【逃亡不可】幼馴染と先輩の女子寮夜間会話

坂巻

【逃亡不可】幼馴染と先輩の女子寮夜間会話

 段ボール箱が数段積み重ねられた裏側。窓際のカーテン傍で、俺は息を殺して必死に存在を消そうとしている。つまり、いないふりだ。

 6畳の寮の一室で、どうしてそんなことをしているかというと、それはもう重大で逃れようのない切羽詰まった切実な胃が痛くなるほどの問題を抱えているからだ。


「先輩、こんな夜に突然お邪魔しちゃってすみません」

「ううん、いんだよー。かわいいコウハイちゃんの頼みだもんね」


 狭い部屋の中心、すなわち俺が見えない位置で、2人の少女が話をしている。


 1人はこの部屋の主で3年生の女子寮長。セミロングの黒髪とぽってりとした唇が魅力的な彼女は、10代後半とは思えないほどの色気を有しており、多くの男子生徒から人気がある。同じ園芸部ということで俺は仲良くしてもらっているが、部活の先輩・後輩という関係でなければ親しくなるようなことはなかっただろう。放課後は一緒に活動することが多いのだが、薄い体操着で土を弄っている姿は目のやり場に困る。彼女の胸部はなかなかに凶悪な大きさだった。


 そして、もう1人の人物は、俺の幼馴染で1歳年下の少女である。幼いころからよく遊んでいたせいか、今でも「お兄ちゃん」と俺のことを呼んで慕ってくれている。少し前まで懐いてくれている可愛い子どもという印象だったが、同じ高校に入学してきて大人っぽくなった彼女に少し戸惑った。身体つきも女性的になり、こちらを見上げて話しかけられるとドキッとしてしまう。テニス部に入った彼女は、他の学校の男子生徒からも人気があると友人から聞き、なんだかよくわからない危機感みたいなものを俺は抱いていた。


 というわけで、俺に関わりのある3年生の部活の先輩と、1年生の幼馴染の後輩が向かい合って座っている、はずだ。間にある段ボールのせい、あるいはおかげで、彼女たちの様子は想像するしかない。ここに隠れていることが幼馴染にバレませんように、と祈るようにゆっくりと俺は瞼を閉じた。

 何故、隠れるのか。そしてどうして幼馴染だけに気が付かれたくないのか。それはいたって単純な問題だ。

 ここが女子寮で、寮長である先輩の1人部屋だからである。


「あの、気のせいかもしれないんですけど、わたしが訪ねてくる前、誰かとお話してました? 男の人の声が聞こえた気がして」

「やだなあ。そんなわけないよお、ここ女子寮だよ」

 幼馴染の質問に動揺し、俺は吸い込んだ息が上手く吐けなかった。せき込まなかっただけ、マシだと思いたい。


「コウハイちゃんは、もしかして見えないものが見えたり、聞こえない音が聞こえちゃったりするタイプ?」

「やめてくださいよ! ち違います、わたし、幽霊とか苦手なのでぇ」

 俺がいることを知っているというのに、先輩は平然と惚けて心霊的な冗談で話をそらせてみせた。幼馴染は昔からお化けだとか怖い話が大の苦手だ。きっと、これ以上この話題は続けないだろう。だって、語尾が若干震えている。


「あらら。よしよしごめんね、怖がらせるつもりはなかったんだけど」

「や、う、ぐすっすみません。もう子どもじゃないのに、怯えちゃったりして」

「別に苦手なら仕方ないよ。そこに大人とか子どもとかなくない? ほら、お茶飲んでおいしいよお?」

 陶器と机が触れ合う音がして、幼馴染が落ち着いたようにほっと息を漏らす。続いてコトリと軽い音がしたから、先輩もマグカップに入ったお茶を飲んで、机に戻したのだろう。


「はあ、お茶美味しいです。ありがとうございます」

「どういたしましてー。それで、相談ってなんなのかな?」

「そのお、は、恥ずかしいんですけど」

「恋の相談かな?」

「――な、な、なんでぇわかったんですか!?」

「そんなに顔真っ赤にさせて、照れて言われたらね。わかるよお」

「そ、そうですか」

「いやそっかーコウハイちゃんがねー。女の子でも抗えない魅力がにじみ出ちゃってるからなあ」

「えーと、先輩?」


 確実に、俺が聞くとまずい話をしている。きっと幼馴染はこっそり先輩に恋の相談にやって来たのだ。だが、どうしてもここから出ていくという選択肢を俺は選べなかった。兄のように慕ってくれている少女に、男子禁制の女子寮の部屋にやってくる男として軽蔑されたくない。変態と罵られたくない。ならば、今から聞こえてくる話は無かったものとして心の奥に封じて、何事もない日常に戻りたい。というわけで、俺の数秒の脳内葛藤は、『待機』というつまらない答えに帰結した。

