機械と魔法の設計図

白雪ひめ

第1話

プロローグ


 昆虫のような四本脚の機械(マシン)の群れが、激しい土煙を巻き起こしながら、大地を闊歩していた。オレンジ色の海が、蜃気楼のように赤銅色のゆらめきを見せる。

 白く雪の降り積もる大地を、機械の無機質な脚が蹂躙した。瓦屋根の民家を踏みつけ、蹴飛ばし、赤子が積み木を壊すような単純さで、町を破壊していく。

 その時、フラッシュを焚いたように空が光った。

 凄まじい熱風を受けて、俺は吹き飛ばされた。


 シーンが切り替わる。

 地獄のような朱殷の空。

「しっかり!!」

 誰かに声を掛けられるが、俺は何も応えられない。

 喉がひりつく。身体を動かそうとすると、激痛が走る。全身が引き絞られるような、引き攣れた鈍痛。

 浅く呼吸を繰り返していると、口の中に何かが垂れてきた。

 鉄の味。よく知った味だ。

「飲んで」

 言われるままに嚥下すると、意識がクリアになっていく。

 痛みや身体の痒みも和らいでいった。

 視力も僅かに回復し、俺は自身に血を飲ませた人間を見上げる。

 緩やかに結われた銀色の髪が肩から溢れている。

 小さく膨らんだ双丘。女性か。

 顔は‥幼い。

 視線を上げて、俺は目を疑った。


 羊のように渦を巻いた角‥‥角?



  1 夢



 ガタンゴトン、と揺れる汽車の中で、俺はドアに寄り掛かり、うつらうつらとしていた。車内は迷彩柄のツナギを着た男達が所狭しと座り込むタコ部屋状態で、戦時下である事を痛感する。


 世界は3つの国で出来ていた。

 機械(マシン)の国、魔法の国、中立の国。

 機械(マシン)の国は機械(マシン)を開発して国を発展させた。

 魔法の国は、魔法を柱として国を作り、その技術を継承してきた。

 残る1つは機械も魔法も共存が許される中立国だ。


 その内、俺は《機械の国》の《機械技師(マシンメイル)》として徴兵され、最前線の、北端の大地へと向かっていた。

 

 機械の国は広い。中心部は電気が通る不自由ない都心だが、最北端の田舎は住人が少なく、電線も引かれていないので、電気は使えない。徴兵前に、ガスを中心とした生活を教えられた。

 窓の外は鬱蒼とした森が広がっている。

 車体が枝や葉にぶつかってカツカツと音を立てていた。

 ふいに、男達の声が聞こえてきた。

 陸軍の一兵卒だ。

「向こうに着いたら本当に配給があるんだろうな。もう飲まず食わずで丸一日経ったぜ」

「酷いもんだな」

 男達はわざと俺に聞こえるように言う。

「いいよなぁ、技師(メイル)様は。特別に配給多く貰ってるしよ」

「人間の価値は違うって事だ。差別だ」

「そもそも、機械技師(メイル)が仕事しないから、俺たちが駆り出されたんだろ」

「ズルいよなぁ」

 一日飲まず食わずなら、イラつくのも仕方ないだろう。

 俺はリュックから缶詰の硬パンを二個取り出して蓋を開けた。二つ摘んで食い、立ち上がって彼らの方へ硬パンを差し出した。

「分けて食えよ」

 男達はざわついた。

「‥‥いいのか?」

 俺は肩を竦めて応える。

 男が床を叩いて言う。

「こっち来いよ」

 俺は座った。

 飯は何とかなるが、水は摂らなきゃ死に至る。男たちが丸一日水を飲んでいないのは、少し心配だった。

 俺はリュックを開き、迷ったが、ペットボトルの水を三本取り出して男達に放った。

「マジかよ」

 男達はみんなで回し飲みをして、呻くように言った。

「早く帰りてぇ」

「しばらくは無理だろう」

「そもそも、どうして俺達が行かなきゃならねぇんだよ。機械が戦うんじゃないのか?戦争のための機械だろ」

「機械は寒さに弱いんだ。点検は勿論、ほかの事にも人手が必要だ」

 男は黙った後、言った。

「でも、魔法より、機械(マシン)が勝っているっていうのは、明白な事実だ。戦争は勝てるに決まってる」

 俺は首肯出来なかった。

 夢を思い出す。

 あれは確かに北陸の地だった。

 海を背に四本脚の|機械(マシン)が押し寄せる。

 さらにその後、爆撃される。

 俺は怪我をし、指一本動かすのも苦痛な程の大怪我を負う。

 俺は言った。

「機械に侵略される夢を見た」

 男達は鼻で笑う。

「魔法の国は機械(マシン)を受け入れない国だ。機械を使って攻めてくるなんて、おかしな話だな」

「ああ。しかも、四脚歩行だ。四脚歩行ロボットの全方向移動アルゴリズムなんてものは、開発されていない。二足歩行だってままならないのに」

 真剣に話す俺を見て、冗談ではないと思った男が心配そうに言った。

「ただの夢だろ?俺もさっき夢見たぜ、悪夢」

「‥子供の頃、事故に遭う夢を見た事がある。そしたら翌日、事故に遭った。夢で見たのと同じ交差点だった。もしもあの日、夢で見た道を通らなかったら事故に遭わなかったのかもしれない、今でもそう思う時があるんだ」

 俺は夢の記憶を辿る。

 誰かが助けてくれた。

 あの子は誰なのだろう。

 たしか、羊の角が生えていた。

 人じゃない。やはり夢なのか。

 男は言った。

「疲れてんだよ」

「そうだな」

 俺は小さく息を吐くと、目を閉じて、床に転がって眠った。

 

 駅に着いたのは明け方だった。

 息を吐くと、湯気のように真っ白な呼気が漂う。

 潮の香りがした。

 機械の国の《北部》は湾岸にあり、魔法の国と隣接している。

 肺を刺すような冷たい空気だった。辺りは白く雪が積もっていて、民家の屋根に積もった雪を、老人が梯子を使い、雪かきシャベルで落としていた。

 遠くに山々の稜線が見え、朝陽が顔を出している。雪景色に照り返す黄金の輝きが、目を開けていられない程に眩しい。

 中佐が勇ましい声を上げる。

「全員、駐屯地まで隊列を組み前進せよ」

 二列に並び、雪の積もったアスファルトの道を進行する。

 左右には民家があり、機械の国の歯車を象徴とした国旗が玄関口に立てられていた。

 少し歩くと、駐屯地がある。後ろは山になっていた。駐屯地は、コンクリートの無機質な門構えで、周囲が鉄柵で大きく囲まれている。奥に細長い平たい建物がある。屋根はドーム型になっていて、兵舎だと思われた。整備場はその隣にあり、兵舎の向こう側に、広い滑走路がある。

 戦闘機や戦車、砲撃が設置されていた。

 兵舎へ行き、荷物を下ろした後、各々仕事に取り掛かった。陸軍兵の主な仕事が開墾作業と聞いて驚く。金属と油、火薬は貴重なので、機械は使えず人力なのだという。さらに北部に回される資金は少なく、食料は自足自給らしい。

