壱ー十


 宗一郎を屋敷に上がらせ、玄関のガラス戸を閉めようと手を伸ばした。その直後、再びインターホンの音が玄関に鳴った。


 宗一郎は「そうだ。会わせたい生徒が居るんだよ」と言い、サンダルに履き替え玄関のガラス戸に手をかけた。


 会わせたい人。誰なんだろう。


 俺は上がり框から廊下に戻り、玄関のガラス戸に手を掛けた宗一郎を目で追った。

 そこには、宗一郎が言っていたように制服に身を包んだ女子高生が、気まずそうに立っていた。


 背中まで伸びた焦げ茶色の長髪。

 はち切れんばかりの巨乳を包み込むブレザーの制服。

 身長は俺よりも数センチほど高いのかもしれない。


 目鼻立ちの整った顔をしていなければ、お昼休みの時間、教室の隅で黙々とお弁当を食べているタイプ。


 実は明るい子なんだよと紹介されれば、誰もがそう思うだろうし。

 大人しくて真面目な子だと言われれば、そう思ってしまうような女の子。


 クラスの中心的な存在でなければ、平穏な学生生活を送るために控えめな行動をとるタイプ。

 目立った特徴もなければ、高校を卒業したら真っ先に記憶から抜け落ちそうな女の子。

 記憶の片隅にじっとしていて、”ああこんな友達が居たな”と思ってしまうような女子高生。


 そんな女子高生が、ガラス戸の縁から顔を覗かせていた。


 俺は女の子を横目で見ながら、宗一郎に声をかけた。

 

「もしかして宗一郎。自分がモテすぎてしょうがないから、とうとう素人女子高生に手を出したの?」


 ガラス戸から顔を覗かせる女子高生を無理やり引っ張り、バタバタと足を鳴らして玄関に戻った猫屋敷宗一郎。


 彼は当たり前のように俺の傍に近づいたと思えば、ポンっと頭を叩いた。

 

「私は女性に興味がありません。それは柚子葉さんが一番知っているでしょう?」


 宗一郎はそう言い、傍に引き寄せた女子高生の肩を叩いた。

 

「柚子葉さんが桑真高校に転校すると知って、私なりに何か手伝いができないかと思い、彼女を連れてきたんです」

「初めまして柚子葉ちゃん。私、小泉こいずみ静香しずかです。よ、よろしくお願いします!」


 どこにでも居そうな普通の女子高生は、自身を小泉静香と名乗り、こちらに近寄ってきたと思えば、馴れ馴れしく手を握ってきた。


 腕を揺らし、胸を揺らし、満面の笑みを浮かべる小泉静香。

 先ほど感じた大人しそうな第一印象とは異なり、小泉静香は俺の機嫌を損なわないように媚びようとしている。俺にはそう思えた。


 彼女の態度の変わりように不気味さを感じた。

 

「う、うん。こんにちは小泉さん」

「小泉さんは私の遠い親戚なんだ。柚子葉さんが転入する桑真高校の三年生で……」


 宗一郎は白衣の胸ポケットから煙草を取り出したと思えば、ズボンの両ポケットを探ながら、話し始めた。


 恐らく、煙草に火をつけようと思い、ライターを探していたのだろう。

 

 すかさず彼が咥えた煙草を奪い取り、俺は廊下の方へと振り返った。

 

「ストップ、ストップ。ここは禁煙だよ。煙草を吸うんだったら客間で吸ってよ。それに、立ちながら話すのもなんだから、中に入ってからにしてよ」


 奪い取った煙草を宗一郎に向け、真夏に相応しくない格好の二人を横目で見る。

 

 二人は炎天下の中を歩いてきたらしく、額から汗を流していた。

 

「客間に案内するよ。宗一郎は毎年来てるから場所は知ってるよね?」

「それもそうだね。じゃあ失礼させてもらうよ」

「お邪魔します」


 客間に向かうため廊下を真っ直ぐ歩いていく。

 その道中、千代子お祖母ちゃんが厨房で何かの準備をしているのが目に入った。

 

「千代子お祖母ちゃん。宗一郎と宗一郎の知り合いが来たから、客間に案内するよ」


 こちらを振り返った千代子お祖母ちゃんは、シゲシゲと戯れていた時の若返った姿ではなくなっていた。

 恐らく、玄関での俺たちのやり取りを聞いていた彼女は、そのことに気づいて元の姿に戻っていたのだろう。


 宗一郎と小泉さんは、千代子お祖母ちゃんに会釈をした。

 

 毎年屋敷に訪れているとはいえ、宗一郎は俺の保健室登校の担任である。

 学校での俺の様子の報告を兼ねて、挨拶がしたかったのだろう。


 手に泡を着けた千代子お祖母ちゃんは、二人に硬い笑顔を見せたかと思えば、俺に「分かったわ」と小さく呟き、再び台所に体を向けた。


 朝食の片づけで忙しいのかもしれない。そう思った俺は、二人に目配せをして廊下を進んでいき、客間の方へと向かった。

 

