第10話 やっぱり料理だ

 俺の身辺が賑やかだろうが寂しかろうが。生きている限り一日三食飯はいる。


 最近のコンビニ飯は美味いものだが、一巡してしまうと物足りなく感じる。定食屋や弁当屋だって通勤途中にある店舗は限られており、これも何回か通うと味に飽きてしまった。


 かといって、一度食材を使いきってしまい、しょうゆやみりんなどの主要な調味料なんかを切らしてしまうと、再び自炊生活を軌道に乗せるのが億劫に感じられて仕方ない。


 仕事もちょっと忙しくて、正直、家では何もしたくない。ああ、自炊しない人間の気持ちが初めて分かった気がする。


 飯を作らない分、細切れに妙な空き時間が出来た。定食屋で、弁当屋で、自分の夕食が出来上がるのを待っている時間が手持無沙汰で仕方ない。


 スマホを取り出し時間をつぶす。


 今日はふと、読まずに放置してしまっていた田村さんのの書き込みを読んでみることにした。

 田村さんは、子ども食堂で新しい料理を作ってみるたびにSNSに「料理会をしました」という短い文章を投稿していたが、俺は田村さんがアノ千石さんの友人だということでそれ以上気に留めていなかった。


 田村さんのSNSの投稿には、「詳細はコチラで→」とリンク先のURLが貼ってあるので、そちらを開いてみる。


 児童館の日々の活動を報告する記事の中で、メンバーが和気あいあいと世界の各国料理に取り組んだ様子が報告されていた。


 台所で調理中の材料の写真や、お皿に盛りつけた写真も投稿されているる。


 また、この記事には、子どもたちの保護者も家庭でも作れるように、アドバイスも書かれていた。


 その中で、オーブンではなくトースターを使った場合にどうなるかも考察されているのは、俺にも参考になるように気遣ってくれたのかもしれない。


 ある日の記事はこうだった


「今日は、児童館でインド近辺の国の料理として紹介されている鶏のスパイス焼きを作ってみました。いわゆるタンドリーチキンに近いと思います。トースターにアルミホイルをしいて加熱しました。熱自体は通りましたが、肉汁が下に落ちないのでカリっという質感にはなりません。でも、ヨーグルトとスパイスを混ぜて漬けて焼くだけで手軽に異国情緒たっぷりの料理を楽しめました」


 俺は帰宅してから、トルコレストランの夜以来、本棚の本の上に横向きにねじ込んだままになっていた、あの料理本を引っ張り出した。表紙の『日本の家庭で簡単につくれる世界の郷土料理』の文字のところに折り目が着いてしまっている。それを伸ばしてから頁を繰る。


 そのタンドリーチキンのレシピは意外にスパイスの種類が少な目だった。「カイエンペッパー」「ガラムマサラ」「クミン」の3つをヨーグルトに混ぜるだけだ。


 この3つは既に俺は持っている。使いきれずに残ったままだ。あとはヨーグルトと鶏肉を買うだけでいい。明日はスーパーによってこの二品だけ買って来よう。


 翌日、帰宅してから材料を一気にステンレスのボウルに入れてみる。それを単にこねくり回しただけなのに、台所に本格インド料理の香りが漂う。街のあちこちでインド人やネパールの人たちが開業しているレストランから漂うあの香り。


 へえ……。こんな変わった料理がこんなに簡単にできるのか。


 まあ、アルミホイルの上でトースターで焼いてしまうと、肉汁でべちゃべちゃしてかなりお店のそれとは違ってしまうけど。


 お皿に盛ったタンドリーチキンを食卓に持って行き、それをつまみにビールを飲む。


 M国の料理の方が作り方とスパイスが複雑だったのにな。それでも日本のカレーに近いものしかできなかったのに。こっちの簡単な料理の方がエキゾチックとは。


 いや……と、俺は首を振った。なんだか千石さんのものの見方が伝染してしまっている。もう彼女に気に入られる必要はない。M国の料理を作ったこと。あれはあれで発見があったじゃないか。