 予想以上に酷い有様で、皆嘆いていた。

 機械技師の仕事は開墾作業ではなく、機械のメンテナンスや修理などで、ひとまず俺は工廠(こうしょう)に向かった。


 機械技師(マシンメイル)という職業は、全ての機械の開発から修繕、整備まで幅広く行う国家資格だ。

 機械技師(マシンメイル)になれる者はほんの一握りで、一万人に一人とも言われていた。


 俺が工具箱を持って到着すると、駐屯地の中佐と作業員が出迎えてくれた。敬礼を返す。

 陸軍では隊長の最上級の階級が中佐になる。

 中佐は俺を見て言う。

「まだ若いな」

「腕には自信があります。よろしくお願いします」

「お手並み拝見だ」

 整備場は広く、戦闘機や戦車をそのまま入れて作業をしていた。作業員と話をしながら歩く。

 置いてあったエンジンを見て、俺は驚いた。

「ディーゼルエンジンじゃないんですか」

 作業員は首を振る。

「あれは音がうるさくて、大きくて重いです。とてもじゃないけど実用化出来ません」

 俺は頭の中で図を広げた。

「既存の機体を改造しましょう。ガソリンよりも燃費効率は良いですし、引火もしにくいです。長期的な目で見れば、ディーゼルの方がメリットが多いです」

 作業員と話をしていた時、けたたましいサイレンが鳴り響いた。

 数人が整備場へ走って来た。

 叫ぶ様に大声で言う。

「早く逃げろ!」

 俺は問う。

「何があった」

「海の方から機械がやって来た。知らない形だ、お前の‥‥お前の言った通り、四本脚の、機械だった」

 俺は息を呑む。

 やはり正夢か。

「哨戒機は?」

「応答が無い。撃ち落とされた可能性が高い。四本脚の機械は、レーダーのようなものを放射して、辺り一面焼け野原になってる」

「レーダー?」

 多くの人間が集まってくる。切迫した言葉が飛び交った。

「どういう事だ?」「魔法の国は機械を使わないんじゃないのか?」「魔法の国は、機械を開発していたのか?」「裏切りか?」

 俺は夢で見た機械を思い出す。

 民家を踏み潰せるほどの巨体。

「四本脚の兵器、レーザーも機械の国では軍事開発されていない。例えば火炎放射なら、加圧した油を噴射し着火しているのかもしれないが、それには燃料タンクの小型化、放射エネルギーの効率化が課題で、有効射程の限界が約18メートル…」

「そんな事は良い!早く逃げるぞ!」

 仲間に腕を掴まれ、走り出す。

「防空壕はこっちだ!」

 俺は後ろ髪を引かれる思いで整備場を振り返った。

 攻撃の要であるここが襲撃される可能性は高いだろう。

 俺達は田んぼのあぜ道を走り、山の方へ逃げる。

 山の稜線が黄色く光っている。

 澄んだ青空、白い地面。まばらに立つ電線。走りながら横を向くと、半円の機械のボディが海岸線からゾロゾロと迫って来るのが見えた。

 おかしい。

 俺は冷静に言った。

「この状況、変だ」

「そんな事言ってる場合か!どの道あそこにいたらレーザーで焼き殺されるんだ。逃げるのが先だ!」

「哨戒機はどうして敵機を発見できなかった?」

「撃ち落とされたんだろ」

「見つけられなかった、隠れていたんじゃ無いか?」

 俺は夢を思い出した。

 最終的に爆弾は‥‥そうだ、《山》に落ちてる。

 防空壕は山の斜面を掘った洞窟で、爆弾の真下だ。

 追い詰められている?

 俺は足を止めた。

「あの機械(マシン)には、水掻きのファンも付いていない。水陸両用じゃない。戦艦も発見出来なかった。海からじゃない、陸に潜伏していたはずだ」

 数人が俺を心配して立ち止まる。

「隠れる場所なんかねぇだろ。早く!死にてぇのか!」

 そう。隠れる場所はなく、更にあれだけの燃料を確保するのは難しい。

 俺はハッとした。

「機械は本物でない可能性が高い。相手が魔法を使えるなら、例えば、幻覚とかで見せているのかもしれない。逆に機械に近づかないとダメだ」

 民家から住人が逃げ出している。やけに周囲の音が大きく聞こえた。

 俺は仲間たちに言った。

「山の真上に爆弾が落ちる!行っちゃダメだ」

 みんな顔を歪めて、走り出す。

 どう説得すれば良いものか、分からなかった。根拠は自分自身の夢に過ぎない。

「待ってくれ、冷静に…」

 兵士達がどんどんやって来て、俺は突き飛ばされて、田んぼに落ちた。

 みんな追い立てられて、防空壕に向かっている。

 これを一人で逆の方向へ、侵略してきた機械の方へ誘導するのは無理だ。

「クソッ」

 俺は走り出した。

 山は後方にある。

 俺は振り返り、夢と現実を照らし合わせる。

 夢だともっと山が小さく見えた。もっと山から離れないといけない。

 とにかく走った。

 田んぼの畦道を走り、民家の路地を駆け抜ける。

 ブロック塀の四角を曲がった時、世界が光った。

 次の瞬間、雷が落ちたような轟音と地響きがして、身体が熱くなる。

 俺は意識を失った。



 すすけた壁。

 異様な形状だ。まるで燃えた紙のように、崩れて溶けている。

 自身の身体は動かない。

 指一本、動かせない。

 喉が痛い。

 全身がむず痒い。

 そうだ、みんなはどうなった?