 幼馴染の恋の悩み、という妹のような可愛がっていた少女が離れて行ってしまうような話は落ち込みそうになるが、年頃なのだし仕方ない。ちょっと、うんちょっとだけ寂しい気もするが錯覚だ。そうに違いない。そうだよね!?


「コウハイちゃん――あたしのことが、好きなんだよね?」

「へ?」


 俺も、「へ?」と言いそうになって、慌てて口を押えた。


「やっぱり、女子寮長とかやってると面倒見よさそうに感じるもんね。包容力とか? ママみ? みたいなのとかあるからかなあ」

「あの、あの、先輩?」

「先に言っちゃってごめんね。でも、2人っきりで話したいことがあるって、つまりはそういうことだよねえ? わかるー、わかるよお」


 見えなくても、先輩がうんうんと頷いているだろうことは容易にイメージできた。


「男の子はもちろんなんだけど、女の子もね、褒める時に思わず抱きついたら、真っ赤になる子が多いからさあ。やっぱりあれかな、こんなに大きいと揉みたくなっちゃうのかなあ」

「ひゃ、あの、先輩? どうして手を握るんですか?」

「あのね、残念ながらコウハイちゃんの気持ちには答えられないんだ。だからね、代わりと言っては何だけど、思い出に好きなだけ触っていいよお」

「待って、ちょっと、待ってください!」

「ほら、ほらほら。遠慮しなくていいから。最後に、良い思い出にしようね」

「あっ」


 すごいことになっている。

 声と衣擦れの音しか聞こえないけれど、すごいことになっている。

 今から聞こえてくる話は無かったものとして心の奥に封じて、何事もない日常に戻りたいとかアホなことを抜かしていたけど、時折思い出すぐらいは許してほしい出来事が起こるかもしれない。

 今宵の先輩と後輩の間で交わされた行為は、フィクションではなく実在の人物・団体等とは一切関係あります、の注意書きをして映像作品として残しておきたい衝動に駆られる。


「ち、違います! 違います! 恋の相談なのはあってますけど、その相手は先輩じゃありません!」

「うん、そうだよね。知ってる」

「へええ!?」


 完全に振り回された。俺も幼馴染も、完全に先輩に弄ばれた。


「じゃあ、さっきのは……?」

「冗談だけど」

「冗談」


 気の抜けた声で、幼馴染は繰り返す。俺はその場で頭を抱える。


「コウハイちゃん、びっくりするぐらい焦っちゃって、可愛いね」

「もうもうもう! それは、そうですよ!? 本気かと思っちゃいました!」

「いや、本気にしてくれても全然良かったんだけど」

「してよかったんですか!?」

「ううん、今のも冗談」

「せ、ん、ぱ、いい」

「ごめんよお。ほら、これ駅前のプラムハウスのクッキーだよ。抹茶のやつ。これで許して、ね?」


 がさごそと包装紙を開ける音、カップを持ち上げる音。

 俺の幼馴染は無言のままだが、甘い謝罪に全てを許すことにしたらしい。


「おいしいです」

「だよねえ、好きでよく買うんだー。あ、ほら、こっちはアーモンドでこっちがチョコチップね」

「うう、ずるいです」

「なんのことかなあ」


 ふんわりと誤魔化してみせる先輩と、おそらく子リスのようにクッキーを両手で持って食べている幼馴染。なんだか俺も腹が減ってきた。学校内の食堂で夕食を食べて、数時間が経つ。もうそろそろ、寮の消灯時間だ。


