第42話 浄化せざるを得ない

『私がレギウスの妊娠に気づいたのはその少し後のことよ。凄く嬉しかった。でも、色々考えてしまったの。エリウス様も、ユリウス様も、王子としての責務に苦しんでいらしたわ。それでも、お二人は高貴な血筋。誰からも後ろ指を差されることは無い。でも、私のこの子は? 卑しい母親の子と蔑まれるかもしれない。自由を奪われて辛い目に合うかもしれない。何より……引き離されて我が子を育てられないかもしれないって怖かったの。もちろん、エリウス様は守ろうとしてくださるとわかっているけれど、彼はまだ皇太子と言う立場。難しいことが分っていたから』 


 そう言って目を伏せたアムネリア。懺悔のようにレギウスへの言葉を紡ぐ。


『だから……私はおいとますることに決めたの。何も言わずに去ることはエリウス様を傷つけることになるし、レギウスから父親を奪ってしまうことにもなるってわかっていたのだけれど。本当に申し訳ないと思っているわ』 


『母さん、顔を上げて』


 レギウスがアムネリアに語り掛けた。

 リリアが橋渡しを務める。


『俺は母さんがそのまま王室に留まらないでくれて良かったと心から思っているよ』


 その言葉に、必死で涙を堪えているアムネリア。


『俺はあの村で、自由にのびのびと暮らせて楽しかった。母さんが教えてくれる父さんのことを聞けただけで幸せだった。俺は二人から愛されているって心の底から安心することができたから』


『レギウス……ありがとう』


 蒼の目から限界まで膨らんだ雫が壊れて溢れ出た。


『そうじゃ無かったら、リリアに会え無かったと思うし。俺は宮廷で窮屈な生活を送るより、リリアとこうして一緒に暮らせる今の生活が一番嬉しいんだ』


『あ! 確かに。そうよ、そうよね!』


 ぱちりと見開いた瞳が、一気にキラキラと輝き出す。コロコロと変わる表情が本当に愛らしいと、リリアは思った。

 そして、全てを越えて愛さずにはいられなかったエリウス王の気持ちも。

 

 例え一時だったとしても、別れに傷ついたとしても、求めずにはいられなかった――――

 そんな恋だったのだろうと思った。



 涙を拭いたアムネリアが、また真面目な顔になって語り始めた。


『実は……これは私の願望から生まれた想像なのかもしれないんだけど、私、エリウス様はレギウスのことをご存じだったと確信しているの』

『それはどういうことですか?』


 驚いたリリアに、慌てたように訂正を入れる。


『あ、レギウスのことって言うより、お腹に赤ちゃんがいたことって言う方が正しいわね』 

 

 そう言ってから、静かに自分のお腹に手を当てた。


『母親になるって本能的なものなのよ。無意識にお腹に触れてしまうのね。愛おしくて、大切にしたくて、何度も何度もお腹に手を当ててしまう。そんな私を見て、エリウス様が大きく目を見開かれていたから。それでもお暇を申し出た私のことを見つめて……静かにおっしゃったの』



「それがアムネリアの答えなんだね」


 隣に座ると、アムネリアの手を包み込む。

 切なげに揺れるエリウスの瞳。喉元まで出かかった言葉を、必死で飲み込んでいる様子が、リリアにも伝わってくる。



『きっと、エリウス様も私と同じ結論に辿り着かれたのだと思うの。生まれてくる子には自由をあげたいって。宮廷で窮屈な思いをしたり、周りに振り回されたり担ぎ上げられたりしないで、レギウスはレギウスの好きな人生を歩んで欲しいって。エリウス様がしたくてもできなかった道……』


『そっか……父さんもそう思っていたんだな』


 レギウスが声を詰まらせた。


『本当は、お金を渡してくれたのだけれど、いらないって見栄はっちゃったの。あ、一度だけ故郷のクラリタスへは顔を出したわ。今もきっと兄弟夫婦が住んでいるから行ってみるといいわよ。そこからは尾行を巻いて』