 俺はパニックになる頭を落ち着けようと、自身の記憶を振り返った。

 山から離れて、その途中、雷が落ちたような光が瞬いて意識を失った。おそらく、その後爆風で吹き飛ばされて、たまたま石垣の裏に転がった。

 致命傷は避けられた、と思いたい。

 再び意識が遠のきかける。

 遠くで叫ぶような声が聞こえた。

「もうじき死ぬ、放っておけ」

「でも!」

 暗転。


 再び意識が浮上した。

 俺は、海中を漂っていた。

 ちらちらと、透明な水色が揺らぐ。

 銀色の鱗の魚が目の前を泳ぐ。

「しっかり」

 誰かの声がして、俺は現実に引き戻される。

 四角いハチミツ色のガラスの耳飾りがゆらゆらと揺れていた。

 瞳は透き通った水色をしている。

 凛としていて綺麗な顔立ちをしている。でもまだ幼さが抜けていない。

 少女だ。

 少女は澄んだ瞳で俺をじっと覗き込み、身体を離した。

 夢で見た、あの銀髪の人間だった。

 少女はおもむろに、手のひらをナイフで切り付けた。

 手の平から、血が流れる。

 俺は目を疑った。

 その血は白い。白く輝いている。

「飲んで」

 喉に激痛が走った。味など分からない。

 食道を通り、胃に流れていく。

 少女は血が止まると、何度も手に傷をつけて俺に血を飲ませた。

 急速に、身体が軽くなる。

 ぼやけていた思考もクリアになり、喉の痛みも良くなった。余裕が出てきた俺は、少女が何者なのか気になり始めた。

 長い銀髪は一つに結われていて、肩から流れるように溢れるそれは、赤い空を反射して赤銅色の神秘的な輝きを纏っていた。

 ハッハッハ、と荒い呼気が聞こえてきて、少女の隣に、三つ目の獣が割り込んで来た。

 目が合うと、俺の顔をペロリと舐める。

 少女は慌てて狼のマズルを両手で抑えて口を閉じさせた。

「ダメ、これはご飯じゃないわ」

 グルル、と妖怪みたいな三つ目の狼が不服そうに唸る。

 俺が身体を起こそうとすると、少女は俺の肩を押さえ付けて言った。

「じっとして」

「なか、ま‥が」

「移動するから、暴れないで」

 少女は身体を捻り、横に倒すようにして、器用に俺を背負うと、三つ目の狼に跨った。

 皮のベルトで更に俺の身体と自身の身体を結びつける。

 ゆらゆらと揺れが始まる。想像以上に揺れは少なく、現実感がない。俺はいつの間にか眠ってしまった。


 

 パチパチ、と火の爆ぜる音で目を覚ました。

 目に飛び込んできたのは、木組みの見知らぬ天井。傘の内側みたいな梁をしている。その上には白い布がピンと張っている。

 おとぎ話に出てくる、遊牧民族の住居みたいだ。

 起き上がろうとして、鈍痛に呻いた。恐る恐る身体を見ると、全身を不思議な細長い葉っぱで、ぐるぐる巻きにされていた。まるで包帯みたいだ。

 包帯。

 そうだ、俺は戦争で怪我をした。

 全ての記憶が蘇る。

 あの銀髪の少女に看病をされたのか。

 俺は横たわったまま、少し首を傾げて周囲を見た。

 床には色鮮やかな絨毯が敷かれていて、中心に囲炉裏がある。銀髪の少女が鍋を煮ていた。

 赤いケープを羽織っている。小麦色のスカート。

 民族衣装っぽい。

 とても小柄だ。

 カコカコ、フツフツ、と鍋は音を立て、そこから湯気が立ち昇っている。

 香ばしい良い香りに、俺の意識は完全に覚醒した。

「飯」

 思わず俺が呟くと、少女が振り返った。

 俺は目を瞬いた。

 少女の頭には、くるりと巻いた角が生えている。

 羊の角みたいだ。

 少女も俺を見て驚いた顔をした後、俺に駆け寄って来た。俺の目線に合わせ、少女は膝を着くと、両手の平に顎を乗せて、俺の顔をじっと見た。

「‥‥」

 沈黙が落ちる。

 少女はコクリと首を傾げて言った。

「お腹、すきました?」

「え、あぁ」

「ちょっと待ってて下さいね」

 少女はトトト、と小走りで囲炉裏に向かい、木の椀に鍋の中身を注ぐと、俺のところに持って来た。

 桃色の花が表面に散っていて、色々な豆と葉物の野菜がぎっしり入っている。湯の表面が見えないほどだ。

「100草花湯(ひゃくそうかゆ)です。私たち一族の料理で、栄養があります。どうぞ、食べて下さい」

 看病され、食事を出され、あまりの都合の良さに、俺は毒でも入っているのではないか、と思ってしまう。

 そんな考えを見透かしたように、少女は言った。

「私の仕事はあなたを助けることなのです。だから、見返りを求めている訳でも、善意からの行動でもありません」

「‥仕事?」

「はい」

 少女が木のスプーンで掬って、俺の口に持ってくる。

 コンソメスープのような香ばしい匂いがする。

 少女は言った。

「あーん」

 我慢できずに、俺は差し出されたスプーンに食い付く。

 サクサクした食感で、ほんのり甘い。舌で溶けて、食べやすい。豆もナッツみたいだ。

 俺が未知の食事に夢中になっていると、少女は美味しいですか?とたずねてくる。

 俺は小さく首を振って頷いた。

「ありがとう」

 礼を言うと、少女は嬉しそうに小さくえくぼを作って笑った。

「良かったです」

 幼い。まだ10代前半くらいに見える。

 数年経てば驚く程の美人になりそうだ。

「助けてくれてありがとう。君は誰?」

 少女は水色の澄んだ瞳で俺を見つめて言う。

「私は神の眷属(けんぞく)、精霊です」

「‥‥え?」

 俺は再度、少女の頭には生えた、くるんと巻いた羊の角を見る。

「それ、本物の角?」

 少女は自身の胸に手を置いて言う。

「はい。私達の一族は、神の代わりに、この世の安寧(あんねい)を守る使命があるのです」

 少女は俯いて、しょげたように言う。

「あなたは初め、私達の仲間に見捨てられました。まだ命の輝きがあったのに、傷が深くて面倒だから捨てられてしまったのです。恥ずべき行為です」

 精霊なんて俄には信じ難いが、深く考える余裕は無かった。

 そんな事よりも、もっと重要な事がある。

「そんな俺を、君は助けてくれたのか。ありがとう」

 少女は首を振る。

 俺は祈るような気持ちでたずねた。

「俺以外の生存者は何処の病院にいる?みんなこうやって運ばれたのか?」

「生存者はいません」

 俺は耳を疑った。

「何人って言った?」

「あなただけです」

 俺は言葉を失った。

「本当なのか」

「あの爆弾は恐ろしいものです。山の上に落ちた爆弾は山はもちろん、全てを一瞬で焼き焦がしました。爆心地の近くにいた生物は、全部干上がって消えるように死んで、私達が向かった時は、爆心地は血や骨もない、すすけた黒い土の荒野になっていました」

 少女は痛みを堪えるように目を閉じた。

 絶望が胸に広がる。

 短い間だったが、共に過ごした仲間たちだ。これから一緒に機械を改良していく予定だったのに。車内で仲良くなった男たちも、皆死んでしまったというのか。

 少女は傷の無い手の平を見せて言った。

「私は精霊で、特別に神から力を分け与えられています。私の血を使えば、傷は治りやすくなります」

 俺は口内に垂らされた白い血を思い出した。

 横になったまま、出来るだけ頭を下げて言った。

「本当にありがとう。感謝してもしきれない」

「それが私の仕事、使命なので、あなたが気にする必要はありません」

 俺は再度、ありがとうと言ってから、たずねた。

「ここはどこなんだ?」

「機械(マシン)の国の山中です。爆心地からはさほど離れてはいません」

「逃げた方が良いぞ。ここは戦いの最前線となるかもしれない」

「私達の種族は、テントを使って移動しながら生活します。大人数で場所を確保するのも至難の業ですから、簡単には移動できません。オシシ‥族長の占いで、安全だという判断が下されたので、ここに居ます」