「んで、恋の話する?」

「むぐ、うん。……はい、します」

「もう少ししたら消灯時間だから、手短にね」

「はい!」


 幼馴染が姿勢を正したような、真っすぐな返事をした。


「改めましてですけど、こんな夜遅くにありがとうございます」

「ほんとは断ろうと思ったけど、あんなシリアスな顔で相談あるとか言われたら、そのまま追い返せないよお」

「先輩のそういう優しいところ、好きです」

「やっぱりあたしに告白? 揉んでおく?」

「違います!」


 くすくすと、先輩が笑う声がして、その後一瞬沈黙が満ちた。

 雑談ではなく、本筋に入るという空気の変化が、俺でもわかる。


「もうすぐ文化祭じゃないですか」

「うん」

「先輩って、文化祭実行委員会の会長でしたよね」

「生徒会会長が副の座に逃げて、押し付けられたからね。その通りだよ」

「……当日のお仕事をこっそり手伝うので、実行委員の方のシフトと配置教えてもらえませんか?」

「なんで?」

「ええっと、こ、わたしの恋のために?」

「なるほど、恋のための相談って、身体を差し出すから情報をよこせってやつか」

「先輩、もっと言い方ってものがあると思います」

「コウハイちゃんがご奉仕するから、そのかわり機密情報が欲しい……?」

「間違ってないですけど、間違ってないですけどぉ」

「ふーん、いっこ質問なんだけど」

「はい」

「恋の話なわけだし、つまり文化祭実行委員会にコウハイちゃんの好きな人がいるわけなんだよね?」

「……う、うう。はぃ。そうです」

「どうして当日の予定を本人に聞かないの?」

「だ、だって、そんなこと聞いたら、一緒に模擬店見て回りたいっていう下心に気が付かれるじゃないですか!? 無理です恥ずかしいです!」

「あらー」


 続けて包装紙を破る音がする。アーモンドなのかチョコチップなのかわからないが、幼馴染は別のクッキーにも手を出したらしい。


「すっごく親しいわけでもない3年の先輩の部屋に夜中やって来て、お菓子とお茶を食べながら恋の根回しする度胸はあるのに、好きな人に予定すら聞けないの?」

「聞けないです!」

「かなりのどや顔で言い切ったね」

「部活は2年生以上の先輩たちが中心で1年生は手伝いは自由参加だし、クラスの出し物は展示だから、文化祭当日は時間ならあります。頑張りますお手伝いします協力します! だから、実行委員の人の空き時間を、教えて、ください! 委員会メンバーの予定全部把握して役割決めるから、わたしの知りたいこと全部知ってますよね、先輩? ね? ねー?」

「すごいこのコウハイちゃんぐいぐいくる」

「そりゃもう、わたしの青春のクライマックスがかかっているので!」

「まだ1年生だよね?」

「1年生の青春のクライマックスがかかっているので!」

「やる気すごい」


 声色だけでも、幼馴染が必死であることが伝わってきた。高校に入学してから、勉強に部活にと忙しそうだったが、恋愛に対しても彼女らしく真面目に向き合っているらしい。

 その実直さに、あのいつも余裕たっぷりの先輩がちょっと押されている。


「実行委員会のお仕事、とても大変そうですよね。寮にまで、飾りを持ち帰って準備しているみたいですし」

 幼馴染の慣れ親しんだ甘ったるい声が、ふいに俺の方へと流れて来る。

 彼女は今確実に、俺の姿を隠している段ボールの山を見ている。確かに、この堆く積みあがった箱の中には毎年使っていた文化祭用の飾りや材料が入っていた。

 ただ、段ボールの中身を指摘されただけなのに、俺がここにいることもその理由までも見透かされているようで、変な汗をかきそうになる。


「さっきお部屋にお邪魔するとき先輩紙の資料片付けてましたけど、『文化祭実行委員会』って文字が見えましたよ。学校終わってからも寮で打ち合わせしてたんですよね? やっぱりすごくお忙しそうですし、わたしというお手伝いとかいりますよね」

「最後の一言はともかく、大当たりだよコウハイちゃん。君が来る前は、あたしの部屋で実行委員会の子と打ち合わせしてたんだよねー。今日放課後の会議と準備だけじゃ終わらなくてさ」