『母さん、尾行を巻いたって……全く、身重のくせしてバイタリティあるな』


 呆れたように唸るレギウス。流石レギウスの母と舌を巻くリリア。


 そんな蛮勇伝をたくさん話しながらも、アムネリアがしみじみと言う。


『記憶って不思議なものね。決して楽しいことばかりではない日々でも、時がたてば嫌な事や惨めな思いはすっぽりと抜け落ちてしまって、幸せな気持ちしか残らないの。美しい思い出だけが凝縮されて、宝石のように輝き出すのよ。私にとって、エリウス様と過ごした日々は、たったの一年だったけれど、かけがえのない素晴らしい時間だった。その先にどんなに辛くて悲しいことが起こっても、乗り越えられるくらい、大きな大きな光だったわ。だから、あの時……』


 遂に最期の時のことを語り始めた。


『……男の人の馬鹿力って凄いのね。どんなに力を込めてもびくともしなくて。首を締められて苦しくて。死にたくない! レギウスを置いてはいけないって思った。誰か助けてって……その時、エリウス様の顔が思い浮かんで……ああ、もう一度会いたいって。あの頃のように愛に包まれたいって……強く、強く思ったの』


 アムネリアが天を仰ぐ。


『どんなに綺麗ごとを並べても、これが私の本音だったってことね。私はエリウス様が忘れられなくて、傍に帰りたくて。現実は難しくて、強がって前を向こうと思い出に縋って……あの人を傷つけてまでお傍を離れたのに、幼いレギウスのことも一人置き去りにして……一体、何をやっているのかしら。レギウス、本当にごめんなさい』


 その時、リリアの左指に温かいレギウスの癒しが流れ込んできた。思わず、アムネリアの手に重ねる。


『母さん、泣かないで。母さんは俺のためにずっと頑張ってくれていた。泣き言も言わず、いつも明るく笑って歌って、そうやって俺を育ててくれたんだよ。俺が一人になってしまったのは運が悪かっただけさ。母さんのせいなんかじゃない。だからもう、自分を責めるのはやめてくれよ。さっきも言っただろ。俺は幸せだって。今も昔もね』


『レギウス!』


 レギウスの癒しがアムネリアに直接届いているようだった。その細い肩が小刻みに揺れて頽れた。


『レギウス……レギウス……ありがとう』


『それに……母さんが父さんに会いたいって、あの頃に戻りたいって、魔法石になるくらい強く願ってくれたから、俺は今、こうして母さんと話せるんだよ。凄く嬉しいよ』


『そんな風に言ってもらえて……嬉しい』


『それに、俺のことも、リリアのこともずっと守ってくれた。いつも俺の願いを叶えてくれたよね。本当にありがとう』 


 リリアも共に頭を下げる。


『私からも、心からのお礼を申しあげます。命を救ってくれてありがとうございました』


 積年の想いを吐き出せたアムネリアは、二人の言葉にようやく肩の荷を下ろしたようだった。

 

『実は、リリアさんが初めての鑑定で危険な目に合ってから、レギウスはあなたの身をとても心配していたの。あなたを守って欲しいって、必死で私に願ってくれて。それで私嬉しくなって、全力で守ろうって思っていたのよ。でも、それがちょっと違う形で発揮しちゃったみたいで……』

 

 そう言ってバツの悪そうな顔をしたアムネリア。


『私がエリウス様にお会いしたのって、実は二十一歳の時だったの。私にとってあの日々は今も宝石みたいにキラキラしていて、いつも帰りたい帰りたいって思っていたから……そのせいで、あなたを二十一歳に閉じ込めてしまっていたのね』


『そのおかげで私は若さを手に入れられたし、命拾いできました。感謝しています。でも……もうそろそろ、いいかなって』


 そう言って、リリアはチロリと舌を見せた。


『私、レギウスと一緒に歳を取っていきたいんです。一緒に歩みたい』


『わかるわ、その気持ち。本当はそれが一番いいわよね。ただ、ちょっと困ったわ。私のエリウス様に会いたい気持ちが強すぎて、もう自分では制御できなくなってしまっているの。さて、どうしたものかしら』


 可愛らしい言い方に、ついついリリアも頬が緩んでしまう。

 

『そうなんですよね。不老不死を叶えてくれる魔法石。こんなに強大な魔力を持った石は危険です。魔法石鑑定士の立場としては、浄化せざるを得ません』


『そうよね。あなたたちと離れたく無いけれど、仕方ないことよね』


『レギウスも私もアムネリアさんと離れたくないです。だから……こんな方法はどうでしょうか』


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