肆ー六


「ねえ隻夜叉! 何処に居るの!」


 何度か彼の名前を呼んでみるが、商店街からは何の反応もない。

 

 俺の声が反響していくだけで、彼からの応答はなかった。

 

 代わりにあったのは、隻夜叉ではなく、”煙を放出する荷を背負い、奇怪な面を被った化け物”の姿だった。


 視線を前に向けてみると、そこには煙を吐き続ける荷を背負った化け物が居た。

 

 錫杖を地面に突きながら荷を背負った化け物。どうやら先ほどの衝撃波を放ったのは、あの化け物で間違いないらしい。


 硫黄の様な匂いの煙を吐き続ける化け物。人の姿から程遠い形をした化け物は、俺の元へと一歩ずつ近づいてくる。


 三メートル近くある巨躯の全てを把握できる場所に立ち、化け物から視線を逸らさないように摺り足で後ろに下がった。


「ねえ隻夜叉!」


 何度も隻夜叉の名前を呼び続ける。


 商店街に反響していく声に反応したのか、化け物はこちらの方向に体を向けた。


 荷を背負った化け物を凝視する。


「こ、来ないで……」

「オネ、ガイ、タス、ケテ……」


 化け物は何かを言って立ち止った。

 

 荷を背負った化け物と目が合った途端、俺の脳内にイメージが行き渡った。


 何者かが家に訪問した際、解っていながらも一枚の扉を挟んだ相手がどんな人物か気になる心境。


 恐る恐る、訪問者が誰なのか確かめてみたくなり、玄関の覗き穴に目を向けた時のような感覚。


 後悔すると分かっていながらも、俺は玄関の扉の覗き穴を覗き込む。



 

 そこには、魚眼レンズのように広がった視界一杯を、”輝きが消えた瞳”が覆い尽くしていた。



 

 化け物の雄叫び声で我に返り、走り出した化け物に合わせ、俺も身構える。

 

「何かで応戦しないと。だけど、宝刀は具現化できない」


 宝刀無しで戦いを強いられた事。まさかとは思ったけど、記憶の海の中で化け物と戦う羽目になるとは思わなかった。


 飛び込んできた化け物に左腕を伸ばす。その瞬間、宙に浮かんでいた”青鬼の左腕”が化け物の体を捕らえた。


 鬼の左腕の中で暴れ回る化け物。彼は死に物狂いで暴れ続けていた。


「気持ち悪い……」


 指の隙間から化け物の体液が溢れ落ち、手のひらに昆虫が這い回る感覚が走る。


 どうやら俺の左腕と鬼の左腕は同期しているらしい。


 ウニョウニョと鬼の籠手の中でうごめく化け物の動きが、籠手から俺の手のひらに伝わっていった。

 

 宙に浮かんでいた鬼の左腕は、俺の腕の動きに合わせて化け物を投げ飛ばす。


「ねえ何処に居るの隻夜叉!」


 隻夜叉と分断された以上、俺は一人で化け物と戦わなければならない。いや、六歳の女児の体で戦えるのか?


 楢野町で妖怪を祓った時は、七度返りの宝刀を携帯していた。あの時は宝刀があったから祓えたけど、今回はそうじゃない。


 右手に視線を送り、何度か宝刀を思い浮かべて霊縛術を発動するが、霊力の粒子が集まるだけで具現化しなかった。


「武器無しで祓えるような相手じゃない。そもそも、具現化した鬼の左腕だけでなんとかなるのか?」


 起き上がった化け物を目で追う。もう一度飛び込んでくると思ったが、そうではなかったようだ。


 荷を背負った化け物は起き上がるや否や、再び荷から煙を吐きながら徘徊を始めた。


「煙のお陰か? それとも奴に目玉が存在しないからか?」

 

 何であったとしても、化け物の視界が悪いようで助かった。

 あの化け物は恐らく、隻夜叉が言っていた散布者で間違いない。


 奴の窪んだ瞳からすると、散布者の視界はほぼ無いに等しいものなのだろう。


「音を立てないようにすれば狙われない。だけど、さっき言っていた『助けて』っていう言葉。あれはどういう意味なんだ?」


 サイレントキルを狙えれば良いのだが、武器になるような物は持ってない。


 一旦、身を隠して様子を見るか。


 化け物が放出する煙を手で扇ぎ、路地裏に入る。慎重に歩を進めてみると、路地裏にも同じ風貌の化け物が徘徊していた。


 息を殺しながら、親密距離の領域内にいる化け物の真横を通り抜ける。


「こんな近くで化け物を見るとは思わなかった」


 親密距離は息遣いや体温さえも感じられる距離。

 俺は化け物の真横を通った後、入り組んだ路地を進み続けた。


 どうやら散布者と呼ばれる化け物は、複数体ほど存在しているらしい。

 