「やっぱり!」


 そう、俺が女子寮のこんな片隅にて現在進行形で膝を抱えて小さくなっている理由がこれだ。

 状況説明をするにはあまりにも遅すぎるが、どこかの誰かに言い訳をするなら俺も焦りすぎてて思考がのたうち回ってたんだよと弁明させて欲しい。


 文化祭実行委員会は、強制参加の生徒会と各クラス代表1名で構成されている。直前まで俺も参加する気はなかった。だが、同じ園芸部の先輩が友人の生徒会長の頼みで実行委員をやることになり、「手伝ってくれないかな?」と困り眉でお願いされてしまっては断れるはずがなかった。あの先輩の希望なら叶えてやりたいと手を上げる男どもは多いだろう。恥ずかしながら俺もその一人だ。あわよくば、文化祭準備という名目でもっと仲良くできるのではという、邪な思いを抱えていた。たぶん一途な彼女持ちとかじゃなければ、きっとみんな抱えるはずだ。なので俺は悪くない。


 そして、俺のにやけた欲望に神様がサムズアップしたのか、先輩に妄想が具現化したみたいな台詞を耳に流し込まれた。

『今日の予定分の作業終わんなかったねー。あ、そうだこれからまだ時間あるなら、あたしの部屋、来る?』

 いきます絶対行きます死んででも。

 と、叫びそうになるのをこらえて俺は何度も頭を縦に振った。

 文化祭実行委員の作業は学校の施錠時間にあっさり打ち切られ、ステージイベントの進行や準備を担当していた俺と先輩がもうちょっと続けたいねと結論を出した後に、こっそり耳打ちされたのが、あれだった。

 俺は夕食の後、男子寮をなんとか抜け出し、あらかじめ先輩から言われていた同じ敷地にある女子寮の1階窓から合図のノックをして入れてもらった。

 男子禁制、秘密の楽園。謎にいい匂いのする、先輩の一人部屋だ。

 悪戯に成功した無邪気な顔で、『ないしょにしてね?』と言われれば、例え嫉妬に狂った男子生徒たちから拷問されてもここであったことは漏らさないと誓えた。


 先輩の部屋にやって来てからは、装飾品を作成しながら、準備機材による適切なステージ順を話し合うという、真っ当なことしかしていない。

 あわよくば、とか。ハプニングで、とか。アホほど自分に都合のいい妄想はしたが、そのことをおくびにも出さないように俺は笑って作業を続けた。俺とっても偉い。

 そして1時間ほど文化祭実行委員会の業務をこなした後、休憩しようかと先輩がお茶を淹れてくれたタイミングで、幼馴染が突然部屋にやって来たのだ。


 そりゃもうすっごく動揺した。

 俺は慌てて積み上げた段ボールの陰に隠れ、訪問者がすぐに立ち去ってくれることを願っていた。けれど、先輩は彼女を部屋へと上げてしまった。あの先輩がなんの考えもなしにこんなことをするとは思えない。だからきっと幼馴染はよっぽど切羽詰まった表情でやって来たんだろう。追い返せないぐらい、重要な心を秘めて。

 以上、今さら感漂う俺の状況説明という名の振り返り行為終わり。

 なんだろこれ破滅前の走馬灯かな。女子寮にいることがバレて、幼馴染含む全女子生徒から嫌われるという青春の死の前に見ちゃった、的な。


「正直なところ、実行委員会の仕事を手伝ってくれるのはすごく助かる」

「よかったです!」

「文化祭当日の午前のシフトに入ってくれるだけで、実行委員の子に長めに休憩時間あげられるのも魅力的」

「お任せください!」

「で、誰の予定が知りたいの?」

「え?」

「誰の予定が、知りたいの?」


 どの人物の予定を把握したいのかは、俺もすごく気になる。


「ぜ、全員の予定ください」

「全員?」

「文化祭実行委員会の全員の予定を、ください」

「恋する相手が多すぎてさすがのあたしもびっくりっていうか――」

「そんなわけないですよ!」

「文化祭実行委員となった人類全てに恋してしまう難解な呪いを受けてしまった!?」

「そんなわけないですね!!」

「あーびっくりしたあ」

「みんなの予定が欲しいって言ってその結論には至らないと思うんですけどね」

「じゃあなんで、文化祭実行委員全員なの?」

「そのう、わたしの好きな人が誰かわかっちゃうと恥ずかしいので、特定されないようにしようかなって」

「こらこら目をそらすな」


 予定が欲しいと助力を乞いはするが、どうやらその相手を先輩に知られるのは嫌らしい。複雑な女心なのかと思ったが、そういえば相対しているのは、あの先輩だった。もし、好きな人なんて知られてしまったら絶対いじられる。それ以外の未来はない。口ごもりながら全員の予定が欲しいと言った幼馴染の気持ちにようやく追いつき納得した。が、それはそれとして俺も年下の可愛がってきた少女の思い人は知りたい。