「そうなんだ」

 占いなんてものが実際に効果があるのか分からないが、目の前に羊の角が生えた精霊がいるのだから、有り得ないという事は無いのか。

 出来るだけ情報を集めたい。

 そして俺は軍にそれを伝え、これ以上の被害を食い止める必要がある。中央部にあの爆弾を落とされたらお終いだ。

 俺が起きあがろうとすると、肩を押さえられた。

「あなたはまだ安静にする必要があります」

「でも」

「あなたは全身に深い火傷を負っています。今もキチキチ草の毒を一定間隔で飲ませているから大丈夫なだけで、本来なら悶絶するほどの痛みが身体を襲っているはずです。効果が切れる前にまた眠った方が良いです。焦りは禁物ですよ」

 十歳近く歳下の子供に言われて、俺は少し冷静さを取り戻した。

「‥‥そうだな」

 この子にも感謝をしなければならない。

 自分の怪我を治すことが一番の近道か。

 俺は不安に胸を痛めながら、目を閉じる。   

 俺の家族は父だけだが、心配をかけているだろうし、何より俺は生まれ育った大切な故郷を守らなければならない。

 少女は、俺の手にそっと触れて言った。

「今は治すことに専念して下さい」

 少女の海のように澄んだ瞳を見ると、気持ちが少し落ち着いた。

「ああ‥‥本当にありがとう。君の名前は?」

「トトです。あなたの名前は?」

「ジン」

「ジン、おやすみなさい」

 優しく頭を撫でられて、俺は気付けば再び眠りについていた。



 次に目が覚めたのは、小鳥の囀る早朝だった。

 テントの出入り口には、長い麻布が垂れ下がっていて、隙間から朝陽が差し込んでくる。床に敷かれた絨毯の、正方形が重なったような模様が美しくて眺めていると、誰かが入って来た。