 聴いた限りでしか判断出来ないが、耳を澄ますと人間の叫び声と化け物の唸り声が聴こえる。


 商店街の奥から聞こえる金属同士のぶつかり合う音からすると、化け物と戦っている人物がいるのかもしれない。


「随分と遠くまで来ちゃったみたい。さっきの十字路を左に行けばよかったな」


 煙を払いながら路地裏を進み続ける。無作為に設置され街灯を頼りに進んでいくが、点滅しているせいなのか視界が不安定だった。


 立ち止り目を凝らして見る。すると、黒いドーム状の何かが視界に入った。


 隻夜叉が残した左腕を操り、黒い塊に鬼の左腕を当てる。


 鬼の手のひらが黒いドーム状の何かに触れた途端、ドームが弾けて中から子供たちの姿が顕わになった。


「ねえ貴方たち。こんな所で何をしてるの?」

「あ、貴女は倉敷柚子葉様ですか?」


 折り重なるように身を守り合った子供たち。その内の一人が俺の声に反応した。

 

 何処かで見たことがあるような少年の顔。俺と同年代の少年は、周囲に化け物が居ないのを確認したのか、安堵した様子で立ち上がった。


「うん、俺は倉敷柚子葉。キミの名前は?」

「僕は楢野ならのあおいです。明神冬夜様の転移術式で商店街に飛ばされてきました。ここに居る皆は、霊縛術が使えない者ばかりです。なので、僕が代わりに結界を張って隠れていました」


 ああ、誰かに似ていると思ったら、楢野町で出会った楢野葵か。

 

 同年代にも関わらず、彼は自分の身を心配するのでなく、他の子供達の身を心配していた。


 落ち着いた口調で話し続ける楢野葵。彼は多分、心の底から人を思って行動を起こすタイプの人間なのだろう。

 

