ。

 

 ここから数年後の未来、八尺様というコンテンツは一冊の同人雑誌によって爆発的に広まり界隈を震え上がらせた。


 夏のコミケで密かに発売された”妖怪七変化”という同人雑誌。作者は不明であるらしい。

 トイレの花子ハナコさんや八尺ハッシャク様、両面宿儺リョウメンスクナ姦姦蛇螺カンカンダラといった都市伝説の妖怪が擬人化されて登場しているらしく、見た者に新たな性癖を産み出したそうだ。


「蒸し暑いですね。明神さんから送られてきたメールによると、ホテルに襲撃してきた妖怪たちも祓えたようです。一般人の方が数名ほど怪我をしたようですが、被害は最小限におさえられたみたいです」


 蔵之介が言った。彼の手のひらに目を凝らしてみると、そこにはデコレーションが施されたピンクのガラケーが握られていた。


「それって明神さんのケータイじゃん。どうやってロックが解除できたの?」

「それほど難しくはなかったですよ。裏側にある蓋を開けて、バッテリーに張られていたシールに番号が書かれていたんです」


 蔵之介が渡してきた携帯を弄り、背面にある蓋を開けてみる。すると、プリクラが貼られた携帯バッテリーが姿を現した。

 

「そっか。この時代の携帯はバッテリーの交換が可能だったんだ」


 確かにこの時代は現実世界ほどスマホが普及していない。バッテリーの交換が容易だっらからこそ、そういう発想に行き着いたのだろう。


 それにしても、バッテリーに直接プリクラを貼るなんて危なすぎる。この時代の人間は皆、プリクラをケータイに貼っていたのだろうか。

 

 なんにせよ、二人のどちらかがガラケーのロックを解除して、連絡先に載った人物へ電話したのは間違いない。


 蔵之介の話によると、彼は商店街や他の場所に転移させられた子供たちを保護した後、街に徘徊する散布者を他の術師と一緒に祓ったようだ。


 子供たちは既にホテルに戻っているらしく、まだホテルに戻っていないのは成人した術者たちであるとのこと。


「柚子葉様。倉敷結衣様から電話が来ています。もう数分でホテルに着きますが、電話に出られますか?」


 ガラケーを差し出した蔵之介。彼が渡してきたガラケーを受け取り、俺は結衣ママからでの電話にでる。


「ねえ結衣ママ。体は大丈夫?」

「うん。楢野家の人たちが持つ”解毒薬”が効いたところよ。今はどこにいるの? ていうか、怪我とかしてない? すぐに迎えに行ってあげるから、場所を教えなさい! あと――」

「そんなにいっぺんに訊かないで。もうホテルの前に居るよ。怪我もしてない。結衣ママはどこに居るの?」

「そう。安心したわ。さっきまで披露会場に集められたんだけど、今は解散して部屋に戻ってるわ。ホテルの前に居るのね。フロントまで迎えに行くから、そこでじっとしてなさい」


 矢継ぎ早に質問をぶつける結衣ママ。電話越しではあったが、結衣ママの声は元気そうに聞こえた。


 それから数分ほど歩き、岬にある熱海○○ホテルのフロントに入る。すると、俺や楢野葵、狭間蔵之介に関係する人物たちが出迎えてくれた。


 楢野優月さんや八童志恩、葉月兄さんやシゲシゲといった人物たちが集まる。怪我もせずに生還した事に気づいたのか、喜びのあまり、一同は浮かれ騒いでいた。


 そんな中、俺は近づいてくる結衣ママの元に駆け寄った。

 