「……先輩、わたしの好きな人、興味あるんですか」

「あるけど、ないかなー」

「どっちですか、その反応」

「すごく興味あるけど、ほんとは全然ないっていうか、少なくとも今この場では興味ないかな」

「う、うん?」


 微妙な返しをする先輩に、幼馴染は複雑そうに唸っている。

 だが俺は、「今この場では」と言った彼女の含みを持たせた物言いに、さらに居心地が悪くなった。

 幼馴染は部屋にいるのは女子2名だけで、話を聞いているのは先輩しかいないと考えているだろうが、残念ながら段ボールの裏には俺がいるのだ。


「最初はちょっと楽しくなっちゃって聞き出そうとしたけど、それはまあ今じゃ不味いよなって思うし、やっぱりそういう話は本人に言うべきだと思うなあ」

「先輩?」


 なにかに納得したような先輩と不思議がる後輩。

 そこに唐突に響いたのは、軽いノックの音だった。予期せず割り込んだ音に、俺の身体がびくりと震えぎりぎりの位置にあった段ボールに接触してしまい箱が少しずれる。

 まずい、気が付かれたかもしれない。


「あれ、こんな時間にまたお客さんかなあ?」

「お約束とかされてたんですか?」

「ううん。してない。ちょっと待ってて、すぐ戻るから――あ、その場所から絶対絶対ぜったい動かないでね」

「心配しなくても引き出し勝手に開けたりとか、部屋の物べたべた触ったりとかしませんよー」

「ならいいんだけど、うかつに触ると即死級のトラップが発動して、死んでも死にきれないぐらいに後悔することになるから」

「先輩は一体部屋に何を仕込んでるんですか!?」


 「冗談だよ」と軽やかに笑う声の後、この部屋と玄関へと続く廊下の間にある扉が閉まる音がした。先輩は、訪ねて来ている幼馴染を見せないように夜間の来訪者へ対応しようとしているらしい。そうなると部屋の気配は(俺を除いて)1人分。

 俺をよく知る、そして俺がここにいることを知らない、幼馴染ただ1人だ。


「誰が来たのかなあ」


 答えてくれる人物がいないことをわかっていて、どうでもよさげな少女のひとりごと。

 スマートフォンの短い通知音がして、彼女が誰かとメッセージのやりとりをしていることを察する。小さな鼻歌、何を歌っているんだろう。

 玄関の方からは、先輩とやって来た誰かのくぐもった話声、笑い声。

 部屋に幼馴染しかいなくなって、呼吸する音さえやたらと大きく聞こえて、俺はとにかくいないふりを続けた。無音ではない、だが静かすぎて、下手に動けばきっと見つかってしまう。


「それにしても、すごい多いな段ボール」

 机に何か置く音、距離が近くなる甘く柔らかな声。


「先輩たち、遅くまで打ち合わせしたり作業したり、ほんと大変だなあ。……お兄ちゃんも、頑張ってるんだろうなあ」

 お兄ちゃん、俺のことだ。偶然飛び出した単語に身が強張る。


「当日だけじゃなくて、前々からこんな――あ、段ボールずれてる。崩れそう」


 じわじわと近くなる声には気が付いていた。


 腕と接している段ボールが、わずかに動く。

 少女の吐息と、古い女子寮の床が軋む音。


「よ、いしょ、と……あれ?」


 数十センチ先にいる、幼馴染の彼女は、何かに反応する。



「段ボールのおく、なにか……?」




 息が止まるかと思った。

 見つかるか、見つからないかの瀬戸際。俺は、ポケットの中からスマートフォンを取り出して、メッセージアプリを開く。1文字でいい、1文字でいいから、どうにか間に合え。



「わっ!」



 少女が1人、厳密にいえば2人しかいない空間に、能天気な通知音が響く。


「急にびっくりしたー」


 幼馴染の声がゆっくりと遠ざかる。きっと机の上に置いていた、自身のスマートフォンを確認しに行ったのだろう。俺は、なるべく不自然にならないように、予測変換からメッセージアプリへ文字を追加していく。