 廊下の突き当りにある中庭へと目を向け、中庭を囲むように作られた廊下を進んでいき、客間に入った。

 

「飲み物を用意するけど……あ」


 客間の中央に置かれた座卓へと目を向ける。

 そこには、三人分のコップと和菓子が置かれていた。


 ガラスのコップの表面にできた結露からするに、コップが置かれてから数分が経過していたのかもしれない。

 多分、予め千代子お祖母ちゃんが用意してくれていたのだろう。


 二人から上着を受け取り、ハンガーに掛けた。

 思っていた通り、宗一郎と小泉さんの背中は、汗でびっしょりになっていた。

 

 宗一郎と小泉さんに視線を送り、座卓に案内した。

 

「まあ適当に座ってよ」

「柚子葉さん、ありがとうございます」

「失礼します」


 座卓の隅に置かれたリモコンへと手を伸ばす。

 何度かリモコンのスイッチを押すと、無事にエアコンが動き始めた。

 

 俺は麦茶を片手に持ち、座椅子に腰を下ろした宗一郎を横目で見た。

 

「なあ宗一郎。小泉さんの事を紹介してよ」

「そうでしたね。さっきも話した通り、小泉さんは私の遠い親戚なんだ。桑真高校に通っている……」


 それから宗一郎は、小泉さんの事を紹介してくれた。


 彼の話によると、小泉さんは俺の転入先である桑真高校に通っているらしく、宗一郎の遠い親戚だそうだ。

 桑真高校に転入することを知った彼は、俺が転校先でも困らないように、親戚である小泉静香さんに頼ったらしい。

 

 一学年上の先輩にはなるが、頼りになる存在だという。

 小泉さんは桑真高校で顔を利かせているようで、困ったことがあれば彼女に相談してみるのがいいとのことだ。


 座卓の中央に置かれた寒天ゼリーへと手を伸ばす。

 寒天ゼリーを包み込んでいたオブラートを器用に剥がし、俺は口内に放り込んだ。

 

「桑真高校って知ってるよ。八童子市にある有名な三部制高校でしょ」

「そうだね。桑真高校みたいな"特別な高校"なら、柚子葉さんも上手くやっていけると思うよ」


 宗一郎はそう言い、持っていたライターで煙草の先端に火を灯した。


 八童子市にある桑真高校は、市内にある八つの高校の中でも、最も古い三部制の中高一貫の高校。


 朝から通う一部と昼から通う二部、夕方から通う三部に分かれた桑真高校は、東京都内でも珍しい単位三部制の高校だ。

 学業に専念したい生徒は、中学生のうちから一部と二部に通うことが多い。

 逆に家業を引き継がなければならない生徒は、入学当初から夕方から始まる三部の時間に通っている。


 単位制という一面を持っている桑真高校では、各部の生徒が異なる時間に入り混じるように授業を受けており、同じクラスの者同士でも顔を合わせることが少ない。


 そういった自由な学生生活を送れる面から、桑真高校に通う生徒は他の高校の生徒から特別視されている。


 俺は小泉さんの胸元に視線を送った。

 エアコンが効いているのにも関わらず、小泉さんの巨乳にはワイシャツが張り付いていた。

 

「ねえ小泉さん。小泉さんは何部に通ってるの?」

「えっと、私は二部に通ってるよ。朝はアルバイトをしていて、昼間は学校。夕方からは部活だったり追加の授業を受けてたりしてるかな」


 訊いてもいないのに、小泉さんは意気揚々と話を始めた。


 自分の家が楢野町にあるから、桑真高校に通うにはバスを使わなければいけない。

 一年の頃から入ってる生徒会が大変であること。

 アルバイトや部活、家業の手伝いに追い掛け回され、一日が二十四時間だけでは足りないことなど。

 

 等々、自身の学生生活が有意義なものであると、自慢げに話し続ける。


 彼女の話を聞いていると、なんだか自分という存在が惨めに感じた。

 保健室登校の女子高生が、本来のあるべき姿の女子高生の日常を突き付けられたのだから、惨めに感じてもしょうがない。


 これが陽キャと陰キャの違いなんだなあ。と思いながら、十個目の寒天ゼリーを口に放り込んだ。

 口内に張り付いたオブラートへと舌を当てる。

 

 俺はオブラートに意識を持っていかれた状態で、彼女の話を聞き続けた。適度に相槌を打ち、適切なタイミングで笑みを浮かべながらだ。

 

 それが保健室登校の女子高生にとっての限界だった。

 

