終わりと始まり

十二月の上旬、日本は例年にない寒波に襲われた。

雪と風が踊り狂い、全てを白に染めていく。

そんな中、私は最後の家族に別れを告げた。

母の姉なので伯母さんと呼ぶべきだが、私は姉ちゃんと呼んでいる。

両親に勝るとも劣らない、いや、母に勝るとも劣らない愛と父より大きな愛をくれた人だ。


「姉ちゃん、お疲れ様。

よく粘ったじゃん?」


私は明るい声でそう言いながら伯母の右手を握る。


「母さんより長生きするとは思わなかったよ。

番狂わせもいいとこ。

あの世に着いたら母さんに謝っときなよ?

姉ちゃんの事、ずっと心配してたんだから」


その時、伯母の目蓋から一筋の滴が流れた。

なぜか分かったよと言っているように見えて、切なくなる。


「お休み、姉ちゃん。

次は普通の家に生まれるといいね」


伯母の苦労は良くも悪くも非常識な住職を父に持った日から、いや、非常識な住職を父に持ったからこそ始まった。

一般人の娘に生まれていればもう少し楽に生きられただろう。

もしも、たれば、だったら、どれも今更めく言葉だが、言わずにはいられない。

良い施設で死ねた事が救いになっていればいいと願っている。


私は伯母の右手を布団に戻し、次いでノロノロと部屋を出た。

伯母の主治医とこれからの事を話し合わなければならない。

それが終わったら伯母の同僚に枕経まくらぎょう導師どうしの依頼、それも終わったら貯金関係の整理と役所関係の手続き、それも終わったら……………、止めよう、頭が痛くなってきた。


廊下を歩きながら深い溜め息を吐く私。


『暫くは泣く暇もないな。

まっ、その方がいいか』


私は気を取り直して顔を上げ、廊下の先に二人の女性が立っている事に気付いた。

一人は伯母と親しかった入所者で、もう一人は伯母の担当看護師だ。


斎端よしばたさん、白川原しかばらさん」


私は二人を呼びながら駆け寄る。


「どうしたんですか、こんな時間に」


今は深夜、大半の人が寝ている時間だ。

ここの起床は六時だし、朝食は七時からだ。


恵子しげこさん、逝かれたの?」


斎端さんは私の問いに斜め上の問いを返した。

私の声を認識していたかも怪しいが。

彼女は難聴の気がある。


「えっ?」


「恵子さん、あちらに逝かれたの?」


私は絶句した。

なぜか口が動かない。

言いたい事も言わなければいけない事も沢山ある筈なのに………。


「あっ、えっと………」


何か言わなければと思うが、何を言えばいいのか分からない。


「斎端さん、お部屋に戻りましょう。

風邪引きますから」


私の内心を慮ってか、白川原さんは斎端さんを自室に誘導しようとするも、彼女は頑として動かない。


「恵子さんねぇ、ずっと辛い辛いって、早くお迎えが来んかなぁって言ってたから。

そうそう、弥姫に迷惑ばっかりかけちょるなぁとも言ってたのよ?」


「姉ちゃんが?」


「ええ、何かある度に弥姫弥姫って、あなたの事が本当に大切なのねぇ」


「そう……、ですか」


私は嬉しいような、悲しいような、複雑な気持ちになった。

伯母は一ヶ月くらい前から食事が難しくなり、そのまま眠るように死んだ。

私が看取り介護を望んだからだ。

最期は穏やかに、安らかに、枯れるように、私と母の願いであり、伯母の望みだった。

弱っていく姿を見たくなくて、最近はあまり会わなかった。

どうせ話せないし、どうせ分からない、どうせ、どうせ、そう思って逃げていた事を見透かされたような気がする。

責められていないのに責められているような………。


「どうかした?」


怪訝けげんそうに訊かれ、私はハッとして斎端さんを見る。


「いえ、何でも……、な、い…………」


突然の眩暈めまい

世界がグルグルと回り、次いで足の力が抜ける。


「東野さん!!」


私は白川原さんらしき人に受け止められ、そのまま目蓋を閉じた。

最後に聞いたのは-


「誰かっ、ストレッチャー!!!」


白川原さんの鋭い声だった。

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