文字ラジオ
爪木庸平
文字ラジオ#1
えー、文字ラジオです。文字ラジオというのが何かというと、iPhoneの録音アプリを使って、私の発話を録音して、でそれを文字起こししてブログに載せるというものです。えー、リスナーがいない状態で一人で喋っているんですが、なんかもうこれはあてのない旅に出ているようで、こー、緊張しますね。ま慣れたら面白いんだろうけどお、やっぱり普段の僕の喋りというのは、あの受け手の様子を常に探りながら喋っているので、こわいですねー。
まあ。
聞き手もいないのに喋りたいことがあるのか、ということなんですが、喋りたいことは、どうだろうな。ないのかもしれない。たとえば書きたいものというのもいっぱいあるようで、さまざまなメモをとっているんですが、どれも書ける気がしないというか、同様に自分の話についても、結局まあ何も言えないのかもしれないなって、思うし。
でも最近ねー、まTwitterのスペースという機能を僕は愛用していて、ほとんど依存しているんですが、あの、本当に全然知らない人に「あなたはどういう人ですか?」って、まあまあなんだろもうちょい切り込んだ質問なんだけど「あなたは何何についてどう思いますか?」とかそういう質問をされて、そういう瞬間に自分のアイデンティティが試されると、すごいね不安になって恐ろしい気持ちがするんだけど、一方でまあその問いを逃げずに乗り越えると、まあちょっとはマシな人間になったかなって、あのー自己肯定感は上がりますね。
だから本来はこういうのは一人でやるべきではなくて、なにかこう対話の形式、であるべきなんだろうと思います。僕の想定しているものに村上春樹のカンガルー通信という小説があって、カンガルー通信は、まあなんか、あらすじはググれば出てくるんですけど、すごいこう、一方的な、好意の向く先、一方的な好意がどんどんドライブしていく話で、あのー。あそこまでいくといいんですよね。ただ僕の場合は宛先すらない、方向すら持たないまま今なんか虚無に向かって喋っていて。
そうなんで今まで小説を書くのをここまで避けてきたかって、やっぱり自分が孤独であることを確認してしまうから、再確認してしまうからなんですよね。で、恋愛小説を書いていた時期は、明らかに読み手がいたから書けた。明らかに読んでなにかしらの反応を生じさせる人がいてくれたから書けたんだけど、ほんとに誰も読み手のいないものを書く気力はないのかもしれない。だからこの今の、えーと、文字ラジオだっけ、も、読み手がいないことには、てか読み手の存在をまだ僕は確信できていないから、すごく、心細いし、なんだろうな。面白い話をしようというのも難しいですね。あの、笑い声は入れないようにしてて、笑い声の文字起こしというのはねえ、なかなか、ま、しなくてもいいかな。
一人で笑うのって日本語でなんて言うんだっけ。一人笑いでいいのかな。思い出し笑いとかありますよね。思い出し笑いとか一人笑いで笑い声上げる人ってたぶんそんないないですよね。どっちかっていうと表情筋の運動とかの方がより本質で。ま、アハッとかフフッって声を出してしまう人はいるかもしれないけど、あのー。なんだろう。どうかなあ。
まあ結局僕が一日中Twitterを見ているTwitter中毒なのは、一人でいることを忘れられるからっていう本当にシンプルな答えがあって、でも一方でInstagramなんか見てると、一人であることがより強く思い出されますよねえ。その違いはなんなのかなって思うんだけど。まあ僕はなんかこう、人がおしゃれなもん食べてるとかおしゃれな服着てるとかよりもただ文字が揺蕩っている、まあまあそういう人をフォローしてるし、ただ文字が揺蕩ってる状況に孤独を癒されるというか。
本当かな?
