あなたのあなたに
花鳥風月
六道輪廻
第1話 毫釐千里(ごうりせんり)
顔を布で覆い、目元だけを出した全身黒ずくめの男は、家々の屋根を次から次へと飛び移り移動していた。
そして、とある一軒の家の庭へと降り立った。あちこちに紫陽花がたくさん咲いている、広々とした庭。
男が降り立った庭からは、縁側に面した障子が開けられた部屋の中に人影が二つ見えた。
一人は髪が肩までの長さがあり、二十代後半くらいの男性が文机に向かって何かを書いていた。着物を着ていても、引き締まった体つきをしているのがわかる。
その隣には腰ほどまである髪を後ろで一つに束ねた、色白で中性的な顔つきの男性が、紙の束を整理していた。
「ご苦労さん」
書き物をしていた男は、庭に降り立った男を労った。
「俺が町の見回りをする意味あんのか?」
「何か問題でもあったか?」
黒ずくめの男が顔の布を取り外していくと切れ長の目をした顔が現れた。そして書き物をしている男の向かいにどすん、と腰を下ろした。
「またいつもの連中がいがみ合ってたぜ?どうせ誰かが仲裁に行くならそいつに見回りさせればいいだろうが。俺は影のように身を潜めてしか動けないからな」
「天外、その言い方は親方様に失礼ですよ」
紙の束の整理をしていた中性的な男は、手を止めて天外という男をたしなめた。
「白木蓮は小言がいちいちうるさい、
「見回りついでに自分の縁者を探せればいいという、親方様のお気遣いですよ」
「……」
白木蓮の何気ない言葉に、天外が言葉に詰まると書き物をしていた男性が会話に加わった。
「どうした?まさか自分の身内に会うのが恐いってんじゃないだろうよ?」
そう言われ、天外は白木蓮と呼んだ中性的な男性をちらりと睨むと舌打ちをした。
「俺の事は構うなと言ってるだろ。過去に興味はない。それにしてもずいぶんと落ち着く日が続くもんだな。亡者も迷い込んでこないし迷い人もいない。これじゃあ現世にいるのとまるで変わらないな。こんな世界じゃ、お前たちもそのうちお役御免じゃないのか?ま、俺には関係ないけどな」
天外は仕返しとばかりに、また嫌味を含めた言葉を吐く。
「天外、さっきからいい加減にしなさい」
「まぁまぁ、白木蓮。安寧なことはいいことだ。天外の言う通り、ここしばらく
「いや、そうじゃない。役回りが減ったってことは現世が……いや、なんでもねえよ!」
いかにも乱にからかっているような顔を向けられ、天外は慌てて取り繕うように否定した。
「そうだ、現世で思い出したが、香寿神社に見慣れない奴がいたな。新入りだろうが」
「……新入り?」
「ああ。あの話をしない咨結が、神木に寄り掛かって眠りこけてるそいつの隣で、じっと座ってたぞ」
「……やはりここは修羅界だな。ここがそんなに安寧な世界な訳がないと思っていたところだ」
乱が”案の定”といった笑みを浮かべていることに、天外は訝し気な表情を浮かべた。
「どういうことだ?」
「お前が不満に思ってた、落ち着いた日々とやらが終わるかもな」
訝し気な視線をこちらに向けている天外をよそに、乱は思い立ったように、文机の書きかけの筆記具をそのままに立ち上がった。
「これから咨結のところに行ってくる」
「今頃、伊佐治の旦那が見つけてるんじゃないのか?」
「だからだ。あの人は面倒見がいいがお節介すぎる。良い奴すぎるから余計な面倒はかけたくない」
乱が出かけていくと、白木蓮は引き続き紙の束をまとめはじめた。畳にちらばる和紙混じりの紙の角と角を合わせては、次の紙を乗せていく。ある程度まとまると、そのまとまった紙束を紐で縛ってまとめていく。
その様子を眺めている天外に、白木蓮は視線を手元から外すことなく話しかけた。
「あなたの言う、”意味のない”見回りのお陰ですね。お手柄です」
「褒めてねぇだろ」
「素直に喜んだらどうですか。いつかこのお手柄があなたに戻ってくるかもしれませんよ」
「そんなん知るか」
くくくと笑う白木蓮。天外は白木蓮に背を向け、縁側の方へそっぽを向いた。
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