弐ー九


 カップに突き刺さったストローを噛み、俺は甘ったるいフラペチーノを喉に流し込み続け、顔を伏せながら横目で志恩を見る。

 女子大生と思われる女から連絡先を貰えたからなのか、志恩は機嫌が良いのか鼻歌交じりで話を続けた。

 

「三部の生徒って、そんなに変わり者ばかりなんだ」

「まあな柚子葉。八童子市の旧家のガキは、みんな揃って桑真高校の三部に通うって決まってる。実際、俺も桑真高校の卒業者だからな」


 店員の女から受け取ったメモを指で挟み、器用にハンドルを握る志恩。

 

 婚約者が隣に居るというのに、どうして志恩は連絡先を受け取ったのだろう。

 確かに高校を卒業しなければ結婚できないという約束はしたけれど、俺が横に居るんだから、ちょっとは気を遣えっつうの。


 面倒臭い女だと思われたくないがため、俺は助手席から外の景色を眺めて気を紛らわす。

 志恩が車を運転してから数十分ほどの時間が経過したからなのか、窓から見える建物たちは古民家へと移り変わっていった。


 秋川街道を真っ直ぐ進んでいき倉敷家のある河口町へと向かっていた車は、八尾街道に繋がる交差点を右に曲がっていき、目的地の方へと向かっていく。


 呆然と窓の外を眺めていると、車道の脇に佇む霊的存在が目に入った。

 

「あ、妖怪だ……」

「違えよ柚子葉、あれは浮遊霊だ。無視してさっさと屋敷に戻るぞ」

 

 隻夜叉や志恩が屋敷に居るからなのか、陰陽師や妖怪、化け物や怪異といった霊的存在達は姿を現さなくなった。

 現わさないといっても、それは倉敷家の敷地内だけだ。その他の場所では見かける。


「その鬼避けの護符、大事にしろよな」

 

 志恩が言った。脇見運転というほどではなかったが、運転中であるのにもかかわらず、志恩は俺が持っていた鬼避けの護符へと視線を送る。


 霊的存在を見かける頻度が減ったのは、鬼除けの護符を持ち歩いているからなのだろう。

 たまに現れたとしても、出てくるのは火の玉や小妖怪といったものばかりで、身の危険を感じるような存在ではない。

 

「そんなの分かってるよ」

 

 俺は車の窓から身を乗り出し、車道の脇に佇む生き物へと指を差す。期待に胸を膨らませ、視線の先に居る生物が怪段級の妖怪だと願った。

 

「なあ志恩。あの幽霊の階級は怪段?」

「いいや、あれは奇段の幽霊だ。山男みてえな怪段級の妖怪は町中に現れねえよ」


 志恩はそう言ったかと思えば、再び車を走らせた。

 車道の脇を佇む霊的存在の真横を通り過ぎ、車は目的地に向かって走っていく。


「柚子葉。千代子婆さんに渡されたメモには何て書いてあるんだ?」

「えっと、犬目町にあるホームセンターでエンジンオイルを買ってきて欲しいって書いてあるよ」

 

 千代子お祖母ちゃんから渡されたメモを手に取り、運転中の志恩に渡した。


「犬目町のホームセンターか。携帯の契約も済ませねえといけねえから丁度いいな」

 

 志恩はそう言ったかと思えば、俺が渡したメモを握り、後部座席に放り投げた。


 それから数分が経ち、俺たちは楢野町の北部にある犬目町のホームセンターに到着。

 駐車場に車を止めた志恩は、千代子お祖母ちゃんに頼まれた買い物ついでにスマホの契約をするらしく、商業施設内にある携帯会社へと向かったようだ。


 俺は後部座席に投げ捨てられたメモへと手を伸ばし、クシャクシャになったメモを広げた。

 

「そうだよな。幾ら連絡先を教えてもらったとしても、携帯が無いんだから連絡できないよな」

 

 丸められたメモには店員の電話番号が書かれている。

 それを目にして俺は胸が苦しくなった。

 

 志恩の考えが全く分からない。

 

 平安時代から現代に戻った以上、確かにスマホは生活する上で必需品だと言える。

 店員の女から連絡先を教えてもらえたのに、どうしてゴミみたいに投げ捨てたんだろう。


 等と考えながら、女の番号が記されたメモの内容をスマホに記録していると、助手席の窓からコンコンと音が鳴った。


 視線をスマホから窓の外へと向けると、そこには小泉静香さんが立っていた。

 

「ああ、こんにちは小泉さん」

「柚子葉ちゃん。いい加減、私の事を下の名前で呼ばないと怒るよ?」


 白いワイシャツの上に作業用エプロンを着た小泉さん。手には名札のようなものが握られている。

 数日前に出会った時とは異なり、小泉さんの姿は高校の制服姿ではなかった。


 はち切れんばかりの白いワイシャツの上には、破裂を抑えるかのような緑のエプロン。

 

