第25話
永遠にも感じられるほど長い時間を過ごしたせいで、すっかりと体力を消耗してしまっていた。
椅子に座って甘いスイーツを頬張りながらニコニコしていただけで、こんなにも疲れ切っているのだ。
車に揺られながら、慣れ親しんだ実家までの道のりを眺める。
お見合いの報告をするために、一度立ち寄ってから学園に戻る予定だった。
両親も今日は家にいるらしい。どうせまたすぐに出掛けてしまうだろうけど、その僅かな時間を大切にしたいのだ。
もし今回のお見合い相手を蘭子が拒否すれば、また次を紹介されるのだろう。
麗音ケイトの兄とのお見合いも、そのうち順番が回ってくる。
お見合いの感想を、相手の印象をどう伝えれば良いのか、考えが纏まらないまま実家に到着していた。
「すごいね、頑張ったね」
嬉しそうな母親の声が聞こえてきて、案の定室内には弟の杏斗と両親の姿があった。
3人で仲良くソファに並んで座りながら、皆が幸せそうに頬を綻ばせている。
「あ、ねえさま!」
一番最初に蘭子の帰りに気づいたのは、弟の杏斗だった。こちらの顔を見るなり嬉しそうに頬を緩めて、勢いよく駆け寄ってきてからハグをしてくれる。
今年8歳の彼とは中々顔を見合わせられないため、たまに会えるといつもはしゃいでしまうのだ。
成長期の杏斗は会うたびに身長が伸びていて、その度に時の流れを感じてしまう。
8歳も歳の差があるというのに、二人ともお互いが大好きで兄弟仲も良いのだ。
「ねえさま、見て!ぼくこの前のテストで20位以内にはじめてはいれた」
そう言いながら誇らしげに、成績表を手渡してくれる。央咲杏斗という名前の隣には、たしかに18位という文字が刻まれていた。
しゃがみ込んで同じ目線に合わせてから、優しく弟の頭を撫でてあげる。
「すごいね、杏斗」
あまり勉強が得意ではない杏斗の頑張りに、両親も酷く喜んでいるようだった。
「今度何かご褒美を買ってあげるからね」
「ほんとう?やった!」
「流石未来の社長は優秀だな」
何気ない父親の言葉に、頬が引き攣ってしまう。だけどすぐに気を持ち直して、作った笑みを浮かべ直すのだ。
「僕がパパの会社、もっと大きくしてあげるからね」
「頼もしいな。蘭子はどうだった?お見合い」
「えっと……」
思春期の娘の心情を察したのか、母親が助け舟を出してくれる。
酷く優しげに笑みを浮かべながら、こちらが戸惑う言葉を渡してくるのだ。
「……もし合わないと思ったり、自分にはまだ早いなって思ったら無理しなくて良いのよ?」
「お母様…」
「蘭子には好きな人と幸せになってもらいたいから。余計なことは考えず、自然と恋に落ちた相手と恋愛するのでも良い」
蘭子が杏斗にしたように、母親から頭を撫でられていた。大切な娘を慈しむように、その瞳は酷く優しい。
お見合いの話を持ち出したのだって、娘を困らせたかったのではなくて彼女なりの親心だったのだ。
「女学園だから出会いがないかと思って…余計なことしてしまってごめんなさい。相手方にも上手く伝えておくわ。お見合いはもうしなくていいから」
「……はい」
頷きながら、何とも言えない思いをどう処理すれば良いのか分からなかった。
胸がモヤモヤとして晴れずに、少しでも気を抜けば表情を曇らせてしまいそうになる。
両親のことは大好きで、弟のことももちろん愛している。
家族仲だって良くて、目一杯愛情を注がれている自覚もあるのに、こんなにも足元が揺らいでしまうのは自分の存在価値を上手く見出せていないせいだろう。
まるで今の蘭子の心情を表すかのように、外は大粒の雨が降り注いでいた。
久々に家族四人で食事をして、楽しかったのだ。
楽しかったはずなのに、胸の内は醜い感情に包み込まれている。
攻撃的でトゲトゲとした感情が弟へ向いてしまいそうで、それが情けなくて仕方なかった。
「……ッ」
無意識に足が動いて、一度も訪れたことはないある場所へ向かっていた。
ひなとの会話の中で、自然と覚えてしまったのだろう。行ったことがないくせに部屋番号はしっかりと覚えているのだから不思議だ。
インターホンに指を掛けてから、勇気を出して強く押す。暫くしてから足音がこちらに近づいてきて、開いた扉からは蘭子が会いたくて仕方なかった彼女が顔を出した。
「蘭子…?」
ラフな部屋着な律は、突然の訪問にひどく驚いているようだった。約束もせず、部屋番号すら伝えていない相手が突然やって来たのだから驚かせて当然だろう。
「……ッ」
お見合いに向かう途中も、お見合い中も。
帰り道の車の中でも何度も思い出した彼女の顔を見て、ようやく張り詰めていた糸が切れる。
プツンと何かが切れるのと同時に、瞳にはジワジワと涙の膜が張り始めたのだ。
堪え切れずにポロポロと雫を溢れさせていれば、ギョッとしたように律が驚いている。
「…ッどうしたの、何があったの」
優しい声色でそんな風に心配されたら、ますます涙が溢れ出してしまうのだ。
指で涙を拭ってもらいながら、その手つきから伝わってくる愛情に安心してしまっていた。
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