第12話 世紀末の死神
●二〇〇一年二月~二〇〇二年二月
(1)-1
二〇〇一年二月、フィギュアスケート世界ジュニア選手権マルセイユ大会においてレオ・ウィリスは優勝し、当初の予定より一年遅れで目標を達成した。
ジュニアの世界チャンピオンになったレオの元に、ロサンゼルスの名門フィギュアスケートクラブ「ロサンゼルス・クリスタルアルター」から移籍のオファーが来た。
熟考した結果、レオは承諾し、そのクラブの総監督を務めるイギリス人有名コーチであるイーサン・ベイツの門下に入ることを決意した。
生まれてから十六年過ごしたテキサスを離れロサンゼルスに部屋を借り、高校も通信制のある学校に移った。すべては、来年二月のソルトレイク五輪のためだ。
長野の雪辱を果たすべく年を重ねるごとに強くなっていき、今やスケート界の独裁君主となったイリヤ・バシキロフと、よりによってオリンピックシーズンに対決できるということが今から楽しみでならい。
世間一般の十七歳にとって五輪の銀メダルは大殊勲であろうが、イリヤ・バシキロフにとっては敗北の証だった。少なくとも、レオはそう思っている。
長野五輪の前季にシニアデビューしたバシキロフはグランプリシリーズで好成績を上げ、初出場の世界選手権では銅メダルを獲得した。
翌年の長野五輪フィギュアスケート男子シングル・ショートにおいて、世界チャンピオンのドイツ代表クルト・ノイハウスが予想外の転倒をして五位発進となり、勝負は前季世選銀メダリストの全米王者ジョシュア・ヘイズと銅メダリストのバシキロフとの争いとなった。
二日後のフリーで、ジャズの名曲「A列車で行こう」の軽快な旋律に乗って、全米王者ヘイズはまず四回転とアクセルからの3+2を跳び、次に単独のトリプルアクセルを決めた。
全米選手権では冒頭のコンボはアクセルからの3+3を跳んで優勝していたのだが、この大会においては安全策をとったのかもしれなかった。その代わりジャンプ難度を下げたことで演技全体に安定感が生まれ、リズミカルなメロディーを存分に表現していた。
イリヤ・バシキロフはその次の滑走だった。
音楽はチャイコフスキー作曲「フランチェスカ・ダ・リミニ」。ダンテの「神曲」の一節「地獄篇」をもとにした交響詩だ。
今シーズンから伸ばし始めボブの長さになった金髪とボリュームを持たせてパフスリーブにした襟の大きな白いブラウス、漆黒のベストと運動の邪魔にならない程度に膝から上部分に膨らみを持たせたズボンという出で立ちで登場した彼は、昨シーズンから挑戦してきていた四回転ジャンプを冒頭でクリーンに決め、アクセルからの3+3のコンボと単独をこれも綺麗に成功させていった。
ショートでも存分に振りまいてたトレードマークの笑顔笑を封印し、足元に広がる氷のように冷ややかな表情で彼が表現したのは、罪人を地獄に叩き落とす死神だった。
十七歳の少年にはそれ自体ハードルが高い上に、五輪シーズンに披露するという点でも相当に意欲的なプログラムだ。
だが、この暗く冷たく恐ろしい世界観を彼は完全に氷上に立ち上げ、膨らまして解き放っていた。極東の一地方都市に敷かれた広大な白銀の上に、四分半の黒い煉獄を現出させた。
跳んで回るたびに伸ばした金髪が翻り、それ自体が死神の魔力の発現のようで、禁欲的な装いと相まって若さからくる強靱な身ごなしがかえってプログラムに説得力を与える。両腕に掲げられる死神の大鎌さえはっきり見える。
自宅のテレビで中継を観ながら、十三歳のレオは震撼していた。たとえこの試合の結果がどうなろうと関わりなく、この年でこれだけの演技ができるバシキロフは間違いなく史上最高峰のフィギュアスケーターだ。
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