四日目:「滴る」『信心』
神のために、それを消さねばならなかった。
後悔はない。それで神が喜んでくださるなら。
世界を幸福にするためなら誰が消えようが問題ない。たとえそれが自分自身であっても。
◆
神は遠くからやってきた。果てしなく遠くから。
神は神の代理人としか話さず、代理人は「世界を幸福にしましょう」と言った。
「悩める者、迷える者、今が不幸なものたちよ。神を信じなさい。そうすればあなたたちは幸せになれる」
初めはみんな疑っていた。
けれど、神の見せる奇跡を目の当たりにして、神の力は本当なのだと皆心を入れ替えた。
信心したのだ。
水不足のとき、神は雨を降らせた。
重い病気の者を、神は治した。
横暴な上司はいつの間にかいなくなった。
代理人は言った、
「罪ありき者よ、神を信じなさい。信じていればあなたの罪は濯がれる」
「罪」を背負って生きていた俺に、その言葉は天啓だった。
神を信じていれば、いつか真人間になれる。
苦しむのは信心が足りないから。毎日祈り、自分のものを持たず、神のもとに良いものを寄付すれば、きっと助けてくださる。
祈れ、祈るのだ。
そうやって、俺も神を信じた。
週に一度、同じ志の仲間と集まって聖句を唱え、神を讃える。
様々な贈り物をする。
不幸から逃れられるように。罪を濯ぐために。
信じない者たちは「騙されてるよ、神なんていないよ」と言ったが、神はいる。俺はこの目で神の奇跡を見たのだ。
同じく神を讃える仲間たちは俺を優しく受け入れてくれるし、俺がどんなに口下手でも笑顔で聞いてくれた。
神を信じていなかったころの暗い日々が、神を信じてから明るく優しいものに変わった。
幸せだった。温かい仲間たちに囲まれて、日々が充実していた。
そんなときだった。週刊誌に不信心な記事が載ったのは。
代理人は憤り、これは神への冒涜だと言った。
そこで俺は選ばれた。
この記事を書いた者を消せと。
平和な世の中で生きる俺には当然殺しの経験などなかった。
無事に消せる自信がない。
「大丈夫、あなたならできますよ。邪魔者を消せば神は必ずお喜びになります。あなたは死後、天国行きが約束されるでしょう」
代理人が優しく俺を励ます。
「それに、あなたは一人ではありません。信頼できる信徒を何人かつけて、サポートさせます。安心してください、指示に従ってあれを消すだけで良いのです」
「本当に俺にできるでしょうか」
「できますよ。だからあなたが選ばれたのです」
「…………」
「神はあなたに期待されています。良い結果を待っていますよ」
そう言うと、代理人は俺の背中をそっと押した。
◆
深夜。
俺は仲間たちに助けられ、眠っている邪魔者を消し、火をつけた。
ごうごうと燃える炎はまるで神を讃えるかがり火のようで、仲間たちはそれを見て嬉し涙を流した。
◆
邪魔者の死は報道されなかった。
「素晴らしい。あなたの働きは完全でした。神も喜んでおられますよ」
「ありがとうございます」
「これで死んでも天国に行くことができますね」
「はい」
「では次に、『俺がやりました』と書かれた遺書を作り、神の御許に向かってください」
「…………?」
「これはあなたの信心が試される儀式です。あなたがあなたの家でその儀式をすることで、天国への切符が確約されるのです」
それはつまり、俺に死ねということか?
「安心してください。後から信徒たちも向かいます。あなたは孤独ではない……そのことは神も私もよく知っています」
「そ、そうですか……」
「おや? 何か……言いたいことが? あなたが本当に神を信じるならば、できるはずです。死など怖くありません……この世を離れるだけなのですから。ね、皆さん」
代理人が片手を挙げると、仲間たちが部屋に入ってきた。
「■さん、すごいわね! あなたならできるわ」
「君は選ばれし者になれたんだね! 君のために祈っているよ」
「神のための死なんて羨ましいぞ。俺もいつか選ばれるために頑張るよ」
口々に言う、信者。
そう言われると崇高な死である気もするし、俺の死などというちっぽけなことで神が喜んでくださるのなら、安い気もした。
「……わかりました」
◆
自宅。
鞄から荷物を取り出す。
邪魔者を消すのに使ったナイフは赤黒く光っていて、今にも血が滴りそうにも思える。
もう固まっているから、滴ることはないのだが。
俺は遺書を書き、ナイフを自分のそばに置き、神の祝福を受けたロープをかけて、そして。
崇高な理想に燃えていた。後悔はなかった。
これで罪が濯がれるなら。世界が幸福になるのなら。自分の命が失われようと、問題ではない。
意識が落ちる瞬間、俺は幸せだった。
そのはず。
俺が天国に行けたかどうかは、死後の話なのでわからない。
それで終わり。
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