 M国料理は確かに「日本のカレー」によく似てはいたが、噛み締めるとナンプラーの味がしていたのが彼の国らしかった。一方で、田村さんは、日本のどこでも売られているカレーが、M国の人にとっても故国の味に近いなら、日本で手軽に楽しむことができると思いついた。その発想も面白い。


 不機嫌だった千石さんのことさえ脇によければ、あのM国料理を作った晩は結構有意義だったと今なら思う。


 そう言えば。


 田村さんはM国から来た家庭に日本のカレーを紹介してみると言っていたが、果たして、その後どうなったんだろう?


 俺は田村さんにメッセージを送ることにした。まずご無沙汰していたことを詫びる。そして、詳しくは書かなかったが、トルコレストランで千石さんの言動を見てこの人とはやっていけないと思ったことを伝えた。そして、しばらく料理自体からも遠ざかっていたことを書き、だけど田村さんの投稿した記事をきっかけに俺もタンドリーチキンを作ったことを伝えた。そして最後に「M国の人にとって日本のカレーはどう感じられるものかあれから分かったことはありますか?」と尋ねてみた。


 田村さんから夜中にメッセージが届いた。


「M国親子に聞いてみました。やっぱりナンプラーの味がするかしないかは大きな違いだそうで、似てはいるけど別の料理だという感想でした。だけど、似ている点もあるのでこれはこれで今後も食べてみたいとのことでした」


 似てるのか似てないのか。一読した人が何事にも白黒つけたい人ならば、この感想をなんだか煮え切らないものだと思うだろう。


 だが、現実はこういうものだと俺は思う。「似ているところもある」し「似ていないところもある」。Aかそうでないかと二分できるものじゃない。


 それは人間だってそうだ。「かわいそう」か「かわいそうじゃない」かの二通りの人間しかいないわけではない。そう見えるとしたら、それはそう見ている側の主観のせいだ。


 俺は田村さんに再びメールを書いた。「そうですね。よく分かる感想です」と。


 三日後、田村さんからまたメッセージが来た。


「M国のお母さんに日本のカレーについて尋ねてから時間が経ったので、今日もう一度聞いてみました。すると、日本のカレーも食べてみると言ったのは社交辞令じゃなくて本当に食べているそうです。レトルトカレーにもいろんな種類があってM国により近かったり、むしろ隣国の方に近かったりするようで食べ比べるのが面白いと言っていました。また、カレールウでつくるカレーだと、冷蔵庫の残り野菜を何でも入れられるから食材が片付いて助かるって言っていました。あと、簡単にできるところもいいとのことです」


 俺は声を上げて笑った。後半は今まで日本の主婦がカレールウを愛用してきた理由と全く同じじゃないか。


 何だか俺もカレーを作りたくなってきた。カレールウに、ジャガイモ、玉ねぎ、にんじんなどの定番野菜を買って来よう。簡単にできるカレーなら、自炊生活再開のいいステップボードだ。


 軌道に乗ってきたら、以前と同じように、いろんな料理に挑戦していこう。もう、誰かの気を惹くとかそんな下心を抜きにして。


 そんな決意を田村さんに送ると、これまた意外な展開があった。


「子ども食堂のスタッフの間で今ちょっとした料理ブームです。児童館の食堂では思う存分作れないので、自治体の青少年センターの調理室を借りてみんなで作ることになっています。よかったら一ノ瀬君も参加しませんか?」


 へえ……。俺が青少年だった時にそんなセンターを活用したことがないので知らなかったが、調理室なんてものがあったのか。


 田村さんによれば、もちろん複数の人間が集まることが前提だから部屋や調理台も広々としている上に、ガスのオーブンもあるという。おお、それは腕の振るい甲斐がありそうだ。


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