煙管さん

影乃雫

再燃


 つい先日亡くなったじいちゃんがよく言っていた。口癖のごとく聞いていたそれは、一種の都市伝説らしい。



  ――煙煙煙――



 これは祖父、龍之介りゅうのすけがまだ中学生だった頃の話。


 当時は時代と山村だったことも相まって、友人たちと山に分け入っては、かくれんぼや秘密基地作りなんかをしていた。夏の終わりのその日も、龍之介はいつもの友人と山で遊んでいた。


「リュウ、今日は良いもの持ってきたんだ。後で見せてやるよ」


 友人の一人、しげるがポケットを叩きながら言う。


 リュウというのは龍之介の愛称。茂はシゲと呼ばれ、もう二人の友人、和正かずまさひろしはそれぞれカズ、ヒロと呼ばれている。


 きっと誰かが管理しているであろう山を、四人で作った秘密基地へと向かう。基地に着くなり、持ってきた空き缶を使って四人は缶蹴りを始めた。




 見つかっては缶を蹴って再び隠れるを繰り返し、薄暗くなってきた頃、龍之介は勢い余って缶を遠くまで蹴り飛ばしてしまった。


「あ、ごめん!」


「あ、もー……一旦中断! 全員で缶探しに行くぞ」


 鬼をしていた茂が三人を呼び集め、木々の彼方へ飛んでいった缶を探しに行く。案外あっさりと缶は見つかった。


「あった!」


「あったー? じゃあちょっとこっち来てよ、変なのがある!」


 缶を見つけた龍之介はそれを持って、和正に呼ばれた方へ向かう。


 やや開けた場所の中央に、石造りの祠が建っていた。


「こんなところあったんだ……」


「あんまこっち来ないからな。ってか何だこれ、祠?」


 四人は歩み寄り、祠の中を覗く。中は暗くてよく見えない。


「よく見えないな……あ、そうだ」


 茂は思い出したようにポケットを探ると、ライターを取り出した。


「さっき言ってた良いものってそれのことか」


「へへへっ、父ちゃんの勝手に借りてきた」


 ピンッ、シュボッ……!


 ライターの灯りを頼りに、祠の中を覗き込む。


 そこには橙色の蝋燭が一本、白い皿の上にぽつりと立っていた。


「なんでこんなところに蝋燭が……」


「この蝋燭、火ぃつくのかな……?」


 茂は蝋燭へライターの火を近づける。仄かに火が香り、蝋燭に移った炎が祠の中を照らす。


「お、ついた」


 その時、蝋燭とライターの火が大きく立ち上がってから消えた。最後の灯火というべき炎を最後に、辺りは静寂に包まれる。


「な、何してんの、ちょっと貸してみ」


 博はライターを受け取ると再び火をつける。しかし、今度は小さな火が一瞬だけついて、すぐに消えてしまった。


「っかしいなぁ、まさか壊れた……?」


「ねぇ、なんか匂わない?」


 和正が言う。何かが燃えたような、やや甘く、煙たい。


「――だ」


 誰かが、もしくは誰もが言った。それに気づいたからか否か、辺りに煙が立ち籠める。


 タバコの匂いを纏った煙が、薄暗い山中をより不気味にする。


 ――は、音もなく、ゆらゆらとそこに佇んでいた。


「何だあれ……?」


 最初に気づいたのは茂だった。


 茂の目線の先に居たそれは、ちょうど蝋燭と同じ橙色の、煤にまみれたレインコートに身を包み、フードで顔は見えず、同じく煤まみれの黒い長靴を履いていた。袖から見えたそれの手は、あかく爛れているようにも見える。背丈は龍之介たちと同じくらいだろうか。


 それは、明らかに人ではなかった。


「繧、繝翫し繝ォ繝ヲ」


 異様な言葉を発し、それは突然駆け出した。もちろん、目の前の四人に向かって。


「うわあああああ!!」


 逃げる。それしか選択肢はない。


 逃げる。龍之介と和正、茂と博はそれぞれ同じ方向へ。きっとこれが命運を分けた。


 レインコートのそれは、茂と博の方を追って行った。龍之介と和正はひとまず助かったのだ。


 二人は急いで山を下り、事を家族に伝えた。化け物としか言いようのないそれのことは信じてもらえなかったが、茂と博が行方不明だと伝えると、大人たちが山へ捜索に行ってくれることになった。