 トトだ。

 朝陽を背に、俺を見つけて微笑む。

 今日は絹のような美しい銀髪を左耳の下で、緩やかに三つ編みに結って肩に垂らしていた。

 髪型自体は大人っぽいが、あどけない子供の顔が追いついてなくて、背伸びをした町娘みたいに見えた。

 刺繍の入った白い上衣に、小麦色のスカート、赤いケープを羽織っている。端と端を胸の前に合わせて、四角いバッジで留めていた。

 トトは小走りで駆け寄って来ると、しゃがんで俺を覗き込んだ。

「おはようございます。気分はどうですか?」

「すごく良いよ。ありがとう」

「良かった。傷を確認するので、じっとしていて下さい」

 トトが俺の元にしゃがみ込み、身体に巻かれた葉を取り除いていく。

 腹の部分を捲った。

 肌はまだ浅黒くなっているが、化膿していない。完治とまではいかないが、皮膚が皮膚としての機能を果たしていた。

 俺はトトを見て感謝を込めて言った。

「色々ありがとう」

 トトもほっとしたふうに笑う。

「ご飯を取ってきます。これなら沢山食べられそうですね」

 朝ご飯を食べた後、トトが食器を片付けにきてくれた。

 軽く言葉を交わした後、トトは険しい表情で言った。

「ジンに、説明しなければならない事があります」

「何?」

 トトは姿勢を正して、俺に向き合った。

「まず、あの爆弾についてです。あれは《魂汚穢(タマオアイ)》と呼ばれる爆弾で、世界中で使われています」

 耳慣れない単語だ。

「初めて聞いた」

「魔法の爆弾です」

「魔法の爆弾?」

 トトは更に続けた。

「タマオアイは、魂を汚染します。タマオアイの爆撃を受けた人間は、《呪い》を受けてしまいます」

「呪い?」

「はい。日に日に自我を失い、魂が死んでしまう。魂が死ぬというのはつまり、容器である肉体も死んでしまうという事です」

 俺は息を呑んだ。

「俺は爆弾を受けているよな?呪いを受けてるのか?どうして大丈夫なんだ?」

「私の血を飲んでいるから、大丈夫です」

「タマオアイの呪いは、治るのか?」

 トトは視線を逸らして言う。

「ジンが私の血を飲んでいる限りは呪いの進行を防ぐことは‥おそらく出来ます」

「俺はトトの血がなきゃ生きていけないってことか?」

「はい」

「このままじゃ、永久に?」

 信じがたい話だ。

 トトは顔を上げて言う。

「でも、タマオアイの呪いは、魔法です。どんな魔法も《かける事が出来る限り、解く事ができます》なので、呪いを解く方法はあるはずです」

 呪いというのは、流石に現実味がなかった。

 加えて、俺は魔法について一切の知識がない。

 身体は痛くないのに、死んでしまうというのか。

「俺は今後、どうしたら良いんだ」

「とりあえず、私と一緒に行動するしかないと思います」

「俺は中央部へ帰って、みんなを守らなければならない。だから‥」

 トトの声が遮る。

「あれに、一人でどう立ち向かうつもりですか?」

 問われて答えられなかった。その通りだ。

 タマオアイの呪いもそうだが、その爆弾を防ぐ方法について調べる必要がある。それが町を守る事に繋がるか。

「タマオアイの、魔法の爆弾ってやつの対策は無いのか?各地で落とされているんだろう?」

「すみません、私は対処法は聞いたことがないです。でも、もしかしたらオシシが知っているかもしれません」

「ああ、昨日言っていた、族長か」

「はい」

「話をしたい。頼めるか?」

「分かりました。聞いてきます」

「ありがとう」

 トトはすくりと立ち上がり、その時、不自然にふらついた。

「トト?」

 倒れる手前で俺は起き上がって抱き止めた。

 衝撃で皮膚が突っ張って激痛が走るが、それよりトトが心配だった。

 トトは気を失っていて、反応を返さない。

 生気を失ったような、青白い顔をしてぐったりしていた。

「おい!トト!!」

 俺はほかのテントに行ってトトの仲間を呼んだ。

 俺が寝床にトトを横たえると、老人がテントの中に入ってきた。羊の右角が根本から欠けていた。

 細かい皺を寄せた、老人然とした風貌をしている。

 この人がオシシか。

 灰色のローブから枯れ木のような腕を出し、俺の右腕を掴んで引き寄せた。

 想像以上に強い力だ。

 俺の顔を覗き込み、言う。

「まだ痛むか」

「はい」

 無理に動いたせいで皮膚が突っ張り、破れた。

 葉の間から所々出血している。

「横になれ」

 俺が寝床に横たわると、オシシは言った。

「トトは、自分の血を飲ませ過ぎたんじゃろう。罰だ」

「罰?」

「我々は神の眷属(けんぞく)であり、人智を超えた力があるが、血の奇跡を使い過ぎると、神から罰を受ける。私達はこの世の理を揺るがす事は許されていないのだ」

 オシシは俺を射抜くように見て言った。

「死ぬ運命だったお前が生きるには、それだけの代償が必要という事だ」

「死ぬ運命?」

「お前はあと数秒で死んでいた。それをトトが助けた。無理やり延命させている状況で、さらにお前を元気にさせようと、食べ物に血を混ぜて、飲ませていたのだろう」

 俺は息を詰めた。

「じゃあ、このままじゃ、トトは罰を受けてしまうんですか?」

 俺は白い顔をさらに白くして横たわるトトを見る。

 オシシは低く唸って、俺に言う。

「だから我々は、死ぬ運命のものは助けない掟を作っている。あくまでも我々は、生を促進し、死を見届ける存在に過ぎないのだ」

 その時、眠っていたと思っていた、トトがパチリと目を開けて、言い返した。

「そんなの‥そんなの勝手に作った掟よ!自分達が苦しい想いをするから都合よく作っただけでしょ!」

「何だと?」

「生を促進して死を見届ける?そんなの良い風に言ったに過ぎない!そんな高尚なものじゃない!」

 俺は起きあがろうとするトトを抑えた。

「トト」

 トトはジタバタして言う。

「オシシは何にも分かってない!!ジンはこんなに生きようとしてるのに!無視なんかできない!」

 オシシが低い声で言う。

「分かってないのはお前の方だ。冷静に考えなさい」

「どうしてみんな分かってくれないの!」

「お前のせいで皆んなに迷惑をかけているんだ。挙句の果てに自分の体調も管理できず、情けない」

 トトの頬に一筋涙が伝った。

 俺がハッとすると、トトは俺から顔を背けて、素早く袖で涙を拭う。トトは怒ったように言った。

「泣いてない。欠伸。眠いだけ」

 罪悪感に胸が締め付けられた。

 俺は何も考えずに神の奇跡を喜んでいた。

「トト、気付かなくてごめんな」

「私は平気です」

 トトは敬語に戻り、気丈に俺を見た。

「絶対にジンを守りますし、後悔もありません」

 オシシはトトに向き直り、厳しく言った。

「お前はこの人を助けた以上、責任を持って、延命のための血を飲ませ続けなさい。食べ物に混ぜるのではなく、直接飲んでもらいなさい。格好をつけず、ありのままで、彼の生と向き合う覚悟を決めるのだ」

 オシシは俺に言う。

「お前も今の生を当たり前と捉えず、生かされている事を忘れるな」

 オシシはそれだけ言うと立ち上がり、テントを去って行った。

 トトが命を懸けて看病してくれているとは、思いもしなかった。

 俺は酷く申し訳ない気持ちで言った。

「ごめんな、気付かなくて」

 トトは横になったまま首を振る。

「謝らないで下さい。私は一気に血を与え過ぎてしまっただけです。少しずつなら問題は無いのです」

「でも‥」

「本当です。ちょっと欲張っただけなんです‥早くジンの傷を治したかったんです」

 俺は反省した。

 混乱していたとはいえ、いい大人が言いたい事を後先考えず言ってしまうのは良くなかった。

 気を遣うのは子供の方だ。

 それは、俺が一番よく分かっていたはずなのに。

「そうだったんだ。俺が急かしてしまったな」

「いえ、私が力になりたかっただけです」

 トトは力強く言う。

「私は責任を持って、ジンを生かします。私はひ弱じゃありません。さっきのは、私の管理のミスですが、もう間違いません。少し血の量を減らすので、治るのは遅くなりますが、良いですか?」

「もちろん。治してくれてるだけで有難いよ。ありがとう」

 オシシの言う通り、生は当たり前じゃない。

 まだ実感は無いが、もしもトトに何かあって、血が供給出来なくなれば俺は簡単に死ぬのだろう。

 俺は安静にして過ごした。


 夕飯が終わると、トトが言った。

「今日はご飯に血を混ぜてはいません。なので、オシシに言われた通り、直接飲んでもらおうと思います」

「分かった」

 どうやって飲むのだろう、と思うと、トトはナイフを差し出してきた。受け取る。

 トトは言う。

「首筋からの血が一番濃いです。切り付けて飲んで下さい」

「え」

 トトはくるりと背中を向けると、パッと上衣を脱いでしまった。

 髪をかき上げて、首筋を晒す。

 俺はフリーズした。

 柔くて白いうなじから産毛が生えている。

 色々とマズイ。いくら歳が離れているとはいえ、トトは女の子だ。

「直接啜って下さい」

 トトの声は緊張で強張っている。

 俺も務めて冷静にたずねた。

「首以外の場所は無いのか」

「一番効能があるんです。心臓から送られた《新鮮な血》が通っているので、量も少なくて済みます」

「なるほど‥」

 俺もオシシに言われた通り、血を飲む事に向き合わなければならない、と覚悟を決めていたが、想像の範疇を遥かに超えていた。

「は、早くして下さい」

 トトが小声で言う。

 生きるために飲むんだ。

 これが俺の生き延びる命綱だ。

 俺は覚悟を決め、首筋に刃を当てると、流れてくる白い血を堰き止めるように口付けた。

 心の中で謝りながら、俺は絶対に呪いを解くと固く誓った。


 一週間ほどで、俺の全身火傷は完治した。

 改めて、神の血の力を感じた。

 俺は情報収集のために立ち上がり、ほかのテントに行ってタマオアイについて話を聞いた。

 すると、角が無い、普通の人間達が俺に話しかけてきた。

 一人の男は言った。

「あの爆発で、よく生き残ったな」

「ああ。君は、何処で怪我を負ったんだ?」

「俺はタマオアイの怪我じゃなくて、銃創だ。機械の国と交戦していて、銃弾をぶっ放し続けるヤバい機械に肩と足を撃ち抜かれた。交戦が終わって、動けなくなった所を、彼らに助けて貰ったんだ」

「そうか」

「辛かったな。ここには仲間がいるから、気軽に話してくれ。精霊たちは安全な場所を知ってる。これから魔法の国に戻るらしいから、故郷に帰るまで、よろしくな」

 男は俺を同胞だと思っているようだった。

 男は拳を握り、歯を食い締めて言う。

「あそこには、仲間の歩兵も居た。機械の国も許せねぇが、指揮系統を牛耳っている上の奴らが許せねぇ。兵士をチェスの駒としか思ってねぇ‥」

 仲間も巻き添えで爆弾を投下したのは、俄に信じられない話だった。

「知らされてなかったのか?」

「一部の人間だけだった。俺達のように、既に交戦していた兵士は伝書鳩で連絡があったが‥」

「伝書鳩?」

「機械の国に技術で劣っていたのは間違いない。さまざまな機械を見て、お前も考えが変わっただろ」

「‥そうだな」

 伝書鳩なんて、数世紀前の話だと思っていた。

 だとしたら、あの機械は、本当に魔法の国が作ったものなのか?

 俺はたずねる。

「四本足の機械、知ってるか?」

「知らない。俺もあんなの初めて見たよ。どうも軍の上層部は隠していることがあるみたいだな」

「‥だよな」

 今の状況なら、そう考えるのが妥当か。

 男は目頭を押さえる。

 負の気持ちが伝播しそうで、俺は彼等との話を切り上げた。

 後悔と悲哀と憎しみは判断を鈍らせる。

 俺は精霊の人たちにも話を聞いたが、呪いを治す方法も、爆弾の対処法も、誰も知らなかった。

 トトは他の仲間にとても嫌われていた。

 一族の中では、考えの違いというのは大きな物なのかもしれない。毎日血を与えなければならない厄介者を引き連れて来た事が相当嫌だったらしく、俺にも当たりがきつかった。

 どうしようかと寝床に戻ってきた時、誰かがやって来た。

 チャラチャラ、と上衣に垂れ下がる四角く加工された貝殻が重なって音を立てる。

 細い身体に、白い髭。

 取り巻きで数人がオシシの側(そば)に居た。

 オシシは、目尻に深い皺を寄せて、俺をじっと見た。

「お前の名は」

「ジンです」

 オシシは胡座を掻くと、正方形の紙を俺の前に広げた。

「お前は、魔法とは何かを知っているか?」

 魔法?

