第6話


 姫昌学園は初等部から厳しい指導を受けていることもあって、殆どの生徒は品行方正で成績も良いのだ。


 その学力は都内でもトップレベルを誇っており、学年一位を維持することだって並大抵の努力で出来ることではない。

 はずなのに、それをあっさりと成し遂げてしまうのが筒井律という女だった。


 こちらがどれだけ背中を追いかけても指先すら触れさせて貰えずに、これまで悔しい思いを何度もしてきた。


 「では、今回の英語の小テストですが、上位3名の名前を発表します」


 本日一番最初の授業で受けさせられた英語のミニテストは、定期テスト程ではないとはいえ勿論成績に反映される。


 内容は十分に難しく、ちゃんと勉強してないと解けないようになっていた。蘭子も昨日夜遅くまで勉強したと言うのに、あまり自信がなかったのだ。


 昼休み中に教室内に顔を出した英語教諭によって、返却された答案用紙。


 「……よし」


 どうやら取り越し苦労だったようで、蘭子の点数は98点。十分に良い成績を収めることが出来ていた。


 昨日勉強した甲斐があったと、心の中でガッツポーズをする。

 どうせ律は満点だろうから、蘭子は彼女に続いて2位だろう。


 いつも1位と2位は変わらず、3位がこまめに入れ替わるだけの成績発表は代わり映えがないのだ。


 「3位は98点の央咲蘭子さん」

 「え……」

 

 皆が驚いたように、教室内がザワザワとし始める。

 突然落とされた衝撃発言に、蘭子も口をぽかんと開けながら98点の答案用紙を見つめていた。


 「2位が99点の佐藤ひなさん、惜しかったですね。1位は満点の筒井律さんです。採点ミスなどがあれば職員室まで持ってきてください」


 それだけを言い残して、英語教諭は颯爽と教室を後にしてしまう。慌てて答案用紙をジックリと見直すが、当然採点ミスは一つもない。


 誰が何と言おうと、正当な結果。央咲蘭子は一つ順位を落として、2位からも陥落してしまったのだ。


 「……ッ」


 悔しさからギュッと答案用紙を握りしめていれば、氷の女王の言葉が耳に入って思わず顔を上げる。


 「……すごいじゃん、ひな」


 今まで休み時間は意地でも自分の席から立ち上がらなかった彼女が、ひなの席まで足を運んで労いの言葉を掛けている。


 蘭子はあんな風に褒めてもらったことは一度もない。

 こちらなんて眼中にもないと言わんばかりに、視線だって寄越してこなかった。


 どれだけ頑張っても律を越せず、おまけに転校生にまで負けてしまった。


 悔しさから、上げていた顔を再び伏してしまう。

 万年2位の女の転落に、教室中から好奇の視線を注がれているような気がしてならなかった。


 僅かなプライドを、完全に壊されたような気分だ。わざわざ見せつけるように、蘭子の目の前で佐藤ひなを褒めなくても良いじゃないか。





 可愛らしい転校生はどうやら転校前も非常に優秀だったらしい。


 彼女の地頭の良さをもっと活かせるようにと、高いレベルの授業を受けられる姫昌学園に特待生枠で進学したのだ。


 その事実を人伝に聞いた後でも、やはり納得はいかなかった。

 単に自分の実力不足であることは分かっているが、テスト前日に遊びに行っていた二人に負けたなんて受け入れたくない。


 蘭子は頭が良く、要領がよい子だと思われているが、決して天才ではなかった。

 人より少し勉強が得意なだけで、後は努力で何とか補っている状態。


 だからこそどれだけ頑張っても、これまで筒井律を越えることは出来なかったのだ。


 「……蘭子様」

 

 悔しさを糧に、その日も夜遅くまで机に向かっていた。ルーズリーフを何枚も文字で真っ黒に染め上げて、ペンを握りしめるあまり薬指にはペンだこが出来ているだろう。


 ふんわりと漂うダージリンティーの香りに、伊乃が紅茶を淹れてくれていることに気づいた。


 蘭子が気に入っているカップに注がれていて、荒んだ心の主人を癒やそうとしてくれているのだ。


 「少しお休みになられては?」

 「……私は優秀じゃないの」

 「え……」

 「筒井さんや佐藤さんに比べて、きっと地頭の良さも劣ってしまう…だから、彼女たちの何倍も努力しないといけない」


 悔しさから涙を流してしまいたいところだけど、そんな暇があったら勉強をしている方が有意義だろう。


 負けて酷くショックだけど、諦めるつもりはさらさらなかった。

 スタート地点が違うなら、彼女たちを追い越すだけの努力をするだけ。


 そのための努力を惜しむつもりはない。

 何度負けても立ち上がってきた、それが央咲蘭子だ。


 諦めの悪さと、前向きさだけは彼女たちに負けていない自信がある。

 きっとこんな風に可愛げがないからこそ、蘭子は主人公にはなれないのだろう。ひなのように、守ってあげたくなるか弱さが皆無なのだ。


 「……絶対にいつかあの二人を追い越すわ」

 「その意気です、蘭子様」


 シンプルな付き人の言葉に、ようやく口角を上げることが出来た。

 下手な励ましも、フォローもいらない。


 彼女にはただひたすら、蘭子を信じて欲しい。主人を純粋に、理由もなく真っ直ぐに信頼して欲しいのだ。


 落ち込んでいる暇はない。あと数ヶ月もすれば、また期末テストが待ち構えている。


 筒井律を越すことは、気づけば蘭子の生き甲斐のようなものになっているのかもしれない。


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