「そうでしたね。それで、静香さんはこんな場所で何をしてるんですか?」

「あ、そうそう。私、ここのホームセンターでアルバイトしてるの。今はお昼休憩中だからブラブラしようと思って」

 

 なるほど。だからエプロン姿なのか。

 

「こんな場所で話すのもあれだし、何処かでゆっくり話そうよ」

「そうだね。近くに人気な喫茶店があるんだ。そこで構わない?」

「うん。俺もお昼はまだだし全然構わないよ」

「そうだったんだ! じゃあ丁度良かったね!」


 助手席の棚からペンを取り出し、女の店員の番号が記されたメモに『静香さんとブラブラしてくる。用が済んだら下の番号に連絡して』と書き、運転席に置いた。


 志恩がスマホの契約が上手くいけば、メモに書き残した俺の携帯番号を見て電話してくるだろう。

 千代子お祖母ちゃんでさえスマホが使えるんだ。十年も現代社会から離れた志恩でもスマホは扱えるはず。


 助手席から出ていき、小泉さんに連れられるがまま商業施設内を歩き始める。

 河口町のコンビニ然り、犬目町に唯一存在する商業施設内は地元の人間の溜まり場と化していた。


 商業施設といっても名ばかり。ショッピングモールというわけでもない施設には、ホームセンターや美容室、百円均一店やリサイクルショップなどが立ち並んでおり、街道の向かい側には回転寿司屋が建っていた。

 

 去年もシゲシゲと商業施設に買い物へ来たけど、こういう場所は相変わらず人だかりで混雑している。

 地元民にとっては唯一の娯楽施設という事もあるからなのだろう。


 暫く歩いていると、静香さんが紹介してくれた喫茶店に到着した。

 地方の喫茶店とは思えないほど店内は人で賑わっている。制服姿の女子高生や中学生が居るところを見ると、商業施設内でも人気の喫茶店のようだ。


 店員に案内された俺たちは、喫茶店の二階へと向かい、案内されたカウンターの丸椅子に腰を下ろす。

 

「ねえ静香さん。俺、こういう場所って初めてなんだけど」

「えーそうなの? 柚子葉ちゃんって都内に住んでたみたいだし、こういう場所に行き慣れてると思ってた!」

「まあ俺ってインドア派だから。それに友達って呼べる人間なんてネットの中にしか居ないから」

「ふーん。じゃあ私がメニューの中から適当に選んじゃうね」

 

 小泉さんはそう言ってメニューを広げ、店内を動き回る店員を呼びつけた。

 

 彼女には悪いが、今は甘いモノを口にする気分じゃない。

 どちらかと言えば、脂っこいモノが食べたい気分だ。


 呆然としながら店内を眺める。

 アンティーク調の店内は、何処に目を向けても写真映えしそうな装飾ばかりが施されていた。

 光の当て方を考えて配置された照明。現代人が使わないであろう黒電話の置物。

 壁にはワイン棚のような物が置かれており、明らかにインスタ映えを狙うような品ばかりが配置されている。


「柚子葉ちゃん。こっち向いて?」

 

 小泉さんが言った。その直後、彼女は俺の方へと体を寄せたかと思えば、スマホを取り出した。


「ごめんね。びっくりしちゃった?」

「ううん。こういうのって慣れてないから落ち着けないだけ」

 

 一瞬の出来事で理解が出来なかったが、彼女のスマホに表示された画像を見て理解できた。

 

 小泉さんはスマホで写真を撮っていた。

 彼女が持っていたスマホには、目を伏せた金髪陰キャ女子の姿と満面の笑みを浮かべた茶髪の陽キャが写っている。


 正直な話、慣れていないと言ったのには語弊があったかもしれない。

 日頃、自撮り写真ばかり撮っている俺から見てしまえば、誰かと一緒に写真を撮るなんて久しぶりの出来事だった。


 こういうところが、陽キャと陰キャの違いなのだろう。

 

「そういえばアプリの友達欄に小泉さんがいるんだけど……」

「ああ、うん。宗一郎さんが良いって言ってたから。ごめんね勝手に登録しちゃって」


 なるほど。宗一郎の仕業か。

 小泉さんの話によると、本当であれば俺が目を覚ましてから連絡先を交換しようと思っていたが、『柚子葉さんなら気にしないですよ』と言う宗一郎に触発され、俺のスマホに連絡先を登録したようだ。


 ポケットからスマホを取り出した直後、小泉さんからメッセージと写真が届いた。

 内容は簡単な挨拶と不気味なスタンプ、それと先ほどの写真。それほど時間が経っていないのにも関わらず、送られてきた画像には加工が施されている。


「インスタに載せたいから、柚子葉ちゃんの顔は隠しておいたよ」

 

 小泉さんはそう言ってインスタの画面を向けてきた。

 