 急な話に戸惑ったが、俺は正直に首を振った。

「いいえ。まったく」

「今から言う事をよく聞きなさい。二度は説明せぬ」

「はい」

 俺は背筋を正して座り、オシシに向き合う。

「魔法は【δημιουργία】(ズィミウルギア)というものから生み出される。またの名を、設計図(せっけいず)と呼ぶ」

「設計図?機械のことじゃないんですか?」

「魔法の国の人間は、魔法の技術が機械の国に漏洩するのを

恐れ、禁止された。だが、一部の間では、その魔法の元となる設計図(ズィミウルギア)を売買して金稼ぎをしようとする人間もいた。彼等はズィミウルギアの隠語として、「設計図」という単語を用いてやり取りをしていたと言われている」

 オシシは俺をちらりと見て続ける。

「設計図(ズィミウルギア)とは、《一筆書きの図形》を意味する」

 オシシの側近が、筆と、黒い液体の入った瓶をオシシに手渡し、オシシは絨毯の上に置いた。

「それは何ですか?」

「動物から作った膠と、炭を混ぜ合わせたものだ。墨汁を知らないのか」

「あぁ、インクのことですか」

 炭でピンと来た。

 機械の国だと、工業用カーボンを用いている。膠でも良いという事は、油全般で利用できるのか。

 オシシは筆を瓶の中に浸け、黒く色を付けると、円の中に円を描き、二重丸の中に美しく三角形を描いた。

 オシシは片手でその図形に触れ、もう筆の先を絨毯に向ける。

 オシシが唱える。

「オン」

 筆の先から、パッと光が閃いた。

 飛び出した光が絨毯にぶつかる。

 絨毯が、意志を持ったかのように持ち上がる。

 重力に反して、絨毯がゆらゆらと波打ちながら、オシシの指先の動きに従って左右、上下に揺れた。

「オフ」

 オシシが唱えると、絨毯は力を失って重力通り地面にベラン、と落下した。

 同時に、魔法の描かれた設計図の線が消え、白紙に戻った。

 俺は目の前で起きた超次元的な現象に衝撃を受け、白紙に触れて感触を確かめた。

 オシシは言う。

「魔法には種類がある。これは【浮遊魔法】。そして、設計図(ズィミルギア)は、浮遊魔法を起動させる装置と考えれば良い。設計図は魔法ごとに違う。図形の分だけ魔法があり、まだ知られていない魔法も多く存在していると言われている」

 俺は話が見えて、言った。

「呪いを解く魔法の設計図があるかもしれない」

「そういう事だ」

 俺は深く頭を下げた。

「教えてくれて、ありがとうございます」

 オシシは言った。

「今からお前に、基礎的な魔法の設計図を教える。設計図をしっかりと書くことが出来れば、魔法は誰でも使う事ができる。身を守る術が必要だ」

「はい」

 オシシの側近が、俺に木の棒を差し出してきた。

「魔法は《細長く、先の尖ったものなら、何でも杖になる》それは木片の穴に炭を詰めたもので、先をナイフで削れば芯が出て紙に描く事が出来る」

 鉛筆か。黒鉛と粘土を使った硬い芯ではないので、使用感は単に炭で描いた感じだ。

「ありがとうございます」

 俺は練習し、オシシの教えで、《浮遊魔法》を習得した。

 二重丸の中に三角形を描く。

 図に触れたまま、オン、と唱えて浮遊させたい対象に杖を向けるだけなので、想像よりも簡単だ。

 集中して様々な物を浮遊させていく。

 俺の浮遊魔法を見て、オシシは短く言った。

「才があるな」

「そうですか?」

「図を描くのが《早くて正確》だ。設計図は正確で早いほど効果が増す。成功率も上がる‥‥素人とは思えぬな」

 オシシが俺を見る。

 俺は考えて言った。

「俺は機械技師なのですが、開発、改良に置いて設計図を描く事があります。発想の段階でザックリ描いて、メモする事もあるので、それで慣れているのかもしれません」

「それだけではない。集中力がある」

「それはよく言われます。ありがとうございます」

「気を付けなければならぬのは、設計図には有効である時間が限られている事。大体描いてから一分以内に使わねば、魔力は分散してしまう。更に魔法を起動してから、魔法の種類によって、それぞれ継続時間が存在する。突然切れる場合がある」

「分かりました。設計図は、紙に描くのが条件ですか?例えば《地面に描いたり》しても起動できますか?」

「理論上は可能だが、学校へ行き資格を得た魔法使いの成せる技だ。紙と同じように正確に、素早く地面を掘るには、また別の技術が要る」

「なるほど」

 最後に、オシシは腰に下げていた袋を取り外し、俺の前に持ってくる。

「2つ選びなさい」

 貝殻を二つ取り出して、オシシに渡す。

 オシシはそれを白紙の上に投げた。

 紙の上を軽く弾んで、落ちる。

 裏と表。

 オシシは自分の指の腹を切り、白い血を垂らすと、汚れた場所に、墨汁で描かれた白虎が現れた。

「南西へ向かいなさい。危険な道だが、最後に答えがあるだろう」

「その魔法は何ですか?」

 オシシは目に皺を刻み、ニヤリと笑って答える。

「なに、私たち精霊一族に伝わる、占いみたいなものだ」

 