 しかし、すでに日没直前。その日二人が見つかることはなかった……。



  ――焔焔煙――



 翌日、龍之介は学校へ来ていた。


 木造の校舎。席に着いて授業を受け、黒板を見るために右を向く。


「あれ……」


 龍之介は違和感を抱いた。


 本来黒板を見るために右を向く必要はなく、顔を上げれば自然と見えるはず。しかし今正面に見えるのは、異様なまでに真っ暗な窓の外。


 周りを見ると、龍之介を含め生徒が四人しか居ない。


 ここが正しくないと気づいた途端、先ほどまで教鞭を執っていた教師の雰囲気が変わった。この教師は見たことがなかった。


「火、火ヲツケタノハ――」


 教師であろう人物が発する。


 全ての机と椅子が左を向いた教室を、教師は黒板に近い席から順番に歩いて回る。


 生徒がいる席の前に行くと、「繧ォ繧ィ繝槭が」と意味不明な言葉を発する。


 一人目、二人目の生徒は、黒く塗りつぶされたように顔が見えない。しかし三人目の生徒は、龍之介もよく知る人物だった。


「カズ……!」


 和正の前に立った教師は同様に言葉を発し、反応を見ると龍之介の方へと歩み始める。


 目の前に来た教師。姿は橙色のレインコートに変わっていた。


「オマエカ」


 はっきり、そう言ったと分かった。「火をつけたのはお前か」、その問いに必死で首を振る龍之介。


 逃げるように廊下へ出るが、そこはすでに火の海だった。


 背中を押され、炎の中へ突き落とされる。全身を焼かれる感覚と共に、龍之介は目を覚ました。


「うわあああっ!? ゆ、夢……?」


 夢にしては異常なまでに現実感があった。


 炎の熱、焼かれる痛み、鼻を突く刺激臭。どれを取ってもただの夢だとは思えなかった。




 その日、龍之介は神社へお祓いに行った。


 そこで聞いたのは、龍之介が出会ったそれは『煙管キセルさん』と呼ばれる怪異の類だということ。煙管さんの怒りを買うと、取殺されてしまうという。


 しかし神主曰く、すでに鎮められていたはずで、再発した理由は分からないそう。




 その後大勢で山を捜索したが、見つかったのはあのライターのみ。いよいよ茂と博は見つからなかったそうだ。


 煤にまみれた橙色のレインコート、煙管さん。これが龍之介じいちゃんが経験した怖い話。



  ――焔焔煙――



 じいちゃんの葬儀も全て終わり、俺は帰途につく。


「あー、しまった。タバコ切らしてら」


 煙管さんの話を思い出したばかりに少し気味の悪さを感じたが、仕方ない。


 途中でコンビニに寄ろうと決め、車を発進させた。




 しばらく車を走らせ、実家から一番近いコンビニへ到着。小さい頃ここができたときは、お祭り騒ぎだったのを思い出す。じいちゃんだけは反対してたっけ。


「113番のタバコください」


 普段から吸っている銘柄を買って外へ出る。


 ピンッ、シュボ……!


 星を見ながら一服でもしようかと、俺はタバコに火をつけた。


「フーッ……」


 ――おかしいな。こんなに煙が出ただろうか。目の前が白く煙たくなるほど、辺りに煙が揺蕩っている。


 振り返ってコンビニを見る。さっきまでついていたはずの明かりが消え、仄暗さが広がっていた。


 まるで俺を迎え入れるかのように、ぎこちなく開く自動ドア。吸い寄せられるように一歩、また一歩と店内へ進んでいく。その頃にはもう、タバコの匂いは一層強くなっていた。


 右手側、雑誌コーナーの前に佇む橙色。


「ははっ……本当に――」



  ――焔焔焔――



『続いてのニュースです。今日未明、〇〇県✕✕村で焼死体が発見されました』

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煙管さん 影乃雫 @kage429

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