「んん? だ? 『大丈夫か? 最近文化祭の準備が忙しくて、一緒に帰れなくてごめんな』……もう、お兄ちゃんそんなこと気にしなくて、いいのに」


「ただいま、……うん? なにニヤニヤいやらしい顔してるの?」

「していないですう!」


 いつのまにか、先輩が部屋に戻ってきていたらしい。俺の存在がバレなかったことと、誤魔化してくれる人物が増えたことの安堵感から身体の力が抜ける。そのまま背後にある木製の棚にもたれ掛かった。


「そんなことよりも先輩、お客さんもう帰っちゃったんですか?」

「うん。文化祭実行委員の子でね、今日中に確認したいことがあったらしくて。明日登校するとき色々と持っていくものがあるからって」

「……大変ですね」

「でもほら、みんな楽しんでるからね。あたしもだけど」

「わたしも、立候補すればよかった……」

「コウハイちゃん?」

「あの、先輩、わたしも準備手伝います」

「うん? そのかわり実行委員メンバーの当日の予定を、って話だったよね」

「いえ、そのそうじゃなくて。うーんと、そうだったんですけど……やっぱりいらないです」

「え?」

「わたし、怖いけどやっぱり本人に予定聞きます」

「どうしたの急に」

「みなさん文化祭に向けて、真摯に取り組んでるじゃないですか。なんかわたしのやろうとしてることって、ちょっとだけ手伝っておしいとこ持っていこうとしてるみたいで、なんかずるいかもなって」

「全然そんなことないと思うけど」

「そうですか?」

「手伝ってくれるだけですっごくありがたいし、お礼目的で準備手伝ってくれる実行委員じゃない子なんていっぱいいるよ。コウハイちゃんの欲しい情報なんて、誰かに聞けばわかるようなたいしたことない報酬だよ?」

「でも、もういいんです。わたしふつーにお手伝いします」


 幼馴染の純粋な好意が真っすぐ伝わってくる。


「当日予定を本人に聞いたら、一緒に回りたいっていう下心に気が付かれちゃうよ、恥ずかしくないの?」

「は、恥ずかしく、う、恥ずかしいですけど……がんばります」

「頑張りたいって、思うほど好きなの?」

「大好きです! ずっと、ずうっとわたしのために色んな世話を焼いてくれた人だから、その、わたしもがんばらないと」

「へえ」

「それで、文化祭当日にいろんなところを見て回ってから、告白、しようかと」

「……そうなんだ」

「やっぱり気になりますか? わたしの、好きな人」

「うーん……興味持って欲しいの?」

「だって、先輩も知ってる人だから」

「うんうん。そっか。でもいいよそういう大事なことは。また別の機会に聞いたげるし文化祭の手伝いの話もその時するから今夜はもう帰りな? 消灯時間過ぎちゃったけど寮長権限で大目に見てあげるから――」