小説を書くことについて喋りますか。まあ。言葉を選びますね。テンションがすごく上がっている時期だと、脇目も振らずに、書ける。それはもう絶対の事実として、それこそが僕の自信だし、生きていられる理由なんだけど、テンションが上がり切らないっていう、感じで毎日だらだら過ごしてて、ちょっとそろそろ自分を追い詰めないといけないかなって思い出した。だから、毎日人と喋るっていうことも習慣化して、よりコミュニケーションに特化した人間になろうとしたし、コミュニケーションの時期が過ぎたら今度は、文字のラジオを録音して孤独に耐える訓練をしているし。
毎日スペースで人と話せるということは、僕はまあ人の話を聞くのが好きなんだと思う。スペースでも僕がメインになって喋っているというより、スペースに来た人がま自由に喋り出すのを待っているという感じで、まあ誰も喋らなかったら仕方なく僕が喋ることもあるけど、まああの、他の人の声色を聞いてる瞬間が一番落ち着くし、人の話を聞くのが好きで。
読者からの投稿とか受け付けようかな。ラジオだから視聴者になんのかな。あのー、作家を立てるっていうのもいいし、とにかく自分の孤独と向き合って内省的になるのは初回だけにしたい。いやどうかなー。続ける価値はあるのかもしれない、読む価値があるかどうかはわかんないけど、孤独に耐えて喋り続けるというのは、意味があるのかもしれないが、ただ、もう、気が狂う、ふふふ、散漫な思考を散漫なまま言葉にし続けるというのは。わからない人はねえやってみるといいですよ。iPhoneの録音アプリを立ち上げて、録音を開始して、喋り続ける。
文字ラジオはブログじゃなくて小説かな。ま、なんか。うーん。ブログの話をしますか。僕はブログは文芸作品だと思ってなくて、本当に書きたいことをただ書いてるだけで、なんだろ、あんまり読む価値もないなと思いながらだらだら続けているんですが、一方で小説は、まこれこそ読む価値があるだろうと書くべきものだろうと思うものを信じて書いてるっていう、結局覚悟の問題で、あのー、じゃあなんでブログなんて書いてるのかって、ダラダラ、意味のないものを、まあそれでもー、あのー、検索に引っかかるようにさえしておけば、誰かの救いになるかもしれないっていう断片を書けるから、小説にはならないけど、あのーワンフレーズだけ記録しておきたい時にブログに書くんですよね、僕はツイートは消してしまうから、ツイートは消すけどブログは消さない、で小説はさらに強い覚悟で書いている。いやーしかし久しぶりの小説がこのグダグダの語りかー、なんともなー、まあまあいいでしょう。書かないよりは。
もっとこう今日が何があったとかそういう話からすればよかったなあ。完全に語り出しを間違えたな。うーん。
何分録音してもいいんだけど、まとりあえず二十分録音しましょうかね。あと五分。
世界があと五分で終わるとしたらどんなツイートをするのかなあ。
いやそういう陳腐なのじゃないな。そういう陳腐なのはねえ、やらない。
文字起こしどんぐらいかかるのかなあ、二十分録ると。結構ねえ沈黙してる時間も長いから、あの全体はスカスカのはずなんだけど文字がある区間というのは、ただそれにしても、どうなんですかねー。ま、文字起こしも練習でしょう。これからの人生文字起こしすることは何度でもあるだろうし。
いやーカクヨムとか久しぶりすぎてなんも覚えてないなー。どうすりゃいいんだろ。
孤独について考えるのは耐え難く苦しい。僕は常にiPhoneとMacBookを手放さないようにしていて、孤独から逃れようとしているんだけど。それでも誰もツイートしていない時間帯とかは寂しくて仕方がなくて。タフになりたいと思ったことはまあ、何度となくあったけど、僕はハードボイルドというのは自分では無理だと思う。
緩く繋がり続けたい。キツくなくていい。
人の話を聞くのが好きだと言ったけれど、僕というテキストを誰かに読んでほしいと思う。まあその程度の観念を抱え、抱えていなければ小説などは志さないだろう。
ある種の人たちは私に救われてほしいと言う。僕もそう思う。
聞いてくれてありがとう。
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