第47話

 

 行為が始まる時はいつも唇を重ねてからだ。最初は重ねるだけの口付けを数回繰り返して、お互いがリラックスし始めた頃に深い口付けを始める。


 舌同士を絡め合わせる感覚は酷く心地良くて、いつも彼女の舌遣いに翻弄されてしまうのだ。


 「……んっ、んッ」

 

 ベッドに押し倒されながら、脇腹辺りを撫でられていた。服の上からいやらしい手つきで触れられて、同時に口内まで侵されてしまえばどんどん感情が昂っていく。


 敏感な首筋を舐められたら、ビクビクと体を跳ねさせながら喜んでしまうのだ。


 「んっ…ンッぁ、あぅっ……」


 心地よい感覚に酔いしれながら、甘えた声を漏らす。

 これではまた、律に気持ちよくさせてもらってばかりで、彼女のペースに呑まれてしまうのだ。


 「んっ…律…」

 「どうかした?」

 「……今度は律が寝転がって」


 てっきり渋られるかと思ったが、意外なことに素直にお願いを聞いてくれる。今度は蘭子が彼女に覆い被さりながら、唇を奪っていた。


 同時にまるで壊物を扱うかのように優しく首筋辺りに指を這わせるが、あまり上手く出来ている自信はない。


 それでも恋人に心地良くなってもらいたくて、自分がされて嬉しい触れ方で律を可愛がっていた。


 「……っ」


 声には出さなかったけれど、一瞬だけ律が息を呑む。

 少なくとも全く良くないわけではなさそうで、ホッと胸を撫で下ろす。


 そのまま胸に手を伸ばそうとすれば、彼女によって右腕を掴まれてしまう。


 「……っどうしたの、今日」

 「私も律のこと可愛がりたい」

 「ええ…私、蘭子みたいに可愛くないし…」

 「可愛いよ」


 食い気味で返しても、律はあまり納得がいっていないようだった。

 こんなに可愛いというのに、普段きちんと鏡を見ているのかと疑いたくなってしまう。


 「もしかして触られるのいや…?」

 「嫌って言うか……恥ずかしいし、なんだろう」


 数秒の沈黙が続いた後、ぽつりぽつりと本音を打ち明けてくれる。


 「喘ぐ自分が想像できないし……そういう所見られたくないなって…」


 可愛い恋人の姿を見たいけれど、無理強いはしたくない。行為というのは双方が納得した上で行うもので、どちらかが我慢すれば本末転倒だろう。

 

 「私は蘭子をたくさん可愛がれるだけで十分だから」


 額にキスを落とされて、納得したふりをする。

 彼女の言い分は分かるけど、本当に律は触られたくないのだろうかと疑問に思ってしまうのだ。


 もし、彼女が必死に言い訳を重ねていたとして、本音を打ち明けられないのだとすれば、彼女が蘭子に身を委ねられない理由は何なのだろう。




 静まり返った廊下というのは気味が悪く、無意識に足早になってしまう。数学準備室にクラス全員分のノートを届け終えたのは良いものの、この付近は人通りが少ないため苦手なのだ。


 空き教室が多いため、多くの生徒は用事もなくこの付近に立ち入らない。早く教室に帰ろうと足を進めていれば、突然1人の女子生徒の声が鼓膜を震わせた。


 「……さいってい!浮気もの!あなたなんて地獄に堕ちれば良いんですわ」


 同時にパチンという乾いた音が聞こえた後、空き教室から涙を流した女子生徒が飛び出していく。


 喧嘩だろうかと不安になりながら、恐る恐る教室内を覗き込めば、そこには顔見知りである麗音ケイトの姿があった。


 その場にしゃがみ込んで、痛そうに頬を押さえている。先程の女子生徒の言葉と、今の状況からようやくすべてを理解する。


 「……痛」


 黙って立ち去れば良いというのに、放っておくことが出来なかった。

 水道でハンカチを濡らしてから、キュッと水気を絞る。お気に入りのハンカチだけど、こればかりは仕方ない。


 再び空き教室へ戻れば、ケイトは相変わらずその場にしゃがみ込んだまま。

 

 「……良かったら、これ」

 「蘭子ちゃん…」


 そっとハンカチを差し出せば、恐る恐ると言ったように受け取っている。見られたくない場面だったのか、彼女にしては罰が悪そうだった。


 「……恋人泣かせたらダメですよ」

 「そうだねー……分かってはいるんだけどさ」

 

 本当に分かっているのかと詰め寄りたくなるが、第三者の蘭子がそれをいう資格はない。

 

 「最近はどう?律ちゃんと…付き合ってるって噂で聞いたけど」

 「……上手くやってますけど」

 「嘘」


 真っ直ぐに蘭子の目を見た彼女は、当てずっぽうで物を言っているわけではなさそうだった。


 頬を冷やしながら、自分でも気づかなかった変化を言い当ててくる。

 

 「そんな寂しそうな顔で信じる人いないよ」


 女関係はだらしないというのに、察しは良いのだからタチが悪い。相手の心情の変化に機敏な所が、多くの女子生徒を狂わせてきたのだろう。


 「……なんかあったの」

 「あっても言いたくないです」

 「酷いなあ。少なくとも蘭子ちゃんよりは恋愛経験あるし、何かいいアドバイス出来るかもよ?」


 信じられない思いで、ジッとケイトを見つめる。一時期は律を好いていた彼女だからこそ、素直に打ち明ける事を躊躇ってしまうのだ。

 

 「……律ちゃん、強がりな感じするから。蘭子ちゃんが寂しがってないかこれでも心配してたのよ」


 女関係はだらしないけれど、本当にこの人は良く見ているのだ。

 人の些細な心情の変化に気づいて、それに対して的確な言葉をくれる。


 「これでも私、側から律ちゃんを見てたんだよ。蘭子ちゃんの視点からは見えない律ちゃんを知ってるつもり」

 「……例えばなんですか」

 「律ちゃんが蘭子ちゃんの前で格好付けて甘えるのが苦手な理由」


 驚いて顔をあげれば、予想通りだったのかケイトはビンゴと言ったような表情を浮かべていた。


 「だってあの子、10年以上蘭子ちゃんに負けないように気を張ってきたんだよ」

 「それと何の関係が…」

 「律ちゃんにとって、蘭子ちゃんは越えられてはいけない存在。大好きで、がっかりされたくない…期待に応えたいって思いも蘭子ちゃんに対しては人一倍強い」


 ピンと人差し指を突き出して、蘭子の目の前で止めてみせる。自信満々に言葉を紡ぐ様子が、どこか頼もしく見えた。


 「蘭子ちゃんには負けたくない、格好付けていたい……テストで散々競い合ったせいで、多分その感覚がいまいち抜けてないんじゃないかな」


 彼女の言葉がストンと腑に落ちる。思い返してみれば律はあまり蘭子に甘えてこなくて、どちらかと言えば可愛がろうとばかりしてきた。


 対等とは言えない、一方的に律に寄りかかっているような関係性。


 それを解決するためには、蘭子が一位を取って律を負かしてやれば良いのではないだろうか。

 蘭子に負けてさえしまえば、律も恋人の前で格好付ける理由がなくなるのだ。

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