 俺は自分にあてがわれたテントに戻った。

 トトはまだ眠っていた。

 貰ってきた甘い水を入れた水筒をトトの枕元に置くと、トトが目を開けた。

「ごめん、起こしたな」

「起きていました。目を閉じてただけです」

 俺もベッドに横たわり、声だけでトトにたずねた。

「オシシから話は聞いたか?」

「聞きました。明日の朝、モックルに乗って行きましょう」

「モックル?」

「ジンを最初に運んだ三つ目の狼の名前です」

「わかった」

 沈黙が落ちる。

 トトは言った。

「心配しないで下さい。私は野草も選別できるし、モックルは耳が良いから水の場所も分かります。私が責任を持って、ジンを元通りの身体に戻しますから、任せて下さい!」

「トト」

 トトが俺を見る。

「俺も探すから、一人で頑張らなくて良い。困ったら俺にも隠さずに相談して欲しい」

 トトは黙り込む。

「頼りにして欲しいんだ。それに俺は機械技師(マシンメイル)だから、何か物を作ったり、修理したり出来る。人との交渉道具にもなるかもしれないよ」

 トトがガバリと身体を起こした。

「え!機械技師って、機械の国にある、車とか電車とか飛行機とか作れる人?」

「まぁ、うん」

 実際は鉄板を曲げるプレス機や材料が必要だが、トトは闇の中でも分かる程、目をキラキラさせていた。水を差すのは躊躇われる。

「すごい!!ねぇ、車作って!」

「ここでは難しいかもな。機械の国にある中央工場に行けば作れるけど」

「へぇー!じゃあ、呪いが治ったら連れてって!」

 すっかり敬語を忘れている。

 俺は微笑ましく思いながら、トトと小さな約束を交わした。




  2    αριστερά アリステラ 【左】




 早朝、まだ陽が昇らない内にテントを出た。

 みんなはまだ寝ている。

 トトは頭に赤いターバンを巻いていて、髪も後ろで縛っていた。

「私が精霊なのは秘密にして下さい。スイズのおとぎ話には精霊のお話があって、願い事を叶えてくれる話があります。神様の血を悪用する人もいますから」

「分かった」

 たしかに、これだけの治癒力があれば血を発する人間もいるだろう。

 トトはひょいとジャンプして三目狼に乗り、振り返って俺を呼ぶ。

「乗ってください」

 三目狼のモックルは普段は三つ目の目は開いていないようだった。普通の大きな狼に見える。

 俺はモックルの背中に乗りあがった。

 体温が高いせいか、触れている足を伝い、上半身までポカポカと温まってくる。

「あったかいな」

「三目狼は地霊の加護を受けています。なので換毛をせずとも、冬でも寒くないんですよ」

「へぇ、すごいな」

 見た目よりもふわふわしていて、乗り心地は最高だ。

 俺は水筒や、肩がけの革で出来た丈夫な鞄を確認する。 

「よし、大丈夫だ」

 トトがモックルの頭をポンと叩いて、合図をする。

「モックル、行こう」

 モックルはガルル、と返事をしてから、静かに走りだす。振動が少なくて、俺は驚いた。

「ぜんぜん揺れない。凄いな」

「ふふ、そうでしょう」

 トトはどこか自慢げだ。

「モックルは、どこに棲んでいるんだ?こんな動物、見たことないよ」

「スイズの森に棲んでいます。私たち一族の住処も、スイズの北部にある深い森の中にあります」

「そうなんだ」

 《スイズ》は唯一の《中立国》だ。

 地図を説明すると、まず縦に左右分け、その内の左側を1対3で横に線を引いて割った上がスイズ、下が魔法の国で、右側の、魔法の国と同じ大きさの国が機械の国だ。

 トトが言う。

「まずはオシシの占い通り、南西へ向かいましょう」

「そうだな」

 モックルは山の中に入る。

 道なき道、細い獣道を突き進む。木々の間を縫うように、器用にジャンプして進んでいると、ふいにモックルは足を止めた。

 トトがモックルにたずねる。

「どうした?」

 モックルの視線の先には、ゆっくりと揺れ動く、灰色の物体がある。

 山の斜面から、平らで鋭利な何かが大きくなって近づいて来る。

 俺は気が付いた。

「機械(マシン)だ」

「えっ」

「タマオアイの時と同じ、俺達を爆心地へ追い詰めた敵の兵器だ。あれよりも少し小さいけれど、同じだ」

 俺はモックルから降りてトトに言った。

「トトは逃げろ」

「ジンはどうするんですか」

「機械を破壊する。もう絶対、同じような事はさせない」

 トトもモックルを降りた。

「私も戦います」

「トト」

「昨日言ったじゃないですか、ジンが一緒に頑張ろうって」

 機械は近づいてくる。

 駆動音が小さい。一機のみだ。

 言い争う暇はなかった。

 トトはモックルに言った。

「モックルは離れてて、ステイよ」

 モックルは主の命令を通り山を登っていき、やがて見えなくなった。

 俺達はしゃがみ、木陰に隠れた。

「どうやって倒しますか?」

「まずは観察する」

 トトは不安そうな顔をする。

「大丈夫、俺に任せろ」

 俺はトトの肩を抱き寄せた。

 ゆっくりと機械は近づいて来る。

 四足歩行なのは、あの時の機械と同じだったが、明確な違いがあった。戦車のような、頭の飛び出た部分に大きなレンズが取り付けられている。

 そのレンズがくるりと動き、俺たちの方を向いた。

 猫が瞳孔を調節してピントを合わせるように、レンズが動く。明らかに俺達を見ている。

 トトが焦ったように囁く。

「なんで?隠れてるのに」

 距離も50メートル近く離れている。

 ただのレンズじゃない。

 俺は靴を脱いで、斜面の木陰の中に軽く転がした。

 靴は鬱蒼と茂る草木の中にずっと隠れていて、機械からは全く見えない。

 だがレンズは明確に、俺達から靴の方へ動いた。

 そして再び、俺たちの方へ戻る。

 直接の目視じゃなくても対象を関知できるカメラの種類‥

 温度で判断する、サーモグラフィか。

「あのレンズは温度を感知できるものだ。俺達がここに隠れていても意味がない。既に位置はバレている」

「えっ」

「一旦離れよう」

 機械は四本の脚を動かし、空気を震わせるような高い駆動音を響かせ始める。

 長い脚が動き、俺達に向かって歩き出した。

 俺はトトの腕を取り、踵を返して走り始めた。

 ステイしていたモックルがどこからか現れて、並走してくる。

 俺はモックルにたずねてみた。

「何処かに水辺はあるか?」

 トトはモックルが水の音を聞き分けられると言っていた。

 山の各地には小川が流れていた。どこかに本流があるかもしれない。

 モックルは先を走り出す。案内してくれるようだ。

 俺達はモックルに飛び乗って、案内してもらう。

「どうして水辺へ?」

「あのレンズは《表面温度》しか測れない。今日は寒いし風もある。水を纏えばマシになるだろう」

「それで、そのあとは?」

「M12AQという機械の国の戦車に似てる。足のキャタピラは外されて四脚になってるけど、中身は同じハイブリッド系で、電気を使っているはず。よって、俺達が持つ最強の兵器は、これだ」

