魔王の娘の初彼氏

秋村 和霞

第1話~告白は唐突に~


「ねえ。私たち、付き合わない?」


 屋宮剣やみやつるぎは唐突な告白を受け、口に含んでいたコーヒーを思わず噴き出した。幸い、視線を下斜め四十五度に向けていた為、好意を伝えてくれた相手に噴出で答えるという失態は犯さずに済む。


 しかし、相対する常野真央とこのまおの反応は辛辣だった。屋宮の動揺に対し眉一つ動かさない鉄仮面で冷たい一言を放つ。


「うわ、汚い」


「おまッ、お前がいきなり変な事言うからだろ! 少しは俺の心配しろ!」


 屋宮は自らが汚したテーブルをおしぼりで拭きつつ、真央の言葉の意図が読み取れずにいた。


 あの鉄壁要塞である真央からの告白である。よりにもよって、コーヒーを一口含んだタイミングでだ。そんなの、噴き出すほど驚くに決まっている。


「告白されたぐらいでそんなに動揺しちゃって、やっぱり屋宮君って童貞?」


「……高校時代に機会が無かった奴なんて、いくらでも居るだろ。そんなお前も経験あんのかよ」


「女性にそんな質問を浴びせられる屋宮君のデリカシーの無さには目をつむって、答えてあげる。私も経験無いわ。ついでに言うと、結婚する相手以外と関係を持つつもりは無いから。私と添い遂げるつもりなら、屋宮君は当分童貞のままになるわ。残念だったわね」


 人の事を童貞だと侮辱しておきながら、その矛先が自分に向くとデリカシーが無いと言い放つ真央に屋宮はいささか腹を立てる。こいつは本当に自分と付き合いたいと思っているのだろうか。


 しかし、真央が未経験である事に屋宮は安堵していた。それは怒りを失せさせるには十分な情報だ。


「それで、答えは?」


「答えって……そもそも一体どんな風の吹き回しだよ。いきなり告白なんてさ」


「いきなりなんて心外ね。講義帰りの喫茶店なんて、告白には不足ないシチュエーションだと思わない?」


「あ、いやまぁそうだけど……」


 屋宮たちが訪れていたのは、大学と最寄り駅とのちょうど中間にあるノワールという喫茶店だった。間接照明の温かな光に満たされ、アンティークな調度品に囲まれた店内は、告白には不足ないムードだ。


 講義の終わりに真央から突然、このノワールに一人で来るように連絡を貰い、戦々恐々しながら来てみればこれだ。


「いやいや、俺が聞きたいのはそういう事じゃなくて、何で俺なんだよ。お前、今まで散々いろんなヤツに告られてたのに振ってたじゃねえか。俺はてっきり男に興味がないものかと……」


「なんで屋宮君かって? うーん……一緒に居て苦じゃないからかしら。真面目だから浮気もしなさそうだし。それと、優柔不断で意気地ないから絶対に手を出して来ないでしょ? 言っとくけど、顔はタイプって訳じゃないから調子に乗らないように」


「なんで段々と悪口になるんだよ。誰が優柔不断で意気地無しだ!」


「だってそうでしょ。今もこうやって話題逸らして返事を先延ばしにしてさ」


 図星を突かれ屋宮はようやく真央へと視線を向ける。


 モデルの様にすらりとした体型、色白で整った顔立ち、毛先を緩くカールにしたロングヘアで落ち着いた態度から大人びた印象を受ける美人。肩を露出させた黒いブラウス姿の色気に、屋宮は思わずどぎまぎしてしまう。


 いいや、落ち着け。こいつの性悪さは散々身をもって体験してきたじゃないか。確かに初対面の頃に憧れを抱いていた事は事実だ。けれども、コイツの性格の悪さと鉄壁の防御に自分から恋人関係になろうと考える事を放棄していた。


 だから今の屋宮は今起こっている事が理解できず、混乱していた。なぜ自分に、諦めかけていた相手からの告白という幸運が訪れているのだろうか。正直言って、帰りに女性からの呼び出しを受けた事に少しだけ心が躍っていた。相手が真央という事ですぐに正気に戻ったが。


 いや、冷静に考えると、相手はあの真央だ。もし交際という事になれば、間違いなく振り回され、尻に敷かれ、ボロ雑巾の様に搾り取られてから捨てられるに決まっている。


 そもそも今までの真央の言動から、恋愛に対する興味を垣間見た事があっただろうか。もしかするとこの告白劇は、自分の事をおちょくっているだけなのではと訝しむ。


 よし、断ろう。その方が精神的に最も安定した大学生活が送れそうだ。何も恋人が真央である必要は無い。真央ほどのルックスの異性とは金輪際お近づきになる事は無いだろうが、もっと優しくて思いやりを持った女性とはきっと出会えるはずだ。


「……私にここまで言わせておいて、断ったら殺すからね?」


「拒否権は無いのですか」


 まるで屋宮の心の中を見透かしたかのように真央が言う。まるで暴君だ。恋人にしたくない相手ナンバーワンだ。


 けれどもこの時、屋宮は真央の耳が赤く染まっている事に気づく。また、落ち着かない様子でしきりに指をいじっている。


 真央はふざけてなどいなかった。本気なんだ。その仕草を見た屋宮は考える。口も性格も悪い真央だが、本気で自分の事を考えてくれているのなら、検討の余地はある。


「……本当に俺でいいのか?」


「屋宮君がいいと思ってるから、言ってるんだけど。私の気が変わらないうちに、早く答えなさいよ」


 真央はポーカーフェイスを崩して、いじらしく視線を背ける。頬も火照ったように朱が差し込み、もぞもぞと肩を揺らしている。


 なんだよ、こんな可愛らしい所もあったのかよ。屋宮は短くため息をつく。これから自分が下す決断は、間違いなく大学生活に波乱をもたらす事になる。


 しかしまあ、退屈はしなくて済むだろう。


「じゃあ……よろしくお願いします」


 真央の表情がぱっと明るくなる。


「……ひやひやさせないでよ」


「お前、こんな時でも悪態つくのかよ」


「お前じゃなくて、ちゃんと真央って呼んで」


「ああ、ごめん」


 事実、この屋宮が下した決断は、彼の想像を絶する形で波乱を呼び込むことになる。この常野真央という少女の正体と、彼女を取り巻く人々の存在。しかし、屋宮がその事を知るのは、もう少し後の話――。

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