「本当に怪我してない? いつもみたいに嘘ついてるんじゃないわよね?」


 結衣ママが言った。普段から嘘をついているせいなのか、彼女は俺の言葉を信用してなかったようだ。


「うん。全然怪我してない。明神さんや隻夜叉……じゃない。楢野葵くんや狭間蔵之介さんと出会えたから、怪我はしてないよ」

「……そうなのね。心配かけちゃって本当にごめん。お母さんが早く煙に気づいていれば、こんな事にはならなかったのに」


 結衣ママに連れられエレベーターへ乗り込む。他の人物たちをフロントに残し、俺と結衣ママは最上階の一等室に戻った。


 部屋に戻ったはいいが、僅かだが部屋には火薬の匂いが漂っている。


 出入口で立ち止り、部屋に入ろうとする結衣ママの袖を握り締め、彼女を引き留めた。


「煙の臭いがする。本当に部屋に入っても平気なの?」

「心配しなくてもいいわよ柚子葉。八童家の術者さんが浄化してくれたわ」

「そうなんだ。でも、煙には妖術が付与されていたんだよね? 匂いを嗅いでも平気なの?」

「この程度の匂いなら平気だって言ってたわ。館内着に煙の臭いがついてるし、汗もかいたでしょ。一緒にお風呂に入りましょ?」


 結衣ママはそう言って服を脱ぎ始め、タオルや着替えの服を持って室内の露天風呂へと向かった。


 ベッドに置かれた赤いパーカーを抱え、俺も結衣ママの後を追っていく。


 倉敷家にある露天風呂ほどではなかったが、流石に一等客室ということもあり、露天風呂から見える海と星空は絶景だった。


「いつ見ても眺めは最高ね。町の光と星の光、月の光が良い具合に輝いているわね」

「ビックリした。こんなに綺麗だったんだ」


 肩までお湯に浸かり、頭に手拭いを乗せて湯船に寄りかかる。結衣ママが差していた指を目で辿っていき、俺は自分の目を疑った。


 人工的な光と一線を画する星空。ほのかに輝き続ける星々たちは、自身の存在を誇示するように存在している。


「ねえ柚子葉。今日は色々あったから疲れただろうけど、明日は一緒に行ってみたいところがあるの」


 俺の隣に腰を下ろした結衣ママ。彼女は湯船に寄りかかり、鼻歌交じりに話し続けた。


 彼女の話によると、結衣ママが行きたい場所というのは、この熱海ホテルから少しだけ離れた場所の事を言っているようだ。


「ただの”マリンタウン”っていう道の駅なんだけど、柚子葉に教えておきたくって」

「マリンタウン?」


 マリンタウン。聞いたことがない場所だ。


 だけど、熱海から離れることになるんだったら、彼女の死をなかった事に出来るかもしれない。でも、河口町の屋敷に戻らないのであれば、引き続き警戒をしておいた方がいいのだろうか。

 

 どちらにせよ、今日はまだ八月の五日だ。

 結衣ママが死ぬという日付が八月六日である以上、六日を過ぎるまでは何の安心も出来ない。

 

 露天風呂から部屋に戻り、用意していた赤いパーカーやサロペットに着替える。濡れた髪をタオルで拭いていた後、俺は鏡に映る自分へ目を凝らした。


「六歳ってこんなに小さかったんだ。そりゃあ結衣ママが心配するわけだわ」


 鏡に映る長髪の金髪童女。身長は百二十前後、体重は三十キロを下回っていると思う。


「こんな体でよく化け物と戦えたな。酒呑童子さんや隻夜叉、沙華さんの力が無ければ、俺はあのまま死んでいただろう」


 商店街で隻夜叉と分断された際、彼は俺の為に般若の左籠手を空中に置いて行ってくれた。


 あの左腕がなければ、散布者の放つ衝撃波を受け止めきれなかったに違いない。具現化した腕を操作できなければ、散布者の体を押し返せなかっただろう。


 それだけではない。何がキッカケであったとしても、奇跡的に彼岸に精神が移動していなければ、酒呑童子さんに出会えなかった。


「なんでボーっとしてるの? やっぱり頭でも打ったの?」


 お揃いのパーカーに着替えた結衣ママ。彼女は洗面台の前で呆然としていた俺の事が気になったらしく、背後に佇んだ。


「打ってないよ。考えなきゃいけないことが多くて、頭の中を整理させてただけ」

「ふーん。どんなこと?」

「教えない」

「いいじゃん。話の先っちょだけでいいの。ちょっとだけでいいから教えてよー」


 結衣ママは俺の両肩に手を置き、椅子に座った俺の体を揺らし続けた。五十代とは思えないような奔放さを魅せた後、彼女は俺を連れてベッドへと向かう。


 ベッドの脇に置かれた照明器具に手を伸ばし、結衣ママの腕に抱かれながら眠ろうとした直後、俺の視界が段々とぼやけていった。


――


 再び目を開けてみると、そこには隻夜叉の姿があった。


「え、なんで現実世界に戻ってるの!」

「起きたのか。どうやら柚子葉童子が意識を失うのが、現実世界に戻る引き金になるのだろう」


 部屋の中央に敷かれた万年床に座る隻夜叉。彼は俺より先に現実世界へ戻っていたらしく、目を覚まさない俺を心配していたようだ。


 勉強机に置かれた置時計に目を凝らす。時計の針は夕方の五時過ぎ辺りを指していた。

 

 何であったとしても、記憶の海で行った過去の改変が成功したのか確かめなければならない。


「丁度いいや。隻夜叉はここで待ってて。俺は屋敷の様子を見てくるから」


 そう言って隻夜叉を葉月兄さんの部屋に残し、俺は階段を駆け下りて屋敷の様子を見て回った。

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