Case 11 碧色の石 アズライルム
第29話 波乱のパーティ会場
集中力を高め、探求心を育む。
戦略的に物事を進める立場にある人にとって、身近に置きたい魔法石だ。
例えば、大臣とか、将軍とか、様々な事象に対して知的好奇心を捧げる者とか。
とは言え、いつの時代も注目の的となる立場は、栄誉と失墜、尊敬と蔑みが表裏一体でもある。
よく統べれば多くの人々に慕われ称えられるが、一度信頼を損なえば―――人々の鬱憤の矛先を集めることにもなりかねない。
そう言う意味でアズライルムの持ち主は、必然的に波乱万丈な生涯を送ることが多い。
そんな碧色のアズライルムがヴァンドール王国で事件を引き起こしたのは、雪の季節の少し前。各国のご令嬢を招いてのパーティー会場でのこと。
乱闘騒ぎがあったわけではない。ただ、ウォルシェ国から来ていた御令嬢三人が、突如ダンスの途中に倒れて騒然となったのだ。
彼女たちを助け起こそうと触れた者も次々と倒れてしまい、最初は毒でも盛られたかと大騒ぎになったのだが、彼女たちの耳元から転がり落ちたイヤリングを拾い上げた者も同じように倒れたことから、これは魔法石の仕業と推測されたのだった。
その上、三令嬢とも示し合わせた様にアズライルムのイヤリングを身につけていたことで、策謀の色も濃くなった。
不幸中の幸いだったのは、被害を受けた者達が苦しんでいる様子は無く、ただ滾々と眠り続けているだけだと言うこと。
そして、アルフォード王家の人々が誰も巻き込まれなかったことだった。
この度のパーティーは、互いの親交を深めるためにと言うのは建前で、実際にはユリウス皇太子の花嫁探しが目的だった。本来ならご令嬢方と順番にダンスをしていたであろうユリウスが難を逃れたのは、逃げまどって拒否していたから。
妹君の社交デビューの場でもあったので、これ幸いと妹のティアナと踊りまくって誤魔化していたのだ。
そんな騒動の顛末は頑なに秘されて、王都アズールの街中には簡単に聞こえてこない。
いつものように呑気に店番をしていたリリアとレギウスの元に、エールリック総隊長がやって来たのは次の日のこと。
緊急事態であり、今回は魔法石を運び出すことが難しいので、是非とも宮廷まで来て欲しいと言って迎えに来たのだった。
慎重なレギウスは最後まで反対していたが、放っておけないリリアは直ぐに情にほだされる。結局引っ張り出されてしまった。
案内されたのは、宮廷内に設けられた魔法石鑑定室。何重にも防御の魔法がかけられていて、外にその魔力が漏れないように厳重に管理された異質な部屋だった。
入ろうとした時点で、まるで時空の歪みに足を踏み入れるような不安定さを感じて、一瞬リリアの足が竦む。
「リリア、やっぱり止めよう。今からでも帰ろう」
レギウスがリリアの手を掴み引き戻す。
「でも、今困っている人がいるのよね。だったら放っておけないわ」
室内では彼女たちの耳からイヤリングを取り外した宮廷魔法石鑑定士長、セレストと、その弟子のアレスが既に鑑定中だったが、二人ともその瞳が虚ろに開かれたまま動かない。
白髪に深い皺を刻んた顔。虚ろで無ければ、おそらく眼光の鋭い歴戦錬磨の鑑定士、セレスト。真面目で穏やかな印象の弟子、アレス。
それぞれ一対のアズライルムのイヤリングに手を翳したまま、もう丸一日このままの姿勢でいるらしい。
恐らく、同じアズライルムから分割されたと思われる三組のイヤリングは、ベテラン鑑定士二人がかりでも浄化できないほど危険な魔法石と言うことだ。
「またウォルシェ国だ。やっぱりあの国は何か企んでいるんだろうな。そこにあの時の強悪な魔法石鑑定士が手を貸しているに違い無いよ」
忌々し気にギリリと歯を鳴らしたレギウス。
「そうね。今度はどんな罠を仕掛けているのかしら。気を付けないといけないわね」
「リリア、俺は今回の鑑定を引き受けるのは今も反対だ。でも、放っておけないんだろう。だったら全力でサポートするよ。ただ、危険と思ったら迷わず糸を引く。その時は、絶対に直ぐに帰ってきてくれ。いつものように無視するなよ。それを約束してくれないうちは俺は送り出せない」
「もう、わかったわ。レギウス。約束する」
切なげな表情で頷くレギウス。その手に手を添えて頷くリリア。
互いに左小指に赤い糸を巻く。もう一度顔を見合わせてから、リリアは静かに三つ目のアズライルムに手を翳した。
その途端、ぐにゃりと視界が歪んだ。
強烈な渦の中に放り込まれて、ぐるぐると旋回しながら落ちていく。
思わず手を上へと伸ばしたが掴まるところもない空間の中ではどうにもならない。木の葉のようにもみくちゃにされ続けた。
目が回り気分が悪くなってくる。それだけで体力も気力も奪われていく。
その時、いつもの優しいレギウスの声が響いてきた。
『リリア、深呼吸して。ゆっくりと息を吸って、吐いて』
『……』
『苦しいよね。難しいよね。でも、俺のことだけ感じて。他は気にしなくていい』
『……レ、ギウ、ス』
『そう、大丈夫だよ』
小指に流れ来る温かな心に、リリアの心が凪いでゆく。すると不思議なことに、あれほど荒れ狂っていた風が、リリアのまわりだけ消えていった。
遠巻きに回る風。
これは一体?
やっぱり私、レギウスに守られているんだわ。
ようやく人心地ついて、改めて周りの渦に目をやることができた。
記憶は? 石の主の記憶はどこ?
良く目を凝らせば、その渦の中を小さな欠片が飛び回っているようだった。
その一つ一つは親指と変わらないくらいの小ささなのに、数が異常だった。そして、今この瞬間もどんどん増えていく。渦の大きさは膨らみ続けて、色がどす黒く染まっていった。
これは!
たくさんの悪意、絶望を引き寄せている石!
一人の石の主の記憶では無くて、大勢の負の記憶を呼び寄せている石。
リリアは驚愕しつつも納得する。
これに似た石を、リリアは既に知っていた。ユリウス皇太子が腕試しに持ってきた石、見る角度によって色が変わる魔法石、エストレラも同じようにたくさんの人々の思念を集めている魔法石だった。
だが、あちらは人々の平和への願いを呼び寄せていた。願いの強さは同じだが、その夢見る先は人を傷つけない世界だ。
こちらはそれと対極にある魔法石。
人々の絶望が辿りつく先は、世界の破壊、破滅、狂気。
この世に存在していてはいけない魔法石だった。
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