 俺は肩から掛けていた水筒の蓋を開ける。

 トトは呆気に取られて言う。

「水がどう役に立つんですか」

「機械は水にとても弱いんだ。川の水や雨水なら、ミネラルや不純物が入ってて、それに電気が流れる。それで機械が壊れる。つまり、《流してはいけない所に電気を流す》」

 振り返ると、もう機械の姿は見えなかった。

 四脚なら崩れた足場を歩く事は出来るが、モックルの方が速い。

「トトは浮遊魔法って使えるか?」

 トトはうなずく。

「オシシから習いました」

 川に着き、モックルから降りると、俺は片方の靴を脱いだ。

「靴を浮遊させて気を引いて欲しい」

「えっ」

「トトなら出来る。頼むよ」

「‥‥出来る、かな。私、まだ自由に動かし続けるのは出来なくて」

 心配するトトの肩に手を置いて言った。

「少しで良いよ。それに、自分のことを信じなきゃ。一緒に頑張るんだろ」

 トトは果敢に顔を上げた。

 靴と鞄を地上に置き、俺たちは頭まで川の水に浸かった。

「寒くてごめんな」

「大丈夫です」

 俺は川の水を水筒いっぱいに入れ、その中に携帯していたナイフを浸けた。

 ギリギリまで川に浸かり、木陰に隠れる。

 機械がやって来る。見失った獲物を探すように、レンズを回してキョロキョロと辺りを見ている。

 トトは鞄から、オシシから貰った羊皮紙と鉛筆を取り出す。

 一筆書きで丁寧に円の中に円を描き、その二重丸の中心に三角形を描く。

 トトはその紙に触れて、鉛筆で靴を指差した。

「オン」

 鉛筆の先から赤い閃光が迸り、靴にぶつかった。

 靴は赤い光に包まれた後、ふわりと浮かび上がる。

 トトは指を動かして、靴をゆっくりと俺達から離れた場所へ移動させる。

 木陰から隠れそびれたかのように、靴をふわふわと浮遊させた。

 機械は反応して、靴に近づく。

 四本脚の関節は、歩くたび、複雑に曲がっている。蹴り上げる動作は膝裏の角度が小さくなるが、地上に戻る時は膝裏の場所が広くなる。

 あそこには導線が走っているはずだ。

 トトが鉛筆を振り上げると、機械のレンズに靴がぶつかった。

 その瞬間、俺は転がるように脚の下を掻い潜り、機械の脚の関節にナイフを突き立てた。

 だが、狭くて上手く刺さらない。

 素早く他の場所に視線を走らせる。

 関節は他にもある。

 俺は足首の付け根にナイフを突き立てた。

 ナイフを刺し抜いて、直ぐに手を離す。

 バチ、と電気が弾ける良い音がした。

 ショートした!

 俺は水筒の水を思い切り掛けた。

 黒い煙が立ち上がり、俺は機械の下から転がり出る。

 同時に漏電し、ヒューズが壊れて機械の脚が折れた。漏電を察知した機械は緊急停止する。

 その瞬間、四脚の機械は緑色に変わった。

 否。急に苔むして、装甲が苔に覆われる。

 俺はトトと顔を見合わせた。

「魔法でしょうか?」

「分からない」

 俺は砲塔の部分に乗り上がり、装甲に触れていく。

 古くから存在していたみたいに、濃く藻や苔が覆っていた。急に生えてくるなんて、魔法としか考えられない。

 上に飛び出た砲塔は、基本的に人が入っている。

 俺は苔や藻を手で掴み、千切って、払い落とすと、人が顔を出せる蓋があり、俺は隙間に指を入れて蓋を引いたが軋んで半分しか開かなかった。何度か蹴り上げて、ようやく全開にする。

 トトもやって来て、一緒に中を覗き込んだ。

 中は、長いこと放置された庭のように蔦が絡まって生えていた。

 その中央に、人がいる。

「おい!」

 声を掛けても返事が無い。気を失っている。

 蔦で身体ががんじがらめになっている。

 助けようと俺が砲塔に足を下ろした瞬間、蔦が一斉に絡まってきた。

「ジン!」

 トトが俺の腕を引っ張るが、足から腰までどんどん伸びて捕まえられる。胸辺りまで植物が迫って来た時、ドシン、と機械が沈んで、モックルが飛び乗って来た。

 ガルル、と唸って伸びて来た蔦に噛み付く。

 三目狼の頭上の三つ目の目が開眼すると、暖かい風がワッと周囲に吹いた。

 温かいお湯に浸かったような感触がある。

 すると、蔦が動かなくなった。

 モックルは普通に蔦を噛み切って俺を助けてくれた。協力して、男を引っ張り出しながら、俺はトトにたずねる。

「今の風は、地霊の加護?」

「そうです。そして、地霊の加護を受けられるという事は、この機械は生きています」

「機械が生きる?どういうこと?」

「うーん‥‥意識は無いけど、そこにあるって感じでしょうか」

「ふぅん?でもこれ、電気も通ってたし、機械の国から持ち込んだんじゃないかな」

「私は違うと思います。私たちの思う機械とは、似て非なるものなのかもしれません」

 全く理解できなかったので、この機械が何なのか、という話は置いておいた。

 取り敢えず、機械に乗っていた男について調べる事にした。

 兵士は四角いバッジをつけていた。全身真っ黒の服を着て、黒い戦闘帽を被っている。

 胸の所には赤青黄色の刺繍が入っていて、階級があることが分かる。

 俺は男の服を探り、所持品を確認する。

 腰には拳銃が差さっていた。胸ポケットには軍隊手帳のような黒い革の手帳、お札が裏に挟まれるように入っている。

 拳銃はロックがかかっている。

 魔法の国の人間じゃないのだろうか。

 四本脚の機械や爆弾といい、魔法の国は機械を忌み嫌っているから使わない、という認識を改めるべきかもしれない。

 タマオアイの爆弾で溶かされてしまったので、俺は男のベルトごと拝借して拳銃を革のホルダーに仕舞った。

 手帳を開くと、左には男の顔写真。右には大きく文字が描かれていた。

 

  αριστερά(アリステラ)


「アリステラ?」

 俺が呟くと、覗き込んだイトが首を傾げた。

「知らない言葉です。機械の国の言語ですか?」

「違うよ。古代の言語って言われてる」

「へぇ!すごいですね、古代の言語が読めるなんて」

「記憶力が良いだけだよ」

「それだけで覚えられるものですか?」

「うん。父親も機械技師なんだけど、外国へ出張していて、色々な場所に行ったりするから、よく本を買って来てくれて、そこに古代語についての本もあった」

「外国へ?」

「スイズと魔法の国両方だよ。機械は人の生活を豊かにするだけじゃなくて、必要な人もいる。農業用の機械とか、医療機器の製造とか。魔法の国じゃ機械の定義を【人の行動と思考を低下させる人の造った金属を用いる製品、ただし一部の製品は除く】ってなってるらしいんだ。父親によると、その除くリストは大量で覚えられないって」

 トトが言う。

「何だか、どれが機械なのか、考えているだけで疲れそうですね」

「本当だよな。どうしてそこまで嫌がるんだろう…って話は逸れたけど、アリステラは《左》っていう意味だ」

「タマオアイの爆弾や機械と何か関係あるんでしょうか」

「どうだろう作戦名とかかな…左…西…。そういえば、トトは世界各地でタマオアイが落とされてるって言ってたけど、具体的な場所は分かる?」

「うーん、オシシから聞いた話ですが、スイズと魔法の国に、私が小さかった頃に落ちているそうです」

「トトは経験してないんだ」

「はい。すみません、オシシにもっと詳しく話を聞いておけば良かったです」

「いや、トトが謝る事じゃ無い。混乱しててちゃんと聞いてなかった俺が悪い」

 自分の呪いも解いて自由の身になりたいし、魔法の国が攻めてきても国を守れるように、一刻も早くタマオアイの爆弾について、四本脚の機械について、情報を集めたい。

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