「じゃあ小泉さんは楢野町から通ってるんだ」

「うん。あ、小泉って呼ばなくてもいいよ。同じ高校に通う仲なんだし、静香って呼んでよ」


 妙に馴れ馴れしい女だ。

 これが揚キャの行動力なのだろうか。


 彼女は俺と真逆の人生を歩んで、生命力の満ち溢れた時間を過ごし、有意義のある学生生活を送ってきたのかもしれない。

 

 そう考えざるを得なかった。

 

「はーい。ねえ宗一郎。今日も泊まっていくんでしょ?」


 宗一郎へと視線を送る。

 彼は煙草を吸いながら、コクリと頷いた。

 

「そうだね。柚子葉さんが"夏休みの宿題"をやっているのかも気になるし、数日は泊まらせてもらおうかな」


 全く。油断も隙もありゃしない。

 夏休み前に出した宿題が気になったらしく、宗一郎は眼鏡をクイっと上げながら睨んできた。


 透き通った瞳を横に動かし、顔を向けずに視線を送る彼の動作には、どこか色っぽさを感じさせるものがあった。


 彼の官能的な流し目は、数々の女学生と女教師を地の底へと堕としてきた魔眼である。


 俺が保健室登校をしている際、彼の瞳に魅了された女学生達が後を立たなかったのも有名な話だ。


 俺が聞いた話では、彼の妖艶な瞳に当てられた女学生の一人は彼氏を振り、独身の女教師は"副業"を始めたとまで噂されたほどにだ。


 数々の女を堕としてきた魔眼だが、彼の"素性"を知っている者には、全く効き目がない。


 無論、俺もその一人である。

 

「さあ、宿題って何のことだっけ?」

「観察日記、観察日記ですよ。忘れたとは言わせませんよ!」


 ワイシャツの胸ポケットから携帯灰皿を取り出し、宗一郎は灰皿に煙草を押し込む。

 それを見ていた小泉さんは、彼の流れるような動作に圧倒されたらしく、堕ちた女学生のような笑みを浮かべていた。


「柚子葉ちゃん。困っているようでしたら、私が手伝いましょうか?」

 

 小泉さんは言った。


 誰かに貸を作るのは面倒だが、宗一郎がいる手前、申し出を断る訳にはいかなかった。

 

「はいはい、やればいいんでしょ、やれば!」

「世話が掛かる生徒ですね。これだから、いつまで経っても貴女は放って置けないんです」


 宗一郎は寒天ゼリーを取ろうと手を伸ばす。

 俺は彼の手のひらを軽く叩き、寒天ゼリーを受け皿に落とした。


 こちらを睨む宗一郎を睨み返す。

 俺と宗一郎が漂わせた険悪な雰囲気に耐えきれなかったのか、小泉さんは座卓から身を乗り出し、大きく叫んだ。

 

「御二人とも! 私のために争わないでください!」


 身を乗り出したと同時に、小泉さんの豊満な乳房が右往左往に飛び跳ねた。

 さながら一つの生命体のように、小泉さんの胸部に存在していた二つの流動体は、躍動感を残して揺れ動いていた。


 念のために言っておこう。俺は女子高生だ。

 私立の中高一貫の女学園に通っていた女生徒で、通っていたと言っても保健室登校。


 健康的であるかと問われれば、そうではないと答えるしかない。

 充実した人生を送ってきたかと問われれば、少しは悩んでしまうだろう。


 しかし、昨日ファーストキスを行ったことで、抱えていたモヤモヤは消えたのかもしれない。

 

 話を元に戻そう。

 俺は陰キャであり、女子高生である。

 

 走り出した妄想列車の車掌を務めることもある。

 肥大化した妄想に精神が耐え切れず、鼻血を垂らしてしまうことも多い。


 現実は非情だ。

 そう思ってしまったのは、躍動感の溢れる女生徒の乳房を目の当たりにしたから。


 躍動を終えた二つの生命体から、流し目の男へと視線を送る。

 流し目の男は、俺と同様に生命体から視線をそらしたかと思えば、こちらの胸部を凝視していた。


「ねえ柚子葉さん。ちゃんと学校に行きなさい」

 

 宗一郎はそう言い、乗り出した身を元の位置に戻した。


 悪気があって言ったわけではない。ただ。

 そう。ただ、俺の不健康な体と小泉さんの健康的な体を見比べてしまい、居たたまれなくなっただけなのだろう。


 そう思わざるを得なかった。


 タンクトップというオブラートに包まれた俺の乳房は、寒天ゼリーのように固くて不味くてつまらない存在なのだろうか。


 そんな事を思いながら、口の中のオブラートを飲み込んだ。

 

「じゃあ宿題持ってくるから、静香さんは観察対象を何にするか考えて」


 座椅子から立ち上がった俺は、客間から出ていき葉月兄の部屋へと向かった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る