 楢野葵の言葉の一つ一つからは、責任というものが微かに感じ取れた。


 多分、いや多分じゃない。俺は葵の様な状況に追い詰められたら、他の人の心配なんて出来ないだろう。


「怪我とかはしてない?」

「はい。明神様の術式のお陰で煙を浄化できていますが、ここから動けない状況が続いています。僕より年上の術者は皆、商店街を徘徊する怪段の妖怪で手が一杯です」


 彼の背後に固まる少年少女たち。他の術者に指示を与えられた葵は、術者の指示を守って彼女たちの傍に居たようだ。


「倉敷様、貴女も結界内に入ってください。多分、もうすぐで狭間はざま蔵之介くらのすけが戻ってくるでしょうし」


 葵は俺の手のひらを握り、結界内に引き込もうとする。


 どうやら彼に指示を与えた人物は、狭間蔵之介という人物であるらしい。


「狭間ってどんな人なの?」

「え、彼を知らないのですか?」

「うん。誰だか分かんない」

「蔵之介は神童と呼ばれた”傀儡術者”ですよ? 結界の中で説明しますね」

「大丈夫だよ。何だかビックリしちゃった。葵って多分、その狭間って人より勇気があるんじゃない?」

「そんなことはないですよ。指示を受けた以上、僕はこのまま彼女たちを保護する予定で……あ、危ない!」


 俺の体を押し飛ばした楢野葵。彼が俺の体を押し飛ばした直後、衝撃波が目と鼻の先を擦り抜けた。


 視線だけを動かして横を見てみると、そこには先ほどまで商店街を徘徊していたはずの化け物が居た。


「柚子葉様! 結界内に入ってください!」

「俺は大丈夫。貴方だけに責任を負わせない……」


 彼が差し伸べてきた手のひらを弾き返し、具現化させた鬼の左腕で化け物を突き飛ばす。


「化け物の注意は俺が引き付ける。だから葵は、”このケータイ”の暗証番号を解いて、アドレス帳に載ってる人物へ片っ端に電話して!」


 具現化した甲冑付きの左腕で化け物を路地に押し返し、楢野葵にガラケーを放り投げた。


「わ、分かりました。柚子葉様、この御恩は一生忘れません。すぐに応援を呼んできます!」


 葵はそう言い残し、数名の子供たちを引き連れて避難する。その直後、化け物の怨嗟の声が路地裏に木霊した。


 俺は多分、現実世界を歪める行為をしたのかもしれない。


 楢野葵を救ってしまったこと。楢野葵が守っていた子供たちを救ってしまったこと。それは多くの人たちの考え方や行動を変化させただろうし、運命を狂わせたかもしれない。


「葵たちは無事に逃げ切れたのかな。ああ、カッコつけなければよかった」


 路地の奥へと押し返した化け物に視線を送る。


 先ほど化け物が発した怨嗟の声に反応したのか、声に気づいた他の化け物が路地裏に現れた。


「逃げ道は無し。楢野葵は応援を呼んでくるとは言ったけど、多分、そんなに時間は稼げない。こんな事になるぐらいだったら、もっと現実世界でリア充しとけばよかった」


 路地の角に追い込まれた。右を見ても左を見ても、散布者の姿が視界から外れない。


 散布者の荷から発せられる煙が路地に漂う。逃げ場をなくした俺を哀れむように、煙たちは嘲笑いながら俺の体を包みこんだ。


――


 体中を覆った煙を手で払い、視線を上げてみる。すると、化け物の姿はそこにはなく、視界一面に彼岸が広がっていた。


「この場所……もしかして!」


 視界を覆う鮮血のように赤く染まった河と真っ赤な空。


 現実世界や記憶の海とは一線を画すような光景がそこにあり、五感を強く刺激していった。


「ここは彼岸だ。だとすると、俺はまた死んだのか?」


 赤く染まった河に近づき、河に映り込んだ自分の姿に呆然とする。


 数分ほど岸辺を歩いてみると、以前は見なかったプレハブ小屋のような建物が目に入った。


 建物の傍には古びた看板が立掛けられており、看板には『沙華さはなのマイホーム』という達筆な文字が描かれている。恐る恐る、プレハブ小屋の木扉を開けてみると、そこにはコタツに肘をついた二人の女性の姿があった。


「こ、こんにちは」

「ああ、柚子葉か。全部観ておったぞ……」


 小袖の上に半纏はんてんを羽織った沙華さん。コタツを挟んだ向こう側には、沙華さんが羽織っていた色違いの半纏を着た酒呑童子さんの姿がある。


 彼女たちは俺を一瞥するや否や、卓上に広げていたノートパソコンを睨みつけた。


「何を呆けておるのだ柚子葉。おい鬼童丸、彼女の分の半纏を出してきてくれないか?」

「面倒臭えな。沙華、お前が取って来いよ」

「嫌だ。わらわは”生配信”の準備で忙しいのじゃ」

「忙しいって、コタツに入ってるだけだろ? なあ柚子葉、積もる話も沢山ある。そんな所に立ってねえで、上がったらどうだ?」


 洗練された熟年夫婦のような言葉を交わす赤鬼と姫。

 彼女たちは当然のように言い合い、互いに面倒事を押し付け合っていた。


 何だか微笑ましい気分だ。

 鬼童丸が酒呑童子さんだと分かった以上、彼女を警戒する必要なんてない。


「何をニヤついておる。話があるから妾のマイホームに訪れたのではないか?」


 沙華姫が言った。


 彼女の言う通りだと言いたいが、今回ばかりは違う。

 何かの用があって彼岸に来た訳でもないし、沙華姫に会いたいから来たのでもない。


 案内されたコタツに足を入れ、差し出された茶碗で両手を暖め、パソコンを凝視する沙華さんに視線を送る。


「今回は違います。どちらかと言えば、酒呑童子さんに訊きたいことがあるぐらいです。私、記憶の海に潜って、結衣ママを助けようとしたんです。それで色々あって――」

「語らずとも良い。お主の行動は全て観ておったからな」

「『観てた』ってどういうことですか?」

「そのままの意味じゃ。妾はこのパソコンを通してお主の行動を観ておった」


 卓上のパソコンに手を伸ばす沙華さん。彼女は画面を俺の方に向けて睨みつけてきた。


「こ、これって私?」

「そうじゃ。断片的な回想でしかないが、見応えのある物ばかりであったぞ」


 画面にはライブ映像のように俺の人生が映っていた。


 初めて志恩と会った時の映像やスマホを弄る俺の姿。何度か迷った挙句、推しキャラの入手のためにソシャゲのガチャをぶん回した時の映像。


 中でも見ていられなかったのは、志恩とのファーストキスを果たした翌日の映像だった。


 床に敷かれた万年床へ寝転ぶ俺の姿。この時、俺は志恩とのファーストキスの余韻に浸り、下腹部に指先を当てていたはず。


「沙華さん。私、実はこの時――」

「分かっておる。恐らく、お主はわらわ以上の陰キャ女子だろう。ただの接吻だというのに、それをオカズにして……」


 沙華さんはそう言ってパソコンを傍に引き寄せる。


 色恋沙汰や浮世での出来事を観られていたのか。もしかして、全部観られていたのか?

 

「この馬鹿タレめ。色恋沙汰に耽るどころか、宝刀を使って過去を変えようとするとは思わんかったぞ?」

「まあ落ち着けよ沙華さはな。柚子葉もそこまで馬鹿じゃねえんだ。隻夜叉も傍に居るだろうし、黄泉の鬼には狙われねえよ」


 半纏を持ってきた酒呑童子さん。彼女が差し出した半纏を受けとり、コタツに入った彼女に目を凝らす。


「酒呑童子さん。訊きたいことが山ほどあります」

「だろうな。順を追って答えてやるよ」


 凍てついた空気がプレハブ小屋に吹き抜ける。


 どうして彼岸に酒呑童子さんが居るのか。十年前、なんで俺の体に霊魂を注ぎ込んだのか。記憶の海に潜ることで過去は変えられるのか。


 そして、十年前に俺の霊魂を奪った人物の正体が誰なのか。


 彼女は多分、俺が知らない答えを全て知っているはず。


「沙華さんと貴女の関係を教えてください」

「意外だな。『霊魂を奪った赤鬼』や『記憶の海での改変』の事を訊かれると思った。そんな質問が最初でいいのか?」

 

 酒呑童子さんの問いかけに頷き、彼女の瞳をじっと見つめた。

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