 インスタに載せられた画像には既に複数人からのイイネがついており、「羨ましい」や「可愛い」といったコメントが付いていた。

 その中にあったコメントで驚いたのが、「綺麗な金髪」だというコメント。


 自負するばかりで自分の金髪に自信を持てない俺だったが、インスタのような陽キャアプリでコメントを貰えたのは初めてだった。

 

「ねえ静香さん。俺の髪の毛って、そんなに綺麗なのかな」

「すごく綺麗だと思うよ! それって地毛なんだよね? 天然物はやっぱり魅力的だと思う」


 そっか。綺麗って思う人もいるんだ。

 これまで生きていた中、直接金髪を可愛いや素敵だと言ってきたのはお母さんだけだ。

 

「静香さん。褒めてくれてありがとう」

「ありがとうって、感謝される事なんて言ってないよ。私は思ったことを口にしただけ。それより、ここのケーキ美味しくない?」

「うん。凄く美味しいよ。でも、ちょっとだけ生クリームが多すぎるかな」

「あー。それは私も気になってた。いつもより多めに添えられてる気がする」


 ケーキに添えられた生クリームを皿の端に残す。

 何を考えるでもなくボーっとしていると、小泉さんが立ち上がった。


「そろそろ休憩時間が終わる頃かな」

 

 小泉さんが言った。


 何度か自分のスマホをタップしてみると、画面に時刻が表示された。

 画面の中央に表示された十二時五十分という時間。もうすぐ小泉さんの休憩時間が終わるのだと判断できた。

 

「静香さん。今日はありがとう。ここの会計は俺が払っとくよ」

「大丈夫だよ。ここは先輩に払わせてね?」


 それから何度か同じやり取りを行ったが、結局は小泉さんが払ってくれた。

 小泉さんの話によると、食事に誘ったのは自分だからというのと、俺が同じ高校へと通うことになる後輩であることからだそうだ。


 誰かに借りや恩を作るのは苦手だが、こうまでして言われると断りづらい。

 

 喫茶店から出ていき、ホームセンターに向かう小泉さんを引き留める。

 

「ねえ小泉さん。桑真高校の面接練習だけど――」

「うん! 今度手伝ってあげるから、その時までに連絡するね!」

 

 小泉さんはそう言って職場に向かっていった。


 宗一郎が言っていた通り、小泉さんは頼りになる人だし紛れもなく良い人だ。

 陰キャの俺にも優しくしてくれるし、喫茶店も紹介してくれた。

 まだ数回しか顔を合わせた事がないのにも関わらず、ケーキも奢ってもらった。


 小泉さんからは地元民特有の疎外感っぷりも感じない。

 等と考えながら駐車場に戻っていくと、うちの車に寄っかかる男が視界に入った。


 男はスマホの操作に戸惑っているらしく、苛立っているようにも見えた。

 

「何やってんの志恩」

「ああ柚子葉か。何なんだよ、この”簡単スマートフォン”って。画面ばかりが大きいだけだし、ボタンが三つしかついてねえんだぞ?」

 

 助手席に乗り込み、俺は彼から差し出されたスマホを操作する。


 どうやら志恩が選んだスマホは、高齢者や子供用に向けて販売されている端末だったようだ。

 三つのボタンは登録先の相手にワンプッシュで通話が出来る簡単仕様。


 やはり、ガラケー世代の志恩にスマホは早すぎたか。

 

「色々設定してあげるから運転して」

「助かるわ。店員の姉ちゃんに勧められて買ったんだが、全然簡単じゃなくってよ――昔の携帯も見当たらねえからなあ」


 全く。俺はこんなお爺ちゃんを好きになってしまったのか。

 幾ら見た目が二代後半とは変わらないと言えど、やはり志恩は初老を迎えた男性のようだ。


 それから俺は志恩のスマホに連絡先を打ち込み、ワンプッシュ通話の一番ボタンに俺の番号を登録。

 

「これでオッケーだよ。細かい操作は屋敷に帰ってから教えてあげる」

「お、サンキューサンキュー。そうだ柚子葉、屋敷に戻ったらお前にやって欲しいことがあるんだが」

「何だよ、やって欲しい事って。スマホの設定だってやってあげたのに、これ以上俺に頼るのか?」

「違えよ。八尾山での出来事を覚えてるだろ? あの日、七度返りの宝刀はお前を持ち主だと認めた――だから、これからお前に剣術を教えようと思ってな。剣術と言っても護身術に近いもんだ。そう難しく考えなくてもいいぜ」

 

 淡々と話を続ける志恩。彼の発言を理解するのに思考が追いつかず、俺は顔を伏せた。

 

 シゲシゲの話が本当であれば、倉敷家の宝刀である”七度返りの宝刀”は自らの意思で持ち主を選ぶ。

 先代の倉敷家の当主がそうだったように、それ以前の持ち主がそうだったように。俺は七度返りの宝刀に選ばれたらしい。


 どうして嫡男の葉月兄でもなく、当主のシゲシゲでもなく俺なのだろう。

 呆然としながら車外の景色を見つめ、屋敷に到着するのを待ち続けた。

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