「あの、その、お兄ちゃん! なんです。わたしが予定を知りたかった人」


 驚きすぎて、叫ぶかと思った。

 慌てて、口を押える。バクバクと騒ぐ心臓がうるさい。

 幼馴染の好きな人――その人物は、都合よく考え過ぎだろうとできるだけ予想に入れないようにしていた、俺自身だった。


「コウハイちゃん」

「はい! え、と、うわー言っちゃった。その、照れますね、これ」


 幼馴染の声が、何かを取り繕う様に高くなる。そしてわざとらしく笑ってみせる。


「どうして、それを今あたしに?」

「な、なんとなく? 元々先輩に助けてもらおうとしてたのに、中途半端に話してこのまま終わりなんて、申し訳ないかなって?」

「ふうーん」

「ど、どう思いました?」


 突然知らされた幼馴染の好意に俺の思考は停滞する中、段ボールの壁を挟んだ向こう側ではまだまだ話が続いている。

 どうしたらいいかわからなくて、黙ってそれを聞くしかない。


「……はあ」


 しばらくの沈黙。そして部屋に落ちたのは、先輩の諦めたようなため息。


「このまま知らないふりして帰してあげようかと思ったのにな」

「……先輩?」

「ねえねえ、コウハイちゃん。本当はさあ、文化祭実行委員会の予定を知りたいっていうのがあたしのところに来た目的じゃないよね?」

「え……?」

「少しずつ彼のことを話に出して、最終的に誰が好きか言いたかったんだよね。あたしに」


 しっとりと落ち着いた先輩の声音は冷水のように耳朶を伝う。しかしその言葉は熱を含んでいた。


「うん、うんわかるよお。大好きなお兄ちゃんが部活だけじゃなくて、文化祭準備でも最近よく一緒にいる相手だもんね、気になるよね、すっごく?」

「せん、ぱい」

「どう思っているのか、反応探りたくなるよね? もしかしたら敵かもしれないもんね――かわいそうな、コウハイちゃん」

「それって、どういう意味ですか?」

「残念だけど、あなたの望む人にはなってあげられないなあ」

「……」

「あたしも、彼のことが好きだから」


 自分の耳が壊れたかと思った。


「何とも思ってないようなら味方として巻き込みたかったよね? 気持ちがあっても先に言ってしまえば可愛いコウハイに遠慮してくれるかもしれないもんね?」

「そんなこと……」

「でもダメなんだよなあ。あなたがここで気持ちを言うなら、あたしも言わないと。――その方が誠実でしょう」

「冗談、て言わないですか?」

「うん、これは本当」


 少しの間、誰も言葉を発しなかった。幼馴染も、先輩も、当然俺も。


「先輩は、……ちょっと勘違いしています」

「ありゃ、どんな?」

「わたしはそんな先輩の善意を利用するようなつもりできたんじゃないです」

「まあそうだろうね」

「え」

「コウハイちゃん真っすぐだもん。『お兄ちゃんの文化祭実行委員会の予定が知りたいぞ、うおおおお!』のノリできたんでしょ」

「うえ、うん。はいそうです」

「だよねえ。さっきのはあれだよ、ライバルに対するちょっとしたいじわる? みたいな?」

「わかってたんですか!? なんか怖かったんですけど」

「おお、よしよしかわいそうにねえ。年上のお姉さん怖かったねえ」

「先輩のせいなんですけど!?」


 先ほどの空気が嘘のように、2人の雰囲気が緩くなる。何故かわかりあっている少女たちとは裏腹に、俺の心中はもうわけがわからない。


「とういわけで、お互い好きな人が一致しちゃったわけなんだけど、こうなったら文化祭ではっきりさせようか」

「いいですよ! 受けて立ちます!」

「空き時間に文化祭デートをそれぞれ誘うっていうのでどうかな? 彼が来てくれた方が勝ちってことで」

「最後に告白して、結果がどうなるかってとこも大事ですよね?」

「うーん。もうこの状況なら、デート来てくれたら勝ちだと思うんだけど、それでいっか」

「どっちが勝っても恨みっこなし、ってやつですね!」

「いやあすっごく恨むんじゃないかなあ」

「ぴえ!」

「ふっふっふー冗談」

「くっ、年上のよゆう……」


 すでに消灯時間は過ぎている。先輩と軽く笑いあった後、幼馴染は女子寮にある自身の部屋に帰って行った。そうなると、ここにはもう俺と先輩しかいなくなる。


「さて」


 ぱたんと廊下に通じる扉の閉じる音、近寄る影。


「聞いちゃったね」


 俺の片側には壁と窓、もう片方は積まれた段ボール。背後には寮備え付けの木製の棚。

 目の前に立つ先輩に見下ろされると、俺の逃げ場はどこにもないことを悟らされる。


「文化祭の日は、コウハイちゃんとあたしがデートに誘うから、頑張ってどうするか決めて」


 ゆっくりと膝をついた先輩が、こちらへ身体を近づけてくる。

 上から迫るように、彼女の左手は俺の後ろの棚に置かれた。そして、空いている右手で俺の左耳の輪部をさわりと撫でる。意識がそこに集中する。

 先輩は艶やかで落ち着いた声で、耳元で囁いた。


「逃げないでね?」






【あなたの心を離さない“恋する幼馴染な”あの子と、“恋する年上な” あの子】

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